ふたりで顔を見合わせる。言葉にせずともお互い「あれは、やばそう」という気持ちを抱いていることが伝わってきた。こういうときは近づかないにかぎる。できれば湖からも離れたほうがいいだろう。 うん、と頷き合い、オールを操ってそろそろと方向を転換する。岸へ向かって漕いでいたがしかし、無情にもごぽぽぽ、と湖中央の水面が盛り上がるのがふたりの目に映り込んだ。 「な、んでだよっ!」 「これ、どっち選んでもこうなるオチだったんじゃねっ!?」 ざばん、と大きな波を立てて姿を現したものは、一言でいえば巨大な、巨大すぎる三つ目のなめくじだった。全身を突起が覆っており、背中の部分は鋭いとげになっているようだ。身体の両側面からは無数の触手がうにょうにょと伸びている。「あ、ふつうに、きもち、わるい」と真っ青な顔をしたククールが呟いていた。 「ばかっ、放心してる場合か、漕げ、早くっ!」 「んなこと言っても、今の大波でオール一本持ってかれたっつーの!」 「はぁああっ!?」 ぐらぐらと揺れる小さなボートの上で言い争うふたりだったが、化け物にはその空気など分からない。ばっしゃん、と触手が数本水面に叩きつけられ、荒れる湖にボートはなす術もなくひっくり返ってしまった。 思っていたよりも冷たくない、それが湖に落ちたエイトの感想だった。 「ン、……ぁ、れ……?」 ふ、と気がつけばどうやら自分は草の上に転がっているようだった。全身がずぶ濡れで肌寒さを感じる。ええと、いったい何があったんだっけ、と懸命に思い出そうとしていれば、「気づいたか」と横から声が降ってきた。 「くくー、る」 紡いだ男の名に、「おう」と返事がある。よっこらせ、と身体を起こせばぐらり、と脳が大きく揺れたような気がした。 正面には湖が広がっており、岸辺にはあのボート。しかし現れていたはずのなめくじ化け物の姿はどこにもない。 「あの化け物、どこいったんだ?」 どうやらエイトより先に目覚めていたらしいククールにそう尋ねる。 疑問符を浮かべながら仲間を見上げるも、彼はきょとんとしたような顔で「化け物?」と首を傾けた。 「いや、だから、さっきの、うにょうにょ触手のやつ! でっかいなめくじみたいな、目が三つある!」 そう言いつのりながら、もやもやとした違和感が胸のうちから沸き起こる。いや、違和感は最初からあったのだ、そもそもあの状態からどうして自分たちが助かったのかが分からない。ボートだって転覆したはず。それになにより、エイトは全身濡れているのに、目の前の男は水の一滴も被っていないようなのだ。 エイトの言葉にややあって、「ああ、」と男は頷いた。 「あれはお前たちからしたら『化け物』になるのか」 そうか、と頷いている男の言葉の意味が、分からない。座り込んだままじりり、と身体を引いて距離を取ろうとするが、冷えた身体と混乱した頭ではろくな行動を取ることもできなかった。 そんなエイトを正面に据えたまま、綺麗な顔をした男は柔らかく笑みを浮かべる。 「触手、というのは、これのことだろう?」 ざわり、と。 見慣れたはずの赤いマントが揺れ、その下から無数の触手が伸びてきた。声をあげる前に絡みつく触手にくちを塞がれ、手足の自由を奪われる。ククールはどこにいったのか、無事なのかどうか、それだけでも確認したかったが、もはやエイトにはなんの術も残されていなかった。 おわり
2019.04.01
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