不意打ちのキスに思わず平手。


(TOV:フレユリ)


 庇護してくれる親を持たず、下町で暮らす子供は日々生きるだけで精いっぱいだ。しかしそれでも自分たちは恵まれている方だ、とフレンは思う。最低限の衣食住を手にできる程度の環境で、優しい人々に力を貸して貰え、何より苦楽を共にする家族が側にある。血は繋がっておらず、はっきり言えば赤の他人でしかなかったが、それでも黒髪の美しい彼はフレンの唯一無二の家族であった。
 昼間は働いて食費を稼ぎ、日が暮れてから剣を手に訓練に励む、そんな毎日を辛いと思わなかったのは側に彼がいてくれたおかげであろう。市民街に住む子供たちのように遊ぶ暇はほとんどなかったが、下町で生きる子供などみな同じようなものだ。親のある子供だって、小さな身体で賃金を得、生活費の足しにしている。
 一日ごとに仕事が変わる時期もあれば、二週間、三週間と同じ仕事をさせてもらうこともある。大抵はふたり一緒に紹介してもらえるため、この頃は本当に常に彼と同じ空間にいたといっても過言ではなかった。

「あんま興味ねぇし。つか腹が膨れるわけでもねぇのに、わざわざ時間を使う意味が分かんねぇわ」

 どうよ最近、筆おろしは済ませたか、と唐突に尋ねてきた男へ、抱えていた荷物を下ろしながら幼馴染がそう答えているのが耳に入る。
 今フレンたちが共に働いているのは、市民街にある市場だ。丁度気温が温かくなりはじめるこの時期、旬の野菜や果物が多く、荷運びの人手が足りなくなる。かなりの重労働であり、他の子供たちはあまりやりたがらないが、筋力をつけるにはちょうどいいだろう、とフレンたちはよくこの仕事を引き受けていた。
 そこで顔を合わせる他の労働者たちとの雑談は、おもに生活が苦しいだとか、帝国の制度のあり様だとか、愚痴が多い。けれどその中にフレンたちのような年ごろの少年が加われば、ときどきからかい交じりに聞かれるのだ、もう女はできたか、と。早いうちに童貞を捨てて置けだとか、しっかり剥いとけよだとか、男ばかりの場所であるため、交わされる下ネタは尽きることがない。大抵は慌てるだとか、赤くなるだとかいう反応を期待されるのだが、生憎とそういった可愛さはフレンもユーリもとうの昔に失くしてしまっていた。

「その年で興味ねぇって、そりゃお前病気だ病気、おい、フレン、お前はどうよ」
「僕もあまり……」

 働くことと将来を踏まえた上での剣の稽古のことで頭がいっぱいで、彼らが言うような事柄を考えるだけの余裕はない。そんな返答にち、と舌打ちした男は、それでもまだ諦めようとせず、「いいかお前ら」とフレンたちの肩へ手を置いて顎をしゃくる。揃ってそちらの方を見やれば、この市場で一、二を争うレベルで器量の良い肉屋の娘が笑顔で接客しているのが見えた。明るく気さくで顔も良い。少しふっくらしているが、ぽっちゃりというほどでもなく、何よりも男たちの視線を集めている豊満なバスト。

「ああいうの見たらこう、ぐっとくるもん、あるだろ?」
「…………」
「……揺れてんな、とは思う」

 無言のフレンに対し、冷めた言葉を返すユーリ。「つまんねぇガキどもだな」と呟いた後、「まあそのうちお前らにも分かるようになるさ」と男は嘯いた。

「大人の男ってのはな、いい女見たら無条件で乳揉んで、唇に吸い付きたくなるもんだ」
「……節操のねぇ大人だな、そりゃ」

 ぼそり、呟かれた言葉への返答は、頭に振り下ろされた拳だった。

「痛ぇなっ! ほんとのこと言っただけだろっ!」
「何で僕まで……」

 確かに彼と同じようなことは思ったが、口には出していない。痛む頭を押さえて蹲っていれば、「今日はもう終わりだとさ、さっさと帰れ!」と赤くなった両手をひらひらさせながら、男は去って行った。どうやら仕事の終了を知らせにきてくれたらしい。それならそれだけを伝えてくれれば良いものを。
 思いながらとりあえずとばっちりを喰らった恨みを「ユーリの馬鹿」と吐き出しておく。

「悪かったよ」

 彼もまた、フレンまで殴られるとは思っていなかったのだろう。素直に紡がれた謝罪ではあったが、こちらへ視線を向けようとはせずそっぽを向いたままだった。
 ほとんど同じように外へ出て日を浴びているはずなのに、ユーリの肌は白いままだ。荒れることを知らないかのような黒髪は、徐々に傾き始めた日の光を浴びてさらにその深みを増しているように見えた。
 帰るか、と言葉を紡ぐ唇。ん、と返事をして立ち上がるフレンの脳内に、先ほどの男の言葉が蘇る。
 無条件で乳を揉んで唇に吸い付きたくなる、そんな感情を抱いたことは一度もないが、敢えてするとすれば。
 そう思ったときにはもう身体が勝手に動いていた。

 数歩先を歩いていた彼の肩へ手を置く、黒髪を揺らして振り向いた綺麗な顔、どうした、と問いかけたいのだろうか、うっすらと開きかけたその唇。
 何の前触れもなく不意に重なったそれに、仕掛けたフレンでさえしばらく状況が理解できなかった。
 えっと、と己のしでかしたことを反芻する前に何かが空を切る音が耳に届く。すぐあとにぱん、と乾いた音が薄暗い路地に響いた。何が起こったのか瞬時に理解ができず、きょとんとした間の抜けた顔のまま見つめる先には、大切な幼馴染がいる。
 じん、と叩かれた右頬の痛みが遅れてやってきた。

「――――――ッ」

 何か言おうと口を開いて、しかし結局何の罵声も吐き出さずにユーリは背を向けて走りだしてしまった。呼び止めようだとか、追いかけようだとか、そんな考えさえ思い浮かばず、フレンはただただその場に立ち尽くす。
 今自分は何をしたのだろう、どうして彼は今にも泣き出しそうな顔をしていたのだろう。
 そんな疑問はもちろん渦巻いているが、それらを吹き飛ばす勢いで。
 ユーリ曰く「節操のない大人」が抱く衝動を、フレンは生まれて初めて理解した。
 豊満なバストはなく、厚い唇もなかったけれど。
 揉んで吸い付くなら、アレがいい。




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2012.03.09
















十五とか、それくらいを想定。
拳ではなく平手だというところが、ユーリさんのオトメ心。

リク、ありがとうございました!