話はそれから ようやく煉獄島から脱出できたときには既に、法皇は亡き者にされていた。 単なる事故である、これが人々の間に伝えられたことだったが、それが違うことはエイトたちにはよく分かっていた。 「どうする、このまま直でゴルドへ行くか?」 次期法皇として即位した男はほぼ予想通り、ククールの兄、マルチェロだった。彼は今聖地ゴルドで即位式を執り行っているという。 ラプソーンの魂が宿った杖は十中八九彼の手にあるのだろう。ならばそれを追ってすぐにでもゴルドへ向かうべきで、それくらいエイトにはよく分かっていたが、ククールの問い掛けに彼は首を横に振った。 「正式な即位式は明日だろ? だったら明日の朝一番にルーラで行けば間に合う。今日はゆっくり休もう」 煉獄島にいた期間は決して短かったわけではない。体力的にも精神的にもかなりの消耗を強いられた。この状態のまますぐにゴルドへ旅立つのは自殺行為だと思われた。 せめて一晩、静かなところで身も心もゆっくりと休んでもらいたい。 その思いが仲間にも伝わったのだろう、「それもそうね」とゼシカが頷き、「じゃあ宿の部屋、とってくるでげす」とヤンガスが宿屋へと向かって走っていった。 「どうせ今日行ってもマルチェロには会えないだろう。人の前に姿を現す即位式が一番狙い目だと思う」 エイトの言葉にククールも納得したらしく、「お前が言うならそれでいい」と頷いた。 おそらく精神的な疲労が一番酷いのはククールだと思う。雲の上の存在に等しかったとはいえ、法皇は彼が尊敬する数少ない人間のうちの一人であったのだ。それを守ることが出来ず、さらに彼に手をかけたのが己の兄かもしれないのだ。その事実を前に平静でいられるなど普通ならできないだろう。実際、煉獄島の中では彼はかなり心理的に追い詰められていたように思う。 それがどういうわけか、今は穏やかな顔をしていた。力が抜けているわけではない、その青い透き通った目は強い光を湛え、何かを大きく決意しているようなそんな顔をしている。 ぴりぴりとした雰囲気がないだけマシだとは思ったが、そんな彼を見るのはどこか痛々しくて、エイトはあまり好きではなかった。 「兄貴、二つほど部屋、取れやしたぜ!」 宿屋から出てきたヤンガスが、大声でそう報告してくる。「じゃあいつも通りジャンケンで」とゼシカが口を開く前に、エイトはククールの腕に飛びついた。 「俺ククールとーった!」 「いや、『取った』ってはないちもんめ?」 「いいじゃん、何でも。俺と一緒じゃ嫌だってか」 「別にやじゃねーけど」 いつもとは違う彼の行動に戸惑いながらククールが答えると「じゃあいいじゃん」と、エイトはずるずると彼を引きずって宿屋へと向かう。取り残された二人は顔を見合わせて首を傾げたあと、仕方なくエイトたちのあとを追った。 「で、どういう風の吹き回し?」 わざわざエイトから相部屋を申し出てくることなど今までになかったことだ。別に彼は誰と相部屋であろうと良かったのだと思う。とくにこだわりなどないため、部屋決めをジャンケンで行っていた。それなのに今日に限って自分からククールと相部屋が良いと言い出すなど、何かあるに決っている。 少しだけ警戒心を持ったまま、部屋に入るなりククールがそう問いかけるとエイトは「んー?」と首を傾げて唸った。 「うん、何だろ、なんか、何となく」 「何となくか」 「うん、何となくお前と話とかなきゃいけないなーって思って」 頭を覆っていたバンダナを取り去りそれをベッドサイドのテーブルの上へ置く。ポケットに入ったままだったトーポをそのバンダナの上へ置くと、荷物を漁ってチーズを一欠片取り出した。 「話? オレに?」 「うん、そりゃお前誘っといて、ゼシカに話は出来ねえな」 言いながらチーズを千切りトーポへと与えている。空腹だったのか、トーポは小さなチーズの欠片をみるみるうちに平らげていった。 「それは何、パーティのリーダとして話があるってこと?」 なにやら面倒くさそうな雲行きになってきたため、軽く眉をひそめてククールはそう口を開いた。マントを取り、窮屈な騎士団服の首元を緩める。ベッドに腰掛けてブーツを脱いでいるところで、「っていうより」とエイトからの返答が聞こえてきた。 「そんな真面目なもんじゃなくて、何だろうな、お前の仲間っていうか、トモダチ? としてっていうか」 「はっきりしねぇな」 「立場なんてどうでも良いじゃん」 「そりゃまぁそうだけど。じゃあ、聞いてやるからさっさと言え」 ブーツを脱ぎ裸足のまま床へ足を下ろす。 エイトの方を見やるとトーポへの餌やりを終えていたらしい彼は、黄色と青の上着を脱ぎ去って、上半身裸のままで部屋着を自分の荷物の中から探しているところだった。 「うん、じゃあ遠慮なく言わせて貰うけどさ」 畳むことなく突っ込んでいたのだろう、しわくちゃになった黒いTシャツを引っ張り出してそれへ頭を突っ込みながらエイトがそう言う。せめて話すか着替えるか、どちらか一方だけにしろよと思わなくもなかったが、エイトにそういう常識を求めても仕方がないだろう。たとえ明日の我が身を決めるような重大な話題だったとしても、目の前に飴があったらそれを舐めながら話すに決っている。そういう男なのだ。 Tシャツの後ろ前を確認していなかったのだろう、首を突っ込んだ時点で前と後ろが逆であることに気付いたらしく、そのままTシャツをぐるり、と首の周りで回しながらエイトは口を開いた。 「お前、その顔止めたら? きもいよ」 彼の言葉を理解するのにきっかり一分は必要だっただろう。脳へ届いたと同時にククールは衝動的に近くにあった枕をエイトに向かって投げつけていた。 「ってぇな! 何すんだよ!」 「何、じゃねぇよ、んなこと言われて怒らない人間がいたら見てみたい!」 戻ってきた枕をもう一度力いっぱい投げつける。エイトはTシャツに首だけ突っ込んだまま、それを腹で受け止めた。 「お前ね、オレさまの顔見てどうして『きもい』って言えるわけ? 悪いがオレはな、オレ以上に顔のつくりがいい奴とはまだ会ったことがねぇんだよ」 「いや、そうじゃなくて。うん、それは認める。非常に不本意ではあるけど、お前の顔が良いのは認める。基本的なつくりのことを言ってるわけじゃないのよ、俺は」 「じゃあ何を言いたいんだ」 「だから、その作ったような表情を止めろと、そう言いたいわけなのです」 枕を側に避けてようやくTシャツへ腕を通したエイトは、真っ直ぐな目をしてそう言った。 彼に、彼の漆黒の目に見つめられると弱い。何もかもを見透かしてしまいそうな、力を持った瞳。それに見られていると思うだけで、何かを取り繕うのが馬鹿のように思えてくるから不思議だ。 「作ったような表情? どういうことだ? オレ、そんな顔してる?」 「自覚ねぇの? 重症だな」 そう言ってエイトは苦笑を浮かべると、ぺたり、と足を床に下ろし、ククールの方へと歩み寄ってきた。 そのまま手を伸ばしてきて、柔らかく彼の頬へと触れる。 「前はもっとな、こう、自然に笑ってた気がするんだよ」 ふに、と頬を抓ってそのまま横に引っ張る。「おい」とククールが非難の声をあげると、「ほっぺはこんなに柔らかいのにな」とエイトは溜め息をついた。 「煉獄島の辺りから、お前笑わなくなった。笑ってたけど、笑ってなかった」 引っ張った所為で赤くなった頬を優しく撫でながら、エイトは呟くように言葉を紡ぐ。 「ぶっちゃけて言うとさ、俺、別に法皇やマルチェロと関係があるわけじゃないから、ラプソーンに怒りはあるけどお前が持つ感情は全然分からないんだ。でもお前の境遇を俺に置き換えたら、たぶんトロデ王がミーティア姫に殺されたかもしれないって、そんな状態じゃないかなって思った。 それを考えたら、そんな顔してるお前のことが分からなくなった」 もともとそんなに分かってたわけじゃないけどさ、と苦笑を浮かべて付け足してから、エイトは何を思ったのか、そのままぎゅうとククールの頭を抱きしめた。エイトの薄い胸に額を押し付けられ、どうしたものか、とククールは思う。 とくとくと、小さくエイトの鼓動が聞こえる。触れ合っている部分から体温を感じる。女性のような柔らかさはまったくない、しかしそれでも何となく安心感を覚えるのは何故だろうか。 はあ、とククールは小さく溜め息をついた。 「悲しいんだ」 顔をエイトの胸に埋めたまま、ククールはぽつりと呟く。それにエイトが小さく「うん」と頷いた。 「法皇は、オレから見てもすごい人だったんだ。神に近い場所にいるだけのことはある、徳が高くて、思慮深くて、それでいて愛情が深かった。死なせたくなかった」 「うん」 「オディロ院長のときもそうだ。あの人も死なせたくなかった。オレに居場所をくれた初めての人だったんだ。恩人とか育ての親とか、そういうの抜きにしてオレはあの人が好きだった。だから死なせたくなかったのに」 ぐ、とククールが拳に力を込める。手袋を外しているため、形の良い爪が手のひらに深く食い込んでいた。 「死なせたくない人がどんどん死んでいく。守ることも出来ない」 吐き捨てるかのようなその言葉に「うん」と頷いてから、エイトはやんわりとククールの拳の上へ自分の手のひらを重ねた。そしてぽんぽんと軽く叩く。何かの魔法にでもかかったかのようにす、と力が抜けたのを見計らい、エイトはククールの指へ自分の指を絡め強く握り締めた。 「自分に力がないのが悔しいし情けない」 同じくらい強くエイトの手を握り返す。 心に浮かんだことを何も考えず素直に口にしているが、一瞬だけ躊躇ったあとククールは諦めたかのように言葉を続けた。 「……オレは、怖いんだ」 「うん、何が?」 空いている左手でククールの髪を梳きながらエイトは続きを促す。 「守れないことが。これからも、守りたい人を守ることが出来ないんじゃないかって、それが怖い」 目の前で大切な人が次々に命を落とすのではないか、それが怖い。 自分が死ぬことはどうでもいい。こんな危険な戦いの中に身をおいているのだ、己の命などそれこそ当に見限っている。けれど、守りたいと、死なせたくないと思う人間がこれ以上死んでいくのは耐えられなかった。 「ククールは、ほんと、優しいよな」 エイトが優しくそう口にし、ククールの顔を上へと向けさせた。 かなり情けない顔をしていることは分かっていたので出来ればあまり正面から見られたくなかったが、ここまできて彼に逆らうのも馬鹿らしい。大人しくエイトを見上げると、彼は常にないほど穏やかな笑みを、それでいてどこか寂しげな笑みを浮かべていた。 そしてその表情を浮かべたまま、ククールの両の眦へと唇を寄せる。 そのエイトの行為に誘われるかのように、つぅ、と涙が一つ、頬伝った。 「お前が死なせたくないのってやっぱりマルチェロのことだよな? だったら俺はお前がこれ以上そんな顔しなくてすむように、奴が死なないよう全力で食い止める。お前も全力で食い止めろ、話はそれからだろ?」 頬を濡らす透明な雫を唇でたどりながら、エイトが強くそう言う。 彼が言う通り、死なせたくない相手はおそらく血を分けた兄、唯一の家族だろう。彼が己を嫌っていることなど百も承知、どれほど努力したところで彼の視界に入ることすらできないだろう。しかしそれでも、やはり死なせたくはない。生きていて欲しい。 小さく頷いて、ククールは口を開いた。 「兄貴だけじゃねえよ、オレは仲間にも死んでもらいたくはない」 「だったら、ゼシカやヤンガスも守ったらいい。とりあえず今、守れるだけ守らないとあとで後悔する」 話はそれからだ、エイトはそう言う。 その通りなのだろう。今できることをせずにあとのことを考えても仕方がない、後を考えるあまり今が疎かになってはそれこそ本末転倒だ。今できることをできるだけやる、話はそれからだ。結果が出てからでないと考えられないこともある。 分かっているのだ、それくらいは。しかし時にはこうして人に諭されることも必要なのだろう。 ぎゅう、とエイトの手を強く握ってから、ククールは一つ、瞬きをした。たまっていた涙がまた一つ、雫となってこぼれる。 それを拭うように頬へ振る口付けを感じながら、ククールはゆっくりと目蓋を閉じた。 「オレはお前にも死んでもらいたくねぇよ」 エイトの動きが止まったところで目を開けて、今まで膝の上で遊ばせていた右手で彼の顔を引き寄せた。 正面から目を合わせ、唇が触れ合うほどの距離でもう一度同じ言葉を口にする。 その言葉にしばらく放心したようにククールを見ていたエイトは、ふ、と笑みを浮かべると口を開いた。 「だったら、俺は全力で生き残ろう。お前のために」 話はそれからだろ? ***
ご提案くださった台詞:「きもい」 ブラウザバックでお戻りください。 2005.11.04
どうしてこんな甘い話になったのか。 書いた本人が一番わかってないので突っ込まないでください。 |