特に表立って感情を見せるわけでもなく、淡々とした表情でぶつりと他人の未来を断ち切る。
 そんな彼に冷酷だと非難する声を上げることさえ出来ない。
 そもそも感情など、初めから彼に求める方が間違っていたのだから。


「それで、結局お前さんは城に残るわけだ?」

 暗黒神ラプソーンの討伐に成功し、世界に平和が訪れた。人知れず活躍した世界の勇者たちは過酷な旅の疲れを癒し、それぞれの生活へと戻るために動き始めている。
 サザンビーク国王子との結婚が嫌で逃げ出した姫を、エイトは仲間たちに押されるように連れ出した。彼自身が望んで連れ出したわけではないところが味噌だ。彼はそもそも何かを望むということをしない。望むということができない。知らないのだ、己も望みを抱くことが出来る、ということを。
 そして彼がそういう性質を持っていることは、本人を除けばおそらくククールのみが知っていることだろう。

「このまま城に残ればなし崩し的に姫と結婚させられちまうかもしれないぞ?」

 世間的には隠しているが、彼にはそれだけの地位がある。
 そんなククールの問いに、エイトは「それでも良いと思っている」と答えただけだった。

「……オレのキモチを知ってて、お前はそういうこと言うの」

 これ以上何か口にしたところで己の傷を抉ることにしかならない。分かってはいたが止められなかった。もしかしたら自虐趣味でもあったのかもしれない。
 始まりはただのじゃれあい、だったと思う。好奇心からの行為。
 それがいつの間にかこんなことになってしまっていた。
 いや、エイトの方は初めから何も変わってはいない。変わったのはおそらくククールの方だけで、知らないうちにこんなにも取りつかれてしまっていた。

 ククールの問い掛けにエイトは答えない。

「ほんとに、酷い奴だね、お前は」

 手招きすると素直に近寄ってくる。その素直さが今はただひたすら痛かった。
 こんな小さな体が世界を救ったなど、未だに信じられない。しかし、この背中がどれほど大きく見えるかよく知っている。どれだけのものを背負い、どれだけのものを捨ててきたのか、よく知っている。
 抱きしめて、癖のある大地色の髪の毛へ鼻先を埋めた。

「オレはお前が好きだよ、エイト。このまま攫ってどこかへ閉じ込めてしまいたいくらい。誰にもお前をやりたくない、独り占めしたいくらい、好きなんだ」

 この告白を何度繰り返しただろうか。何度繰り返したところで彼がこの気持ちを受け入れてくれるわけではない、受け入れるどころか、理解すら出来ないのに。
 それでも少しの期待を捨てきれずに告白を繰り返す。

「……攫われるのは、困る。俺は城を離れられない」

 少しだけ時間を置いたのち、エイトがおずおずとそう口にした。それは紛れもない彼の本音で、基本的に何事にも捕われない彼が唯一心を置くのがこのトロデーンという国であり、王であり、姫であった。
 彼らが望むのなら、おそらく彼はどんなことでもやってのけるだろう。
 それこそ花嫁強奪も愛のない結婚も、自分の生死すらあの二人の手に委ねるのは目に見えていた。低い声で「分かってる」と答え、ククールは強くエイトを抱きしめた。

 そこにたとえば尊敬の念だとか感謝の気持ちだとか親愛の情だとか、そういった人間的な感情が存在しているのならばまだ付け入る隙もあっただろう。
 しかしククールは知っている。この旅の間、彼にもっとも近い位置にいたため知りすぎるほど知っていた。
 エイトには王や姫に対するそんな感情は一切ない。
 あるのはただ「こうあるべし」と小さなころから刷り込まれてきた事柄だけで、つまり彼にとっては歩くために足を踏み出さなければならないのと同じように、彼らに尽くすのは当たり前のことなのだ。
 もう二度と歩くな、とその足をもぎ取ることができるほど、非情になりきれたらどれほど良かっただろうか。


「エイト、オレはお前が好きだよ」

 彼は当たり前のこととしてトロデ王とミーティア姫にすべてを委ねる。

「でもオレはお前が好きだから。好きで大事で、どうしていいか分からないから、だから、オレはお前にオレのすべてを委ねるよ」

 おそらくエイトならばククールの命を簡単に奪えるだろう。
 ククールが目指す光を遮るなど、エイトにとっては簡単なことなのだ。

 ククールの言葉にエイトはただ一言「重いよ」と呟いた。
 たとえ人の好意を理解できない彼であったとしても、その重さは分かるらしい。零された言葉に「当たり前だろう、オレの全部をやるって言ってんだから」と軽く返した。

「でもそれくらい耐えろ。お前はそれ以上に酷いことをオレにやってるんだ」
 その自覚はあるんだろ?

 今まで散々言い続けたのだ。たとえ始めはそのつもりが無くとも、おそらく今のエイトには芽生えているはずだ。多少なりとも罪悪感というものが。
 最終的にどちらを選ぶかと問われ、迷わず王たちを取ることへの罪悪感が。

 ぎゅう、と抱きついてくる腕に力を込めたエイトの髪を梳きながら、ククールは「それに」と言葉を続けた。

「お前次第なんだからオレのことを綺麗さっぱり忘れるのも、お前の自由だ。
 今ここで分かれて二度と会わないというならオレはそれに従うよ。
 例え何があろうとオレはお前を裏切らない。お前の影がお前を裏切らないように」



 人間、ほんの少しの光さえあれば生きていける。そう思っていた。
 今は彼という、エイトという、ククールにとってはかけがえのない光が存在する。
 例えそれが手に入らないものであったとしても。
 僅かな光さえあればこれからも生きていける。そう思っていた。

 しかしその僅かな光を。
 ククールにとっては唯一の光を、エイトはあっさり奪うのだ。
 多少の罪悪感を持ちながらも、至極当然のこととして。


 彼の心を占める存在に嫉妬した。こちらを見ることさえしない彼に失望した。そしてうまく行かない世界を憎んだ。渦巻く激情はどれも醜いものばかりで、一通りそれらを経験し終えるとなんとも言えない虚脱感が襲ってきた。
 彼相手にはどれも無駄だと悟ってしまったのだ。
 だとしたら、結局自分にできることは何が残っているのだろう。


 彼の目の前にはどこまで続くとも知れぬ闇ばかり広がっている。道を照らす唯一の光は、その光自身の手によって遮られてしまった。

 人間、ほんの少しの光さえあれば生きていける。
 そう思っていた。けれど。


「オレの手を離すお前も、オレは受け入れるよ」


 光を遮られても生きていけるだろう。
 そう思った。




ブラウザバックでお戻りください。
2006.02.16








またマイナなところから。