八割


 ぴちちち、と小鳥の鳴き声が響くさわやかな朝。宿屋で一晩を過ごしたパーティの面々は、準備を整えたものから外へ出て今日の予定を確かめ合っていた。
 地図を覗き込んでいるゼシカの側で、ヤンガスとトロデが朝っぱらから何やら言い合いをしている。いつもの通りククールは最後まで宿から出てこない。身だしなみに時間がかかるのか、行動が遅いだけか。
 宿屋入り口を見やってまだ姿の見えぬ仲間にため息をついてから、ゼシカはふとパーティリーダへ視線をやった。

「何やってんの」

 いつもならばエイトはしつこいくらいにミーティア姫の体調を気遣っているのだが、今日はどうしたことか、少し声をかけただけで、その後は膝を折り曲げたり足首を回したりを繰り返しているのである。
 呆れたようなゼシカの問い掛けにエイトは「準備運動」と簡単に答えた。

 それは見たら分かる。
 そうではなく、彼女が聞きたかったのはどうしてそのようなことをいきなり始めたのか、その理由であったのだが、問い直すのも面倒で放っておいた。
 そのうち身体を解し終わったらしいエイトが、まるでこれから百メートル走でも行うかのように、クラウチングスタートのポーズを取る。

 彼の突飛な行動は今に始まったことではない。そうは思うが、さすがにこのまま無視をすることもできないので、ゼシカが彼へ声をかけようとしたとき。

 バタバタバタと派手な足音が宿屋の内部から響いてきた。そしてかなりの勢いで扉が内から開かれる。

「エイトォッ!!」

 その声をスタート合図に、エイトは猛ダッシュを始めた。
 赤いバンダナを揺らして「うふふ、捕まえてごらんなさぁい」と叫びながら走り去る彼の後ろを、たった今宿屋から姿を現した人物が「待ちやがれ、くそガキッ!」とものすごい勢いで追いかけていく。

「……何があったのかしら」
「さあ?」

 全力疾走で逃げるエイトとそれを追いかけるククールと。
 ずいぶんと珍しい光景かもしれない、と思いながらゼシカが言葉を漏らす。それに首を傾げながらヤンガスが答え、草原の中に続く道を行く二つの背中を見やった。

 体力的には明らかにエイトの方が有利だ。
 追いかけている当人もそれが分かっているのだろう、途中で立ち止まって何やらごそごそと自分の身体をまさぐり始める。
 それを見やりながら、ゼシカたちはトロデ王に声をかけ彼らを追いかけた。

「何やってんのかしら」
「……さあ」

 徐々に近づいているものの、彼が何をやっているのかよく分からない。しかしどうやら目的のものを発見したらしいククールはそれを左手に持つと、大きく振りかぶった。

「……そういえば今、あの人、守りのルビー装備してたわね」
「そうでがすね」

 既にエイトはかなり遠くまで逃げてしまっている。あの距離からではいくらなんでも届かないのではないだろうか。
 後から見守っていた二人はそう思ったが、それを行おうとしている本人は違ったらしく、そのまま手に持った宝石を、前を行くエイトに向かって投げつけた。
 赤いそれは勢いよく真っ直ぐ飛んでいき、見事エイトの後頭部へと直撃する。

「……当たったでがすね」
「そうみたいね」

 衝撃でその場に倒れたエイトへ向かって、ククールはもう逃がさないとばかりに走り寄っていった。その彼の後を追いながら、当たり所が悪かったらどうしよう、とゼシカは不安になるが、今以上にエイトが破天荒になることもないだろうと考え直す。

「よく当たったわね」

 頭にこぶを作ってうつ伏せに倒れているエイトを、上から抑え込んでいるククールへゼシカが感心したように言う。
 そんな彼女へ「ドラクエ界のイチローと呼んでくれ」とククールは胸を張った。

「イ」
「ホントに呼んだら殺すぞ」

 どうやら意識を取り戻していたらしいエイトが口を開いたが、すぐにククールの低い声がそれを遮った。
 エイトはぐぅ、と喉の奥で唸ってから「重たいんですけど」と、圧し掛かってくるククールへ文句を言う。

 一体何が原因でこのような鬼ごっこが突然始まったのか。理由の分からない二人はただ黙って成り行きを見ているしかなく。
 ククールはエイトの上から身をどかせると、彼を逃がさないようにその胸倉をつかんだ。

「オレの手帳、どこやった?」

 半分以上据わった目で問い詰める。かなり迫力のある表情で、彼と付き合いの長いゼシカたちでさえ一瞬その雰囲気に呑まれてしまった。
 しかしエイトには一切通じておらず、「ぼく知らない」ととぼけてくる。

 手帳、と聞いてヤンガスにはふと思い当たるものがあった。以前エイトに無理やり付き合わされて、ククールが大事にしていた手帳を覗き見たことがあったのだ。その中身についてはあまり深く触れたくはないが、おそらく彼の言う手帳とはそれのことであろう。
 その存在すら知らないゼシカへそれを説明してやっていると、ククールが怒鳴りながらエイトを揺さぶり始めた。

「お前なぁ、あれに何が書いてあんのか知ってんのか?」

 エイトは答えずにそっぽを向いたままで。
 それに尚更腹を立てたらしいククールは、彼の顔を無理やり自分の方に向かせた。

「あれにはなぁ、オレが知り合った女の名前と住所と好みの全データが書き込んであるんだぞ!?」
 あれさえあれば日替わりでも半年は女に不自由しねえんだ!

 頭を抱えてゼシカが深くため息をつく。ヤンガスもほぼ同じ気分だ。その手帳のためここまで本気で怒ることが出来る彼はある意味奇特である。
 しかし周囲の人間が呆れていることなど一切構わず、本人は大真面目でエイトを責め続けた。

「どこやった? 今すぐ出しやがれ」
「だから俺知らないって言ってんじゃん!」
「嘘をつくな! 隠し場所知ってるのも、それを取り出せるのもお前しかいねえんだよ!」

 確かにその状況ならば、ククールでなくともエイトが抜き取ったと考えるだろう。しかも彼ならば、ただおもしろそうだからという理由だけで、そういったことをやりかねない。そういう性格をしていることを、パーティの面々はおそらくこの世界にいる誰よりもよく知っていた。

「ほら、早く出せ。今ならまだ許してやる」

 ぐ、と胸倉をつかむ手に力が込められた。
 力だけならエイトの方が上だが、取り押さえられているこの状況では抜け出すことも、反撃することも難しい。
 エイトはぶう、と頬を膨らませて、再びククールから目をそらした。

 その反応に、ククールははあとため息をつく。
 これでは怒られて拗ねている子供とそう変わらない。どうして自分がこんな子供の相手をしているのか、わいてくる疑問をククールは必死で払いのけた。

「……じゃあエイト、質問を変えよう。何であの手帳を持ってった? お前には必要ないもんだろ」

 彼が口説いた女のデータなど、再び会ってまた良い関係になることを狙っている本人以外にはまったく意味をなさない情報ではないだろうか。たとえ名前やその好みを、相手を口説くための布石にするにしても、エイトがそういったことをするとは思えなかった。
 ククールのその問いに、エイトは一度何かを言いかけたがすぐに口を閉じてしまう。

「ほら言ってみ?」

 優しく促されて、ようやく彼は観念したように口を開いた。

「だって、あれがなかったらククール、女のところに遊びに行かないと思って……」

 言いながらもどんどんと声は小さくなっていき、語尾の方はほとんど聞き取れないほどだった。その言葉を聞いて、ククールは、はあともう一度ため息をつく。
 言葉だけを聞けば好きな相手(友人としてか恋人としてかは分からないが)に構ってほしい、ただそれだけが理由であるようにも聞こえる。何の予備知識もなく目の前の少年を見てそれを聞いたなら、可愛いこと言うじゃないか、くらいには思っただろう。
 しかし残念ながら、ククールは(彼だけでなくそのやり取りを見ていた周りの人間も)エイトについての知識はありすぎるほど持っていた。


「……じゃあ、その女たちの代わりにお前が毎晩相手してくれんの?」
「手帳は錬金釜に突っ込みました」


 俯いてしまったエイトの目を覗き込みながらそう言ってやると、彼はあっさりとその隠し場所を吐いた。一切の迷いもなく、即答である。
 同時に、そんなに嫌かよ、と軽くショックを受けたククールの耳に、馬車の中からチン! と軽やかな音が届いた。


「…………エイトくん。今の言葉、もう一回言ってくれる?」
「だから、錬金釜の中に入れました。キメラのつばさと、こうもりの羽と一緒に」
「錬金されてんじゃねえか!!」


 悪びれずそう言ったエイトの頭を、ククールは加減せずに思い切り殴った。


 出来上がりの音が鳴ってしまえば、もうキャンセルすることも出来ないだろう。どうしてそんな材料と一緒に錬金釜に突っ込もうと思ったのか、そもそも錬金できる素材をどうして彼が選びえたのか。
 胸倉から手を離してエイトを地面に放り出すと、ククールは額を抑えながら馬車に向かった。


 どうして彼はこうも意味の分からない行動ばかりを繰り返すのか。飽きもせず毎日毎日何らかの問題を引き起こす。しかもそれがトロデ王やミーティア姫の迷惑になるようなことでは決してなく、ピンポイントにこちらを狙ってきているもので。

「ほんと、何でこんなことするかね」

 呟きながら荷台を覗き込むククールの背に、クスクスと笑いを伴ったゼシカの声が届いた。

「私ね、さっきのエイトの言葉、八割くらいは本気だったと思うわよ」

 錬金釜へ伸ばしかけていた手を止めて、思わず彼女を振り返る。一体何が言いたいのか、と問おうとするも彼女は既にこちらに背を向けており、ククールからの疑問を一切拒否しているようだった。

 さっきの、と彼女は言うが、それは一体どの発言をさしているのだろうか。
 考えてその言葉に思い至ったククールは「オレも八割本気だったんだけどな」と口元に苦笑を浮かべて、錬金釜のふたを開けた。





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2005.01.30








守りのルビーってどれくらいの大きさなんだろう……
投げつけられたルビーを振り返ったエイトさんがヤリで打ち返す、という案もあったけれど、それはまた別の話で。
とりあえず「捕まえてごらんなさぁい」が書けたから満足(笑)