「それ行け、あひるちゃん」


 今日は外れだな。

 夕方近くに町に入ると夕食もそこそこに酒場へ向かったククールだが、そう判断するのは早かった。ピンとくる女がいない。カクテルも美味くない。これは早々に宿へ戻り、明日に向けて休んだ方が利益が多い。
 そう踏んだククールはちらちらとこちらを見ている二人組みの女性(二人ともかなりの美人であったがどうしてだか彼女たちを口説く気にはなれなかった)へ軽く微笑みを送っておいてから、その酒場を後にした。

 この時間ならまだ宿屋の浴場が使えるだろう。できれば部屋についている個人用の方が好ましいが、それほどリッチな旅であるわけでもない。見ず知らずの他人と共に入浴、というのはあまり得意ではないが、我がままは言っていられないだろう。
 ヤンガスやゼシカなどはククールのことをよく「我がまま」だの「不満が多い」だのと文句を言うが、彼とて不平不満を口にする場合としない場合と、いろいろ考えているのである。

 本日の同室相手はいつもの通りエイト。どうしてだかヤンガスよりも彼と同室になることが多かった。ククールはそれを天の配剤だと信じて疑わない。

「あら? ククールお帰り。今日は早いな」

 部屋に戻ると、エイトが机の上にトーポを乗せて遊んでいるところだった。チーズの塊を置いて、トーポにトンネルを掘らせるのだ。それを見て「ネズミっぽくていいなぁ」と当たり前のことに喜ぶのである。彼の趣味はいまいちよく分からない。

「何、風呂行くの? 待って、俺も行く」

 着替えとタオルを荷物から取り出した彼に気付き、エイトも同じように自分の荷物から着替えを取り出した。バンダナをばさりとベッドの上に放り投げた彼と共に浴場へと向かう。
 半分ほど地下に潜った場所に入り口がある宿の浴場は広々としていた。しかしその割には客がいない。宿自体に泊り客がいないのか、それとも時間が遅すぎるのか。どちらにしろ好都合だ。


「……お前、それどうしたの」

 浴場へ続く扉をくぐったとき、ふとククールはエイトが大事そうに何かを持っていることに気が付いた。部屋を出る際にはそのようなものを持っているなど気付かなかった。どこに隠していたのやら。
 彼の手にある小さなあひるのオモチャを指差してククールは問う。

「いいだろ。ぴょん太って言うんだ」
「何でぴょん太!?」
「いや、この辺が『ぴょん太』って感じじゃない?」

 そう言いながら、そのあひるのオモチャのくちばし辺りを指差した。

「時たま、お前が見てる世界とオレが見てる世界がまったく別物じゃないかと心配になる」

 掛け湯をして広い湯船につかりながらそう言うククールへ、エイトは「大丈夫、俺が見てる世界でもお前は十分に赤いから!」とよく分からないことを口走っていた。

「そうじゃなくってさ、そのオモチャ、どうしたのかってオレは聞いてんの」

 とりあえず話を元に戻そう、と同じ質問を口にする。
 黄色いあひるはエイトの側をのんびりぷかぷかと浮いていた。

「道具屋にいたおじさんに貰った!」

 胸を張って彼は言うが、それにククールははあ、と溜め息をつく。そんなククールの気持ちなど分からないエイトは、あひるの人形を強引に沈めては手を離して浮かび上がらせる、という遊びに熱中していた。

「お前さ、おもちゃ貰っても知らない人についてっちゃ駄目だぞ?」
「…………お菓子でも駄目?」
「駄目」
「じゃあ、」
「ゴールドでも夢でも希望でも権力でも、ものくれる人についてっちゃ駄目」

 エイトの言葉を遮って一気にそう言い切ると、エイトは不服そうに頬を膨らませた。

「愛でも?」
「……駄目。愛ならオレが惜しみなく与えてやるから」
 それで満足しなさい。

 口元に笑みを浮かべたままさらりとそう言って、ククールは体を洗うために湯船から出て行った。
 なんだかすごいことを言われたような気がして、エイトはとっさに彼に返す言葉が見つからずぶくぶくと湯の中に沈んでその不満を表す。
 結局、「お前の愛情は質が悪そうだ」とだけ言って、あひるのオモチャを彼に向かって投げつけた。
 スコン、といい音がしてそれがククールの頭にヒットする。小さく悲鳴を漏らした彼はエイトを睨んでから、あひるを投げ返してきた。

 「投げるなんて酷いことするよなぁ」とあひるへ話し掛け、そいつを湯船に残してエイトも洗い場へ向かう。イスを引き寄せてククールの隣に腰掛けた。
 ゆったりと湯につかるのはまだいいが、エイトはこうして頭や体を洗うことが嫌いだった。面倒くさいのだ。毎日そうするものである、と言われているからそれを続けているだけだ。
 適当に汚れを落として、ざぱざぱと頭から湯を被る。あらかた泡が落ちたところで、エイトはさっさと湯船に戻っていった。

「もちっと時間掛けて洗いなさい」

 まだゆっくりと髪の毛を洗っていたククールがそう言うも、エイトは湯の中から「洗ったもん」と返してくるだけ。これじゃあどこかの家の母親と子供の会話ではないか。それに気がついて、ククールはこれ以上彼に何かを言うのを止めた。


 ふわふわと浮かぶあひるをつつきながら、エイトはぼんやりとククールの背中を見る。
 それほど広い背中ではないが、そこに今は濡れた銀髪が張り付いている。髪が長いと洗うのも大変なんだなと思っていると、ようやく洗い終えたらしく頭の上で髪の毛をまとめた。そういう髪形をしているククールなど、おそらく風呂場でしか見れまい。
 何となく得したような気分になったエイトはにへら、と緩む口元を隠すかのように、湯船に顔を沈めた。
 そこでふと気付く。

「ククール、背中に傷がある」

 湯気のため良く見えないが、それでもうっすらと赤くはれ上がった筋があるのが分かった。爪跡だろうか。
 それを指摘するとククールは驚いたようにこちらを見たあと、にやりと、エイトにはあまり良い印象を与えない笑みを浮かべる。

「昨日の夜、お前がつけたやつだろうが」

 あっさりとそう言われエイトは再び返す言葉に窮した。
 身に覚えがないわけではない。けれども。

「俺じゃないかもしれないじゃん」

 エイトと体の関係がありながらも、ククールは女に手を出すことを止めようとしない。エイト自身それが特に問題であると思っていない辺り駄目なのかもしれない。
 ぽつりと零した言葉にククールは、「いいや、お前だよ。ここんとこお前としかやってない」と断言する。

「……ホイミ、掛けとく?」

 彼がそこまで言うなら、おそらく自分がやったのだろう。痛そうだなと顔を顰めながら多少の罪悪感からそう提案すると、ククールは背中を向けたまま首を振った。

「背中の爪跡ってのは男の勲章」

 意味が分からずに尋ねると、「それだけ相手が感じてるってことだろ」と返された。
 誰もが感じると相手の背中に爪あとを残すものなのだろうか。それは分からなかったが、少なくともエイトはそうするようなのでそんなものなのか、と納得しておいた。

 エイトには分からないことがたくさんある。常日頃いろいろな知識を得るよう努力はしているが、それでも追いつけない。特にこういう恋愛あるいは性に関することは今まで経験したことがなかったので、本当に分からないことだらけだ。実際体験してみないことには分からないこともあるのだと、身に染みて実感した。

 たとえばそう、こうして湯船に浸かるまでは「風呂に入る」ということがどういうことなのか分からないし、それがもたらす快楽(といえるかどうかは微妙だが)も分からない。湯船に顔を沈めれば苦しいということも実際にやってみるまでは、本当に苦しいかどうかは分からない。
 呪いをかけられた王や姫の気持ちを本当に知ることはできないし、家族を殺されたゼシカの気持ちも育ての親を殺されたククールの気持ちも分からない。
 エイトの側にぷかぷかと浮かんでいるあひるの気持ちさえも、エイトには分からないのだ。

 誰かに「ククールのことは好きか」と問われたらエイトは分からない、と答えるだろう。「ククールのことは嫌いか」と問われたら、嫌いじゃないと答えるだろう。エイトにとって他人とはそれくらいのものなのだ。
 しかしそれでも実際体を繋げるとなると抵抗がある相手や、ちょっと勘弁してくれと思う相手もいる。(たとえばマスクを被った荒くれ者やあのサザンビークの豚王子の相手など死んでもごめんだ。)ククールはそうでなかった、そのことは実際、彼に無理やり相手させられるまでは分からなかったことなのだ。

 どうでもいい知識ばっかり増やしやがって、と軽く睨んでから、エイトはククールの背中から目を逸らし湯船に顔をつけた。



「……お前、何やっってんの」

 体を洗い終えたらしいククールが湯船へ入ってきながら、エイトにそう尋ねる。尋ねた相手はうつ伏せになったまま湯船にぷかぷかと浮かんでいた。まるで水死体そのものである。
 しかしエイトは顔を上げる様子がない。死んでるんじゃないだろうか、と心配になった頃ようやく「ぷはぁっ!」と湯の中から身体を起こした。

「あひるの気持ちを体験中」
「だったら上向いて浮かばないと駄目なんじゃないのか?」

 真顔で言ったエイトへククールも同じように真顔で答えた。
 それに何故かカチンときたエイトは、にっこり笑って、

「ククールも一緒にやろう」

 と、そう提案した。

「ことわっ、ちょ、エイットッ!」

 がばごぼ、と湯船の中に無理やり沈められる。その腕をふりほどこうとするも、相手はあのエイトだ。単純な力比べならば彼の方に分配が上がる。しかし、暴れれば暴れるほど自分が苦しくなるだけだということにククールは結局気付けなかった。
 エイトの破天荒な行動にいくらか大変な思いをすることもあったが、このときばかりはククールも本気で命の危険を感じていた。

 しばらくしてようやくその行為に飽きたらしいエイトの手から力が抜け、ククールは顔を上げることができた。酸素を求めて大きく息を吸う。
 一体彼はどうしてこんなことをし始めたのか。彼の行動に理由を求めても無駄だと分かってはいるものの、それでも疑問はわいてくる。
 しかしはあはあと荒く息を吐いている彼へ向かって、エイトはいけしゃあしゃあと言った。

「分かった? あひるの気持ち」


 この台詞に「お前はオレを殺す気かっ!!」とククールは、思わず最大威力でバギクロスを放っていた。





「…………どうするよ、これ」

 ククールの怒りの魔法から何故か難を逃れたエイトが、呆れたような口調でそう言う。
 それに対しククールは額を抑えて「知らね」と吐き捨てた。

「知らね、って、お前がやったんじゃん!」
「もとはといえばお前が悪いんだろうが!」

 責任を擦り付け合っている彼らの前には、あれだけたっぷりと張ってあったお湯が見事に吹き飛ばされて空っぽになった湯船があった。浴場自体が破壊されなかっただけ随分とマシだ。やはりある程度ククールも加減していたということだろう。

「ゼシカ、呼んでこようか。マヒャドで氷作って、メラゾーマで溶かしてもらう」
「……協力してくれるわけないと思う」
「……なんでお前マヒャド使えないの」
「オレ僧侶だもん。お前だって使えないじゃん」
「ライデインは使える。電気分解して酸素と水素は作れるぞ」
「分解するな。化合して水を作ってくれ」

 無駄な言葉の応酬を重ねたところで、目の前の浴槽にお湯が溜まるわけでもない。

「逃げるか」
「おう」

 こういうときだけ二人の決断は早く、また妙に意気投合するのであった。


 脱衣所で体を拭いて着替えに腕を通している途中、突然隣でエイトが「あ」と声を上げた。
 どうした、と目で問うも、彼はそれには答えずに、走って浴場へ続く扉へ向かう。そこでククールもああ、と頷いた。おそらくあひるのオモチャを忘れてきたのだ。先ほどの魔法でお湯と一緒に吹き飛ばされたはずだから、壊れていなければどこかに落ちているだろう。

 それを無事回収してきたエイトはご機嫌のまま、あひるに話し掛けた。

「また一緒に風呂に入ろうな、ぴょん吉」
 ククールも、また一緒に入ろう。


 オレはあひるのついでかよ、と多少気分を害したククールは憮然としたまま肩を竦めた。

「どうでもいいけどそいつ、ぴょん太じゃなかったっけ?」





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2005.01.23








オチが見つかりませんでした。ごめんなさい。
なんかもう、ほんと、こいつら何やってるんだろう……ってか、何をやらせてるんだろう。
偽者具合がアップするにつれ、どんどんと彼らの関係が分からなくなっていきます。肉体関係ではありそうですが、恋愛関係ではなさそう。