悲しいほどに強く


 珍しく、本当に珍しく、酒場のカウンタにククールとゼシカが並んで座っていた。つい先ほどまでエイトとヤンガスも一緒だったのだが、彼らは酒瓶を持って町の外にいるトロデ王の元へ届に行ってしまった。恐らくここに戻ってくることはなく、そのまま宿屋へ行くだろう。
 そんな彼らのあとを追っても良かったのだが、何となくもうしばらく会話を交わしてもいいだろうと、二人ともそんな気分で、間に流れる随分と友好的な空気に苦笑しながらグラスを合わせて口をつけた。

「今日は女のところへは?」
「目の前にこんないい女がいるのにわざわざ行く必要もないだろう?」

 あっさりと返された言葉にゼシカは肩を竦めて「その通りだわ」とグラスをあけた。

「それにしても、随分と遠くまできたもんだな」

 彼らが今いるのは石工の町、リブルアーチ。ゼシカがいたリーザス村やククールがいたマイエラ修道院とはそもそも大陸からして違う。昔はここまで来ることがあると予想さえしていなかった。

「ゼシカはお嬢さまだろ? こんな旅をするようになるなんて思ってもなかったんじゃないのか?」

 くつくつと笑いを零しながらそう言うククール。

「そうね、家を出たいとは思っていたけど。こんな壮大な家出は考えてもなかったわ」

 それに、とゼシカは言葉を続ける。

「私、世間知らずだったから。村育ちって言っても、旅をしたことがあったわけでもなかったし、初めの頃はエイトやヤンガスに随分迷惑かけたわ」
 それはあんたも一緒でしょ。

 その言葉にククールは「確かに」と頷いた。
 二人とも、ひとつの場所で育った人間だ。ヤンガスのように各地を放浪したり、エイトのように訓練されているわけではなかった。野宿をする際に気をつけなければならないこと、水や食料の確保の仕方、そんな基本的なことさえ知らなかったのだ。

「エイトやヤンガスと出会えて良かった。心底そう思うわ」

 オレに会えて良かったとは思わないの? すねたような口調でそう言ってくるククールへ、彼女は少しだけ笑って、「勿論思ってるわよ。大切な仲間だわ」と普段では決して言わないようなことを口にした。もしかしたら酔っているのかも知れない。そう思うが、ククール自身も自分が酔っていないとは言い切れない状態だったので、笑みを浮かべて「それは光栄」と答えておいた。

「私ね、エイトもヤンガスもあんたも、トロデ王もお姫さまも好きなの。仲間として、とても大事だわ」

 一度言葉を切って、ゼシカは手に持ったカクテルで喉を潤す。
 でもね、と呟いて、グラスを揺らした。

「……あんたが仲間になったとき、エイト、ちょっとだけ嫌そうな顔をしたの、見てた?」

 突然飛んだ話題に首を傾げながらも、ククールは「ああ」と低い声で頷いた。
 そのことは良く覚えていた。
 成り行きではあったが、どうせそのうち出て行ってやろうと思っていた場所だったので、軽い気持ちで同行を受諾した。そのとき、一瞬だけエイトは顔を顰めたのだ。それを見てククールは断られるな、と思った。勿論、彼らが嫌だというのなら無理についていく気もない。むしろ一人の方がいいのかもな、と考えていたら、表情とは裏腹に彼はククールの同行に頷いたのだ。
 先ほどの表情は何だったのだろうか、と疑問に思ったが、単なる見間違いか何かだろうとさほど気にしていなかった。嫌ならそのうちそういった態度が現れるだろう、離れるならそれからでも遅くない。そう思ったのだ。

「あれね、私のときもそうだったのよ。ちょっとだけ、ヤな顔するの。『迷惑なら一人で行くけど』って言ったらね、エイト、首振って『迷惑じゃないよ』って言うのよ。そのあと、あの子、なんて言ったと思う?」

 ゼシカはよくエイトのことを「あの子」と呼んだ。年はほとんど同じくらいだとは思うが、それでもエイトのあの邪気のない表情を見ているとどうしてもそう表現したくなるのだそうだ。分からなくもないな、と思いながら、ククールは緩やかに首を振った。

「『ご飯を作るのがちょっと面倒になるなって思っただけ。人が増えるとその分多く作らないといけないでしょ?』だってさ」

 笑っちゃうでしょ、とゼシカは言葉どおり笑いながら言う。

「あの子の中では食事の用意をしたり野営の準備をしたり、そういった雑事は全部自分の仕事なのよ。仲間で当番を割り当てるとか、そういった思考が全く働かないの。だから、仲間が増えるほど自分の仕事が増えていく。単純にそう思ってるのね。あんたと出会った頃には、私やヤンガスが頑張ったから、随分マシになってたんだけどね」

 そういえば、とククールは今までの旅を振り返る。
 食事当番や火番を決めるのは全てゼシカが行っている。リーダであるエイトがそういったことを決めている場面を見たことがない。行き先も彼が決めているわけではなく、ほとんどが王の言葉によるものだ。

「仲間っていうか、誰かと苦労をともにするって経験があの子にはなかったんだと思う。同じ年ぐらいの友人もいなかったって言うし、育った環境のせいだと思うけど。
 それに気付いたとき、私思わず泣いちゃったわよ」

 なんて悲しい人なのだろう、とそう思った。
 悲しくて、どこまでも強い人。
 どこまでも強いけれど、何かが欠けている人。

「小さい頃の記憶がない、って言ってたっけ?」

 修道院での兄弟との確執を戯れ程度に彼へ話したとき、彼自身の過去も少しだけ聞いた。確か七、八歳より前の記憶が全くないのだ、とそう言っていた覚えがある。何も分からないところでトロデ王に拾われ、命拾いをした、と。それ以降、その恩に報いるためだけに生きてきた、と。

「そう、そのときに王さまに拾われていなかったらきっとあの子は死んでたわ。だから、その点では私も王さまに感謝してるの。じゃないとエイトに会えなかったから」

 でもね、と先ほどと同じように一度言葉を区切って、ゼシカは残っていたカクテルを飲み干した。

「あんな風にエイトがどこかおかしくなっちゃったのは、きっとトロデ王に拾われたせいだわ。もっと普通の、一般的な家の人がエイトに出会って彼を育てたのなら、もっと普通の、ちゃんと泣いて、ちゃんと笑える人になってたと思う」

 城で育てるにしても、全く何も知らない子供を育てるなら、それなりの環境を用意してあげて欲しかった。同じ年頃の子供たちと遊ばせて欲しかった。


「だから私は、その点でトロデ王が嫌いなの」


 トロデ王が拾わなければエイトはきっと生きていない、けれど彼に拾われなければ、もっと普通の人として育っていたかもしれない。
 そう思うと、今のどこか欠けたエイトを見ていると、どうしてもゼシカはトロデ王が許せなかった。
 普段はほとんど気にしていない、相反する感情が、こうしてアルコールに酔ったときにふっと表へ浮かび出てくる。ヤンガスへ言ったところで彼には分かってもらえないだろう。しかし、今目の前にいるこの綺麗な男なら、彼女の感情を少しでも理解してもらえるのではないだろうか。
 いつもは女性の後ばかり追いかけている彼ではあるが、修道院にいただけあり、それ相応の深い知性を持つ人間であることを、ゼシカは良く知っていた。

 眉を寄せて悲しそうにしているゼシカの頭を、ククールはやんわりと撫でる。普段なら振り払っているだろうその手を、彼女はおとなしく享受していた。

「でもきっと、今のエイトじゃなかったら、オレたちはここまであいつのことが好きにはなれなかったんじゃないかな」

 今こうして彼らがともに旅をしているのは、全ての条件が偶然的にか必然的にか揃っていたからだ。
 エイトが記憶を無くし、トロデ王に拾われたこと。
 ヤンガスが盗賊をし、エイトに助けられたこと。
 ゼシカが兄を亡くし、家を飛び出たこと。
 ククールが育ての親を亡くし、修道院を追い出されたこと。
 そして、トロデ王と姫がドルマゲスに呪いを掛けられてしまったこと。

 これらが絶妙なタイミングで組み合わさったからこそ、こうして今、杯を交わしていられるのだ。

 ククールの言葉にゼシカは小さく頷いて「分かってる、分かってるの」と呟いた。

 分かっていてもそれでももし、と考えたくなることは人間には良くあることだ。人は、「もしあのとき」と別の状態を想像し、今を遠ざけたがる。今が辛ければ辛いほどその傾向は強くなる。そういった思考へ至らずに前だけを見詰め続けることができるほど、ゼシカもククールも強い人間ではなかった。



 果たして、エイトは「もしあのとき」と過去を振り返ることがあるのだろうか。
 「こうしていれば良かった」と思うことさえ、もしかしたら彼には分からない感情なのかもしれない。
 そう思うと、やはりどこか、寂しさと悲しさがこみ上げてくる。
 そして思うのだ、できるなら、このまま彼とともに生きていたい、と。
 たとえ彼自身が必要としていなくとも、彼を支える何かになりたい、と。


「オレらも呪いに掛けられたのかもしれないな」
 悲しいほどに強い、あいつの呪いに。

「……しかももう二度と解けない呪いよね」

 独白のように呟かれた彼女の言葉が、アルコールの回った脳内へゆっくりと染み込んでいった。





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2005.01.09








クク主サイトを立ち上げようと思い立ち、初っ端に書いたのがこれ。
何かを勘違いしてる。
ククゼシに見えなくもない。