雨の日(想定)の憂鬱


 もうそろそろ日が暮れる、今日はこれ以上進まずに野宿をした方がいいだろう。
 トロデ王がそう提案したのはもう半時ほど前のことだっただろうか。言われるがままに今まで何度もこなしてきた野営地の設営に取り掛かる。設営といっても、トロデ王とゼシカは馬車の中で眠り、ほか男三人が交代で火番をしながら地面の上で寝袋に包まるくらいだから、行うことは食事のしたくと焚き火を起こすことくらい。
 魔物よけに聖水を振りまいて、サービスとばかりに祈りの言葉を捧げておく。これが役に立つかどうかは分からないが、やはり教会暮らしが長かったため、身に付いた習性はなかなか抜けてくれなかった。

 乾いた小枝を拾い集め、焚き火を用意しているはずのヤンガスの元へと持っていく。今日の食事当番は彼だから、あとは夕食を待つばかり、というところで、ふとエイトの姿が見当たらないことに気がついた。
 さてどこに行ったのだろうか、と考える前に彼の耳に声が届く。

「ねぇ、ククール! ちょっと来てくれる?」

 彼を呼んだのはゼシカだった。こっちこっち、と馬姫の側にいた彼女がククールを手招きする。「呼んだかい、ハニー」と近寄ればククールの言葉を一切無視して、ゼシカがミーティア姫の足元を指差した。

「蹄の裏に石が詰まっちゃってて。石ころは取ったんだけど、血が出てるのよね」

 ここ、とミーティアの左前足を持ち上げてその裏側をククールに見せた。確かに血が滲んでいるのが見て取れる。

「うわ。姫さま、これ痛かっただろ。早く言えよ」

 眉を顰めたままククールはホイミを唱えた。
 いくら人の言葉が話せないとはいえ、鳴き声をあげるなり立ち止まるなりすれば必ず心配性の彼女の父王や、忠実なる兵士が怪我に気付いていただろう。それを言わなかったのは彼女なりにこちらに気を遣っていたということだろうか。

 それにしても、いつもならこういうときにはすっ飛んできてホイミをかけそうな人物は、本当にどこに行ってしまったのだろうか。
 ゼシカに尋ねると「あら? そういえば見当たらないわね」ときょろきょろと首を動かした。

 そう遠くには行っていないはず。何せこの場にトロデ王とミーティア姫がいるのだから。
 彼らを置いてエイトが一人でどこかへ出かけるなど、特に野宿をする場合には考えられない。何か面白いものを見つけたのか、食べられそうな木の実を発見したのか、それとも宝箱でも見かけたのか。
 頭の中で可能性をあげていると、がさり、と草を踏みしめる音が背後から聞こえてきた。
 振り返ると彼らが探していた人物の姿がそこにある。

「エイト。どこに行ってたんだよ」

 急にいなくなるな、と非難の意をこめて尋ねると彼は「うん、ちょっと……」と言葉を濁した。彼の手にはいつもなら背負っているはずのヤリが握られている。
 エイトは特に何かを説明することもなく、こちらに背を向けようとせずに横向きに歩いてヤンガスのところへ行こうとする。

「ちょっと待て」

 呼び止められて、エイトがやはりこちらへ自分の体の正面を向けて「なに?」と首を傾げた。

「お前、何か隠してないか?」

 近づきながら尋ねると、エイトは無言のままぶんぶんと首を横に振った。そのままゆっくりとあとずさっていく。
 明らかにおかしいその態度に、ククールが溜め息をついた。

「いいから背中見してみ?」

 できるだけ優しい声になるように努力しながらそう言うが、エイトは首を振ってそれを拒むばかり。こうなれば彼は梃子でもいうことを聞かないだろう。その態度にククールの後ろでゼシカが大きく息を吐いた。そして「じゃ、任せたわよ」とククールの肩を叩いて、さっさとヤンガスの元へと行ってしまう。

 困る。
 任されても非常に困る。
 そもそもエイトが一体なにを隠しているのかが分からないのだ。それにどう対応しろと。
 恨みがましげにゼシカを睨むも、彼女はもうこちらを見ようともしない。
 自分が問題にされていることを気付いていながらも気にしようとしないエイトは、「じゃあ、飯に行こうか」と不自然な笑みを浮かべていた。

 このまま彼の背中を無視しても良いのだが、これからのことを考えると今のうちに手を打っておいた方が良い気もする。
 さてどうするべきか、と悩んだところで、がさり、と再び何ものかが草を踏む音がした。仲間たちは既に火の周りに集まっているはず。だとすれば。

「おい、エイト」

 気配を探りながら彼へ警戒を呼びかけると、彼も先ほどまでとは打って変わった真面目な表情でヤリを構えた。
 しかしその間にもエイトはククールへ背を向けようとはしない。苦労しながら横歩きで彼の隣まで近寄ってくる。なんとも間の抜けた姿であるが、恐らく本人は大真面目だ。

 現れたのは二匹のコングヘッドだった。大きな木槌を手に唸り声を上げてくる。この程度の魔物なら二人でも十分に退治できるだろう。弓を構えて右側の魔物を狙う。一撃でそいつをしとめると、エイトがもう一匹へ向かって足を踏み出したところだった。

 とん、と軽やかに地面を蹴って、くるりと一回転しヤリを振るう。
 剣を扱うときもそうだが、エイトはたまに遠心力を利用するかのように獲物の前で一回転することがあった。
 いつものくせで思わずそのスタイルをとってしまったのだろうが、エイトは完全に失念していた。
 一回転をするということは、彼が懸命に隠していた背中をククールへ見せてしまうということに。



「……エイトさん、あなたの背中にしましまキャットが張り付いているんですけど?」



 あっさりとコングヘッドをしとめたあと、ふぅ、と息を吐いているエイトへ、多少呆然としたククールの声が届く。
 そのときになってようやく、彼は背中に隠していたものがばれてしまったことに気付いた。
 わたわたと慌てたあと、エイトはぽんと両手を打つ。

「リュックサックだよ」

 どうして彼は、誰も騙されないような嘘をさらりと述べることができるのだろうか。旅を始めてもうかなりの時間をともにすごしているが、こと彼に関しては分からないことだらけだ。
 溜め息をついて、反撃を開始する。

「じゃあ何か、そいつの背中にファスナーでもついてるってか? おら、見せてみろよ」

 両手を広げじりじりとにじり寄ると、エイトはそんな彼から背中のものを守るように身を移動させた。

「じゃ、じゃあバッチ!」
「そんなでかいバッチがあるわけねえだろ!」
 っていうか、そもそも『じゃあ』ってどういうことよ。

 冷静に対応する意味が見出せず、条件反射で突っ込みを入れる。
 すると、エイトは目を大きく見開いて口元に手を当てた。

「ククール知らないの? これ、ベルガラックで今めちゃくちゃ流行ってんだぞ?」

 何だろうか、この胸のうちに湧き上がる感情は。
 基本的にエイトの顔のつくりは嫌いではない。男である彼にこう言ったら確実に怒られるが、可愛い顔をしていると思う。
 しかし今その表情でその言葉を吐き出されると、何もかもをかなぐり捨てて殴り飛ばしたくなる。
 ククールは必死でその衝動を押さえ込んだ。

「……ほう、そうか。じゃあエイトさんよ、一つ聞くが、お前の背中に張り付いてるそのバッチ、ベロ伸ばしたり、尻尾振ったり、君のバンダナにじゃれ付いたりしているけれども、最近のバッチはそこまで動くものなのか?」

 パタパタと揺れる尾が彼の背中を叩き、長い舌は口におさまりきらないらしく宙を彷徨っている。背中に張り付いていることに飽きたのか、よいせよいせとよじ登ってきたしましまキャットはエイトの肩の上に乗り、頭に手をかけてバンダナにじゃれ付いていた。
 「キャット」と名前についているだけあり、見かけが少々違うだけでその仕草はほとんど猫そのものだ。
 ククールのその問い掛けにエイトは、あっさりと、

「昼間充電しといたの」
「充電式なんだ!?」

 もういい加減にして欲しい。
 どこまでボケ倒せば気がすむのだろうか。
 半分泣きそうになりながら突っ込みを入れ、ククールは頭痛を堪えるように頭を抑えた。

「もういい、もういいからエイト。さっさともといた場所に戻して来い」

 彼とまともに会話することを諦め、手を振って疲れたようにククールは言う。

「そんな! こんなちっちゃい子一人で生きて行けないよ!」
「それ、子供だったの?」

 確かに、この辺りはしましまキャットがいる地域ではないから、恐らく群からはぐれてしまったとかそういう事情のある、いわば迷子のようなものだとは思うが。
 自分の肩からしましまキャットを下ろし、そのまま抱き込んで、エイトは「ねぇ、飼っちゃ駄目?」と小首を傾げた。

 ……可愛いなぁ。

 思わずそう思ってしまった彼を誰が責められようか。

 まだ十分に少年といえる容姿の彼が、仕草は可愛い小動物を抱えて上目遣いで首を傾げているのだ。
 しかしその姿に騙されては駄目だ。そう、彼は人を騙すことにかけては一流の腕を持つ。どうせあの首を傾げる角度だって彼の計算のうちだ。
 必死に自分にそう言い聞かせて、ククールは努めて冷静に声を出した。

「駄目。飼えるわけないだろ」

 自分としては至極まっとうな台詞を言ったと思う。そもそも旅をしている途中だというのに、どうしてわざわざ食い扶持を増やさなければならないのか。それ以前に、魔物を飼うなど聞いたことがない。モンスターチームやキラーパンサーでさえ、助けが必要なときに呼べるだけで、彼らを飼っているわけではない。
 ククールの言葉に、エイトは今にも泣き出しそうなほどに顔を歪めた。

 ……騙されるな、オレ!

「なんでぇ? ククールのケチッ!」
「おう、ケチで結構。何とでも言え。いいからもといた場所に戻してきなさい」
「そんなっ! こんな雨の中にまた戻してこいだなんて酷いよっ!」
「今は雨降ってねぇだろうが!」
「ククールのバカ! 極悪非道、冷血漢、卑怯者ぉ!」
「卑怯者ってのは違うくねぇか」
「きっとこの子はこれから冷たい雨に体温を奪われながら、弱々しく鳴き続けるんだ」
「逞しいな、想像力が」

 ぎゅぅうう、としましまキャットを力強く抱きしめるエイト。苦しいらしく、彼の腕の中でしましまキャットが大暴れしているが、エイトの怪力はそれをものともせずに押さえ込む。

「寒いよー、お腹すいたよーっていくら鳴いても助けはこないんだよ!」
「……もしもーし、エイトさん? オレの話、聞いてる?」
「そのうち空腹と寒さに耐えかねて力尽きるんだ。ああ僕はもう駄目だ、せめて死ぬ前に一度でいいからお母さんのぬくもりを感じたかった……」


「ってなことになるかもしれないんだよ? それでも捨てて来いって言うの!?」
 そんなに酷い奴だとは思わなかったっ!!

 うわあぁあん、と泣き(真似をし)ながらエイトが走り去っていく。その背中を追いかけるのも既に面倒で、「飯ができるまでには帰ってこいよ」とだけ声をかけておいた。



 どうでもいいが、彼が飼いたいと駄々をこねていたしましまキャットはこの場に置き去りだ。深く考えるのも馬鹿らしく、「もう逃げていいと思うぞ」と魔物の頭を撫でてやると「にゃあん」と長い舌を出して甘えた声を出した後、すぐに森の中へ走っていった。
 本当に、彼は一体何がしたかったのか。

 どうせ食事が始まるまでには戻ってくるだろう。
 そのときにまた覚えていたら聞いてみよう。
 気が向けば答えてくれる、かもしれない。





ブラウザバックでお戻りください。
2005.01.20








ごめんなさいごめんなさい、すみません、もうしません……たぶん。
よそのサイトさまでいくつかエイトと猫系魔物のからみを見かけたので、自分でも書いてみたくなっただけなんです。
……きっとエイトさんはククールさんと遊びたかっただけだと思うのです。