末端成長 「ゼーシーカーちゃん。あーそーぼ」 バタン、と音をさせて隣のゼシカたちの部屋の扉を開ける。 そこに広がった、予想もしていなかった光景にエイトは一瞬言葉を失った。 「あーとーで」 しかし、彼の動揺に気付いていないゼシカは自分の手元へ視線を落としたままそう答える。 「……何やってんの?」 そう尋ねたエイトの前には、ゼシカの手を取り何やら細かい作業をしているククールと、それを感心したように見ているゼシカがいた。 風呂に行ったきり帰ってこないと思えば、彼はこんなところで油を売っていたらしい。そもそも同室であるヤンガスがいないときに、ゼシカがククールを部屋に入れること自体珍しい。 「ネイルアート。今日道具屋で見かけてね。ゼシカに似合いそうだな、と思ったから」 答えたのはククール。言いながらも作業を進める手を止めない。へぇ、と相づちを打ちながら、エイトはククールの背後に回ってその作業を覗き込んだ。 薄い紫色の下地が既に塗られており、その上に細い刷毛で何やら模様を描いている。側にはきらきら光る粒の入った小瓶。それを見ているエイトへゼシカが「ビーズ、って言うのよ」と教えてくれた。 爪先のおしゃれに気を使ったところで、戦いの続く旅をしている身、すぐに取れてしまうだろう。しかしそれでもそういったことに時間を割くのが無駄だとは思わない。むしろ、こういうときでもおしゃれを楽しもうとする彼女の態度が、エイトにはとても好ましかった。 「あんた、ほんとに器用ね」 ククールが細かく刷毛を動かして濃い紫色の模様を描き、ネイルを完成させていく。その上へビーズ(これは濃い青色だった)を一粒、二粒と乗せて「はい完成」と満足そうに笑った。「あとでトップコート、塗っとく?」と尋ねてくる彼へ、「お願いするわ」と言ってから、ゼシカはエイトの方を向いた。 「で? エイト、何か用?」 会話について行けず取り残されたように呆けていたエイトは、ああ、と思い出したように頷いた。 「いや、大した用じゃないんだけどさ」 髪の毛、切ってもらおうかと思って。 自分の前髪を引っ張りながらエイトは言った。 「俺さ、伸びるの早いんだよね。前髪が邪魔で。自分で切っても良いんだけど」 「……止めといた方がいいと思うわ、あんたがやったら髪どころか自分の手を切りそう」 ゼシカが言うと、エイトは苦笑して首を傾けた。 彼があまり器用ではないということはパーティ内の誰もが知っていた。手の付かないほどの不器用というわけではないのだが、元来が大雑把な性格なのだろう。 確かに彼が言うように、前髪が目の半ば辺りまで伸びていて非常に邪魔そうだ。よく見ると後ろも出会った当初に比べて伸びている。 「でも、これ乾くまではちょっと動かせないわね」 少し待つ? と尋ねられ、待つくらいならいくらでも、とエイトが頷きかけたところで、彼女は「あ」と小さく声を上げた。そして、目の前に座っている男を指して言う。 「ククールに切ってもらえば?」 あんた器用だし髪くらい切れるでしょ、という彼女の言葉に、何やら小さな瓶を机の上に並べていたククールは、その手を止めて「補償はできないけどね」と肩を竦めた。 先ほどの彼の手つきからして、確かにククールは細かい作業が得意らしい。だとすれば彼に任せたとしても大丈夫だろう。じゃあ頼める? とエイトはククールに小刀を差し出した。 「それで切れってか」 「……ククール、私のカバンの中にハサミがあるわ」 どうやら小刀ではまずかったらしい。城ではいつも先輩兵士に小刀で髪を切ってもらっていたのだけれど。呆れたようなゼシカの言葉に従って、ククールはハサミを取り出した。「エイト、こっち」と部屋の中央にイスを置き、彼をそこに座らせる。ばさり、と白い布を首の周りに巻かれ、「おとなしくしてろよ」と前を向かされた。 「お客さん、今日はどんな感じにします?」 柔らかく、少しだけ癖のあるエイトの髪を梳きながら、ククールが軽い口調で尋ねる。 「愁いを帯びて、哀愁漂う感じでお願いします」 答えると、「意味が分からん」と殴られた。 「じゃあ、縦巻ロールで」 「今すぐにもっと髪の毛伸ばしてくれたら、やってやる」 彼らのやり取りに、ゼシカがクスクスと笑いを零した。それに重なるように、後ろからハサミを使う音が聞こえ始める。 「前よりちょっと短めに切っとくぞ」 その言葉に頷こうとすると、「動くなって」とまた殴られた。 「あんまりエイトを叩いちゃ駄目よ。それ以上バカになったらどうすんの」 そう言うゼシカへ「これ以上はないだろ」とククールが返す。随分な言われようだと思ったが、何か言い返そうとすれば頭も動きそうだったので、エイトは黙ったまま頬を膨らませた。 シャキ、と小気味よい音が後頭部の方から聞こえてくる。すぐに「後ろはこんなもんかな」という呟きが聞こえて、ククールが前に回ってきた。 「目、閉じてろよ」 言われずともそうするつもりだ。エイトはぎゅうと両目を閉じる。 別に何か特別な感情があるわけでもないが、こんな至近距離でククールの顔を見るのはごめんだった。嫌味なほどに整っている彼の顔に見とれてしまいそうだということが、自分でも分かったのだ。 サクリ、とハサミが入れられる音がする。 サクリサクリ。 一定のリズムをもってハサミが動く。 「しっかし、あれだな、こうして見ると……」 考えられないほど近くからククールの声がして、エイトはかなり驚いた。 しかし、今目の前で前髪を切ってくれているのは彼である。それくらいの距離にいて当たり前だ。目を閉じているからその姿が見えず、だから自分は驚いたのだろう。そう分析しながら、エイトは小さく「何?」と尋ねた。 「や、なんか」 キスねだってるように見える。 その言葉に驚いて慌てて目を開けると、思ったよりも近い位置にいたククールがいつもと同じような意地の悪い笑みを浮かべていた。 「エイト、顔真っ赤」 それを傍から見ていたゼシカが、笑いながらそうからかう。普通ならからかわれてあまりいい気はしないのだろうが、どうしてだか彼女ならば許せてしまう。ついでに「可愛い」と言われても怒る気もあまりしない。 口を噤んでしまったエイトを真正面から見て、ゼシカは「うん、いいんじゃない?」とククールへ言う。そして「私も髪が伸びたら切ってもらおう」と笑みを浮かべた。 首周りに巻きつけられていたシーツを取り払い、髪の毛を床に落として鏡台の前へ移動する。鏡を覗き込んで、前髪を引っ張った。 「如何です、お客さん?」 背後からひょいとククールが覗き込んでそう尋ねてくる。 「うん、邪魔にならない。サンキュ」 本気でそう感謝したら、ククールは少しだけ眉をひそめ「お前の基準は邪魔になるかならないかだけかよ」と呟いた。 それ以外に一体どういう基準があるというのだろうか。そう思ったが、尋ねたところで馬鹿にされるのがオチだろう。そんなエイトの頭をぐしゃぐしゃと撫でてから、彼は「ゼシカ、そろそろ爪、乾いたんじゃない?」と振り返った。 トップなんとやらをその上から塗り重ねると、マニキュアが長持ちするのだと言う。その作業をしている彼らの側で、床に散らばっていた髪の毛を掃除して、エイトはばさりとベッドの上に身を投げ出した。 一人部屋に戻る気にもなれず、そのままそこに横になって二人の作業を眺める。 随分とゆったりとした時間。 最近エイトは、こういう時間が嫌いではない自分に気が付いたばかりだった。 こんなのんびりとした時間など自分には必要ないと思っていた。それでもそういう時間が取れるようなスケジュールにするのは、同行している王や姫のため、そして仲間たちのためだった。彼らの疲労を少しでも軽くしてやりたい、その思いばかりあったのだが、しかし自分にもどうやらそういう時間が必要であったことに、ようやく最近気が付いたのだ。 先ほどより短くなった前髪をいじりながら、何やらエイトには分からない話題について話している二人を見る。ここ最近はククールの口説き文句が朝の挨拶と同程度であると見抜いたゼシカがそれなりの応対をしているため、二人の関係はすこぶる良好だ。非常に仲の良い友人に見える、いや、見えるのではなく実際そうなのだと思う。 相変わらずゼシカはククールの軽薄なところを嫌ってはいるし、ククールはそれを知っていながら直そうともしていないけれど。それでも初めの頃よりは随分と良い関係になっている。 みんな、旅をしている中で少しずつ変わっているのだ。 成長している、と言ってもいいだろう。 武器や魔法を扱う能力だけではなく、精神的にも成長している。仲間たちを見ていると、エイトは強くそれを感じた。 じゃあ、自分は一体どうなのだろう。 彼らのように、精神的に何か、変わった部分があるだろうか。 考えるが何も思い浮かばず、もしかしたら髪の毛や爪といった部分しか変化していないのではないかという結論へ至る。 エイトは寝転がったまま両の手を伸ばして自分の爪を見た。 爪は邪魔になるほど伸びる前に、大体何らかの作業中に欠けてしまう。 だとしたら自分でも分かる成長は髪の毛だけだ。 考えて、エイトは再び自分の前髪を引っ張った。 その髪の毛も今切ってしまった。 さっくりと、切り捨ててしまった。 成長したそれさえなかったことにして、自分は結局何も変わっていないのではないだろうか。 変われていないのではないだろうか。 呪われた城を旅立ったあの日から。 いやもしかすると、草原で拾われたあの時から、何一つ。 本当に成長できないことが問題なのか、それともそう思っている自分が問題なのか。 それとも、成長できないことの何が問題か分からないことが問題なのか。 何にしろ問題だらけだな、とエイトは思った。 そのどれか一つだけでも良いから、この旅が終わるまでには解決しておきたい。 それにはもう少し時間が必要だよな、と前髪を引っ張る。 もう一度、髪の毛を切らなければならないくらいの時間が、きっと必要だ。 「エイト、あんまり髪の毛引っ張るとはげるぞ」 先から視界の端に移りこむエイトが、しきりに自分の前髪を引いている。それに対しククールがゼシカの爪から視線を逸らさずに軽く注意をするが、エイトからの返事はない。顔を上げてそちらを見やったゼシカが「あら」と声を上げた。 「寝ちゃってるわ」 彼女の視線を追うようにベッドへ目を向けると、確かにエイトはうつ伏せのまま寝息を立てていた。 それを見て、ゼシカとククールは肩を竦めて笑みを浮かべ合う。 「髪の毛を切る必要がでてくるほど、長い付き合いになるとは思わなかったわね」 ククールへ左手を預けたまま、ゼシカはそう言葉を漏らす。それに頷きながら、ククールは最後の爪へ刷毛を下ろした。 「目的から言って、短ければ短いほどいい旅なのに、どうしてかしらね、もっと長く一緒に旅をしていたいって思うのは」 私、どこかおかしいのかしら、と言うゼシカへ、ククールは軽く首を振った。「終わり」と彼女から手を離すと、綺麗に光沢を放つ自分の爪へ目を落とし彼女は満足そうに微笑む。 「いいんじゃないの? 居心地のいい場所だってのはオレも同感」 昔の自分ならこうも素直に認めなかっただろう事実を、あっさり口にしてしまうのは目の前にいる女性が相手だからか、それとも自分が変化したからか。 「またいつか、エイトの髪の毛を切ってあげることができたらいいわね」 彼の髪の毛が伸びるまで、一緒にいることができたらいい。 それに頷いて、「またいつか君の手に触れさせてもらえれば、オレとしても嬉しいんだけれど?」と言えば、ゼシカは「考えとくわ」と微笑んだ。 ブラウザバックでお戻りください。 2005.01.17
ヤンガスを無視してごめんなさい。奴ぁきっと風呂にでも行ってるんです。宿屋の浴場で知り合ったじいちゃんに昔話を聞かされながら、背中を流してやってたりするんです。 ククールは手先が器用だといいな、という妄想。ネイルも昔、女に教えてもらったりとかしてそうだな、と。お互いに塗りあってみたりとか。 ククゼシにも見えるかもしれませんが、二人に恋愛感情はありません。あくまでも仲間として仲良し、ってことで。 |