翼を手折る


 ふ、と目が覚めたとき、まだ空は真っ暗だった。夜明けまでまだかなり時間があるだろう。どうしてこんな時間に目が覚めてしまったのか。そう考えたところで、エイトは隣のベッドに人の気配がしないことに気がついた。
 昨夜もまたいつものとおりジャンケンで部屋割りを決め、これまたいつものとおりククールと同室となる。酒場に遊びに行くのかと問うと、気分じゃないと答えられ、彼もまたエイトと同じようにベッドで眠っていたはずなのに。

 やはり遊びにいく気になったのだろうか。

 そんなことを考えながら、エイトはもそりと身体を起こした。ひんやりとした空気に頭が次第にクリアになって行く。これはしばらくは寝つけないかもしれない。
 そう思うと、エイトはさっさと諦めて起きることにした。たまには夜の散歩をしゃれ込むのもよいだろう。動けば少しは眠くなるかもしれない。
 ペタリ、と裸足のまま床に足をおろす。ブーツを履くのも面倒くさくて、エイトはそのまま部屋を後にした。

 いつもなら無意識に殺している足音を、意識して立てながら暗い廊下を進み、宿屋の入り口へと向かう。軋む扉を押し開けて、外に出た。
 西の空に月が浮かんでいる。

 足の裏に直接感じる地面にどこか懐かしさを覚え、エイトはぺたぺたと足音をさせて、宿屋の壁沿いに歩き始めた。
 どの窓からも明かりは漏れていない。それもそうだ、この時間なのだ。泊り客も宿屋の主人も、みんな眠りについているだろう。
 だとしたら、同室である彼は一体どこに行ったのだろうか。

 考えながら歩き、ちょうど自分たちの部屋の窓がある方へと来たとき、ふいにがさがさと音がした。
 軽く身構えてしまうのは、兵士としての悲しい性。武器はなくとも呪文がある。すぐにでも発動できる状態にしながら音がした方へと視線を向けた。

 そこには一本の大木。
 すらりと伸びた幹に、広がる枝。そういえば部屋の窓から見えていた気がする。
 先ほどの音は風で木の葉が揺れたものだったのだろうか。

 考えながら近づいて、ふと、緑色の葉の間に赤い色が見え隠れするのに気がついた。


「……何やってんだ、そんなとこで」


 エイトが声をかける前から、おそらく彼が物音に身構えたときから気がついていたのだろう。
 一番低い枝に腰掛けたククールは軽く笑んで、「美人がオレを呼んでたのさ」と答えた。

 一体どこに美人がいるというのか、問いかけようとしてすぐに気付く。ククールの腕の中には小さな猫が一匹抱きこまれていたのだ。

「目が覚めて外見たらさ、ここで鳴いてるのが見えてさ」

 ちょっと照れくさそうにそう言う彼に、エイトは思わず笑みをこぼした。
 その子猫のために起きて、わざわざ助けに来た彼が、いつも以上に可愛く思えたのだ。

 しかし、ほのぼのとした気分に浸れたのもつかの間、すぐさま別の疑問がエイトを襲う。


「……ってか、お前、どうやってそこから降りるつもりなの」


 彼が腰掛けている枝は一番低いところにあるとはいえ、それでも宿屋の二階より位置的には上だ。
 そもそもあの高さまで彼はどうやって登ったというのだろう。まさかこの太い幹にしがみついてよじ登ったというのではあるまいか。
 できなくもないだろうが、子猫を抱えて同じ方法で降りてくることは無理だろう。飛び降りるにしても高さがありすぎる。受身を取ったところで良くて打撲、捻挫、悪ければ骨折は免れないだろう。

 腕を組んでこちらを見上げてくるエイトへククールは笑って、「そこで見てて」と言った。
 そして何の抵抗もなく、とん、と枝を手で押して飛び降りる。

「ちょ……ククールッ!」

 驚いてエイトが声を上げた瞬間。


 ふわり、と覚えのある風が彼をとりまき、その背中から光の翼が生えた。


 光り輝く翼を背にしたまま、ゆっくりと地面へと下りてくるククール。腕の中の子猫は相当怯えているようで、彼の足が地面へついた瞬間腕を引っかいて逃げ出してしまった。

「いてぇなぁ。この恩知らず」

 そう罵るものの、彼の顔はどこか満足そうで。
 あまりのことにエイトが驚いているあいだに、ククールの背中の羽は消えてしまっていた。


 彼は背中に羽を持つ種族だった、とでもいうのだろうか。


 一瞬そんな方向へ流れかけた思考を押しとどめ、何とか現実的な方へと軌道修正して、ようやくエイトは「神鳥の魂?」と問い掛けた。
 それににやりと笑って、「そのとおり」と懐から光り輝く丸い玉を取り出す。

「鳥になっちまったら猫、抱けないだろ? だから、羽だけ出せないかと思ってさ」

 やってみたら案外うまくいったんだよ、と笑いながら言って、彼はもう一度その力を発動させた。
 空を駈巡る鳥へと姿を変える力、それが柔らかな風となってククールを取り巻き、すぅ、と体の中へと取り込まれたかと思うとすぐに背中から羽が現れる。
 軽く地面を蹴ると、ククールはふわりと浮いて再び木の上へと戻ってしまった。その動きに追いつけなかったエイトは背中に光り輝く翼を背負った彼を見上げるしかない。
 そんな彼へ木の上から笑みを向けて、「っていっても、飛べるのはこれくらいで、長距離は無理っぽいから使い道はそんなにねぇけどな」とククールは言った。

「つーかさ、お前こそ何やってんの、こんな夜中に」

 呆然と見上げていたエイトへククールが逆に問い掛ける。何、と問われても明確な目的があったわけではない。とりあえず「散歩」と答えると、

「裸足で?」

 と続けられた。

「……たまには裸足で歩かないと、偏平足になるんだぞ」
「そりゃガキの頃の話だろうが。成長した足を今さら鍛えてどうする」

 いつもと同じような軽口のやりとり。
 他愛もない会話のはずなのに、何かが違う、とエイトは首を傾げる。
 何が違うのだろうか、考えて、距離であることに気がついた。
 ククールと自分の距離が遠いのだ。物理的な距離というよりもむしろ、心理的な距離。
 それはおそらく、いまだ背に宿したままである光る翼のせいだろう。
 目に見える翼の所為で、まるで今にも彼がその枝から飛び立ってどこかへ(おそらく彼が望む場所へと)帰っていってしまいそうで。


 手を伸ばしても届く位置にはいない。飛び跳ねたところで、彼の欠片すらつかめないだろう。
 たとえ触れることができたとしても、するり、と腕から抜けて飛び立っていきそうな、そんな恐怖。


 エイトの様子が普段と違うことに気がついたのだろうか、少しだけ顔を顰めたククールが、先ほどのように羽の力でふわり、と地面に降りてきた。


 そんな彼をつなぎとめるように、エイトは咄嗟にククールの腕を掴む。
 地面から飛び立たないように。
 その羽で、どこか遠い場所へ帰ってしまわないように。


 体温を感じてほっと、安堵の息を吐いたエイトへ苦笑を浮かべて、ククールは子供をあやすようにぽんぽん、と軽く彼の頭を撫でた。
 正直、ククールにはエイトの行動の真意が分からない。ただ、今の今まで何やら感じていたらしい不安が、自分の腕をつかむことで多少軽減されたようだ、と。そのことだけは分かった。

 エイトはどうやら手を離す気がないらしく、捕まれたほうの手で同じように彼の腕を握り返してから、ゆっくりと地面を踏みしめて、ククールは宿屋の入り口へと足を進めた。
 音を立てぬように自分たちの部屋へと戻り、汚れた足を洗うために水桶を用意してやる。男相手にここまで甲斐甲斐しく世話をするなど、昔の自分なら考えられなかった。それもこれも相手がエイトだから、なのだろう。
 そんなことを考えながら自分のベッドへ戻り寝る体勢を整えていると、足を洗い終えたらしいエイトが水桶を脇に避けて、こちらへと近づいてきた。そしてもそもそとシーツをまさぐると、無言のままククールの腕の中におさまるようにもぐりこんでくる。
 本当に、彼は一体何を考えているのか。
 さっぱり分からなかったが、とりあえずは小さな体と体温を十分に堪能するとしよう。そう思い、ククールはぎゅう、と抱きしめる腕に力を込めた。


「お前さ、裸足でふらふらすんの、止めろよ。そのままどっか行って帰ってこねぇんじゃねぇかって、ちょっと怖いだろ」
「……別に、どこか行きたかったわけじゃ」
「分かってる、見てて怖いっつってんの。どこか行くのは別にいい。ただ裸足は止めとけ、裸足は。足の裏って結構重要よ?」

 エイトの髪の毛をすく手を止めずにククールはそのようなことを言う。彼の服を握った手の力をゆるめることなく少しだけ顔を上げたエイトは、彼を見上げて「どこか行くのは別いいんだ」と呟いた。


 エイトは嫌だと思った。
 ククールがあのままどこかへ行くのは、エイトの手の届かぬところへ行くのは嫌だと、そう思った。
 それなのに彼は、エイトへ「どこへ行っても構わない」とそう言うのだ。


 少しだけ表情が翳ったエイトへ、ククールはあっさりと言葉を続ける。


「だって、どうせすぐに探し出すから」


 たとえエイトがどこへ行こうとも、すぐに探し出すから。
 だからどこへ行ってもよいのだ、と。


 その言葉になんと返して良いのか分からず、ぽかんとククールを見ていたエイトへ、「やんちゃ盛りの子供をもった母親の気分だよな」とククールは言った。


 どこにも行って欲しくない。
 そう思い、エイトは思わず彼を地面へつなぎとめた。
 しかし彼はどこへ行ってもよい、必ず探すから、と言う。
 エイトは同じことを言えるだろうか、彼に向かって。
 必ず探し出すから、と。


 想像し、無理だな、とエイトは判断する。
 一時でも彼がいないことに耐えられるはずがない。
 その想いが子供じみた我がままであることは重々に承知している。
 彼のためを思えばその自由を奪わぬほうが良いことも。


 つなぎとめて拘束するのではなく、
 柔らかく包み込むような、
 そんな愛し方さえできない自分に苦笑を浮かべ、
 エイトはククールの顔に胸を埋めて小さく「ごめんな」と呟いた。





ブラウザバックでお戻りください。
2005.06.27








毛色が違うものを一発。