広すぎる世界に 天の川、と呼ばれる星の集まりがあることは話に聞いていた。無数の星が帯状に集まるので丁度川のように見えるのだ、と知識として知ってはいた。ただ、エイトはそれを見たことがない。見る機会がないわけではなく、単純に彼の好き嫌いの問題である。 「一年に一度しか出会えないっていうのもロマンティックだけど、寂しいわよね」 何処の地方の話なのか詳しくは知らないが、そういう悲しい恋人たちの伝説があるらしい。彼らを分け隔てているものがその天の川であるという。 「渡っちゃえば良いのに」 エイトがそう言うと、「そう簡単にはいかないのよ」とゼシカが頬を膨らませて返してくる。彼女の感性からしてその伝説は『ロマンティック』に分類されるらしい。それを邪魔するような言葉は慎むべきである。 ゼシカの表情からそう判断したエイトはただ肩をすくめるだけにしておいた。 そんなエイトの代わりとでも言うかのように、側でヤンガスが口を開く。 「じゃあゼシカの姉ちゃんは今日は野宿でもかまわねえってことでげすね?」 そう、話の起こりはそれなのだ。 どう考えてもこの状態では夕暮れまでに次の町へたどり着けそうもない。できれば野宿は避けたいところだが、一旦前の町へ戻るというのも大幅な時間ロスになる。仕方なく今夜は野宿でもいいだろうか、と仲間へ問いかけたところでゼシカが、「きっと天の川が綺麗に見えるでしょうね」と言ったわけである。 「星空見ながらって言うのもたまには良いしね。それが七夕ならなおさらよ」 と、久しぶりの野宿にゼシカは楽しそうだ。彼女を含めたメンバの承諾が取れれば後は準備を急ぐだけで、一行は休めそうな場所を探すと早速野営の支度に取り掛かった。 「うわぁ、すごい!」 「ほぅ、見事なもんじゃのぉ」 夕食が済み焚き火を囲んで思い思いの時間を過ごしていたところ、不意に空を見上げたゼシカがそう感嘆の声を上げる。それにトロデ王が続いて空を仰ぎ、同じように感心したように言った。ヤンガスとククールもつられて空を見上げるが、やはりエイトだけは上を見上げようとしない。曖昧に笑みを浮かべたまま焚き火を突いていた彼へ「ほれ、エイトも見てみんか」とトロデ王が声をかけた。 嫌なら嫌だと、どうしてはっきり言わないのか。 エイトの中にはトロデ王やミーティア姫の命令に逆らうという選択肢がないのだろう。 隣でククールがそんなことを思っているなど知りもしないエイトは、ゆっくりと空を仰いで「本当に、綺麗ですね」とやや平坦な声で感想を述べた。それにトロデ王が「そうじゃろう、そうじゃろう」と嬉しそうに答える。 ククールがちらりとエイトを盗み見ると、既に空から視線を逸らせているものの、暗闇の中でもはっきりと分かるほど彼の顔色は悪かった。 エイトが空を苦手としていることを知っている人間はおそらく少ないだろう。もしかしたら自分ひとりだけなのではないだろうか。少なくともこの場にいるメンバでそれを知っている人間はククール以外にはいない。 ククールだって、何故彼が空を苦手とするのか詳しくは知らない。ただ怖いのだ、と彼は言う。広い場所が、広い空が、広い世界が怖いのだと。幼い彼が初めてその存在を捕らえたのが、この大地や空といった世界そのもので、記憶をなくした彼にとってそれはあまりにも広すぎた。 「水、汲んできます」とエイトが焚き火の側を離れ森の中へと入っていった。今すぐに必要なものではないし、そもそも焚き火を起こす前に十分な水は確保しておいたはず。逃げたな、とククールは思う。このままこの場所にいたら、またいつ空を見るように誘われるか分かったものではない。 仲間たちはしばらく星空を眺めて過ごすだろう。帰りが遅くなったところで気にしないはずだ。そう判断し、ククールはエイトの背中を追いかけた。 近くに小川があることはここを野営地と決めたときに調べてあった。おそらくそこへ向かったのだろう、と暗い森の中、木々を縫って進む。それほど遅れて追いかけたわけではないはずなのに、エイトの姿をまったく捉えることができず、軽い不安がククールを襲う。 しばらくすると、さらさらと水が流れる音がし、水面に反射している星明りが見えてくる。ほんの少しだけ足を速めたククールの目に、川辺りにうずくまる少年の姿が飛び込んできた。 「エイトッ!?」 驚いて名を呼び駆け寄ると、彼は真っ青な顔をして膝をつき、川から顔を逸らすようにして口元を押さえこんでいた。 ふ、と川のほうを見ると、澄んだ水に映る満天の星空。小川に写る天の川。 折角逃げてきたその先にまで天の川が待ち構えているとは、思ってもいなかったのだろう。 思わずその華奢な肩を抱きしめると、彼は小刻みに震えていた。 「エイト、大丈夫だから」 体温を分けるようにしっかりと抱きしめ、背中を摩る。しばらく呼びかけていると多少人心地がついたのか、エイトが大きく息を吐き出した。 ぎゅうと色がなくなるほど握り締められていた拳の上へ自分の手を重ねる。 思えば、彼が正面から空を見つめたところを見たのは今日が初めてだ。いつもはその姿を視界に収めようとすらしない。だから、こんなにも怯えている彼を見るのも初めてだった。 普段は「我慢できないわけじゃないから」と笑っていた。ただ「我慢」とは己の感情を抑え、耐え忍ぶことなのだ。 彼はおそらく、常に耐えている。 この空の、この大地の、この世界の広大さに。 綺麗だ、と人々が感嘆する天の川も、彼にとってはただの脅威。 憎み恐れる相手でしかない。 「確かに、こんなに広かったら、簡単には、渡れないよな……」 彼は常に怯え、耐え忍んでいる。 不安げに揺れる瞳はいつもの明るく人懐っこい彼のものとは思えないほどで、そんな彼の視界から空も、空を写し出す川も、大地もすべてを取り除くように、ククールは真正面から抱きしめた。この腕の中にいるときだけはそれらに怯えずともすむように。それらに耐えずともすむように。 世界を全て遮って、自分だけを感じ取ってもらえるように。 縋りつくように背中へ回された腕に力が込められる。胸元に顔を埋めたまま、エイトは「広い空とか、天の川とか、俺、要らない」とぽつりと言った。 お前だけあれば、それで、いい。 おそらく、一年ぶりに出会えた恋人たちも、彼と同じように考えているに違いない。 ブラウザバックでお戻りください。 2006.07.07
何でこんな話になるんだ? ある意味ラブラブっちゃ、ラブラブ。 |