本日は晴天なり 青空が広がり太陽がにっこりと笑顔を浮かべているかのような晴天。まだ日は昇ったばかりだったが、風は心地よく、過ごしやすい一日になるだろうことは予想ができた。 そんな朝に、腰に手を当ててゼシカが言った。 「なんだかこの馬車もずいぶん汚れてきたわね」 山道を通り森の中を抜け荒野を渡る。時に雨に降られたり、雪に出会ったりしているのだから、汚れてくるのも当然で。 今日は天気がよく、風も適度に吹いているし、近くに小川もある。 「エイト」 「ほいさ」 「ククール」 「はいよ」 ゼシカに名を呼ばれ、それぞれが手を挙げて返事をした。道具屋で買い求めていた粉洗剤とブラシが二つ入ったたらいをエイトが、荷台から外された幌をククールが抱える。 「遊びすぎないこと。夕方までには帰ってくること。幌を破かないこと。分かった?」 「うっす」 「了解」 「じゃあ、いってらっしゃい」 そう言ってすぐに振り返ったゼシカは、今度は残り二人の男性に向けて指示を飛ばしている。 「王さま! 荷台から荷物を下ろして頂戴。ついでに要らない物は捨てちゃって。ヤンガス、水!」 ゼシカの声と、それに答える仲間の声を背後に、エイトとククールは近くを流れる小川へと足を向ける。 「ああいうときのゼシカに逆らえるやつはいないよな」 「あとが怖いな」 こっそりとそう囁いて頷きあう。おそらくトロデ王もヤンガスも彼女の言葉には逆らえないだろう。 そもそもこのパーティのリーダはエイトであるが、日常的な雑事はすべてゼシカが引き受けている。エイトができないわけではないのだが、そこはやはり兵士であった男よりお嬢さまではあるが女性のほうが細やかな気遣いができるのだ。自分が過ごしやすい環境を整えようと思えば、当然それはパーティメンバにも影響が出るわけで、彼女が仲間になってしばらくしたのち自然とゼシカへ委ねるようになってしまった。 こんな旅を無事に続けていられるのは戦闘におけるエイトの的確な指示と、普段生活する環境を整えてくれるゼシカのおかげなのである。だからこういう場面で彼女に逆らうなど、できるはずもない。 それに加えエイトもククールも、時には口やかましいほどこちらの世話を焼いてくれる肉親に縁が無かった。そんな幼少期の環境も、彼女に従う大きな理由となっているかもしれない。腰に手を当ててぷりぷりと怒りながら文句を言うその姿は、まさに母親か何かのよう。母親といったら彼女が嫌がるだろうから、エイトにとっては年の近い姉、ククールにとっては妹のような感じなのである。 大好きな姉と、可愛い妹の言葉に従わない道理はない。 川へたどり着いた二人は、持ってきた荷物を置くと早速支度に取り掛かる。ブーツを脱ぎ捨てて膝上までズボンをめくる。エイトは黄色い上着を脱ぎ捨て、青いチュニックは丈が長いので腰の辺りで絞って結ぶ。ククールは上着を脱いで白いシャツを肘まで折り曲げ、邪魔になるだろうから髪の毛をいつもより高い位置でまとめておいた。 準備が整ったところで持ってきた幌を水面へと広げる。全体を塗らしたあと、エイトは布の右側から、ククールは左側から、粉洗剤をあわ立ててブラシで布を擦り始めた。これだけ大きな布なのだ、二人がかりでやらないと一日仕事になってしまう。しかもかなりの重労働。 幌くらい、汚れたままでも良いだろう。何なら新しく買い換えてもいい。しかしそのどちらも選ばないのはやはり、荷台を引くのが元は王族のミーティア姫であるためと、そんな彼女と共に旅をしているのが一般的な庶民代表の面子であるためだ。お姫様である彼女に綺麗な馬車を引かせてあげたいが、新しく買い換えるだけの経済的な余裕は無い。 結果として、こうして天気の良い日を狙って洗濯をすることになる。 ゴシゴシとブラシを走らせて汚れを落としていく。無言だとそのうち飽きてしまう。かといって口を動かしすぎて手が疎かになればあとでゼシカに怒られるので、適度に無駄話をしながらの作業。 「洗濯屋さんとか、どっかにないかな」 「洗濯を引き受けてくれる店?」 「そう」 「でも金取るんだろ?」 「……ボランティアって良い言葉だよなぁ」 一通り表側を擦り終わったら、一旦ブラシを置いて川の水で泡を洗い流す。足場が悪いので滑って転ばぬように注意しながら、布を川へ浸しては引き上げる。 「だいぶマシに見えるなぁ。そっちはどう?」 「こっちも結構良い感じ。あとは裏面だな」 そう返したところで、ふとエイトは自分側の布に黒いしみが残っていることに気が付いた。なにかゴミでもくっついているのか、それとも洗い残しか。気になってもっと近くで見ようとぐい、と幌を引く。 あ、と思ったときにはもう遅かった。 同時に前方よりばしゃん、という音。 「………………ごめーんね?」 「誠意が感じられねぇっ!」 突然布を引かれたものだから、足場の悪さも手伝ってそのまま盛大に転んでしまったククールが、えへっとわざとらしく笑って首を傾げているエイトへ向かって怒鳴る。正面から転んだらしく、彼は頭の天辺まで水浸しだった。 「つか、いきなり引くな! 浅かったら頭打って流血沙汰だったぞ」 「ある程度深さがあって良かったな」 「お前が言うな、お前が!」 諸悪の根源である彼が他人事のように言った言葉がククールの神経を逆なでし、怒りのままにいまだ握り締めていた幌を引く。 しかしエイトが咄嗟に手を離したので、逆に力が余りすぎ、今度は後ろへばしゃん、と倒れてしまった。 「…………楽しいか?」 無言のまま立ち上がったククールは、やはり無言のまま前髪をかきあげる。もう返事をする気力も無いらしい。 銀色の髪を伝いパタパタと水滴が落ちる。水を吸って肌に張り付くシャツが気持ち悪いらしく、ばっさりと豪快に脱ぎ捨てた。やけになっているのだろう、普段の彼とはかけ離れた粗雑な仕草でシャツを陸へ放り投げる。一応騎士団員として剣を握っているだけあり、優男のようにみえるが意外にしっかりと筋肉が付いている。その上無駄がない。顔にしろ体にしろ、どのパーツをとりだしてもそれだけでほぼ完璧なのだ。集まって出来上がったものが完璧でないはずがない。 「エイト、幌、流されるぞ」という呼びかけを耳にしながらも、エイトは「やっぱ、お前って綺麗だよなぁ」と思わず呟いてしまった。 「アホなこと言ってないで、さっさと洗え」 ククールは驚いたようにエイトを見た後、ぶっきらぼうにそう言って身をかがめた。そのままばしゃばしゃと無駄に水音を立てながら幌を洗い始めたククールを見下ろし、ふと気づく。 「もしかして照れてる?」 俯いているため顔は見えなかったが、銀髪の向こう側に見える耳がなんとなく赤いような気がする。彼はもともと色素が薄いため、赤くなるとすぐに分かるのだ。エイトの言葉にぴくり、と肩を震わせた彼は、しばらくして後小さく「うっせぇ」と零した。 どうやら図星だったらしい。同時に響くエイトの笑い声。 「あはははっ! 照れてる! 照れてる! すっげ! 初めて見た!」 「ああっ! もうっ、うるせぇなっ! 笑うなっ!」 指をさして笑うエイトに、顔を赤くしたまま声を荒げるククール。しかし相当ツボだったらしく、エイトの笑いは止まらない。 それもそのはず、普段彼はクールを売り物にしている(らしい)。仲間内ではそういう気障ったらしいポーズを取ることはあまりなかったが、大抵のことをさらりとこなしあまりうろたえたりしているところを見たことがなかったのだ。珍しいものを見たとき、それがあまりにも思いがけない場面のものだった場合、人が取るリアクションは驚きで声を失うか、思わず爆笑してしまうかどちらかだとエイトは信じていた。 「あはははっ!」と眦に涙まで浮かべて笑い続けるエイトに、ククールはしばらく無言で堪えていたがついに限界を超えたらしい。 手にしていた幌の端を水の中へ投げ捨てると、水をかきわけてエイトの側まで歩み寄る。 「お前みたいに、馬鹿みたいに真正面から真っ直ぐに言ってくるやつ、初めてなんだよっ!」 そう叫んでエイトへ体当たりした。 ばしゃん、と二人分の水しぶきが上がる。 「――ッ! 何、すんだっ!」 「お前が笑うのやめねーからだろ!」 「だからって、これはねーだろうが!」 「オレだけずぶ濡れなんておかしい」 「おかしくない、お前が間抜けなの」 「もとはといえば、お前が悪いんだろうが!」 「大人気ないぞ、バカリスマッ!」と言ってエイトがククールを突き飛ばすと、起き上がったククールが「何とでも言え、アホ勇者」と水をかける。既に二人とも全身ずぶ濡れなのでこれ以上濡れることを気にする必要もない。 しばらくぎゃあぎゃあと言い合いながら子供じみた喧嘩を続けたのち、はたとククールが気が付いた。 「って、エイト! 幌が流されてる!」 「げっ! 追いかけろ、走れ!」 「水の中でか!」 「じゃあルーラ!」 「何処まで飛ぶの!」 「思わずアスカンタ行って戻ってきちゃった」 「意味ねえし! 見ろ、お前が小旅行楽しんでる間にどんどん流されてったぞ!」 「泳いで追いかけろよ!」 「泳いでも追いつけねえよ!」 「じゃあ流されろ!」 「お前が流されろ」 そう言うと同時に長い足でエイトの背中を蹴る。「ぎゃあ!」と間の抜けた悲鳴を上げて川へ倒れこみ、そのまま流されていくエイトへ「どこかでおばあさんに拾ってもらえ」とククールが声をかけた。 「まあ、大体予想は付いてたけどね」 全身ずぶ濡れになって戻ってきた二人へ、ゼシカが呆れたように頬に手をあて、ため息をついた。「それで、幌は?」との問いに、エイトが胸を張って白い布を持ち上げる。 どうやら川を流れてもまれるうちに、あらかたの汚れは落ちてしまったらしい。エイトが布を拾い上げたときには、普通に手洗いするよりも手早く、しかもより綺麗になっていた。 「宿の裏に干す場所借りたから、あとは私がやっておくわ」 手を差し出してきた彼女へ、それくらいはやるよ、と言いかけたところで言葉を遮られた。 「あんたたちはお風呂」 びしっと宿を指差されて、エイトとククールは顔を見合わせて笑みを浮かべる。 「うっす!」 「りょーかい」 「じゃあ、いってらっしゃい」 ブラウザバックでお戻りください。 2006.07.01
日常の一コマを書きたかったので。 そして裏へ続く。 |