衣装取引 そのときククールは部屋に備え付けてある風呂に一人でゆったりと浸かっているところだった。ヤンガスほど風呂が好きというわけではないが、ときにはこういう静かな時間も必要だ。パシャ、と湯が跳ねる音を耳にしながら目を閉じて、やんわりとした空気に身を委ねる。 と、不意にバタン、と部屋の扉が閉じられる音がした。どうやら出かけていたエイトが戻ってきたらしい。そのドアの音と、何やら歌を歌っているらしいことから、エイトの機嫌が上々であると予測。 機嫌が良いことは歓迎できる。誰であれ、怒っているような顔よりは、楽しそうに笑っている顔の方が良いに決まっている。ただし、エイトの場合はあまり機嫌が良すぎると周囲への被害も拡大する恐れがある。 また、何か面白いものでも見つけてきたのかな。 いくら扉を二枚隔てているとはいえ、部屋にエイトが戻ってきたのならこの静かな空間が破られるのも時間の問題だろう。そう思い、ククールは湯船から出るとそのまま脱衣所へと向かった。 「……しぎぃな、マフリャァー、かぁぜもないのに、なぁぜかなびくぅう」 浴室から出たことでより一層エイトの歌声が耳に届く。聞いたことのないメロディと歌詞に、おそらく彼の自作だろうと考える。そもそもエイトが一般的に有名な歌を歌っているところを聞いたことがない。 「こゆいお顔にぃ、もじゃもじゃおひげっ!」 たまに口にする歌は大抵ふざけた替え歌か、今のような妙な自作の歌なのだ。 「ちぃんみょぉきぃてれつぅな、そぉのいしょぉー、」 『珍妙奇天烈』という言葉をエイトが知っていたことに驚きながら、部屋着のズボンへ足を通す。一旦タオルでまとめていた髪を下ろし、別のタオルで丁寧に長い髪から水分を拭った。 「それでぇもはべるっ、びっじょバニィー、彼は、かっれは、すってきぃなぁ」 暑かったので上着を着ることもなく、肩にタオルを掛けてククールは脱衣所を出る。 「てっぺんハッゲのぉお、モリーさぁんっ!」 ゴン、と盛大に響いたのは、ククールが浴室の扉へ後頭部をしこたまぶつける音。 目を逸らしたい、逸らしたいが、残念ながら彼の目の前には逃げることの出来ない現実というものがある。この憤りをどこへ発散させればよいのか分からず、とりあえずククールは痛む後頭部を摩りながら体勢を整え、鏡の前にいるエイトを殴っておいた。 容赦なく。 手加減もなく。 思い切り。 もてる力を最大限発揮して。 殴っておいた。 「……俺、まだ何もしてない」 いくらエイトより非力とはいえ、大の男が加減なく殴ったのだ。それなりの威力はある。殴られた頭を庇いながら、エイトは涙目になってククールを睨みつけた。そんな彼へ「オレもお前のせいで頭打った。お相子だろ」とククールは言う。 っていうか、『まだ』ってどういうこと。 ククールは別にエイトの歌でこけたわけではない。彼の歌など真面目に聞いてもいなかった。どうせそう意味のない言葉の羅列なのだ、歌詞を聞き取るだけ無駄というもの。しかし音は無視できるが、絵はむしできなかった。 風呂から上がり、室内へ目を向けるとそこには、緑と赤の派手な服を着て鏡の前でポージングしていたエイトがいたのである。その衣装は何処から見ても今彼が歌い上げていた人物、バトルロードのモリーのものであり、あの派手で悪趣味な服を平然と着ているエイトに眩暈を起こしたわけである。 こめかめを押さえながら、ククールは痛い痛いと泣いているエイトをベッドの上へ座らせた。膝を抱えて「の」の字を書き始めたエイトへ「正座」と座り方を指定する。説教するのだから、もちろん正座だ。正座以外は認めない。 ちょん、とベッドの上へ正座したエイトの正面に同じ姿勢でククールも座る。 「あのな、エイト。そういうカッコするのは止めなさい」 「何で?」 「お前に恥じらいってものはないのか」 「…………」 「愚問だったな。あるわけねぇな」 「…………えへ?」 「可愛く笑っても駄目。あのね、そのカッコしてるだけでお前の可愛さは半減するわけ」 「俺、可愛い?」 「頭の中身がパーってことと、ロクなことしないってことと、はた迷惑な性格をしてるって大問題に目をつぶったら可愛い。お前はわざわざその可愛さを溝に捨ててるの」 「…………拾ってこようか?」 「もう遅い。海まで流されてる」 「……ふ、船……」 「でっかい海からお前の可愛さを探し出すのは無理。それよりも、まだ多少なりとも残ってる可愛さを落とさないようにする方が良いの。分かる?」 「…………」 「じゃあ、そういうカッコをするの、止めなさい」 「………………」 「止めなさい」 強くきっぱりとそう言うと、エイトは「うー」と小さく唸る。 「そもそもそれ、どっから拾ってきたの」 「貰った」 尋ねると、何故か彼は胸を張ってそう答えた。 「バトルロードに遊びに行ったらモリーさんがいてさ。相変わらずすっげーカッコだなぁ、って思ってたら、マリーさんがくれた」 折角くれたから戻って着てみた、とそういうわけらしい。とりあえずその格好のまま外を歩いていたわけではないことを知り、ククールはほっと安堵の息を吐く。 「でもさ、こんな服、普通売ってねぇぞ? とりあえず着てみたくなるのが人間だろ? ほら、結構似合ってね?」 そう言ってエイトはひょいとベッドから飛び降りると、もう一度鏡の前に立った。鏡に映る彼は赤と緑の、まるでピエロのような派手な服、首には長いマフラー。ふん、と胸を張って満足そうだ。 そこではたと、何を思ったのか、エイトは笑顔を引っ込めた。 そして真顔のまま鏡の中の自分自身と、その中に移りこんでいるククールを交互に見やる。 嫌な予感が、した。 殴る。 蹴る。 逃げる。 瞬間いくつかの選択肢がククールの頭に浮かんだ。迷いもせず「逃げる」を選んだが、残念なことにその瞬間図ったかのようにエイトと目が合う。 「おーもーいっ! 邪魔! どけっ!」 一体何処にそんな素早さが潜んでいたのか。ククールがベッドから降りる前にエイトは振り返って、彼へと飛びついてきた。押し倒されるような形で圧し掛かられ、満足に身動きできないククールはただ口を動かすほかない。 そんな彼へ、エイトは「うふふふ」と気味の悪い笑みを零した。 「ね、ククール、これ、着て?」 やはりな、とエイトに押しつぶされながらククールは溜息をつく。そんなことだろうと思った。おそらく鏡の中で自分とククールと、これを着たらどちらがより面白いかを考えたのだろう。そして結論付けた、自分よりククールが着たほうが面白い、と。 「嫌だ」 「大丈夫、ククールなら似合うって」 「断る」 「ほら、色男は何着ても似合うだろ?」 「断固拒否する!」 きっぱりとそう言うものの、エイトは「えーっ」と不満そうに頬を膨らませる。 何とかこの体勢から抜け出せないものだろうか。位置さえ逆になればと足掻いてみるが、エイトはぴくりとも動かない。この男、言動は間抜けだがやはり元兵士だけある。しかしこういうところでそんな能力を発揮させなくても、と思う。 「何で! 着てくれたって良いじゃん!」 今はまだ圧し掛かられるだけだが、このまま寝技にでも持ち込まれたら痛みに屈する可能性もある。そうなったら場所を考えずバギマだな、と考えながらもう一度「嫌だ」と口にする。 大体、そんな服を喜んで着る人間はエイトとモリーくらいなものだ。一般的な美的感覚と羞恥心を持っている人間は、着ている人から目をそらせるくらいなのに。 自分の思い通りの返答がないことに焦れたのか、エイトが更に体重を掛けてくる。内臓を押しつぶされる感覚にククールはぐぇ、と情けなくうめき声を漏らした。 「別に良いじゃん、着て町中一周して来いってわけじゃないんだし。俺しか見ねぇって」 「見る人間の問題じゃねぇんだよ。オレの自尊心の問題だ!」 「そんな食えもしないもん、捨てちまえ!」 それを捨ててしまったらおそらく、確実にエイトと同じ種類の人間になる。それだけは何が何でも避けたい。ククールは、一度深呼吸して昂ぶっていた神経を落ち着かせると「エイトくん、ちょっとここ、座んなさい」とぽんぽんと自分のすぐ脇の布団を叩いた。 唸ったまま動こうとしないエイトへ「いいから、ここに座りなさい」ともう一度。 こういうとき、エイトは何故だかククールの言葉に従う。その隙にククールが逃げてしまう可能性は考えないのだろうか。いや、おそらく考えている。その上でそんな隙をククールに与えない自信が彼にはあるのだ。だから素直に従う。 ククールも生半可な騙しではエイトから逃げられないことが分かっている。今この場で逃げたところで根本的な解決にはならない。きちんと筋を踏んでエイトに諦めさせなければ意味がないのだ。 ちょん、とベッドの上へ正座したエイトの前へ、先ほどと同じようにククールも正座する。 「あのな、エイト。嫌がってる人間に、無理やり何かさせるのは良くないの。分かる?」 「……俺は嫌じゃないもん」 「オレは嫌だっつってんの」 「何で?」 「恥ずかしいし、かっこ悪いから」 「恥ずかしくないし、かっこ悪くもないと思う」 「それはお前の頭の中がちょっとめでたい仕様になってるから。残念だけど、オレの頭はそうできてないの」 「……たぶん、一回着ちゃえば新しい自分に出会えると思うよ?」 「いや、出会いたくないし。っていうかね、どうしてお前はそんなにオレに、その格好をさせたいわけ?」 「面白そうだから!」 きっぱりはっきりと、エイトは満面の笑みでそう言いきった。その笑顔には一点の曇りもない。嘘偽りないエイトの本心。 駄目だ、とククールは大きく溜息をついた。 こうなったエイトを止めるのは至難の業だ。しかし、ここで根負けしてこの服を着せられでもしたら、おそらく人として大事な何かをなくしてしまう。それだけは嫌だ。エイトと同じ花を頭に植えたくはない。年がら年中春真っ盛りなのはエイトだけで十分だ。 「分かった、じゃあこうしよう、お前がオレの頼みを聞いてくれたらオレもお前の頼みを聞いてやらんこともない」 「語尾が曖昧」 「…………聞いてやる。ただし、お前の方が先、これは譲れない」 ククールの言葉にエイトは「んー」と天井を見上げた。 このままここで言いあっていても埒が明かない。すでにエイトの頭の中のスイッチが入ってしまっているため、この服をククールに着せるのを諦めるという選択肢もない。彼ははっきりとエイトの頼みを聞く、と言った。つまりククールの頼みが「それを諦めてくれ」ではない、ということだろう。何だかんだ言いつつククールは常識人だ、この状況下で「ラプソーンを倒して来い」などといった無理難題を吹っかけることもないと思う。できるけどやりたくない、そういうことを口にするはず。 そこまで考えて、エイトは「諾」の返事をした。 一体ククールがどういう頼みをするのか、少しだけ興味が出てきたのである。 エイトの頷きを見て、ククールは大きく溜息を吐く。できるなら「じゃあいいや」という答えを期待していた。その可能性が限りなくゼロに近いことも分かっていたが、溺れるものは藁をも掴むのだ。 「よし、じゃあ」とククールは思いついたことを口にする。 「バニーの格好をしろよ。で、オレをその気にさせたらそれを着てやる」 五秒ほど、エイトの思考が停止した。 「バニー?」 「そうバニー。バニーちゃん」 「ゼシカが着るような?」 「さすがにあれはキツイだろ。マリーさんたちみたいなのでいい」 「それを着ればいいわけ?」 その言葉にククールが頷いたと同時に、エイトは物凄い勢いで部屋を飛び出した。おそらくバニーの衣装を手に入れに行ったのだろうが。 「……せめて着替えていけよ」 それを聞くべき人間は既にこの場にはいなかった。 ほんの十分ほど待っただろうか。 どうせならその間に部屋から逃げてしまえば良かったのだろうが、自分から条件を持ち出した手前、その選択肢もククールの頭にはない。こういうところでククールとエイトは良く似ていた。基本的にどちらも負けず嫌いなのだ。そして仕掛けたことには決着を見ないと気がすまない。 出て行ったときと同じように騒々しく戻ってきたエイトは、「胸ないけど、我慢しろよ!」と宣言して脱衣所へ掛けこんだ。どうやら無事にバニー服をゲットしてきたらしい。彼が知り合いのバニーなどマミムメリー嬢たちしかいない。彼女のうちの誰かが面白がって貸した(あるいは譲った)のだろう。 何やらごそごそと物音がし、しばらく待った後、再び脱衣所の扉が開いた。 「……違和感なく似合うな」 「俺もちょっとビックリした」 ぴょこん、と頭の上で跳ねるウサギの耳。確かに先ほど彼が言ったとおり、胸はつるぺただったが、ミニスカートからすらり、と伸びる足と細い腰。 エイトは今の今まで自分が着ていた赤と緑色の派手な衣装を両腕に抱え持ち、ベッドの上で本を読んでいたククールへ攻め寄った。 「俺ちゃんと着たよ? だからさ、ククールも」 ね? と首を傾げると、頭の上の耳も可愛らしく揺れる。 その姿を見て、エイトが男であるとか、普段はあれほど小憎らしい口を聞くとか、必要以上の脳を持ち合わせないバカであるとか、今まさにその服を着ろと迫っているとか、そういった現実がククールの前から一瞬にして飛び去ってしまいそうになる。それを細い理性で何とか繋ぎとめて言った。 「だから、人の言葉はちゃんと聞いとけって。オレは『バニーになってオレをその気にさせてみろ』って言ったんだよ」 「着てみる気にならないの?」 エイトは(おそらく計算して)首を逆の方向へ傾け、上目遣いでククールを見た。 …………なりそうになる。なるけれど、それを顔に出してはいけない。ここで少しでも頬を緩めてしまえばこちらの負けだ。ぐ、と顔面の筋肉に力を入れて、更に言葉を重ねる。 「エイト、『その気』ってのがたぶん、お前とオレで別のこと考えてる」 「……これを着てみる気、じゃねぇってこと?」 そう言って、エイトは「あ」と声を上げた。どうやらようやくククールが言いたいことに気づいたらしい。彼の顔を見つめて、ククールはにやりと笑った。 そもそも、あのモリーの服を平然と着るエイトが、女装くらいでへこたれるなど考えていない。さすがにバニースーツは躊躇するだろうが、そんなものはククールだって見たくない。万が一のことを考えると怖くてその条件は提示できなかった。そうすると後はある程度際どい格好の女装、ということだが、エイトならそれくらいやってのける。そんなことぐらい、ククールが分かっていないはずなかった。 「オレをその気にさせてみせろよ、エイト」 その気、がどういう意味なのかをようやく理解したエイトは、ただただ顔を赤らめてククールを睨みつけるしかなかった。 ブラウザバックでお戻りください。 2006.07.30
バニー姿のエイトというリクエストを頂いたので。 さすがにバニー服で誘うのは恥ずかしいらしい。 |