さようならとまた明日


 ふ、と意識が浮上し目を開けると、目の前には薄汚れた天井が広がっていた。見覚えがないのは当たり前、ここのところ見覚えがある場所で目覚めることの方が少ない。窓から入り込む日差しからまだ昼を過ぎたあたりだと知る。
 半分寝ぼけた頭でどうしてこんなに早い時間帯に宿にいるのかしばし悩み、そういえば、とようやく思い出す。
 思いのほか早く目的地にたどり着いてしまい、そのまま素通りしても良かったのだがそうすると今夜の寝床を確保することが困難となると予想された。三分ほどの話し合いの結果、今日は半休ということで、早めに宿をとることにしたのだ。仲間たちはそれぞれ不意に得た休みを思い思いに過ごしているだろう。どうやら自分は荷物を置くために部屋へ戻り、そのまま眠ってしまったらしい。

 小一時間ってところか。

 自分が転寝をした時間をざっと計算し、ゆっくりと上体を起こす。腹の上のシーツは同室の彼がかけてくれたのだろう。

 ……エイト、どこだ。

 がしがしと頭をかいて室内を見回す。人がいる気配はなく、どうやら彼は出かけているようだった。
 さてどうするかな、としばし悩む。部屋で読書でもいいがこの状態だと確実にまた眠ってしまうだろう。これから眠ってしまっては夜眠れなくなる。別に夜の過ごし方などいくらでも思いつくが、そうすると明日の朝が辛くなる。
 とりあえず町の中でも歩いてみるか、とサイドテーブルの上に放置していた上着を取り上げた。

 部屋を出て下の階へ降りると、受付前の談話スペースに見慣れた仲間の姿があった。彼女はこちらを見ると「あら」と笑みを浮かべる。

「昼寝でもしてたの?」

 面倒くさくてそのまま流していた髪の毛をさしてそう尋ねてくる。それに「少しな」と答えながら、ポケットの中に無造作に突っ込んでいたリボンを取り出した。

「ねぇ、そういえばエイト、知らない?」

 器用に銀髪をまとめてリボンで縛っているククールへ、ゼシカは首を傾げてそう言う。どうやら彼女は我らがリーダを探しているらしい。

「いいや、オレが起きたらもういなかったけど」
「何処に行ったのかしら」
「教会とか酒場とか、情報収集にでも出かけてるんじゃないのか?」

 ククールの言葉に軽く頷きながら、ゼシカは頬に手を当てた。

「どうかしたのか?」
「うん、錬金でねちょっと作ってみたいものがあって。材料が足りないから買っても良いか、一応エイトに聞いておきたかったの」
「良いんじゃね? 今まであいつがゼシカのアイテム管理に口出してはないだろ」
「そうなんだけど、これは実験っていうか、興味本位みたいなものだから」

 上薬草や特薬草といった役に立つアイテムのためならおそらくエイトの許可を得ておこう、とは思わなかっただろう。武器防具、あるいは装飾品でも作りたいのかもしれない。

「別にエイトは怒らないと思うぜ? ついでにオレとゼシカと、二人がかりで説得すればすぐに納得すると思う」

 魔術師と僧侶という立場からか、二人はエイトから「頭脳労働組」とくくられることが多かった。実際かしこさの高い二人である。そんな彼らに双方から説明され、必要以上の脳みそを持っていない(下手をしたら必要な脳すら持っていないかもしれない)エイトが頷かないはずがない。
 ククールの言葉に「それもそうね」とゼシカが笑った。

「なんなら買ってこようか? ちょうど出かけようと思ってたし」
「あらホント? ありがと。助かるわ」
「エイト見かけたら一応話もしておくよ」
「お願いね」

 そういってゼシカから受け取ったメモを片手に、ククールは宿屋を後にした。


 一行が立ち寄ったその町は規模的にはそれほど大きなものではない。しかし一応「町」と呼ばれているだけあってそれなりに活気付いているところだった。
 宿屋を出てすぐ目の前の道を西へと進む。しばらく行くと道具屋や武器防具屋、雑貨屋などが立ち並ぶ商店街へとたどり着いた。とりあえず先にゼシカの買い物を済ませてしまおう、と防具屋へ足を運ぶ。これが鋼の鎧や鉄の兜といった重たいものなら後回しにしただろうが、ヘアバンドだったものだから持ち運びは苦にならないだろうと判断したのである。

 紙袋に入れられたそれを片手に、ククールはゆっくりと商店街を通り抜ける。道行く女性に振り返られるのは慣れているため、彼女たちの視線を特に気にすることなく、好みだった場合だけ笑顔をサービスしておいた。いつもならここでナンパに走っているのだろうが、どういうわけかそういう気分になれない。今日は女性たちとの駆け引きよりも、ゆっくりとした休養が欲しかった。
 ならば宿で大人しくしていた方がいいのだろうが。

 エイトがいないってのがな。

 なんとなく落ち着かない原因に行き当たってククールは軽くため息をついた。宿で二人部屋を取った場合、高確率で彼と相部屋になる。そもそもククールは一人が好きだった。自分から行動を起こしているとはいえ、外にいると大抵誰かしらと行動を共にする。だから可能なときはできるだけ一人でゆっくりとしたい。
 しかし、エイトと部屋を共にする生活が長いためだろうか、何故か彼の姿が見えないと違和感を覚える。普段は騒がしい彼だが、宿の部屋でククールの静寂を邪魔するような人間ではない。居心地がいい、端的に言えばそういう相手だった。
 そしてそれ以上に、彼が目の届かない位置にいるということが非常に辛い。

 重症だよなぁ。

 考えて、もう一度ため息。
 分かっている、彼だって子供ではないのだ。そもそもこの旅に出る前はトロデーンで兵士をしていたという。一人で生きていた人間なのだ。放っておいたところでどうにかなるわけでもない。
 それは分かっているのだが。

 とりあえず探すだけ探してみるか。

 前職の性だろか、そう思ってまず向かう先は教会だった。小さな頃から教え込まれてきたことはなかなか馬鹿にできない。口ではどう言おうと、町へたどり着くと教会へ向かってしまうククールを仲間たちは決してからかったりしなかった。それが当たり前だと、彼らもそう思っているのだ。エイトなどは「他の誰が祈るよりククールが祈ったほうがご利益ありそう」と笑って言う。
 商店街から少し外れた通りにあった教会はくたびれた印象を受ける建物だったが、近寄ってみるとよく手入れのされたものだった。おそらくこの教会は牧師に、町の人々に愛されている。
 開放されている扉をくぐって礼拝室へ足を踏み入れた。高い位置にある窓から太陽の光りが存分に入り込み、教会の中はとても明るく輝いている。
 片手の荷物を椅子の上へ置き、膝をついて祈りを捧げた。形式だけとはいえ、教会へ来たのならしておかないと落ち着かないのである。

「旅の方ですか?」

 声に振り返ると、深い皺の刻まれた顔をにっこりと崩した老牧師がそこにいた。首から下がる十字架はシンプルだったが丁寧に扱われていることが分かる。
 そんな牧師と少しだけ会話をし、この周辺の魔物や、不思議な事件について尋ねた。「あなた方の旅に神のご加護がありますように」と祈られたところで、教会の裏手から甲高い笑い声が響いてきた。それも一つではない。何人かの子供たちの声。

「裏に広場があるんですよ。町の子供たちの遊び場です」

 そう言って笑う牧師は本当に嬉しそうで、静かな場所であるべきの教会に響く子供たちの声を好いているようだった。

「そういえば、あなたと同じように旅をしていると言っていた少年が今子供たちと遊んでいますよ」

 大きな黒い目が印象的の少年でした、という牧師の言葉を聞き、ククールは見つけた、と笑みを浮かべる。その表情をどう受け取ったのか、「そこの扉から出て左へ向かえば広場へいけます」と教えてくれた。彼に軽く礼を言って、ククールは扉へと足を向ける。


 少し湿った草を踏んで裏庭を覗くと、そこでは七、八歳くらいの子供たちに混ざって、エイトがなにやら奇妙なポーズを取っているところだった。

「違うって、右手はこう!」
「だから、こうだろ?」
「エイトにーちゃん、指が違う」

 子供たちに色々と指摘され、エイトは「難しすぎる!」と癇癪を起こす。ちょうど叫んだ瞬間目が合い、ククールはため息と共に「何やってんだ」と尋ねた。

「今流行ってんだってさ。えと、なんだっけ?」
「超竜戦隊ドラゴンファイブッ!」
「紙芝居のおじさんが、話してくれるの」

 エイトの問いかけに子供たちの中で一番体格のよい少年が答え、大人しそうな顔立ちの少女が補足する。

「ピンチのときに助けに来てくれるんだぜ!」
 おれ、ドラゴンレッドな!

 そう言ってポーズを決める少年の側で、痩せた少年が「ぼくはドラゴンブルーで」と別のポーズを取った。「オレはグリーン」とメガネの少年が言うと、唯一の女の子である少女が「わたしはピンク」と呟く。

「んで、俺がイエロー」

 そう言ってポーズを取ったエイトへ「だからにーちゃん、ポーズが違うんだってば」とレッドが文句を言った。

「あー、もう! いいじゃん、ポーズくらい! それよりほら、敵だぞ、敵っ! 不良僧侶のククールが現れたぞ!」

 突然エイトに指差され、軽く驚いて彼の方を見る。

「え? この兄ちゃん、敵なの?」
「そう、敵! 悪い奴! すっげー悪いことばっかりするの! ほら、リーダはレッドなんだろ! 早くしないとやられちゃうぞ」

 ちょっと待て、オレを巻き込むな、そう言いたかったが遅かった。きらん、とまるで新しいおもちゃを見つけたかのように輝いた目を向ける子供たち。その中に混ざっても違和感のないエイト。
 レッドの「かかれー!」という言葉を合図に、子供たちが一斉にククールへ向かって突進してきた。

「うわ、ちょ、ちょっと待てって、いて、いてて、髪引っ張るな!」

 いくら非力な子供とはいえ、四人がかりで来られてはたまったものではない。

「つか、エイト! なんでお前まで参加してんだっ!」

 その子供たちに混ざって、非常に楽しそうにエイトもククールへ突進してくるものだから、思わず彼に向けて本気で蹴りを繰り出してしまった。「ぐえっ」と間の抜けた声を上げて蹲ったエイトを見て、ブルーが「イエローのかたき!」とククールの脛を殴る。

「……っ!」

 ピンポイントなその攻撃に思わず蹲ると、上からレッド、ブルー、グリーン、ピンクの順番で子供たちが降ってきた。

「……エイト、この上に乗ったら殺すからな」

 苦しげな息の下、子供たちに押しつぶされるククールを見て、何故か羨ましそうにしているエイトへそう言い放った。

「参った参った、降参だ。ドラゴンファイブには負けたよ」

 両手を挙げてククールがそう言うと、「もう悪いことしない?」とピンクが尋ねてくる。

「しないしない、誓うよ」

 それなら、とぴょこん、とピンクが飛び降り、順番にグリーン、ブルー、レッド役の子供たちもククールを解放する。ようやく起き上がれたククールは草の上に胡坐をかいて座ると、もう一度子供たちへ「参りました」と言った。

「ドラゴンファイブには敵わないな。もう悪いことはしないから、これで許してくれ」

 そう言ってポケットから大きな飴玉を四つ、取り出す。どうしてこんなものを持ち歩いているのかといえば、そこはそれ、彼なりの事情があるのだ。
 思いがけないプレゼントに子供たちは大喜びで、にこにこと笑顔のまま飴玉を頬張った。
 小さな正義の味方たちと改心した悪者がその交流を深めていたところで、ふと、教会のほうからいくつかの足音が聞こえてきた。それを耳にした子供たちは一斉に空を見上げる。
 吊られるようにしてククールも空を仰ぐと、いつの間にか青空は夕焼け色に染められていた。

「もうご飯よ、帰りましょう」

 そう言って現れた女性たちは子供たちの母親だろう。牧師に話を聞いていたのか、ククールとエイトを見ても眉をひそめず、「子供たちがお世話になりました」と笑顔で頭を下げてくる。
 「じゃあね、バイバイ!」「また明日な!」「また遊んでね!」それぞれの別れの言葉を二人へ向けて、子供たちは母親に手を引かれて帰っていった。
 そんな彼らへ手を振り替えしていたエイトは、子供たちの姿が見えなくなると同時に笑顔を引っ込め、「俺の飴玉は?」とククールを見上げる。どうやらドラゴンイエロー、一人だけ飴が無かったことが甚く不服らしい。

「……帰りに買ってやるから我慢しろ」

 何を言っても無駄であるような気がして、とりあえずククールはため息とともにそう言っておいた。


 遊び相手もいなくなったので、二人も広場を後にする。教会へ戻り牧師へ挨拶をし、そのままゆっくりと商店街の方へ向かって歩き始めた。

「お前ってさ、子供、好きなの?」

 雑貨屋にて前言通り飴をいくつか買ってやりながらククールがそう問うと、エイトは「うーん」と首を傾げた。
 実はエイトが子供の遊び相手をしている姿を見るのは、今回が初めてではなかった。別の町や村で子供と遊んでいる場に何度も出くわしているし、彼自身「トロデーンでもよく子供と遊んでた」と話していたことを覚えている。

「子供が好き、っていうかさ」

 棒に付いた渦巻きキャンディを手に満足そうなエイトが、考えながら言葉を口にする。

「俺さ、記憶、ないじゃん」

 それは仲間になってしばらくして聞いた話である。うん、と頷いて先を促した。

「八歳くらいかな、年も分からなかったから適当なんだけどさ、それ以前が真っ白。
 ……昔はさ、皆そうなんだと思ってたんだ」

 人間はある程度の年齢に達したらそれ以前の記憶を失うものである、エイトはそう思っていたらしい。
 それも仕方がないだろう、人間とは所詮自分を中心にしか物事を捉えられない存在である。自分が見ている世界が他人と全く同じである保証など、どこにもない。しかもそのことになかなか気づけないのだ。

「だから子供ってのはそのうち記憶が消えちゃうんだ、って今でもたまに勘違いする。忘れちゃうんなら、覚えていられる『今』を精一杯楽しんでもらいたいなって」

 いつだっただろうか、普通はおぼろげでも過去のことを覚えているものだ、と知ったのは。
 しかし正しい知識を得たところで、エイトの印象は変わらなかった。如何せん、自分自身が子供の頃のことを覚えていないのだ。覚えていられる状態というのが想像も付かない。

「だから子供と遊んでやるって?」
「うん、まあそれ以前に、俺が楽しいってのもあるんだけどさ」

 カリッと飴に噛み付いて、エイトは笑った。
 どこか影のある笑みを浮かべたまま、彼は言う。

「俺は『また明日』なんて、怖くて言えなかったから」

 また明日、会うことを前提とした別れ。
 また明日、たとえ会うことができたとしても、自分がその相手を覚えていられる自信がエイトにはなかった。
 明日になればまた記憶が全てなくなってしまうという可能性を、エイトは否定することができなかった。
 だから幼い頃、訪ねてきたミーティア姫へ「また明日」と言われても、エイトは決して答えることができなかった。
 明日という日に彼女を彼女だと認識することができる保証はどこにも、ない。

「羨ましいんだと思うよ、『また明日』って分かれることができる子供が」

 そんな子供たちを見たいがために、遊び相手をしているのかもしれない。
 そう言うエイトへ、ククールはふぅん、と気のないような返事しかできなかった。

「……今でも怖い?」

 その問いにエイトは苦笑を浮かべて、「治らないんだよ」と答える。
 愚問だったな、とククールは心の中で舌打ちをした。治るはずがない、治るとすればエイトが記憶を取り戻したそのときだろう。
 少しだけ考えて、ククールは口を開く。

「別にいいんじゃねぇの、どうせオレたちには関係ないことだし」

 何がどう関係ないのか分からず、彼の言葉にエイトは小さく首を傾げた。

「だってほら、オレら『また明日』って分かれる必要もないくらい一緒にいるじゃん」
 それこそベッドの中まで。

 なんなら今日も一緒に寝ようか? と続けられた提案を、エイトは丁重に断っておいた。




ブラウザバックでお戻りください。
2006.08.31
















ククールがエイトを探すのは、目の届かないところにいると何をしでかすか分からないためです。