懐かしい記憶 発端は、宿屋の受付のミスだった。部屋の掃除がまだ済んでいないだとかで、とりあえず部屋を取るだけ取ったエイトたちは、荷物を入り口の談話スペースに置かせてもらい、そのまま買い物にでかけてしまった。戻ってくると取っていたはずの部屋はいつのまにか別の客へと渡っており、どうやらエイトたちが先に話をつけていたということを知らなかった女将が彼らより後に来た一家へ提供してしまったらしい。ツインが二部屋。小さな子供連れの家族で、いまさら彼らに出て行けとは言いづらい。 「まあぶっちゃけ俺ら、野宿でも生きていけるし」 先に代金を払っていたわけでもない。ここはこちらが折れれば話が丸く収まる。そう思い、エイトが野宿を決断しようとしたところで、宿屋の主人が口を出してきた。 曰く、彼らは宿屋とは別に住宅の賃貸も行っているという。そのうちの一つに丁度空きがあり、ついこの間出て行ったばかりだから普通に泊まることもできる、と。 「当方の手違いでご迷惑をおかけするんです。お代はここのツイン一部屋分で構いませんよ」 食事はもともとどの宿でも提供されず、外へ食べに行くのが普通だから屋根と布団さえあればエイトたちに文句はない。聞けば台所も風呂もあるといい、それらも好きに使っていいという。 「じゃあそこに決まり!」 リーダの言葉に逆らう人間はおらず、結局その一軒家をその日の宿として借りることとなった。 「あら、結構可愛いお家じゃない!」 主人に案内されて着いた家は、思わずゼシカがそう言ってしまうほど可愛らしい家だった。リビングとつながった台所が一間、隣に寝室が一間。 ベッドは寝室に二つ。あふれた二人は宿屋から運んだマットレスと掛け布団だが、土の上に寝袋より数段マシである。 「いいなぁ、私も結婚して誰かと暮らすならこういう家がいいわ」 「こんなに狭くていいの?」 山奥の村とはいえ、ゼシカは歴史ある家のお嬢さまだ。その実家もかなり広かった。 「広ければ良いってものじゃないの。エイトはお城に二人で住みたいと思う?」 その問いにエイトは首を振って答える。城はエイトにとって馴染みのある建物だが、さすがに二人きりで住むには広すぎる。なるほど、二人で、しかも新婚ならばこれくらいの広さが丁度いいのかもしれない。 「なんならゼシカ、ここで夫婦ごっこでもするか?」 相手役なら喜んで引き受けるけど? そう言ってくすり、と笑うククールへ、ゼシカは「遠慮させていただきます!」と舌を出した。 「何よ、子供っぽいって馬鹿にしてるんでしょ」 「そんなことないぜ? 可愛い家に好きな奴と暮らすってのは女の子なら誰でも夢見ることさ。なあ、ヤンガス?」 「なんでアッシに振るでげすか」 突然矛先を向けられ、ヤンガスは眉を寄せて呟く。 「なんでって、なぁ?」 「ああ、なるほど、うん、そうね。そうかもしれないわね」 ゼシカはククールの言いたいことが分かったらしく、くすくすと笑いながら頷いた。 「確かに、あの人の家、可愛らしかったわね」 やっぱり一緒に暮らしたいのかしら。 二人の会話がまったく見えないエイトとヤンガスは、互いに顔を見合わせて肩を竦めるしかなかった。 ばたばたと荷物の整理をして、そのままヤンガスを伴ってゼシカが買出しへと出かける。町にたどり着いたのが早い時間だったこともあり、町の中まで入れないトロデ王とミーティア姫の世話を一通り終えたエイトは、リビングにおいてあったソファに座ってうつらうつらと船をこいでいた。 夢と現を行ったり来たりしていると、不意にトントントン、という軽やかな音が耳に届く。 重たいまぶたをこじ開けて音の方へ目を向けると、そこには見慣れた仲間の後姿があった。 「ククール?」 まだ夢の中にいるような気がして、呟いた声はどこか掠れている。そんな小さな音に気づいた彼は、くるり、と振り返って「起きたか、昼寝小僧」と笑った。 横になっていたソファから体を起こし、うん、と背伸び。血が体全体に行き渡った感覚を味わった後、もう一度ククールのほうへと目を向けた。彼は既にこちらを向いておらず、再び背を向けてなにやら作業をしている模様。 「ゼシカたちは?」 「一回帰ってきたけど、また買い物に出かけたよ。面白いもの見つけたんだって」 振り返ることなく返された言葉にエイトは「ふぅん」と興味なさそうに相槌を打つ。そしてくてん、と首を傾げると「お前は何してんの?」と尋ねた。 「見て分からない?」 「分からない」 やはりこちらを見ることなく返された問いに即答すると、くすくすと笑いながらようやくククールが振り返った。 「ゼシカに夕食の支度を押し付けられたの」 いつもの騎士団服ではなく、ラフな部屋着の上にシンプルな白いエプロンをつけ、左手には包丁。そして彼の背後は台所だ。分かった? といまだ首を傾けたままだったエイトに向かって、同じ方向に首を傾げてククールは尋ねる。それに対し、エイトは逆方向へくてん、と首を傾けただけだった。 「お前、寝ぼけてるだろ」 小さく笑いながら再び作業へと戻っていったククールの後姿を見て、エイトは「んー」と伸びた返事をする。そう、なのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。エイトは自分のことを聞かれるのが一番苦手だ。自分がそうなのか、そうでないのか、本人であるエイト自身よく分からないからだ。それが寝ぼけているか否か、というような問いならまだ良いが、今嬉しいか否かといった問いですらはっきり答えられないのだ。 だが今は自分が寝ぼけているかどうかではなく、もっと別の感情が問題だった。もう一度「うーん」と小さくうなり声を上げたエイトへ、「どうかしたか?」とやはりこちらを見ずにククールが答える。 「いや、なんかさ、こう……」 「こう?」 何だろうか。自分は何を言うつもりだったのだろうか。言葉に詰まってしまったエイトをせかすことなく、ククールはゆっくりと作業を続けながら先を待つ。 やがてぽつりぽつり、とエイトが話し始めた。 「懐かしい、のかな。よく、分かんないけど」 「懐かしい?」 「ほら、俺、記憶ないじゃん」 「うん」 「だからさ、覚えてるはずないんだ。トロデーンにいた頃の食事はずっと城の食堂だったから、こんな風に誰かが台所に立ってる姿なんて見たことないはずなのに」 「うん」 ……何でかな、懐かしいんだよ。 まるで懺悔のように呟かれた言葉に、ククールはただ「うん」と返事をする。 「たぶん、本で読むかなにかしたんだろうな。そういう光景があるって。で、それを懐かしがる描写でもあったのを覚えてたのかな」 エイトは感情の表現があまりうまくない。普段は喜怒哀楽が激しく感情的であるように見えるが、たまにどうしたら良いのか分からなくなることがあるという。そういうときには彼が持つ知識を使ってその状況に一番相応しいだろう感情を持つよう心がけているのだ、と。 仲の良い人間が遠くへ行くことは寂しいこと。世話をしてくれていた人間が死ぬことは悲しいこと。知っている人間が結婚するのは嬉しいこと。どこかで得た知識そのままの感情をエイトは持つようにしているらしい。だからおそらく今自分が持つ「懐かしい」という感情も、そういった流れで出てきた感情なのだろう、とエイト自身が客観的にそう判断を下した。 エイトが自分で出した結論に納得しているところへ、「でもさ」と今まで相槌しか打ってこなかったククールが言葉を挟む。 「いくら記憶がないとはいえ、トロデーンに引き取られるまではどこかでちゃんと暮らしてたんだろ?」 「いや、俺に聞くなよ。記憶ないのに」 「でもどこかで生まれてどこかで暮らしてないと、こうして今エイトはここにいないわけだし?」 「ああ、そりゃ、まあそうだけど」 エイトの返事に、「だったらさ」とククールが言った。 「どこかでちゃんと暮らしてたその間に、母親が台所に立つ後ろ姿を見てたんじゃね?」 だから懐かしく感じるんだよ。 端的にそう言うククールへ、エイトは「えー?」と疑わしそうな声を上げる。 「だって俺記憶ないよ?」 記憶どころか、それ以上の人としての基本的なものさえ忘れてしまっていたのに。そんな小さな一場面だけ覚えているなどということがあるはずがない。 そう反論するエイトへ「うん、でもさ」とククールは笑った。 「そう考えた方がなんか良いだろ?」 すべてを忘れていたわけじゃなかった。日常の、ほんの些細な部分だけれど、覚えていることがあった。たとえ本当に覚えているわけではなくても、そう考えた方がなんとなく得をした気分になれる。 「……ずいぶんポジティブだな」 「エイトがネガティブすぎるんだよ」 やはりククールは笑ったまま、そう返してきた。 「……そうなのかな」 「そうなんだよ」 その「そう」が何を指しているのかいまいち分からなかったが、エイトは「そっか、そうなのか」と呟いてふわり、と笑みを浮かべた。 そうなのだ、と彼が言うのだからそうなのだろう。彼は聡い。普段は女好きでたらしの不良僧侶だが、魔法に長ける者として、頭脳の性能は良い。そんな彼がそうだというから、そうなんだろう。 「……おい、エイト、くっつくな。刃物持ってる」 いつの間にかソファから立ち上がって台所まで来ていたエイトが何を思ったのか、べったり後ろから抱き着いてくる。それはそれで可愛らしい行動なのだが、如何せん今は料理中だ。引き離そうと腰に回された腕を叩くものの、彼は中々離しそうもなかった。 「しかしお前、違和感なくエプロン、似合うな」 抱きつきながら白いエプロンをひらひらと弄る。 「そりゃ色男ですから。何着ても似合うようにできてんだよ」 そう軽口を返すククールに、エイトは「自分で言うか、普通」と呆れたように呟いた。そんなエイトへ笑いながら、「それよりさ」とククールは呼びかける。 「せっかくエプロン着て台所に立つ人間に擦り寄ってんだ。もっとそれらしいことしてみたら?」 それらしいこと、というのは何のことだろうか。 考えてはた、と思いつく。台所、白いエプロン、料理中、美人の新妻。残念ながら抱きついている人間は新しくもないし妻でもないが、美人ではある。顔だけこちらを振り返ってくつり、と笑って見せるククールに誘われるように、ゆっくりとその口へ自分の唇を寄せようとしたところで、ばたん、と大きな音をさせて入り口の扉が開いた。 驚いて二人同時にそちらを見やると、そこにはやはり目の前の光景に驚いているゼシカとヤンガスがいた。それは驚きもするだろう。帰ったらエプロン姿のククールにエイトが抱きつき、今まさにキスをしようとしていたのだから。 さて、何て言い訳をしようか、と割と冷静にエイトが考えたところで、ゼシカの怒鳴り声が響いた。 「エイトッ! おかあさんの邪魔をしちゃ駄目でしょっ!」 あとでエイトは、殴られた頭を撫でながら「可愛い奥さんの邪魔をする夫のつもりだったんだけどな」と口を尖らせたという。 ブラウザバックでお戻りください。 2007.08.25
残念ながら母親に構って欲しがる子供にしか見えなかったとのこと。 |