泣き声が聞こえる。 幼い子供の、泣き声。 わあわあと、聞いているこちらが心配になってくるほどの勢いで泣いている子供。 母を呼ぶでも父を呼ぶでもなく。 あれが欲しいこうしたいと駄々をこねるでもなく。 ただただ子供は泣き続けている。 もしかしたらその子供は言葉を知らないのかもしれない。 今の自分が置かれている状況を正しく言葉に出来ず、だからこそ泣いているのかもしれない。 恐怖、不安。 青々とした草原の真ん中に、 ぽつりと置き去りにされた子供がただひたすら泣いている。 そんな夢を、見た。 ふ、と意識が浮上した。 ぼんやりする頭でどうやら自分が転寝をしていたことを自覚する。何故ここで眠っていたのかは分からないが、近くに仲間の気配はない。はぐれてしまったのか、別行動を取っていたのか。何にしろ、仲間を探した方がいいだろう。頭上を覆う木々がさえぎっているため日差しが届かず、時間が分からない。 とりあえず一旦戻ろう。 そう思い、まだどこかぼうとした頭のまま立ち上がる。 しかし何故だろうか。 そのままその場を立ち去れば良かったのだが何故だか。 彼は足を進めることなく、不意に自分が背を預けていた大木の後ろを覗き込んだ。何か考えがあったわけではない。物音がしたわけでもない。第六感に響くものがあったわけでもない。 本当に何故だか。 ひょい、と覗き込んでしまった。 今まで大木の幹が邪魔をして彼の目には届かなかったその光景に、まだ自分が夢の中にいるのではないか、とそう思った。 そこにあったものは一面の草原。 つい先ほどまで見ていたはずの夢とまったく同じ光景。 空と大地以外には何もない。 夢の中の子供はもしかしたらこの草原のどこかで泣いているのではないだろうか。 いや、もしかしたら自分がその子供なのかもしれない。 わあわあと子供が泣いている。 ここがどこだか分からない。 どうしてここにいるのかが分からない。 言葉が分からない。 自分が誰かも分からない。 空も大地も何も語らない。 何も教えてくれない。 分からないのに。 何も分からないのに。 空も大地もただそこにあるだけで。 苦しいのか悲しいのか怖いのか。 それすらももう分からない。 あなたの牢獄 午前中の行程は思いのほかきついものだった。魔物たちが手ごわくなってきているのは事実だが、倒せないほど力に差があるわけではない。タイミングが悪かったのだと思う。多少苦戦するが倒せないほどではない魔物の群れに連続で、休む間もなく出会ってしまった。 長く旅をしていればこういう日もあるだろう。 苦笑してそう言ったパーティリーダは今日の昼休憩を少し長めに取ることを提案した。幸い目標とする町はそう遠くない。ゆっくり出発しても十分にたどり着けるだろう距離だ。彼の言葉に反対するものはおらず、食事を取った後はそれぞれゆっくりと体を休めよう、ということになった。 「一時間、って時間決めたの自分だろうに」 がさり、と木々をかきわけて進みながらククールはそう愚痴る。 一時間後に食事を取ったこの広場に。 そう言ったのは今彼が探している相手、パーティリーダのエイトだ。一時間してそれぞれに気晴らしを終え戻ってみると、一人だけ姿を現さないものがいた。どこかで寝過ごしているんじゃないかしら、というのが紅一点ゼシカの意見で、残りメンバも概ねそれに賛成だった。 とりあえずトロデ王親子とゼシカをその場に残し、ヤンガスと別々にエイトを探しに出かけることにする。彼のことだ、そう遠くまで出かけているわけではないだろう。 考えながら広場を取り巻く雑木林を進んでいると、不意に目の前が開けた。突然現れた光景にククールは言葉を失う。 どこまでも、それこそ終わりなどないのではなかと思うほど広がった平原。遥か彼方の地平線で空の青と草原の緑が緩やかに混ざり合っている。母なる大地に父なる空、人を喜ばせるためでも人を生かすためでもなく、ただただあるがままにそうあるだけのこの光景。 綺麗だ、と素直にそう思える景色に見とれていたククールの耳に、小さな悲鳴が届いた。悲鳴、というほどきちんとした音にも声にもなっていなかったが、それは確かに、何かに恐怖した声で。 「……エイト?」 何故彼だと思ったのかは分からない。それでも名を呼んで気配を探ると、ほんの少し離れた大木の側で佇むエイトの姿を発見した。 ようやく見つけた、と彼の方へ足を進め、ふと様子がおかしいことに気が付く。 「エイト?」 近づいて名前を呼んでみるが、彼の視線がこちらを向くことはない。目を大きく見開き、蒼白な顔色のままただじっと草原を見やっている。握り締められた拳が微かに震えていることにククールが気付くと同時に、「ひ、」と息を呑む音が聞こえた。 「っ、おい、エイトッ!?」 その顔面に張り付いた感情は恐怖。慌てて名を呼ぶククールの目の前で、ぱたり、とエイトの目から涙が落ちた。止まることなく溢れる涙、引きつった口からは「あ、あ、」と声にならない叫びが漏れている。 「エイト! どうしたんだよ、おい!」 腕を引いて呼びかけるが、彼はやはりこちらを見ない。その視線はただそこにあるだけの空と大地へ向けられている。 エイトが空を苦手としていることをククールは知っている。それなのに何故こんな光景を直視してしまったのか。 疑問には思うが、それを問い詰めている場合ではない。 一歩もその場から動こうとしないエイトの前に立ち、その小さな体をかき抱いた。彼を支配する光景から目を塞ぐように。零れる涙がじんわりと服を濡らすが、それを無視して頭を胸に押し付ける。しゃくりあげるように泣き続ける彼をあやすように、ゆっくりと頭を撫で背中を撫で、優しく名前を呼ぶ。大丈夫だから、とそう声をかけ続けてどれくらいたった頃だろうか。 徐々に体の緊張が解けてきたことに気付き、ククールは「エイト」と彼を呼んだ。 「エイト、オレが誰か分かる?」 涙で塗れた頬に触れ、顎を捉えて視線を合わせると、ようやく返答があった。頷いて名前を呼ばれ、ククールはふわり、と笑みを浮かべる。 その笑顔に、収まりかけていた涙が再びエイトの目から溢れ始めた。 「ク、クール、ククール……」 「うん、大丈夫、オレはここにいるから」 華奢ではあるがエイトよりも広いその胸に縋りつく。大丈夫、と繰り返すその声と手に、エイトの頭はようやく現状を認識できるほど回復し始めていた。 「ゆ、ゆめ、を見たんだ」 エイトが怖がる光景から遠ざかるため、少しだけ雑木林の中へと移動する。草原と空がまったく見えない位置であることを確認して、ククールは腰を下ろした。そして、彼らをとりまくすべての世界からエイトを隔離するかのように小さな体を抱きしめる。 「子供が泣いてる、夢。何もない、場所。空、とか、広くて、でも、何もなくてその中で」 ただひたすら子供が、自分が泣いている夢。 夢であるはずのその景色が、目覚めてもなお広がっていたものだから。 「こ、こわい? 俺……怖いの? 俺は、……おれ、は……なに?」 自分が恐れているのかさえも分からなくなって。 自分が何かも分からなくなって。 「分かん、ない……分からない、わから……っ」 分からないことを自覚した瞬間、頭の中が真っ白になった。 指先が白くなるほどしがみつき、震えるエイトの背中をそっと撫でる。言葉にしてその恐怖が蘇ってきたのかもしれない。再び止まらなくなった涙を拭ってやりながら、「エイト」と名前を呼んだ。 おそらくエイトも気付いているだろう、その光景こそ彼が一番初めに見たものであると。記憶のない彼がどこでどのように生まれたのかは分からない。しかし今のエイトを形成する原始風景がそれなのだ。 どこまでも広く、深く、残酷なまでに無口な空と大地。 彼を捕らえる牢獄は広大で強大。 何せ相手は世界なのだ。 それはすでに呪いといっても過言ではない。 何て悲しい存在なのだろう、と震える彼を見下ろして思う。 本来なら見守るだけのものに、魂から呪われている。 その呪縛から解放されることはもしかしたらできないのかもしれない。 つまり、彼はこうして怯え続けなければならないということ。 その命を天へ返すそのときまで。 「……いいじゃん、見なくて」 ふわりと笑んで、ぎゅうと抱きしめる。 その視界から世界のすべてを奪うかのように、きつく抱きしめる。 彼を捕らえる牢獄は広大で強大。 ならば、とククールは思う。 その牢獄ごと、彼を包み込んでしまえばいい。 「見なくていいよ、こんな世界」 お前を怖がらせるだけの世界なんか、その視界に留める必要もない。 涙で塗れた漆黒の瞳を真正面から見つめ、その中に自分だけが映りこんでいることに満足して笑みを浮かべる。 「お前はオレだけを見てて」 オレだけを感じて。 お前のすべてをオレだけで満たして。 囁いてゆっくりと唇を重ねた。 お前を捕らえてあげるから。 ブラウザバックでお戻りください。 2007.10.28
エイトは広い場所が苦手、という妄想で。 あまりにも強烈な恐怖を感じると、 しばし人はそのフラッシュバックに囚われるといいます。 |