同じように


 ゼシカに貰ったバレンタインチョコレートは、カラフルで可愛らしくて、とても美味しかった。だからちゃんとお返しをしよう、とそう思った。
 ない頭で懸命に考えた結果、選んだものは透明の瓶にみっしり詰まった金平糖。見た目が可愛くて、量の多さにインパクトがあって、何より一度では食べきれないというところが気に入った。疲れた時とかにちょっとずつどうぞ、と渡し、ついでに少し俺にも分けてくれると嬉しいと付け加えれば、エイトらしいと笑われた。その場で口を開けて二人して二、三個摘んで食べた金平糖は甘くて美味しかったが、それ以上にゼシカが本当に喜んでいることが分かったことのほうがエイトにとっては重要だった。

 パーティの紅一点である彼女は、律儀にもメンバの男へそれぞれ別のチョコレートを用意して渡してくれている。そのため三人ともが別々にお返しを用意した方がいいだろう、ということになり、ヤンガスはどこぞの村で人気だという、手作りクッキーを渡していた。家庭的な味わいのあるそれは老婆が一人で作って販売しており、数がさほど出回っていないらしい。朝一番に出向かないと手に入れ辛いものをヤンガスは照れながらゼシカに渡していた。
 ククールの方はといえば、ホワイトデーのプレゼントとしては変則的な紅茶の葉であった。意外に型に嵌った性格をしている彼にしては珍しいと思えば、他二人と被るのを避けたのだという。エイトが飴を選ぶのは目に見えているし、ヤンガスはクッキーを買うことを聞いていた。それならば、と甘いものに合う茶葉を選んだのだと言う。
 それぞれのプレゼントを抱えてゼシカは嬉しそうににっこりと笑っていた。

 バレンタインにチョコレートをくれた女の子に対してお返しをする日。それがホワイトデーであるなら、この時点でエイトのやらなければならないことは終了している。しかし、もう一つ。エイトの手の中に残ったプレゼント。
 これを選ぶのは本当に悩んだ。口に合うものの趣味ならばなんとなく把握はしている。甘いお菓子もそれほど抵抗なく食べているようなので、嫌いではないことも知っている。美味しいものもおしゃれなものも、エイトよりも彼の方が断然知識があるため、その点で張り合うことは始めから諦めている。だからそういう意味で渡すものに困る、ということはない。
 けれど。

 宿に取った部屋はいつもの通りツインが二部屋。部屋割もいつもの通りで、最近は部屋割りどうする、という話題さえ上らなくなった。ここまで旅が続けば、もう面倒くさくなってきても仕方がないだろう。
 夜空を眺めることのできる窓へきっちりとカーテンを引いて、ぽふ、とエイトはベッドへと倒れこんだ。サイドテーブルの上では祖父であるというネズミが丸くなって眠っている。呼吸をするたびに上下に動く小さな胴体を見て知らず目元を緩ませると、エイトとはふぅ、と息を吐きだした。
 横たわった腹の上には茶色い包み紙で包装された小箱。中はあまり甘くないチーズやバジルのクッキー。ワインに合う、と聞いたので選んだものだ。その場で試食もさせてもらって、味に問題がないことは確認済み。

 バレンタインデーにククールにチョコレートを貰った。確かに彼とは体の繋がりはあるが、だからといって世間一般でいう恋人という関係ではない。そもそも恋人などという存在がエイトにいるはずがない。そんな優しくて暖かい関係はエイト以外の人々の間に成り立つものだ、と思っている。
 だからどうしてククールからチョコレートを貰えたのか、エイトには分からないままだ。バレンタインは女の子が男へチョコレートを渡す日。友人関係、世話になっている人にも渡す場合があることは知っているため、ゼシカから貰ったことには疑問を抱かない。男からも送ることがある、と聞いてはいたが、それだって恋人である女性に贈るものだろう。そもそも義理チョコと呼ばれる部類に入るのなら、エイトにだけでなくゼシカやヤンガスにも渡していておかしくないはずだ。

「……どうすっかな、これ」

 薄い箱を放り投げようとして、中身を考えて思いとどまる。手に取って掲げてみるが、どんな風に渡すべきなのか、そもそも渡しても大丈夫なのかどうか、箱に答えが書いてある様子はない。
 プレゼントをもらったから返す。至極当然のことで、バレンタインデーに対するホワイトデーの意味合いから外れたものではない。お返しはそのときでいい、と言ったのはククールの方だ。だからお返し、と。ゼシカに渡したときと同じようにすればいい、ただそれだけのことなのに。

「……何で迷ってっかな、俺は」

 呟いた言葉を聞きつけ、トーポが顔を上げた。かしかし、と小さな両手で顔を擦った後、彼はエイトへと走り寄ってくる。ベッドに寝転がったままだったエイトの顔のすぐ横まで来たトーポは、小さな手でぽんぽん、とその頬を叩いた。がんばれ、とでも言っているのだろうか。
 こてん、と首を横へ向け、トーポを見ながら「やっぱ渡した方がいいよな」と尋ねる。そもそもククールへ渡すために買い求めたものなのだ、渡さないという選択肢が湧き起こること自体がおかしい、そう思う。
 首を何度も縦に振って肯定を示すトーポへ、「だよなぁ」と返してエイトは疲れたように両目を閉じた。
 実際に少し疲れていた。エイトは普段何かについてじっくりと考えることをしない。それが戦闘に関すること、敵に関すること、呪いに関することであるなら別だが、己を取り巻く環境について思い悩んだりはしない。なぜならエイトは自分には分からないことが多すぎる、と思い込んでいるからだ。だから考えない。考えても分からない、と諦めている。それなのに、今回ばかりは考えることが止まらなくて。
 もう一度はぁ、と深いため息をついたところで、がちゃり、と部屋の扉が開く音がした。思わずびくり、と震えた体を見咎めたのか、「悪い、起こしたか」と謝られる。

「ん、いや、寝てなかった」

 言いながら体を起こしたところでするり、と腹の上に乗せていた小箱が膝の上へと滑り落ちた。
 それに気づいているはずなのに見ないふりをしてくれる、そんなククールの優しさが今は少しばかり苛立たしい。気を回さずに「それ、何?」とでも聞いてくれれば、吹っ切れて渡せるかもしれないのに。
 そんな筋違いの恨み事を抱きながら、表情には出さずにぼんやりとククールを眺め、膝の上のプレゼントへ視線を落とし、もう一度見上げれば、視線に気づいた男がくしゃり、と顔を歪めて苦笑を浮かべた。その表情のまま近づいてきた彼は手を伸ばしてエイトの頭を撫でる。僅かばかり乱暴で、それでも暖かな掌に押されるように(おそらくククールはその意図もあったのだろう)、エイトは意を決して足の上にあった箱を差し出した。
 それが何か、など聞く必要もないのだろう。エイトとは違い頭の回転が速く、察しもいい彼は「サンキュ」と笑って受け取ってくれた。どういたしまして、と笑えば今日のイベントはつつがなく終了する、そのはずなのに。

「…………ごめんな」

 若干の沈黙の後、口を開いたのはククールの方だった。しかも何故か謝罪の言葉。

「ッ! な、んでお前が謝んのっ!」

 思わず声を荒げてそう言えば、「だってなんか、すげぇ困らせたみたいだから」と口にしたククールの方が困ったような顔をしている。

「確かに、お前が悩めばいいとは思ってたけど、ここまで困らすつもりはなかったよ」

 マジで悪かったな、と。

 告げられ、ぐ、と胸の奥から込み上げたものを押さえつけて、「……悩めばいい、とか思ってたのか」と呟きを零した。そんなエイトの隣に(いつもより僅かばかり距離を開けて)座ったククールは悪びれず「まあな」と答える。それに対して腹が立つ、という感情は起こらなかった。むしろ何故、と疑問の方が強い。それが顔に出ていたのだろうか、ククールは伸ばした手でエイトの頬を撫でると「その間お前の頭ん中はオレでいっぱいだろ」と笑った。

「エイトの頭は何も入ってねぇから、逆に入り込むのが大変なんだよ」

 苦労して潜り込めたとしてもすぐに追い出されてしまうのだ、と言われたところで、具体的にどういうことを言っているのかエイトにはさっぱり分からない。首を傾げたエイトから手を離し、「でも」とククールは言葉を続ける。

「ほんと、そんなに困ってもらいたいわけじゃなかった。あんまり深く考えるな。ノリで男からチョコもらったからノリで返した、くらいでいいだろ」

 言いながらエイトから視線を外し、足の上の小箱へ指を這わす。器用に動く指先で綺麗に包装紙をはぎ、箱を取り出してふたを開けた。現れたクッキーに目を細めたあと、袋を裂いて一枚を口にくわえる。

「ん、美味い」

 ワインに合いそうだな、と言いながら、ほれ、とエイトの口へも一枚押し込んだ。

「……そう聞いた、からこれにした」

 口の中のクッキーを咀嚼した後そう言えば、ククールはもう一度「サンキュ」と笑う。その笑顔がどことなく余所余所しく見えるのは、エイトの気のせいだろうか。

「…………違う」

 ぼそり、こぼれた言葉は何かを思ってのものではなかった。本当についほろりと口から溢れたもの。

「エイト?」

 言葉を聞き取れなかったのか、あるいは意味が取れなかったのか。どちらとも取れないような顔をしてククールが覗きこんでくる。間近で見る彼の顔は相変わらず綺麗で整っていて、さらり、と肩を流れた銀の髪の毛に触れてみたい、と唐突に思った。

「ッ、お、い、どうした、エイト」

 突然手を伸ばして髪の毛を掴んだことに驚いたククールは、軽く体を引きながらエイトを呼ぶ。なんだか逃げられているようで気に入らず、髪から手を離さずに体をよせ、それでは飽き足らず、ベッドに座り込んだククールに向かい合うように、その足の上へと乗り上げた。

「…………なんか、相変わらずお前の考えてることがさっぱり分かんねぇわ」

 呆れたように言いながらも、エイトが落ちないように背や腰に腕を回して支えてくれる。それに甘えるように座り込んだまま、さらさらと指に絡まる冷たい感触をひたすらに追った。それを邪魔することなく、エイトの好きなようにさせながらも背を撫でていたククールは、しばらく無言を保った後、「何が、違う?」と囁くように口にする。どうやら先ほどの言葉は聞こえていたらしい。
 顔を上げてククールを見上げ、何かを言おうと口を開き、何を言うべきか分からずに口を閉じる。
 一連の流れを間近で見ていたククールは、眉を寄せながらも笑みを浮かべ、「悪い、エイト。前言撤回させて」と言った。

「深く考えなくていい、って言ったけど、待つからちょっと考えてみ?」

 何が違うの、と再度問う優しげな笑みの中に、張りつめたような真剣さがあるように見える。それから逃げてはいけないのだろう、とエイトは眉を寄せ、「……ククールが、謝るのが、違う」とたどたどしく口にした。

「俺、別に謝られるようなこと、されてない、し。ククール、だって、悪いことしてない」

 と思う、と自信なさげに付け加える。「そっか」と少しだけほっとしたような顔をして相槌を打ったククールは、「要らないもの貰って困ってた、ってわけじゃないんだな」と言った。鼓膜を震わせたその音を声と認識し、意味を捉えると同時にエイトはぶんぶんと首を横に振る。

「っ、ち、がうっ、違う、そうじゃない、それは、違う」

 チョコレートが食べられないからとか、お返しするのが面倒くさいだとか、そんな理由で困っていたわけではない。それならばむしろ、貰ったその時に困っていた。そう言おうとしたが、思い返せば貰った時点で困っていたような気がする。それならばククールがそう言っても仕方がないかもしれない。

「……ご、めん。でも、ほんと、あの、そういうので悩んでた、とかじゃなくて、」

 それは違う、そうではなくて。
 だとしたら一体何をそんなに悩んでいたというのだろうか。
 自問し、咄嗟に答えが分からず、きゅと唇を噛めば親指でそっと撫でられた。血が出るぞ、と優しく唇を撫でてくれるこの人から貰ったものを、どうして迷惑がれるというのだろうか。
 待つ、という言葉通り、ククールは急かすこともせずにただゆっくりとエイトの背を撫で続ける。その手つきがなんだか赤子をあやしているかのようで、じわじわと足の先から睡魔が這い上ってくるようだった。

「俺は、さ」

 こてんと頭を倒し、ククールの胸に額を押し付けてエイトは「たぶん、だけど」と言葉を口にする。

「嬉し、かったんだ、お前から、貰えて。そりゃもちろん、ゼシカに貰えたのも、嬉しかった、んだと思うんだけど」

 エイトは自分の感情を口にするのがひどく苦手だ。本当に自分がそう思っているかどうかが分からないし、幼い頃は口にして人を傷つけることが多かった。記憶を封じられたことに原因があるだろうとは思っているが、どこか間違えたまま生きてきてしまい、今更それをどう正せばよいのかが分からない。
 物をもらえば嬉しい。そんな単純な図式を確認しなければ口にできない。

「……なあ、ククール。俺さ、お前にあれ、渡して良かったの?」

 こんなことでさえ聞かなければ分からないのだ。
 あれはククールのために選んできたもので、だから彼に渡すべきもので、渡したいと思っていたもの。それなのに、どうしてこんなことを考えてしまうのか。おそらく変な質問をしていることだろう。そう思うとククールの顔を見ることもできず、俯いたままきゅ、とその服を掴んだ。
 そんなエイトの頭を抱き込むように、手のひらで後頭部を抑えこまれる。ぽん、と背を叩く手に促されるように、エイトはまとまりのない言葉をつらつらと綴った。

「チョコだけじゃなくて、いつもいろいろ物じゃないものも貰ってるから。俺が貰った分、ちゃんと返したいって。でも俺が渡しても、あんま意味ない気がするなって。だって、俺はククールに貰ったんだ。俺にとってのククールと、ククールにとっての俺ってなんか違うじゃん。だから、」
 俺が渡してもいいのかなって。

 もっと別の人間から貰った方が、エイトがチョコレートを貰った時の気持ちに近くなるのではないだろうか、と。
 そんな類のことを口にした途端、ぐい、と首筋を抑えられた。促されて上を向くとククールの表情を確認する前に、しっとりとした何かで唇を塞がれる。両手で頬を包み込まれ、ああキスをされているのだ、と気づいたところで自然に瞼が下がった。
 深く舌を絡ませるわけではない、ただうっすらと開いた唇を角度を変えて何度も重ね合わせ、時折覗いた舌同士を触れあわせてはすぐに離れる。じゃれ合うような優しいキスは、ただひたすらに気持ちが良かった。しばらく陶然とそれに酔いしれ溺れた後、名残惜しげに唇を解放したククールは、エイトの頬に触れたまま額を擦り合わせてくる。彼にしては珍しい、少し甘えたような仕草。
 ゆっくりと目を開けると、同じようにエイトを見つめていたククールがふわり、と微笑んだ。

「オレに貰ったとき、エイトがどんな気持ちだったのかはまだ分からないけど、でも、」
 オレは、エイトから貰ったときが一番嬉しいよ。

 ククールはいつもより数段綺麗で、優しい笑みを浮かべて言う。こんなにも柔らかく笑うことのできるひとへ、エイトのようなものが何かをあげたり、できるのだろうか。

「……俺、でもいいの?」

 囁くように尋ねた言葉へきっぱりと。

「エイトがいいんだよ」

 そう告げられ、心の底で蟠っていた何かがとろりと溶けてなくなっていったような、そんな気がした。




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2010.03.14
















シャナク(呪い解き)かキアリー(毒消し)を使える僧侶様を探してこないと。