彼の苦悩


 「ちょっとこれを見てもらいたいんだけど」と不良僧侶が神妙そうな顔をして言ったのは、明日の予定を立て終え、話に興味を失ったエイトがベッドに寝転び、ヤンガスが部屋へ引き上げた後のことだった。タイミングを考えると、どうも彼はゼシカに話がしたかった様子で、取り出したものは一冊の本。
 派手な容姿や服装に反して、彼の趣味は読書と意外に落ち着いている。本人は「ほかにすることがないから本を読んでいるだけだ」と言っているが、活字であれば何でもいいかのように乱読している様を見れば、単純に読書という行為が好きなのだろう。
 テーブルに置かれたそれは、普段彼が手にしているものより若干薄めの本。何か重要なことでも書いてあるのだろうか、と手に取り目に飛び込んできたタイトルにゼシカは思わず言葉を失った。

「…………で?」

 あまり続きを聞きたい気分にはならなかったが常にないほど僧侶の目が真剣で、とりあえず先を促してみる。彼の話を聞く相手が自分しかいない、という状況も彼女の背を押した。
 そんなゼシカの様子に気が付いているのかいないのか、「それ読んで思ったんだけどさ」とククールは口を開く。

「……もしかして、一番エイトのためにならない存在って、オレなんじゃねぇのかな」

 ゼシカは今、エイトとククールの部屋と割り振った宿の一室で、小さな椅子に腰かけて仲間の話を聞いている。手に取った本をぱらぱらとめくり、丸テーブルの上に戻して顔を上げれば、テーブルを挟み向かい合うようにベッドに腰掛けているククールの姿。言葉と同じほど、いやそれ以上に深刻そうな顔をしているように見えた。
 なんと言葉を掛けるべきなのか。咄嗟には思いつかず、彼から視線を逸らせ、「そんなことはないんじゃないかしら」とだけ口にしておく。しかしそれがどこか空々しいものだと、ゼシカ自身も気が付いていた。ククールもまた自分の言葉に何らかの回答が欲しかったわけではないのだろう。彼が緩く首を振れば、さらり、と綺麗な銀髪が宙を舞う。

「いや、いいんだ、分かってる。薄々は気づいちゃいたことだし」

 顔を上げた彼は天井の付近へ視線を投げて、どこかぼんやりとした口調で言った。

「よくないと、オレも思ってはいたんだ。ただな、なんつーか、止める切っ掛けっつーか、今はもう、」

 なんだろうなぁ、としばらく言葉を探していたククールは、ごそり、と背後で身動きをする気配に気が付いて振り返る。そこでは本格的な睡魔に襲われ始めたらしいエイトが身体を起こし、むにゅ、と不思議な呻きを発して目を擦っていた。
 そのままの格好で寝るな、と手を伸ばしたククールは、ぐずるエイトの口の中に小さな飴玉を押し込んでやった後、バンダナを外して綺麗に畳み、ベルトを抜き取って上着をはぎ取る。胸元の編みこんである紐を寝苦しくないように緩めてやったところで、「飴、なくなった」とエイトが口を開けた。次の飴玉を放り込む代わりに歯ブラシを突っ込んでおいて、ふぅ、とため息を一つ。「癖みたいになってんだよなぁ、もう」とククールは力なく呟いた。

「…………ええ、そうね、すっごくよく、分かるわ」
 今のあんたの行動を見ていると。

 若干投げやりさも見え隠れする言葉を放ったゼシカが見つめる先。
 先ほどちらりとページをめくってみたその本。


『ダメな親が子をダメにする』


 いくら乱読派とはいえ、どうして彼がこんな教育書もどきに目を通そうと思ったのかが分からない。要約すればつまりは、「甘やかしすぎはよくない」「自分のことは自分でやらせる」というごく一般的な、当たり前の事柄が書いてあるのだと思うのだが。

「分かってる、オレだって分かってんだ。でもな、なんか、こいつのアホ面見てたら……」

 半分眠ったまま手洗い場へ姿を消したエイトが、「歯、磨いた」となぜかククールに報告をする。ククールは口の中を覗いてそれを確認してから、ぼふん、と横になったエイトへ風邪をひかぬように、と掛け布を掛けてやった。一連の動作をさも当たり前であるかのように行った後、そんな自分に気が付いたのだろう、エイトが眠るベッドに腰掛けて俯いた男は大きくため息をついた。

「……勝手に動くんだよ、身体が」

 何でもかんでも親が代わりにしてやっていては、子供の自主性が育たない、そんな子供は一人では何もできないダメな子供になってしまう。
 再び手に取った本をぱらぱらとめくりながら、小さくため息を一つ。

「とりあえず、少しずつでも自分でさせるようにすればいいんじゃないかしら」

 本を投げつけてやりたい衝動を何とかこらえ、ゼシカはそっとそれをテーブルに戻しておいた。正直に言えば、いろいろと面倒くさくなってきたのだ。
 ゼシカの言葉に、「ああ、やっぱりそうだよな、自分のことは自分でさせるべきなんだよ」と心の底からそう思っているような顔で不良僧侶が重々しく頷いている。

 ククールはエイトの親ではなかったはず、だとか。
 そもそもエイト自身が既に子供と呼ばれる年齢をとうに過ぎている、だとか。

 一体彼はいつ気づいてくれるのだろう。




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2011.03.15
















テンションの高いものを書くつもりが、
テンションのおかしいものへたどり着いた不思議。