冬の逆奇跡


「『雪山で遭難したんですか?』『そうなんです』ってか!」

 たはーっ、と声を上げて額をぺちり、と叩く。そんな少年の後頭部を、唯一の同行者が片手でがしりと掴んだ。彼は、まるで大きなボールを投げるかのように、勇者の頭を掴んだままの左手を振り下ろす。

「へ? あ、ちょ、く、まっ、ぶっ!?」

 吹きつける風の中、ぼすん、という音を立てて少年勇者、エイトの顔面がまっさらな雪面に押しつけられた。ふわふわと柔らかな雪であったため、痛みはあまりないだろう。呼吸ができず、じたじたと手足を暴れさせる様子を無表情のまま見下ろし、それからたっぷり十秒ほど数えてククールは左手を離す。ぶはっ、と勢いよく頭を上げた少年は、ぜーはーぜーはーと派手に深呼吸をしたあと、涙目のまま仲間を振り返り、垂れていた鼻水をずずず、とすすり上げた。

「こ、今回、は、わたくしの、不注意により、このよーな事態を、引き起こしてしまい、まことに申し訳、ございませんでした」

 かたかたと震えながら紡がれた謝罪を前に、仏頂面の僧侶は長い、それは長いため息をつく。事態の深刻さを理解せずにふざけた言動を取ったこと、ダジャレのくだらなさについての謝罪も欲しいところだが、己が原因だということを違わず認識しているだけでもエイトにしては上出来だと思うべきかもしれない。
 現状を整理しよう、と紡がれた僧侶の言葉に、うん、と勇者が頷く。

「ヤンガスとゼシカとはぐれて、ふたりで雪山で遭難中」
「うぃ。委細相違ございません」

 真剣な顔で視線を合わせ、ふたりで同時にため息をつく。どうしてこんなことになっているのか、本当によく分からない。いや、原因は説明するまでもなく脳内お花畑のお祭り男のせいなのだが、今の自分たちの置かれている状況も含め、詳しく理解したくない、といったほうが正しいのかもしれない。

「ヌーク草食っといて良かったな。あれがなかったら確実に凍え死んでるぞ」
「効果が切れる前におうちに帰りたい」
「オレも帰りてぇよ。でも、今闇雲に動くのは自殺行為だろ」

 ふたりがいる場所から見えるものといえば、今にも崩れそうな雪で覆われた山肌、そして同じく今にも崩れそうなどんよりと曇った空。

「これから日も暮れる。雪が降り出す前に、一晩明かせる場所を確保したほうが良くないか?」
「あ、俺さっき、あっちに洞窟あるの見たよ」

 まるで避難場所としてご利用ください、とばかりに、雪肌の間に口を開ける灰色の洞窟に、わずかに唸りながらも仕方ねぇか、とククールは覚悟を決めた。エイトなどは始めからここで一晩過ごすつもりだったようで、「ここをキャンプ地とする!」と洞窟の奥に向かって宣言している。「キャンプ地とする」「キャンプ地とする」「キャンプ地とする」……とエコーがかかって響く己の声に、何やら満足そうに頷いていた。ただその台詞が言いたかっただけなのかもしれない。
 洞窟は自然に開けた場所のようでもあったが、ひとの手が入っているようにも見える。先に利用したものがいるのは確実のようで、少し湿った枯れ木の束がいくつか転がっていた。火を付けることができれば暖をとることができるようになるだろう。ただ、一晩持つほどの量はなく、手分けしてもう少し探してみることにした。

「あんまり奥に入りすぎるなよ」
「まーっかせて!」

 さらに深くまで続いているらしい洞窟内を夜目のきくエイトが、雪に覆われた洞窟入り口周辺をククールが、それぞれ歩き回って何か使えそうなものがないか探してみたが、結局最初に見つけた枯れ木の束以上の収穫はなかった。
 積もった雪を撫でている冷たい風が吹き込まない位置まで入り込み、乾いた場所を選んで腰を下ろす。焚き火を作るため、エイトが貴重な枯れ枝を地面の上に転がすから、からん、という音が洞窟内に小さく響いていた。

「いやー、しかしありえねぇよな……」

 立てた片膝にひじを置き、がりがりと頭を掻いて再度ぼやきを零す。何がありえないって、この状況が、だ。

「俺ら、竜神王の試練をクリアした上に、暗黒神も倒したっつーのにな!」

 やっぱ人間程度じゃ大自然にゃ勝てねぇってことな、とからから笑いながらノータリン男が言っているが、「おめーは半分人間じゃねーだろ」ととりあえず突っ込んでおく。

「しかも、オレとお前っつーのがな、最悪だな」

 そもそも今回はダンジョンに潜るつもりも、街道を歩くつもりもなかったため、装備品だって最低限のものしか揃えていなかった。手持ちの道具もほとんどなく、キメラのつばさなどもってのほか。そもそも移動魔法ルーラがあるため、持ち歩く習性すらなかったのだ。
 そう、移動魔法。呪文一つで過去訪れたことのある街や村に一瞬で飛ぶことのできる便利な魔法。それをククールは覚えているのである。
 それならばどうしてルーラを唱えないのか。
 その理由は一つ。
 MPがすっからかんであるため、唱えたくても唱えられないのだ。
 ルーラのために必要なMPはたったの1。それすらも使えないということはつまり、正真正銘、逆さにしてもなにも零れ落ちてこないレベルで、MPがないのである。戦闘をこなしながら旅をしていたころにさえ、こんな極限状態に陥ったことがない。それがまさかこのタイミングで起こっているのだ。そして遭難にいたる、と。なんだこの逆奇跡、と頭を抱えたくなる気持ちも分かっていただけるだろう。
 魔法が使えなくなっているわけではない、ただただMPが切れているだけ。いつもならば一晩ぐっすりと休めば回復する。悪環境であるためここではぐっすり休むことはできないだろうが、わずかでいいのだ、ほんの少し、そう、たった1だけでも回復さえしてくれれば、移動魔法で仲間の待つ街へ飛ぶことができる。

「どれくらい寝たら回復すっかなぁ……」
「まあでも、野営して、見張り番交代でやりながらでも回復はしてたから、まったく回復しねぇってこともねーだろ」

 なんならククールちょっと居眠りしてみたら、とエイトは笑いながら言いつつ、「ギラ」と重ねた枯れ枝に火を付けて小さな焚き火を作り上げた。その提案に僧侶は眉間にしわを寄せる。

「雪山で遭難してるときに眠ったら、そのまま二度と目が覚めませんでした、とかなりそうじゃねーか」

 ヌーク草の効果で凍えるほど寒いというほどではないが、やはり火があると安心する。両手をかざして暖を取りながらそう言ったククールへ、確かに、とエイトもまた焚き火を挟んで向かい側に腰を下ろした。

「そんときゃ俺が責任以て起こしてやるよ。『ククール、寝るなっ! 寝たら死ぬぞ!』」
「いやだから、MP回復させるために寝たいんだって。起こしたら意味ねー、」

 っていう、話をしている、のだけれども、ちょっと待てエイト、と口もとを覆い、右手を広げて前に突き出した。焚き火を挟んだハイタッチでも希望されているのだろうか、と広げられた手を前に首を傾げている勇者へ、僧侶は言う。

「…………お前今、どうやって焚き火に火を付けた?」
「は? そんなん、ふつーに、」
 『ギラ』で。

 かつてともに旅をした少女魔法使いのように、小さな火の玉を生み出す魔法、メラが使えれば良かったのだが、あいにくとエイトが使える火の魔法は少し大きな炎を生み出すギラ系のみだ。間違えれば枯れ枝が一瞬で燃えくずになる可能性もあったが、なかなかうまく加減できたのではないだろうか。
 そう思っていたところで。

「MP残ってんじゃねぇかぁあああっ!」

 立ち上がったククールに胸ぐらを掴まれ、がくがくと揺さぶられる。

「なんで言わねぇんだよっ、MPあるなら、こんなとこで一晩過ごす必要ねぇじゃん! ルーラ! ルーラで帰るぞ!」

 移動魔法ルーラ、MPを1しか使わないとても便利な魔法。
 それは僧侶ククールだけでなく、パーティリーダであったエイトもまた、覚えていた魔法だったのだ。
 遭難に至る前の過程でククール自身が魔力切れを起こしてしまっており、てっきりエイトも同じ状況だと思い込んでいた。そもそもルーラが使えるのであれば、遭難だなんだと騒ぐ前にさっさと使っているはずで、その気配もなかったためエイトの魔力も残っていないのだ、と判断していたのだ。
 思い返せばMPがない、と言ったククールの言葉への返答は、「俺もほとんどねぇわ」というもので、少年は「ゼロになっている」とは言っていなかった。
 焚き火にギラで火を灯すことを思いつくのなら、どうして遭難からルーラで脱出することに思い至らないのか。考えたところで行き着く回答は一つしかない。エイトだから、だ。あるいは、冒頭のダジャレをただただ言いたかっただけかもしれない。
 眉を吊り上げて怒鳴るククールへ、しかし諸悪の根源はあっけらかんと返すのだ。

「あ、ごめん。さっきのギラでMP使い切った」

 正真正銘、MP0、すっからかんです、とエイトは左斜め上方向を指さして言う。
 ひゅ、とのどを鳴らして息を呑み、ちらりとそちらの方向を見上げたあと、一度大きく開いた口をぱくん、と閉じる。五秒ほどそのまま息を止めていたククールは、はぁああああ、と今世紀最大かもしれないほどの大きなため息をついたあと、全力で少年の頭頂へ拳骨を落としておいた。


 数時間後、わずかな休息で回復したMPでなんとかヤンガスとゼシカのいる街まで戻ったところ、ふたりから「メリークリスマス」とクラッカーを鳴らして祝われた。クリスマスのごちそうとケーキはきちんと残してくれていたので、心配してくれていた様子が一切見られない点については気がつかなかった振りをしておくことにする。





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2018.12.24
















エイトさんはいつも楽しそうでいいなぁ。