ロマンス(静と動)


<元聖堂騎士団員僧侶の場合>

 長くはない人生ではあるがその間ずっと、自分はひどく真っ当な常識人なのだと信じていた。いや、アウトローを気取りつつも、結局は世間の枠からはみ出すことさえできない小さな人間なのだ、とそう思っていた。己を過小評価しないため、顔やスタイルといったものが一般よりも良い部類に入ることは理解している。そして過大評価もしないため、捻くれた態度を取りながらもそのあたりによくいるような小市民のひとりでしかないことも理解していた。だからもしかしたら、とその可能性について吟味してみようと思ったときも、まさか自分に限って、という思いがあった。
 見た目が派手であるため勘違いされがちだが、ククールはどちらかといえばじっくりと考え込むタイプである。熟考に熟考を重ね、ときには仮定を設定した上で背理法を試みたり、ときには対象を用意して比較法を試みたり、ときにはすべてを否定して消去法を試みたり、ときには大前提と小前提を用意して三段論法を試みたり、要するにいろいろな方向から思考してみた結果、その日ククールはとある結論に至った。その結論を認めざるを得なかった。
 彼の人生観が決定的にまでひっくり返されてしまった、最大の転換日である。おそらくその日以上にククールの価値観が動いた日はないだろう。
 そんな覚悟と決意を持った上で、真っ赤な騎士団服を纏う銀髪の不良僧侶は己の心と向き合った。自分はおそらく(この後に及んでまだ推測として語ってしまう程度には往生際は悪いのだ)あの、傍迷惑で滅茶苦茶でぶっ飛んだ性格をしているどうしようもなく壊れた小さな兵士のことが好き、なのだ。
 恋愛感情を込めた意味で。

「…………マジかー……」

 正直認めたくなくて散々足掻いてきていたのだが、どうにもこうにも、これ以上は誤魔化しが利かないようだ。呟いた声に力はなく、新しい恋に胸を躍らせるということもない。そういう年ではないということも大きいが、何せ相手が悪すぎる。

「よりによって、なんであのバカなんだよ……」

 自分の思考回路が本気で理解できない。何をどう間違えてあの脳足りんにときめいてしまったのか、恋を、してしまったのか。
 勘弁してくれよ、と天井を仰ぐククールの隣では、ここは己の場所だと信じて疑っていない顔でその張本人がぐーすかぴーと眠っていた。一応明記しておくが、ここはククールが眠ると割り当ててあるベッドであり、エイトのためのベッドは向かいの壁際にある。もちろんククールが連れ込んだわけではない。己の恋心は不承不承、仕方なく、断腸の思いで認めるにしても、誓ってこの男とそういう関係があるわけではない。複数の異性とそれなりに爛れた関係を結んだ経験があるため、そばにいるだけで満足などという綺麗ごとを言うつもりはないが、正直エイトに対する感情はそれに近いものがあるだろう。彼を相手にどうこうしようだとか、どうこうしたいだとか、そういった思いはさほど強く抱いていなかったのだ。
 だからといって完全に無欲無感情というわけでもなく、寝ぼけてこちらのベッドに潜り込んでこられてはとても困る。非常に困る。すいよすいよと眠っている若干間抜けなその顔を見て思わず可愛いな、とうっかり思ってしまう自分が許せないのだ。

 この場合取ることのできる選択肢としては、床に蹴り落として追い出すか、向かいのベッドにまで運んでやるか、ベッドを譲ってククールが向かいのベッドで眠るか、諦めて一緒に寝るか。いろんな感情を抜きにすれば一つ目を選びたいところだが、小市民であるためさすがに罪悪感を覚える。かといってわざわざこの少年を運んでやるというのも癪に障る。一番楽な方法は三つ目だと分かってはいるのだが、それを取りがたい理由がククールにはあった。正確に言えばこちら側の理由ではない、エイトの問題だ。
 複雑怪奇な生い立ちを持つらしいこの少年は、一見ひどく単純で裏表のなさそうな性格をしているようだが、実のところククールの捻くれ具合など子供騙しにしか思えないほどにねじ曲がった精神構造を持っている。そうと気が付いているのは今のところククールぐらいのものかもしれない。それがまた無駄に優越感を擽ったりするものだから、本当にこの少年は存在自体が卑怯だと思う。
 そんな卑怯な少年は、空が嫌いだと言う。もっと言えば広い場所が苦手なのだ、と。だからできるだけ野宿を避けようとし、屋根のある場所でも空の見えない位置、壁際のベッドを好む。宿でふたり部屋を取った場合かなりの確率でククールとエイトが同室になるが、エイトの性質を理解しているため今は自然とククールが窓側のベッドを使うようになっていた。つまりククールの背後には窓があるわけで、カーテンを閉めているとはいえここに彼をひとり残すのもまたつまり、あれだ、罪悪感が疼く。

「…………オレ、ちっせぇー……」

 力なく呟いた声に答えるものはいない。申し訳なくて、可愛そうでできない。そんな罪悪感など振り切って非道な行いができれば、人生いろいろと楽なのかもしれないけれど、そんな楽な人生を送れる人間であればきっとこんな少年になど惚れなどしないだろう。
 結局残った選択肢は諦めて一緒に寝るというもので、何が悲しくて、思いの通じていない相手(男)と同じベッドで眠らなければならないのか、本気で分からない。これは襲ってくれということなのか、誘われているのか、組み敷いて服を脱がせてもいいものか。同性と経験がないわけではないし、それなりに良くしてやれるだろうという自信もある。けれど、どうあっても身体が動きそうもないということ自体、ククールにとっては天変地異と同じほどに一大事なのだ。
 この少年に出会い、ククールの人生はいろいろな意味において一変した。まさか自分がこのような旅にでることになるなど思ってもいなかったし、思いがけず居心地の良い仲間たちと出会えるなど考えてもいなかった。もちろん、こんなお祭り男に惚れるなど以ての外。くるくるくるくると目まぐるしく変わり続ける世界に、少し落ち着けと言ってやりたい。エイトじゃねぇんだから、ちょっと落ち着いて座って茶でも飲んでろよ、と。
 しかし結局ククールの世界は落ち着くどころかまた更に大きな動きを見せる始末。
 まさかこの自分が、男相手に、それもエイト相手に可愛いとか思うようになるとか。
 何をどうすればそうなるのかまるで分からなかったけれど、今こうして隣で眠っている顔に対しそんな感情があることだけは確かで、少年を起こさぬようにはぁ、とククールはため息をついた。仕方がない、自覚し認めてしまったからにはもう、知らなかった自分には戻れない、生まれ変わるほかないのだ。

「……これくらいは許せよな」

 ちくしょう、と悔しげに呟いたあと、細い身体を抱き寄せてその額に唇を押し当てる。起きる気配のない少年を抱いたままもう一度はぁ、と深いため息を吐き出した。
 きっと明日以降も、ククールの世界は目まぐるしく動き続けるのだろう。腹立たしさと苛立たしさと悔しさを抱えたまま、ちくしょうやっぱ可愛いな、とエイトを見て思ってしまうのだろう。見返りを求めるだけ無駄だ、それをいやというほど知っている。だからククールはただ想うだけだ、自分はこの少年に惚れているのだろうと、そう自覚するだけ。

 それでいいや、と思ってしまう程度にはククールの世界観はエイトによってぶち壊されていた。





<トロデーン国近衛兵の場合>

 ふと目が覚めると目の前に他人の寝顔があった。瞬間的に叫ばなかった自分をほめてやりたいところだが、驚きすぎると逆に声が出ないものらしい。目を見開いてびくり、と身体を強張らせ、薄暗い中よくよく目を凝らせばそれが仲間のものであることに気が付いてほっと息を吐き出す。けれどどうしてこんなところに彼の顔があるのか、どうして同じベッドで眠っているのか。状況が把握できず、クエスチョンマークを飛ばしながらもそり、と身じろげば、腰に巻きついていた腕の力が強まった。起こしてしまったか、と慌ててククールを見やるも伏せられた瞼が動く気配はない。どうやら無意識下での仕草だったらしい。もともとこの僧侶は気配に敏感で、誰かと一緒に(睡眠をとるという意味で)寝るなど無理なのではないかと思っていた。
 できるだけ彼に刺激を与えないようにそろり、と目玉だけを動かし、その背後に揺れる布があることを確認。あれがカーテンであることにすぐ気が付いた。つまりここは窓側のベッドであり、ククールがいてもまったくおかしくない。むしろ異物はエイトの方である。

 そういえば、と半分以上睡魔に身を委ねたまま、真夜中トイレに起きた覚えがある。そのときに戻るベッドを間違えたのだろう。この男のことだ、侵入してきたエイトに気が付き目覚めたはずである。叩き起こすなり蹴り落とすなりしても良かったのに、と思うが、それをしないのがククールという僧侶なのだ。そしてエイトを運ぶなり、自分が壁際のベッドに移動するなり、他にもいくつかあっただろう手段のどれをも選ぶことなく、窮屈なベッドにふたりで眠ったのもまた、彼が彼である所以かもしれない。
 ククールはエイトが空を苦手としていることを知っている。他の誰も知らない(強いて言えば知っているのはトーポくらいだ)そのエイトの弱点を彼は知っているのだ。だから、目覚めたときに嫌いな空をうっかりと見てしまうことを危惧してくれたのだろう。これは自惚れているというよりむしろ、ククールがそう考えるほどに優しい性格をしているということ。
 女性には優しくするけど男は知らない、そんなことを言ってはいるが、実際のところ彼は仲間として認識した相手にはとことんまで甘さをみせる。全てにおいて甘やかすという甘さではなく、甘やかされているこちら側でさえ気が付かないような、さりげないフォローをして寄越すのだ。もしかしたら本人も無自覚な行動なのかもしれない。彼のように静かな優しさを見せる人物をエイトは他に知らなかった。
 そんな僧侶は今、長い睫毛に縁どられた瞼を伏せすぅすぅと眠っている。真っ青に輝く瞳が見えないからだろうか、普段よりぐっと幼く見えるその表情はどこか可愛さすら覚えるほど。すっと通った鼻筋に、うっすらと開かれた唇。成人男性らしくシャープな顔立ちではあるが、あまり日に焼けないタイプらしく肌は白いまま。
 綺麗だな、とごく自然に思った。

 エイトは綺麗なものが好きだ。というよりむしろ、綺麗だと思うものを嫌いになるひとはいないだろう。あるいは逆に汚いと感じるものを好きなひとはいない。何を以てして綺麗汚いを決めるかは人それぞれであるだろうが、その点については間違いないはずだ。綺麗だと思うから好きになるのか、好きだと思うから綺麗に見えるのか。どちらが先かは分からないけれど、綺麗だと思うことと好きだと思うことは、少なくともエイトにとってはイコールで繋がることであり、パズルのピースが当てはまるように当たり前のことだった。
 だから目の前のククールの寝顔を見たとき綺麗だな、と思うと同時に、好きだな、とごく自然に思う。ぱたり、ぱたり、と音もなく静かにドミノの牌が倒れていくように、最終的な結論として自分はこの僧侶のことが好きなのだ、という思考に達した。それについて異論や疑問を抱くことなどない。相手が男だとか、そういうこともさほど気にはならなかった、ただ好きだなと思った。
 けれど、今まで他の何かに抱いたような「好き」という感情とはどこか違うような気がして、一体何が違うのだろう、と眠る男の顔を眺めながら考える。

 綺麗だなと思うものはたくさんある、ひとでいうのならゼシカも綺麗だと思うし、ヤンガスだって(容姿についてはちょっと置いておくけれど)とても綺麗な心をもったひとだと思う。毛並みの整った猫だって綺麗だと思うし、鮮やかに染められた布も綺麗だから好きなものの一つだ。同じようにククールのことを綺麗だ、と思っているはずなのだけれど、と考えながら、彼が綺麗なのは何も容姿だけではないのが原因かもしれないと思いいたった。もちろん彼自身が自負しているように、その顔もかなり見目良い作りになっているのは分かるが、声や言葉も(口調は悪いことは多々あるけれど)また綺麗だな、と思う。仕草や立ち振る舞いも綺麗だし、人を気遣い愛おしむその心も綺麗だ。
 それだけを聞けばどれほど完璧な人間なのだと思うが、そうではないことだって知っている。見た目にそぐわずメンタルは弱いし、意外に細かいところを気にするタイプだ。少し怒りっぽいだろうし、一度機嫌を損ねるとぐじぐじとしつこくて、決して口にはしないけれどちょっと女々しいんじゃなかろうか、と思うこともある。そういった欠点を知った上で、それでも綺麗だ、と思う。それはむしろククールの存在そのものに対して抱く感情で、要するにそのレベルで彼のことを好きなのだ、ということなのだろう。
 それならば、他の誰とも違う「好き」であって当然だ。特別な「好き」なのだ。

 エイトの好きな男は、まだ眠りの中に潜り込んでいるようで起きる様子は見られない。少しくらい動いても大丈夫だろうか。万が一起きてしまったとしても、寝たふりで誤魔化してしまおう。
 そう思い、もぞり、とエイトは身じろいで、身体を少しだけ下におろした。そうしてククールの方へ身を寄せ、ぽふり、と額を胸に埋める。擦り寄れば身体全体でその体温を感じているようで、ひどく心地よかった。
 好きだなぁ、と改めて思う。
 思うけれど、エイトが抱くその感情は変化を求めない。それは好意だけに関わらず、エイトはすべてにおいて変化というものを求めない。ひとに求めるということをしない、知らない、エイトの世界はエイトの中だけで完結してしまっているのだから。自分以外の誰かが彼の世界に干渉できるのだ、それが一般的な世界の、ひととひととの関係の在り方なのだ、ということを知らない。
 ぐり、と綺麗な鼓動を奏でる胸に額を押し付け、好きだなぁ、とそう思う。

 その感情にはどこまでも静かで、どこまでも一方的な矢印しか込められていないのだ。




ブラウザバックでお戻りください。
2012.09.02
















両片思い。