スプーン、1本


 休息のために部屋を求めた宿屋の一室。
 ぽっかりと空いた時間、パーティメンバは各々羽を伸ばしに出かけている。部屋に残ったのは下町コンビ。いつもならラピードも加えてトリオで残るが、今日は珍しくエステルたちの買い物へとついて行った。何か欲しいものがあったのかもしれないし、あるいは護衛のつもりなのかもしれない。相棒を快く送り出したユーリは、伸びをひとつしてぱたりとベッドに横になりそのまま昼寝へと突入。すっかり寝入ってしまった親友を置いて出かける気にもなれず、フレンはユーリの眠るベッドに腰かけて、旅の途中で手に入れた歴史書へ目を落としていた。
 もともとはエステルが読んでいたものだが、彼女は読書スピードが速く、またすぐに内容を理解、暗記してしまう。リタやジュディスは学術書以外はあまり興味がないらしく、結局メンバの中ではまだ読む方だと、フレンへと回ってきた本だった。
 帝国が誕生する以前の古い歴史を記したものだが、これが真実かどうかはかなり怪しい。先に読了したエステルも「物語と思ってください」と苦笑していたくらいだった。確かに想像が多分に含まれており、学術的根拠も乏しいためこれは物語以外の何物でもないだろう。
 しかし、物語として読めば読めないこともない。というよりむしろなかなか面白いものだと思う。
 気に入らなければすぐにやめよう、と思っていた読書は思いのほか進み、半分ほどを読み終えたところで不意に側で小さな唸り声がした。

「ユーリ?」

 目覚めたのかと思い名を呼ぶと、むくりと起き上がった黒い塊が寝起きの声のまま呟く。

「……甘いもん、食いてぇ」

 睡眠欲が満たされたため、次は食欲ということらしい。寝起きでよく甘味を要求できるな、と思うが、彼の甘いもの好きは年季が入っている。何せ、フレンが知っているころからなのだから、ほとんど物心ついたころからということなのだ。
 何か持っていたか、と荷物を漁ってみるが、残念ながら飴玉もチョコレートも見つけられない。仕方なく一つだけ持っていたグミをユーリの口の中に放り込んで、「何か買ってこようか?」と尋ねる。

「あー……んー……」

 まだ少し寝ぼけているらしい。うめき声としか思えない不明瞭な声にフレンはくすくすと笑いを零した。

「チョコレート、クレープ、ケーキ、アイスクリーム、どれがいい?」
「えー……ぜんぶ」

 幼げなその口調はおそらくフレンしか聞くことができないであろう。こんなにも無防備な彼を見ることができるという優越感に浸りながら、「欲張り」とユーリの肩を押す。

「何か適当に選んでくる。戻ったら起こすから、もう少し寝てていいよ」

 促されるまま再びベッドに沈んだ彼は、立ち上がったフレンへ「よろしくー」と手を振った。

 宿の受付嬢に話を聞くと、すぐ近くに美味しいアイスクリーム屋があるらしい。彼は基本的に甘ければ何でもいいというタイプなので、冷たいデザートでも文句は言わないだろう。ほんの少し蒸し暑いこともあり、自分の欲求にも後押しされて結局アイスクリームを買って戻ることにする。コーンのアイスクリームも売っていたが、バニラとチョコレートのアイスクリームを一つのカップに入れて貰ってスプーンを二つ。
 こうしていると下町で共に過ごしていたころのことを思い出す。あの頃は何をするにも一緒で、得たものすべてを半分に分け合っていた。隣にユーリがいることが当たり前で、パンを半分にするにも剣を交互に持ち歩くのも、二人にとっては当然のことだった。当時は今が永遠に続くものだと思っていたし、成長して彼が騎士団を辞めるまでもそう信じようとしていた。
 結局は幼かったのだ、自分自身が。居心地の良い空間を手放せず、変化と成長に恐れを抱いていた。
 そしてフレンは今も幼いままで、隣を歩かない彼に腹立たしさを覚えている。
 もちろん理解はしているのだ、ユーリが今騎士団にいない理由も、その道を選んだ覚悟も。しかし頭で理解するのと心で納得するのとはまた違う。彼のすべてを許容できるほど、穏やかな愛情を抱けない。一緒にいる時間が長すぎたのか、あるいはフレンに異常の気があるのか。ユーリへの感情は一言では表せないほどにもつれ絡まってしまっている。
 親友、悪友、戦友、好敵手、家族、恋人、そして半身。それぞれがこれだけ兼任していれば、向ける愛情が単純でないのも仕方がないことかもしれない。

「ユーリ、アイス溶けるよ」

 部屋へ戻り、ベッドで目を閉じている彼へ声をかける。眠り込んでいたわけではなかったらしく、すぐに目を開けたユーリはのそりと体を起こして髪の毛をかき上げた。黒く艶やかなそれが頬を流れ、首筋を露わにする。手入れをしているわけでもないのにさらりと指通りの良い髪を撫で整えてやっていると、テーブルの上へ置かれたアイスへユーリは視線を向けた。

「アイス」
「うん、バニラとチョコレート」

 チョコレートのアイスクリームを掬ったスプーンを口へ運び、「美味しいよ」と笑う。さすがにベッドの上での飲食は勧められず、こっちへおいで、とテーブルを軽くたたけば、ユーリは嫌だ、と首を横に振った。そしてそのまま「あ、」と口を開ける。
 なんとなく彼が求めることを察し、苦笑を浮かべて「バニラでいい?」とバニラアイスを掬った。

「ん、」

 ユーリの口の中へスプーンをつっこむと、広がる甘さに彼は嬉しそうに目を細めた。アイスクリームよりも先にフレンの方が溶けてしまいそうな笑みを浮かべて口の中のものを咀嚼し、ユーリはもう一度「あ」と口を開ける。

「どうしたの? 今日はいやに甘えるね」

 今度はチョコレートのアイスクリームを掬ってユーリの口へ運んだ。同じ様に幸せそうな顔をしてそれを食べた彼は、ぺろり、と唇を舐めて、「嫌か?」と首を傾げる。

「全然」

 そう言ってフレンは自分の口へもアイスクリームを運んだ。

「だろうな。お前、顔ニヤけてるし」

 両手をベッドへつき、もう一度「あ」と口を開けるユーリ。雛が親鳥に餌をねだっているかのような仕草にくらくらとしながら、求められるままアイスクリームを与える。

「だってユーリが甘えてくれるなんて、年に一度あるかないかじゃないか」

 顔だって緩むよ、という自分の言葉通り、頬を緩めてフレンはアイスクリームへとスプーンを突き刺した。掬いあげたそれを自分の口とユーリの口と、一対三くらいの割合で運ぶ。もちろんそれは自分一人で食べるよりも時間のかかる行為で、最後の一口をユーリが食べる頃にはアイスクリームはかなり溶けてしまっていた。
 こくん、とアイスクリームを飲み込んだユーリの唇を、スプーンを置いたフレンの指が拭う。それを清めるように舐めたユーリに煽られ、フレンは彼の隣へ腰掛けるとその唇をぺろりと舐めた。

「で、結局何だったの?」

 腕を伸ばし、その細い体を捉えながら尋ねる。
 恋人でもある彼に甘えられて嫌な気分になるはずもない。しかし普段の彼を考えれば何の意図もなく、突然にこういうことをするとは考えにくい。何かあるのだろうと思うのだが、「んー?」とユーリは首を傾げる。

「別に何もねぇけど」

 そう言った後、「しいて言やぁ、それ」とテーブルの上を指さした。
 そこには空になったアイスクリームのカップとスプーンが二つ。片方は今二人が使ったもので、片方は折角貰ってきはしたがまったく使わなかったもの。

「使わせたくなかったってだけ」

 ガキんころは何でも半分こにしてただろ、とユーリは笑う。
 確かに一つのアイスクリーム(などというものを食べた記憶はあまりないが)を二人で分けて食べることはあっただろう。一つしかない剣を一日交替で交互に持ち歩いたことだってある。
 しかし元を考えればそれらは、一つしか手に入れられなかったから止むを得ず半分ずつに分けていただけであり、二つ手に入ればそんなことはしなかったのではないだろうか、と思うのだが。
 右手でユーリの後頭部を支え、指触りの良い髪の毛の感触を楽しみながら二、三度唇を啄ばむ。額を合わせて正面から彼を見つめ、その紫の瞳に自分しか映っていないことに満足しながら「とりあえず」とフレンは口を開いた。

「スプーンは一本で良かったってことだね」




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2009.11.22
















とにかくユーリが甘えてる話が書きたかっただけでした。