無自覚の裏側」の続き。


   Amantes, amentes.


 そうなるよう促し、仕向けたのは自分だった。軍師という立場にいる以上、己の作戦が成功を収めたことに喜びを覚えなければならないはずなのに。



 モアナにクエストのことで確認しておきたいことができた。最近できたばかりのエレベーターに感謝しつつ一階まで下り、彼女と軽く会話を交わし、ついでに一緒にいたホツバにも他世界の話を聞いておく。一通り話が終わり自分の部屋へ戻ろう、と振り返ったときにちらり、と見えた。
 エントランスすぐ隣にある宿屋はリュウジュ団結成前から力を貸してくれていた、ローガン、エリン父娘が営んでいる。彼らと知り合った経緯をリウは知らない。その頃は書に関わるのを恐れ、レッシンたちと別行動を取っていたから。
 結局はこうして書を中心とした争いに身を投じているのだから、素直にあの時もついて行っていれば良かった、と思うこともある。そうすれば、レッシンとエリンが仲良さげに話をしている姿を見ても何も思わないで済んだ、のかもしれない。
 いやそもそもいくら二人の仲が良さそうだからといって、それについて何かを思うこと自体間違っている。エリンは仲間だ。おっとりしている外見とは裏腹に、芯を持った強い女性だ。非常に魅力的だとも思う。団員の中には、彼女の笑顔に癒されたいがため宿屋に通うものだっているのだ。
 小さな丸いテーブルを挟んで腰掛け、ほとんど額が付きそうな距離で何かを話している団長とエリンの姿を横目に、リウはさっさとエレベーターへと乗り込んだ。

 軍師という役を負うには自分は若く、経験がなさすぎるということは重々承知している。だからこそ空いた時間を有効活用して、集められるだけの情報を集め、詰め込めるだけ知識を詰め込まなければならない、そう思っているのだが。
 自室に戻って本を開いても、ランブル族に頼んで探ってもらった帝国や協会の動きの報告書を開いても、文章が一向に頭に入って来ない。脳の中に広がるものは、先ほど見た宿屋での光景。
 今までもレッシンがエリンや他の女の子と話をしている姿は何度も目撃している。その時は何も思わなかったはずなのに、今だけこんなにも気になるのは何故か。考えずとも分かる、先日のジェイルとの会話のせいだ。
 恋人とは如何なることをする関係なのか、レッシンはイクスに聞いていた、という。どういうレクチャーがあったのかは知らないが、何かを教わったのは間違いない。イクスのことだ、女性の良さを存分に語ってくれたはずで、それを狙ってリウは彼の名前を出した。だからレッシンの興味がリウから逸れて、女性に向かってくれたのならそれは喜ばしいことのはず、なのだが。

「…………でもエリンって、あれじゃん。ジェイルが好きじゃん」

 ぽつり、呟いて、その内容に自己嫌悪を覚える。
 彼女自身がそう言っていたのを聞いたわけではない、なんとなくサポートメンバーとして共に行動しているときにそうじゃないかな、と思っただけだ。ジェイルがいると何とはなしに声が明るい、彼の方を気にかけている姿もよく見かける。ジェイルやレッシンは気づいていないだろうが、マリカあたりなら気がついているかもしれない。このことについて本人に確認を取るほど無神経ではないし、首を突っ込むつもりもない。他人の恋愛ごとなど、話を聞く程度で丁度いいのだ。
 書物と書簡を机の上に投げ出して、リウはベッドへ背中から倒れこんだ。埃っぽいのはほとんど使うことがないからだろう。自室は一応ここであるが、普段生活しているのは隣のレッシンの部屋なのだから。

「やっぱりオレ、うぜぇ……」

 レッシンがエリンを好きになろうが、彼女に告白しようが、それは彼らの間のことで、リウが口をはさむことではない。それなのに、告白してもおそらくは振られるだろう、と結論付けた瞬間胸に湧きあがってきた感情が信じられない。そんなことを自分が思う理由はないはずで、思ってはいけないはずで。だから認めてはいけないし、許してもいけない。
 抱いた感情を抑え込むように顔を覆い、ぐ、と唇を噛んだ。深く考えてはいけない、意識を向けてはいけない。もし仮に、このことが話題に上ったとしても、いつものように軽いノリで、笑って話せるように。
 自身に暗示をかけるようにそう心の中で繰り返していたところで、突然部屋の扉が開けられた。

「リウ?」

 顔を出したのは予測通り団長、レッシン。今このタイミングではあまり会いたくなかったが、そう正直に言って理由を問われても困る。もう一度ぐ、と唇を噛んで、リウは「ノックぐらいしろよー」と上半身を起こした。

「悪い、寝てた?」
「いや、考え事してた。面倒くさくなってちょっと休憩」

 そう言って書簡を広げたままの机を指差す。ちらりとそちらを見たレッシンはあからさまに嫌そうな顔をすると、「じゃあオレも休憩」とリウの側へと倒れこんできた。

「休憩、って、お前今日は別に遠征も交易もクエストもしてないじゃん」
「いいだろ、別に。ここが一番落ち着くんだし」

 ここというのはおそらくリウの自室という場所を指した単語ではないだろう。意味に気づくと同時に、照れくささが込み上げてくる。いい加減レッシンの真っ直ぐな言葉に慣れなければ、と思うのだが、なかなか簡単には流せそうもない言葉ばかり彼は放ってくるのだ。
 まあいーけどさー、と寝転がるレッシンから視線をそらしたリウの方へ、不意に腕が伸びてくる。顎を捕えられ、促されるままもう一度レッシンの方を向くと、眉を顰めた表情が目に飛び込んだ。どうかしたのだろうか、と問う前に、親指の先でつ、と唇を撫でられる。

「……切れてる。唇、噛んだ?」

 そう言われ、ようやくぴり、とした痛みを覚えた。舌を伸ばして舐めると微かに血の味がする。

「みたい。……痛い」
「気づいてなかったのかよ」

 少し呆れたような顔をするレッシンに、「きっとお前が突然部屋に入ってきてびっくりしたからだよ」と返しておいた。もちろんそんな出まかせを信じるレッシンではない。

「何か、難しいこと考えてたんだろ」

 レッシンはそう言うと、唾液で濡れたリウの唇をもう一度親指で撫でる。感触に驚いている間に手を引いた彼は、何の戸惑いもなくその指をぺろりと舐めた。

「ッ」

 か、と頭に血が上り、顔が赤くなるのが自分でも分かる。だから、どうしてそういう行為を平気でできるのか。返す言葉もなく頬を赤く染めて黙り込んでしまったリウに、「どうかしたか?」とレッシンは相変わらず平然としている。あまりにも態度が普通すぎて、普段から誰に対してもこういうことをしているのではないかとまで思えてきた。
 しかしこの流れは考えてはまずい部分へ行きつきそうだったので、慌てて首を振って思考を追い出す。

「リウ?」
「何でもないよ、お気になさらずにー」

 そう言って立ち上がろうとしたリウの腕をレッシンが掴んだ。そのままぐい、と引き戻され、体を支え切れずにベッドへと倒れ込む。
 正確にはレッシンの腕の中に、だ。

「レッシンくん……この体勢、恥ずいんですけど」
「誰も見てねーよ」
「そゆ問題じゃ、ないっす……」

 逃れようともがいてみるが、ぎゅうと抱きしめられていてそれも叶わない。暴れることを諦めてふぅ、とリウはため息をついた。

「あの、さ、レッシン」

 リウの声音にいつもと違ったものを聞いたのだろうか、少しだけ力の緩んだ腕から抜け出し、横たわっているレッシンに覆いかぶさるような体勢で腕を付く。

「こーいうの、もう、止めにしねぇ?」

 同じベッドで眠ったり、抱きついてじゃれ合ったり、リウだって嫌いではない、むしろ好きなことなのだ。本当は手放したくない。しかしレッシンの気持ちの根底にそういう思いがあるのなら、受け入れてはいけないだろうことも分かる。

「リウは、嫌か?」

 いつも明るく笑っている彼の目が、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。居心地が悪く逃げ出したい衝動に駆られたが、腕を取られているためそれもできそうになかった。
 きちんと断れ、とそう言ったジェイルの言葉が頭から離れない。レッシンは大事な友達の一人だ、そうするのが当たり前だし、そうするべきだと思っている。
 しかしどうしてだろう、この期に及んでもリウの口からはきっぱりとした拒絶の言葉が出てこない。

「嫌、って、いうかね? うん、あんまり良くない、とは思うし」

 何度も繰り返して言ってきたこと。現状とこれからのことを考えると、レッシンの側にそういう意味でいる人間は自分であるべきではない。

「レッシンもさ、マリカやジェイルに言われて、ちょっと思い違い、してんじゃねっかな、って」

 こういうことはただ一緒に寝たいがために言う言葉ではなく、きちんと好きだと思う相手に伝えることじゃないだろうか、と。
 普段の饒舌さからは考えられないほどたどたどしく発した言葉は、結局最後まで口にすることができなかった。

「ッ!?」

 突然ぐるり、と視界が反転する。何が起こったのか分からないまま瞬きを繰り返し、現状を把握すると同時にさ、と血の気が引いた。今の間に体の位置を入れ替えたレッシンが、明らかに怒気を含んだ目でリウを見下ろしていたからだ。両手を頭の上で一つにまとめ、片手で抵抗を封じながら「いくらオレでも」とレッシンが低い声で言う。

「思い違いで男にコクるほど、馬鹿じゃねぇ……ッ」

 吐き捨てると同時に、がり、と首筋に噛みついてきた。痛みに竦んだ体をレッシンは容赦なく弄ってくる。

「レ、レッシンッ、やめっ……ッん!」

 制止の声を上げるも、荒々しい口付けにすぐに封じ込められてしまった。ぬるり、と滑りこんできた舌が乱暴に口内をかき回す。涙の滲んだ視界の向こうには、薄暗い表情をしたレッシンの顔が見えた。普段からは想像のつかないその目つき。協会の非道な行いを聞いた時や、戦闘中に見せる大人びた鋭い顔とはまた違う、明らかな雄の匂いを漂わせた表情。
 目を閉じて顔を背けると、意外にもあっさりとレッシンは引いた。しかしその代わりにとでもいうかのように抑え込む右手に力がかかり、唾液で濡れた唇が首筋から肩へと降りていく。空いた左手が脇腹や腰を撫で、足の間にあった膝をぐ、と進められた。

「ひッ!」

 ここまでが限界だった。
 突然の刺激になんとかこらえていた涙がほろり、と目から溢れる。
 怖い。
 今まで一度も覚えたことのない感情をレッシンに抱いた。

「っ、く……ひ、ッ……」

 小さく震えてしゃくり上げる。一度零れた涙は堰を切ったかのように止まらない。恐怖や悲しさ、後悔といった感情が心の中でぐるぐると渦巻いている。緩く首を振る動作は、レッシンへの拒絶だったのか、あるいはこれ以上は考えたくないという逃避だったのか。
 ぱたぱたと柔らかな髪の毛がシーツを叩く音に、「あ」と小さな声が重なった。
 あまりにも力のないその声に思わず目を開けると、どこか呆然とした顔のレッシンが見える。

「ご、めん、オレ……」

 ふ、と抑えつけてくる手の力が抜けたが、痺れているせいで上手く動かせない。それでも体を捩ってレッシンの下から抜け出そうともがく。

「オレ、こん、なことする、つもり…………リウ、ごめん、ごめ……っ」

 伸ばされた腕にびくり、とリウの体が震えた。おそらく涙を拭おうとしてくれたのだろう。しかし、今の今まで圧倒的な力の差を以て押さえつけられていた手だ、思わず体が竦んでしまう。
 その反応を前にぴたりと手の動きを止めたレッシンの顔に、リウの視線は釘づけになった。

 酷く傷ついた、そんな表情。

 今にも泣きだしてしまうのではないか、と思うほど顔を歪めたレッシンは、ベッドの上に下ろした手をぐ、と握りしめて俯いた。

「マジ、ごめん」

 もう一度、絞り出すような声でそう謝ったレッシンは、そのまま部屋を飛び出して行った。待って、と止めることも、違う、と否定の声を上げることもできず、レッシンが閉めたドアを見つめる。
 どうして待ってほしいのか、何が違うというのか。

「ッく……うっ……」

 涙が止まらない。
 レッシンはいなくなったというのに、力で抑えこまれることもされていないのに、怖い、とそう思った。
 レッシンを傷つけた。彼に嫌われてしまったかも知れない。
 そのことがただひたすら怖かった。




 レッシンの気持ちを拒絶することができず、自分の都合のいいように解釈しようとした結果、彼を傷つけてしまった。気持ちを疑われ、否定され、平気でいられる人間などいはしない。
 謝らなければならないのはこちらの方だ。

「ごめ……っ、レッシン、ごめん……ッ」

 ベッドの上で丸くなり、ここにはいない彼に向って謝罪する。

「ごめ、ん、ごめんな、さ……」

 違う、のだ。
 彼を受け入れられない理由は、立場とか、役割とか、世間体とか、そんな些細なことではない。そのことを考えたくなくて、分かりやすい理由に逃げていただけ。
 自分の弱さが、レッシンを傷つけた。
 どんな感情が元であろうと、付き合おう、と、恋人になろうとそう言われ、嬉しかったのだ。仲間たちには平等に優しく接する彼の特別になれる。その事実にどれほど心が震えたのか、おそらく彼は知らないだろう。許されるのならそのまま頷いてしまいたかった。
 しかしそれはできない。
 団長だとか参謀だとか、そんなことはどうでもいい。もし本当にそれらが障害となるのなら適当に乗り越えてみせるし、無理ならばこの戦いが終わるのを待てば良いだけの話。
 ふる、と首を横に振ってリウはきつく眼を閉じた。
 たとえこの戦いが終わったとしても、自分は彼の隣に並び立つ資格がないだろう。レッシンの特別になるに、逃げ続けることしかできない自分はふさわしくない。

 そう断言できるほどの理由が、リウの中にはある。


「……だって、オレは……」


 人間ではない、のだから。





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2009.01.27
















Amantes, amentes.
恋する者、正気なし。
(テレンティウス)