考える場所」の続き。


ケンカをしよう


 友人たちの涙が出るほどありがたい励ましを背中に、レッシンの部屋の前まで来たはいいが、この先に進めない。やはりまだ怖いのだ、拒絶されたらどうしようか、と。もう嫌いになったと言われてしまったらどうしようか、と考えるとなかなか足が進まない。
 くるりと背を向けてこのまままた自室へ戻りたくなったが、その衝動をぐ、と堪える。

 これから夕飯を食べに行く、というマリカに、「レッシンと仲直り、出来ると思う?」と尋ねると、「当たり前でしょ」と返ってきた。ジェイルと同じようにあまりにもあっさりとそう返されたため、多少表情に疑いの色が出ていたのかもしれない。続けて、「何よ、あたしが信じられないっての?」と睨まれた。
 信じて、みよう。自分たちのことのように心配してくれた幼馴染たちを。部屋の中で泣いているらしい、幼馴染を。
 握りしめた拳でコンコン、と扉を叩く。返事は期待していなかったので、勝手に開けて中へと入った。ノックをするだけマリカやレッシンよりはマシだ。

「……レッシン」

 呼びかけると、ベッドにいた塊ががばり、と跳ね起きた。リウが来るとは思っていなかったのだろう、驚きに目を見開いてこちらを見ている。

「リウ」

 呟かれた声はどこか掠れている。大きく眉を顰めて歪んだその表情に、赤くなっている目と目元に、ずきり、と胸の奥が痛んだ。

「リウ、ごめん。ごめん、オレ……」

 膝の上で震えるほどに拳を握りしめ、レッシンはただひたすら謝罪を繰り返す。
 その言葉はもう聞いた。彼が後悔しているのもよく分かる。だからもういいのだ。
 リウは首を小さく振って、彼の言葉を止めた。

「謝るのはオレの方だよ……ごめん、レッシン」

 レッシンのことをよく考えもせずに、酷いことを何度も言って傷つけた。謝って許して貰えるレベルではないかもしれない。それでも謝りたかった。謝らなければいけなかった。
 近づいて、床に膝を立てる。ベッドに座り込んだレッシンと視線が合うように。

「ごめんな」

 何を謝っているのか、レッシンにはきちんと伝わったのだろう。表情を和らげた彼は、先ほどのリウと同じように緩く首を横に振る。その動作に、ほ、と足の力が抜けた。
 ぺたりと床に座り込んだまま、「……ジェイルに、」とリウは口を開く。

「ちゃんとケンカしてこい、って怒られた」
「オレはマリカに怒られた」

 迷惑かけちゃったな、と呟くレッシンに小さく頷きを返した。

「今度なんか礼でもしねーとな」
「だな」

 顔を見合せて笑う。ようやくまともに視線を合わせることができ、二人の中で何かが吹っ切れた。

「うっし、じゃ、するか、ケンカ」
「いいけど、殴ったりするのはなしな」

 手が出そうになったらこれ、殴っといて、と側にあった枕をレッシンに手渡す。力任せの殴り合いになれば、リウに勝ち目はない。もしそうなったら星の印を使ってやろう、城が壊れるだとかこの際関係ない、と物騒なことを考える。
 渡された枕をぎゅうと抱きしめて、「だいたいさ」と唇を尖らせたレッシンが呟いたのが始まりの合図。

「リウがオレの言葉を信じないのが悪ぃんだよな。本気の告白だぜ? 信じらんねー」
「それは悪かったと思ってるけどさ、そもそも信じろっつー方が無理だろ」
「何で」
「だってお前、もともとのコクった理由が『一緒に寝てもおかしくないから』だろ? そこはフツー止めるだろ、友達として」
「だから何で」

 眉を寄せて重ねて問いかけてくるレッシンに、「だからさ!」とリウは声を荒げる。

「友達として好きのレベルと恋人としての好きのレベルって違うでしょーが!」
「何当たり前のこと言ってんだ、バカ!」

 ぼふ、と飛んできた枕が顔面に衝突する。手が出そうになったらこれを殴れ、と言ったのであって、投げろとは言ってないのに、と思いながらも床に落ちたそれを拾い上げた。

「普通、ただの友達とずっと一緒に寝たいとか思わねーだろーが! そういう意味で好きだからそー言ってたんだよ、気づけ、バカ」
「気づけるかぁッ!」

 投げ返した枕をあろうことかレッシンはひょい、と避けた。これだけ至近距離であったにも関わらず、だ。

「避けんな!」
「ヤダよ、当たったら痛いじゃん」
「お前はさっき人に投げつけただろーが」
「避けないリウが悪い」
「こっちはお前みたいに、脳みそが筋肉でできてるわけじゃねーんだよっ!」

 そう怒鳴ると、「人を筋肉バカみたいに言うな」とレッシンが唸り声をあげた。

「実際そーだろ! 大体な、オレがお前の言葉を真剣に取らなかったのだって、お前がそんなだからだろうが!」
「そんなってどんな!?」
「ガキって意味だよっ!」
「一個しか違わねーじゃん!」
「身体的な年齢の差じゃねぇよ、精神年齢だっ!」

 リウがそう言ったところで、「精神年齢なら」と二人以外の声が突如割って入る。

「いい勝負よ、あんたたち」
「どっちもガキ……」

 いつの間に現れたのか、マリカとジェイルが部屋の中にいた。

「聞いてよ、二人ともっ! こいつ、ひでーんだぜっ!?」
「酷いのはリウの方じゃんっ! 人が真剣に言ってんの冗談だと思いやがってっ!」
「だからそう思わせるような態度とってたのはどっちだって話だっ!」
「リウ」
「何でだよっ!」

 再び始まってしまった言い争いに、ふぅ、とジェイルがため息をつき、同時にマリカの右手が閃いた。スパン、スパンと小気味よい音を立てて二人の額が叩かれる。

「ご飯、食べるの? 食べないの?」

 持ってきてあげたんだけど、と言うマリカが指す先には、ジェイルが抱えた二つのバスケット。その籠の大きさからいっておそらく四人分入っているのだろう。どうりで夕飯を取ったにしては戻ってくるのが早すぎる。どんな時でも可能な限り四人で夕食を取る、というルールはこんなときにも適用されるらしい。

「食うに決まってんだろ!」
「食べまーす」

 マリカの問いに同時にそう答えた二人は、とりあえず一時休戦し、部屋の中央に敷いてあるラグの上へと移動した。



「すげーよなぁ、ただのサンドイッチだぜ? 何でこんなに美味いんだろう」
「パンで挟んであるだけなのになぁ」

 ワスタムの作るものはどんなものであれ一流の味を誇る。もちろんシスカの手料理も愛情が込められていてかなり美味しいが、それとまた違う、別の美味さがあるのだ。
 感心しながらサンドイッチを食べているレッシンとリウに、「挟み方が違う、とか?」とジェイルが首を傾げた。

「挟み方って、具体的には?」
「……角度」
「いやいや、無理でしょ、それは。持ったら味が変わっちゃうじゃない」

 ジェイルの答えにマリカが苦笑して答える。

「挟む順番とか?」

 それに便乗してレッシンが言うと、「確かに」とマリカは自分が齧りついていたサンドイッチへ目を落とした。

「ソースのしみ込み方とか、歯ごたえとかは変わるかもしれないわね」
「わー、なんか、マリカが料理のことを話してるのって、すっごい違和感」
「リウ、何か言った?」
「何も言ってません!」

 ふるふると首を横に振って、追及から逃れるようにリウはがぶり、とチキンサンドに齧り付く。ソースに軽く生姜が混ぜられているのだろうか、マスタードとは違った辛さがほんの少しばかり舌に残る。

「も一個、食ってい?」
「一人二個ずつ! あんたはもう二個食べたでしょ」
「えー……」
「いいぞ、レッシン、それ食っちゃっても。オレ、一個で腹膨れた」

 リウはもともとそれほど食事の量を必要としない。出された食事はなるべく残さず口に入れるようにはしているが、胃袋はそう簡単には広がらない。
 サンキュー、と嬉しそうに残りの一つに手を伸ばしたレッシンの向かいで、「リウはもうちょっと食べなさいね」とマリカに言われる。

「ちゃんと食ってるよー?」

 シトロにいた時もこの城に移動した後も、以前よりは格段と健康的な生活を送っている。それでもまだ不健康そうに見える、というなら、そういうものなのだと諦めてもらうほかない。それならいいけどさ、と言うマリカに、自分の分を食べ終えたジェイルが、「これ、食っていいか?」と尋ねていた。
 彼が指さしていたもう一つのバスケットの中には、種類の違う小さなケーキが四つ。デザートとして貰ってきたらしい。

「うわ、美味そ。これはチーズケーキ?」
「そう、こっちはヨーグルトだって。あとはモモの入った生クリームのケーキと、チョコレートケーキね」

 三つ目のサンドイッチを食べ終えたレッシンが、籠の中を覗き込んで目を輝かせている。どれにしようかな、と悩む彼の隣で、お茶をすすりながら「オレはどれでもいーよ」とリウは言った。

「リウはこれ」

 そんな彼の前にジェイルがケーキを一つ、取り出して置く。薄いクッキー生地の上に、白いゼリーのようなものが乗ったケーキだ。

「あんた、あんまり甘いの好きじゃないでしょ? ヨーグルトケーキならそんなに甘くないしね」

 どうやらそのケーキはリウのために選んだものらしい。マリカに説明され、「サンキュ」とリウは笑う。
 甘かろうが辛かろうが、食べるものであれば何でも好きだというレッシンに、意外にも甘いものが好きなジェイル、ものすごく好きというわけではないが普通に食べるマリカはじゃんけんをして勝った順にそれぞれ好みのものを選んでいた。
 違う種類のケーキを一口ずつ交換し合い、ひと通りの食事がすんだところで、「じゃあ」とマリカが立ち上がる。

「ケンカの続き、頑張って」

 それ、ワスタムさんとこに返しといてね、とバスケットを置いて、ジェイルとともに部屋を出て行ってしまった。

「……フツーさ、友達がケンカしてたら、仲裁に入るとかしねぇ?」
「飯食いに来ただけだろ、あいつらは」

 呆れたように二人を見送ったリウが呟くと、レッシンも苦笑いを浮かべてそう言った。

「頑張れって言われたからなぁ。続きする?」
「えー、オレもう疲れたからヤダ」

 ベッドに腰かけてそう尋ねてくるレッシンに、空になったバスケットを片づけながらリウが答える。適度に腹も膨れて体は至極満足している、できればこのままのんびりとしていたいものだ。

「オレも腹いっぱいで難しいこと考えらんねーな」
「お前が難しいこと考えられないのはいつもじゃん」

 苦笑してベッドの側に立ったリウへ、レッシンが腕を伸ばした。しかし指先が触れる少し手前でぴたりと動きを止める。
 どうしたのだろうか、と彼の様子をうかがうと、どこか不安げな視線にぶつかった。

「触っても、いいか?」

 やはり彼は無理矢理組み敷いたことを気にしていたらしい。また怯えられたらどうしようか、と思っているのかもしれない。
 そんなレッシンを安心させてやるために、笑みを浮かべて「いいよ」と自分から手を伸ばす。指を絡めるように手を繋ぐと、レッシンはほう、と安堵の息をついた。

「リウ」

 いつものはしゃぎ回ってるときの声音とは違い、落ち着いた少し低めの声。この声で呼ばれるのがリウはとても好きだった。

「オレはリウが好きだ。友達として、じゃなくてな。こんな風にオレに好かれるのも迷惑か?」

 恋愛対象として好きなのだ、とはっきりと告げられ、リウは緩く首を振った。
 そう、始めから嫌だとか迷惑だとか、全く思っていなかったのだ。

「リウはオレが嫌い?」
「まさかっ!」

 嫌いだなどと思ったこともない。思わず声を上げて首を振ると、「良かった」とレッシンが笑う。

「じゃあ好き?」

 続けて問われたことに、頷いて答える。

「それは友達として?」

 この言葉に素直に頷けたらきっとこんなにも悩まなかった。

「友達として……っていうには、ちょっと、行き過ぎてるかも、しんねー」

 はっきりと恋愛対象として、とは言いづらく、また言いきれない。ぼかして言ったその言葉の意味を考え、理解すると途端にレッシンの顔に笑みが浮かぶ。「リウ」と腕を引かれ、素直にレッシンの腕の中に体を預けた。ぎゅう、と抱きしめてくるその腕の力が心地よい。

「リウは、こうして抱き締められるのは嫌じゃないんだよな?」
「うん」
「一緒に寝るのも?」
「嫌だなんて、一度も、思ったこと、ねーよ」

 むしろ手放しがたく思っているくらいなのに。

「それでも、オレと付き合うのは嫌なんだ?」

 そう尋ねられ、う、と言葉に詰まる。返事がないことを肯定と取ったのか、「それってさ」とレッシンは言葉を続けた。

「オレが団長で、リウが参謀だからか?」

 立場があるから、今の状況を考えたらそんな関係にはなっていられない、と。今まで散々そう言って逃げてきていた。ここでまた頷いても、きっと今のレッシンならば理解してくれる。しかしそれでは駄目なのだ、また同じことを繰り返してしまう。
 自分からレッシンの腰に腕を回し、肩に顔を埋めてリウは小さく首を横に振った。

「……それ以外に、オレとは付きあえない理由が、リウにはあるんだな」

 確認するかのようなその言葉に、やはりリウは無言のまま頷いて答える。「そっか」と紡がれたレッシンの声が寂しそうで、思わず「ごめん」と呟いた。

「謝んなくていいんじゃね? オレが勝手にリウが好きだっつってるだけだし」
「でも、だって……ッ」

 レッシンの気持ちを受け入れるつもりがないのなら、ジェイルに言われたとおりにきっぱりと断ればいいのだ。そうすればレッシンも諦めて次に進めるだろう。しかし、今のリウにはそれができない。拒絶するにはレッシンのことが好き過ぎる。かといってきちんと受け入れることもできないのだから、彼からすればいい迷惑としか言えないのではないだろうか。
 しかし顔を上げたリウの頬を撫でながら、「いいよ、別に」とレッシンは笑った。

「オレはこうやって触らせてくれればそれでいい」

 暖かな言葉に零れそうになる涙をこらえて、そっとその手のひらへと擦り寄る。その温もりが何よりも愛しく、安心できる。
 するり、と後頭部に回された手に引き寄せられ、額を合わせた状態でレッシンが問う。

「キスは、嫌?」

 その声に、リウはゆっくりと首を振った。同時にふわり、と唇が触れあう。
 重ねるだけの可愛らしいキス。
 先ほど仕掛けられた荒々しいものとは違うその感触に、うっとりとしたため息をつくと、再び唇が奪われた。
 今度は吐息さえ閉じ込めるかのようなしっとりとした、長い口付けだった。




ブラウザバックでお戻りください。
2009.01.29
















ぶっちゃけ、「くっつくまで」っていうよりも、
「やっちゃうまで」のお話だったりします。