Amantes, amentes.」の続き。


考える場所


 大まかに言えばほとんど人間と変わらないらしい。姿形はもとより、身体的構造など、異なっている部分を見つける方が難しい、と。肌の色や魔道への適正の違いくらいならば、たとえばジャナム出身者とアストラシア出身者の間にもある。個性と呼んでも差し支えがないレベル。
 しかし、厳密にいうならばリウは人間とは違う種族に属することになる。それは選民思想の強い一族たちが思っているような違いではなく、生物学上、フューリーロアやポーパスたちと同じように、人類とは異なった位置にいるのである。いくら過去を捨てようとも、生まれだけはどうしようもできない。遺伝子レベルで己を変えるなど、生きている以上不可能だ。
 そのことを隠すつもりはないが、話すつもりもない。リウの中であの村は既になかったことになっている場所。いくら書に関わりのある一族とはいえ、排他的な彼らはおそらく今起きていることに関心すら持たないだろう。とくに、線刻を受ける前に村を飛び出た自分が絡んでいるとなると尚更。
 書について詳しい一族がいるが、きっと教えてはくれないだろう、などという役に立たない情報を伝えたところで意味はない。

 自分が人間とは異なる種族である、ということを告げたとしても、きっと幼馴染たちは変わらない。ジェイルは驚き、マリカはどうして言わなかったの、と怒るかもしれないが、レッシンは確実にだからどうした、と言うだろう。彼はそういう人間だ。
 その事実を伝えるのが怖いわけではない。
 それを隠していた自分を知られるのが嫌なのだ。
 村から逃げ出した弱い自分を知られるのが怖い。
 何せ、この戦いの始めは書との関わりを恐れるあまり、使えるはずの星の印を隠していたくらいなのだ。
 そんな自分を軽蔑されるのが怖い。
 あの暖かな笑顔をもう二度と向けてもらえなくなるのではないか、という想像に、ぞっと背筋を冷たいものが這いあがった。
 それは嫌だ、そんなことになったら耐えられない。
 そう思うが、どうしていいのかも分からない。
 外に出る気力もなく、時間の感覚もないまま、リウはただシーツに包まってじっとしていた。

 どれだけそうしていただろうか、コンコン、と小さなノックの音が暗い室内に響く。

「リウ、入るぞ」

 返事も待たずに扉を開けたのは、半ば予想していた人物、ジェイルだった。動く気配のないリウをどう思ったのか、彼は後ろ手で扉を閉めると、無言のまま歩み寄りベッドへと腰掛ける。

「向こうには今マリカが行ってる」

 向こう、というのは隣のレッシンの部屋のことだろう。二人して訪ねてきた、ということはおそらく今は夕食の時間。食堂に姿を現さない二人を呼びにきた、といったところか。泣き過ぎてぼんやりとした頭でそう考える。
 ぽん、と頭を撫でられ、肩が跳ねた。しかしそんなリウの反応に構う事なく、ぽんぽん、とジェイルは何度も頭を撫でる。こういうマイペースなところはレッシンとよく似ていると思う。

「大丈夫だ」

 優しく髪の毛を梳きながら、ジェイルがいつもの落ち着いた声でそう言った。

「何も心配しなくていいし、怖がらなくていい」

 きっとジェイルは何も知らない。どういう経緯でレッシンとリウが仲違をしたのか、レッシンが何を思っているのか、リウが何を隠しているのか、何も知らない。それを自覚し踏まえた上で、それでも彼は大丈夫だ、とそう言うのだ。
 そう、言ってくれるのだ。
 一度は止まった涙がまた溢れてくる。

「ッ、で、も、オレっ、酷いこと、言った……ッ」

 シーツに顔を埋めくぐもった声でリウは言う。「うん」とジェイルはただ静かに相槌を打った。

「レッシン、の、気持ち、考えて、なくて、」
「うん」
「すごい、傷、つけたっ……」
「うん」

 がばり、と起き上がり、リウは涙をぬぐうことなくジェイルの腕に縋りつく。

「どう、しよ、レッシンに、嫌われてたら、オレ……ッ!」

 考えるだけでも震えが止まらない。
 骨ばった肩を抱きとめて、ジェイルは子供をあやすようにリウの背中を撫でた。

「ちゃんと、謝ったのか?」

 ゆっくりと紡がれたその言葉に、リウは小さく首を横に振る。

「なら、レッシンに謝れ」

 まずはそれからだ、とジェイルは言う。ぽん、と最後に軽く背中を叩いて、ジェイルはリウの体を起こした。正面から視線を合わせ「ちゃんと喧嘩をしてこい」と口にする。

「ケンカ……?」

 既に今も喧嘩をしているようなものなのに、これ以上まだ拗れろ、とそう言うのだろうか。鼻をすすりながら首を傾げると、ジェイルは「そうだ」と頷きを返した。

「今ここで互いに引いて表面だけ仲良くしても、どうせそのうちまた齟齬が出る。一度きちんとぶつかったらいい。リウもレッシンも、おしゃべりなくせに肝心なことを言わなすぎるんだ」

 どこか突き放したような言葉だが、その声音は優しく、心の底から自分たちを心配してくれていることが分かる。

「……ッ、仲、直り、できる……?」

 喧嘩をして、言いたいことを言い合って、そのあときちんと元に戻れるだろうか。仲違をしたままということにはならないだろうか。
 リウの不安を吹き飛ばすかのように、ジェイルは「できる」ときっぱりと言い切った。

 言いきれるだけの根拠はどこにもない。人間関係に絶対はないのだ、些細なひと言が切っ掛けで二度と交わらない人たちだっている。
 しかしそれでも、ジェイルは言い切るのだ。必ず仲直りができる、と。

「レッシンも、向こうで泣いてた。リウに酷いことをした、嫌われたかもしれない、って」

 その言葉にぴたりと涙が止まった。自分の感情に素直なレッシンは泣くことにも躊躇いがない。悲しい時には悲しいと、泣く姿を今まで何度か見てきていた。
 きっと今リウがジェイルに慰められ、背中を押されているように、レッシンもマリカに慰められ、背中を押されているのだろう。

「そんなお前らがちょっとの喧嘩でどうにかなるわけがないだろ。……リウはおれが信じられないか?」

 尋ねられ、ふるふると首を横に振った。
 たとえ自分自身を信じられないとしても、仲間の、シトロで共に育った彼らの言うことなら信じられる。
 ジェイルがそう言うのだ、きっと大丈夫。またレッシンと笑い合うことができるようになるだろう。

 乱暴に涙を拭い、リウはにへら、と笑ってみせる。まだ上手く笑えないが、それでも立ち上がる気力は湧いてきた。

「ごめん、サンキューな」

 そう言ったリウに、もう大丈夫だと思ったのだろう、ジェイルも口元を綻ばせて頷いた。
 同時にばたん、と入口の扉が開かれる。驚いてそちらを見ると、仁王立ちしたマリカがそこにはいた。

「……なんでマリカもレッシンも、ノックとかしないかな」

 思わず呟いたリウに、「わざわざ呼びに来てあげたのにそう言うこというの?」とマリカは眉を吊り上げる。

「てか何、あんたまで泣いてたの? ったく、あんたたちってホントよく似てるわね」

 そう言うと彼女はふう、と大げさにため息をついてみせた。軽い態度なのは意識してそうしているのだろう、これくらいの喧嘩は何ともないことなのだ、と示すために。

「レッシンは?」

 ジェイルが尋ねると、「まだ部屋でぐずってる」とマリカは言う。

「喧嘩してびーびー泣いて。子供かっつーの」

 同じ年であるはずなのだが、マリカはレッシンのことを弟だと思っている節がある。そんなレッシンと同列に扱われることの多いリウも、年齢的には一つ上であるはずなのに彼女には弟のように見えるのかもしれない。

「リウ、あんたね、レッシン相手にしてんだからもうちょっと考えなさいよ」

 眉を顰め、怒ったような表情のままベッドの側へと歩み寄ってきたマリカが、とん、とリウの胸を叩いた。

「ここで、ね」

 あんたは頭で考え過ぎんのよ、とそう言うマリカに、ジェイルも静かに頷いている。
 頭ではなく、心で考える。具体的にどうするのだろう、と考えかけた思考を止め、そういうことではないのだ、と思いなおした。正しい方法や筋道があるわけではないのだろう。理屈が通じない、だからこそ頭で考えてはいけないのだ。

「あー、でもリウまで突っ走り出したら止める人がいなくなっちゃうから、ほどほどにね」

 レッシンの思いつきを、一歩後ろに引いて吟味するのはリウの役目だ。参謀がいなくなってしまうと団としてかなりまずいことになるだろう。感情のみで作戦を立てる軍師など、聞いたこともない。

「……マリカとジェイルはやってくんねーの?」
「ヤよ。あたし、考えるの嫌いだもん」
「おれは考えても分からない」

 きっぱりとそう言った二人に、「お前らね……」と思わずため息が零れた。

「頭で考えるなっつったり、考えろっつったり、オレはどーしたらいいわけ?」

 そんなリウの言葉に、マリカとジェイルの声が重なって返ってくる。

「とりあえず、レッシンのとこに行けばいいと思う」
「あの馬鹿なんとかしといてね」

 投げつけられた言葉に、リウは「リョーカイっす」と小さく返事するほかなかった。 




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2009.01.28
















ジェイマリに目覚めそうな勢い。
スクライブの詳細については妄想です。
医者が「人間じゃない」みたいなことを言ってたので、
人種的な差じゃないんだろうな、と。