輝ける世界・10


 もっと詳しく話そうか、と口元が露悪的に歪むのを止められない。もっと具体的に、何人の客とどのような行為に及び、どれほどの稼ぎを得たのか。リウの優秀な頭脳はある程度ならば覚えているのだから。
 話の内容にか、あるいはリウのそんな表情にか、眉を潜めたままレッシンは「いや、いい」と吐き捨てる。
 室内に落ちる沈黙。それがそのまま終焉を意味しているように思え、喉と鼻の奥がつん、と痛んだような、そんな気がした。

「……どこに行く」
「隣に戻る」
 さすがにもう一緒には寝られねーだろ?

 壁から背を離し、腰を上げたリウへレッシンが声を掛ける。それにぞんざいに答え、膝を進めてベッドを降りようとしたところで、「待て」と腕を掴まれた。

「ッ」

 細い腕だな、とレッシンのものではない男の声が頭の中で響く。その時と同じようにぐい、と力任せに引かれ、再びリウの意識が過去へと飛んだ。
 嫌だ、離せ、ベッドの上でそう口走りながらじたばたと暴れる。
 嫌だ、やりたくない、触られたくない。
 ――金なんて欲しくない。

「リウ!」

 混乱したリウを呼び戻したのは、力強く呼ぶ友人の声。レッシン、とその名を舌の上で転がして、ようやく自分の置かれている状況を再び思い出した。
 大丈夫、ここはあの部屋ではない、腕をつかんでいるのも客ではない。だから大丈夫。
 何度もそう言い聞かせ、深呼吸を繰り返す。そうして自分が落ち着いたことを確認してから、「ごめん」とレッシンから視線を反らせて小さく謝った。もう大丈夫だからその掴んだ腕を離してもらいたい。そんな意味を込めて右手を引こうと試みるが、がっしりと手首を掴まれているため奪還は失敗に終わる。それどころか握る力を更に強められ、鈍い痛みに思わず眉を寄せて呻いてしまった。
 恐る恐るレッシンの方を伺えば、視線が向くのを待っていたとばかりに「リウ」と名を呼ばれる。

「お前さ、嫌だったんだろ。逃げ出したかったんだろ」

 それ、と言われ、どれのことだか分からず一瞬首を傾げてしまう。しかしすぐに思い当り、「でも、」と再びレッシンから顔を反らせ、皺の寄る敷き布へ目を落とした。

「騙された、のは始めの一回だけで、そのあとは、」

 自ら進んで客を取ったことはないが、紹介されるのを断らなかったということは同じようなもの。自分は被害者なのだ、と胸を張って言うことはできない。
 もごもごと、口の中でそんな言葉を呟くリウの腕を、レッシンはもう一度強く引いた。

「じゃあ、なんでお前今、こんなに泣いてんだよ」

 空いている手で顎を掴まれ、無理やり顔を覗き込まれる。泣いてなどいない、確かに鼻の奥は痛んでいるが、それでも涙は零していない。過去は悔めど、泣いてどうにかできるものではないと分かっているつもりだ。
 そう言おうと思って口を開きかけたが、乾いた唇からは意味のある言葉はもう出てこなかった。

 代わりとでもいうかのように、見開いた目からぼろぼろと零れる滴。あれ? と思う間もなかった。次から次に、今まで誰にも告げることができず、ただひたすら抑え込み一人で耐えてきたものが、堰を切ったかのように溢れて止まらない。慌てて濡れる頬を拭おうとすれば、それより先にレッシンの掌に拭われた。
 少し乱暴で、それでもひどく温かかった掌に、ますます涙が止まらなくなる。

 嫌だった?
 逃げ出したかった?
 そんなの、当たり前だ。
 好き好んであんな商売に手を出したわけではない。
 もし身体を切り取ることで過去の一部も切り離せるのだとすれば、両腕だろうと両足だろうといくらでも差し出すだろう。それであのことがなくなるのならば、また綺麗な身体に戻り、彼らと同じ位置で笑うことができるのならばその程度の犠牲、惜しくはない。

 リウ、と名を呼ばれ、膝を進めたレッシンが肩へ腕を回してきた。むずがる子供のように泣きながら首を振り、身体を捩って引き寄せる力に抵抗する。しかしそれでも許されず、ぽふり、と倒れた先にはしっかりと筋肉のついたレッシンの胸があり、抱きとめられ促されるままに彼の肩へ額を乗せた。
 ぽんぽん、と子供をあやすように肩や背を何度も撫でられ、ひっ、としゃくりあげてひたすら泣き続ける。泣いて泣いて、目がどうにかなってしまうのではないかと思うほど泣いた。
 涙として作られた水分をほぼすべて使い切ってしまったのか、しばらくしてようやくリウが泣き止めば、見計らったレッシンが乾いた布で顔を綺麗に拭ってくれる。目が腫れぼったく頭がぼぅとする。こんなにも泣いたのは生まれて初めてかもしれない、そんなことを思っていれば、ひたり、とリウの頬へ何かが押し当てられた。熱を持った瞼を押し上げれば、腕を伸ばしたレッシンがリウの顔に触れているのだ、と知る。

「今オレはお前に触ってっけど」
 オレは汚れたか?

 真正面から瞳を合わせ、問いかけられた言葉。
 その視線は変わらず強い光を放ち、その存在はリウにとってはきらきらと輝いて見える。
 ふる、と小さく首を横に。
 彼の輝きはこの程度では全く損なわれておらず、まだ側にいることができるのだ、と。
 側にいても良いのだ、と。
 そのことが嬉しくて、リウの目からまたほろり、と涙が零れた。




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2011.03.11
















結局団長とリウはくっついてはいませんが、ここでおしまいです。
おつきあいくださりありがとうございました!