輝ける世界・9


「――――ッ」

 唐突に覚醒する意識。驚きのままがばり、と上体を起こす。
 目の前に広がる闇。視界が封じられているのかと、慌てて顔を手で払うが目元を覆う布はない。そもそも両手が自由に動くことに驚いて、そこでようやく思い出す、ここは客たちに抱かれたあの部屋でない。
 薄暗い部屋で行われていた淫靡な行為。汚らわしい行為。
 肌をまさぐる他人の掌、感じる生温かな吐息、すすり泣く高い声は自分のもの、ぞわぞわと毛羽立ったかのように体中が敏感になっている。追い込まれ、追い詰められ、そのあとに待ち受けているものはただひたすら、落ちることだけ。
 落ちてはならない、今は落ちることは許されていない。骨ばった指でぎゅう、と掛け布を握りしめ、追いかけてくる夢の残響を振り払うように緩く首を振ったところでごそり、とすぐ近くで何かが動く気配。
 他人の、気配。
 ぞ、と背骨を冷水が伝ったかのような、言いようもない悪寒が駆け抜けた。

「リ、ウ?」

 どうしたお前、と掠れた声で呟かれる言葉。普段の彼ならば何がどうあっても自分で目覚めるということなどほとんどないくせに、どうしてこんなときばかり夜中に目を覚ましてしまうのか。
 いや、リウがこのような状態だから、だろう。彼は感覚第一で行動している部分があり、人並み外れて勘が鋭い。リウを取り巻く異様な雰囲気に、寝ていながらも気づけてしまえるほどに。

 ぎ、ぎ、とまるで油の切れた人形のように、ひどく不自然な動きでレッシンの方へ顔を向けたリウは咄嗟に言葉を紡ぐことができなかった。未だ半分ほど夢の中から意識を戻すことができておらず、ひどく混乱している。
 明りのない部屋の中でも分かるほど、リウの顔は青ざめていた。そこでようやく、はっきりと様子がおかしいことを認識したのだろう。いぶかしげに眉を寄せたレッシンが体を起こし、「リウ」ともう一度名を口にする。
 何かを言わなければ、ごまかさなければ、と思うのだが、焦るばかりで舌は一向に動く様子がない。うっすらと開かれた唇からは、「あ、」と覚束ない声が零れただけで。

「何か、嫌な夢でも見たか?」

 心配げにそう言って固まったまま身動きもとらないリウへ、す、と伸びてきた手。日頃武器を手にしているせいで、ごつごつとした少年らしさの欠けた大きな手。誰のものであるのか、認識する前にリウはぱしり、とそれを払いのけてしまう。いやおそらく、レッシンのものであると分かっていても同じ行動を取っただろう。
 まさか触れることすら拒否されるとは思っていなかったのだろう。驚いたように目を見開いた後、レッシンは素直にその視線と声に怒りを乗せた。

「リウ?」

 それは接触を拒否されたことへの怒りではない、リウが何も話そうとしないことに対する怒り、苛立ちだ。
 まずいと思った。レッシンが嫌で、嫌いで手を振り払ったわけではない。誤解を解かなければ、嫌われてしまう。焦りのまま「ちがっ、違うっ、」とリウは首を横に振る。

「おまえ、が、汚れる、からっ」

 今まで散々触れ合うスキンシップを重ねておいて何を今さら、と妙に冷静な自分が耳の裏側で囁いているような気がした。しかし今のリウにはそんな理屈は理解できない。とにかく自分は汚れている、この体に触れたらせっかく綺麗なままでいる彼も汚れてしまう。
 そんな強迫的な観念に頭の中が支配されている。

 レッシンが汚れてしまう、それだけはどうしても避けたくて、リウはベッドの上でレッシンから距離を取ろうと身じろいだ。しかし壁際に寝ていたため、すぐにとん、と背中へ固い感触が走る。それでも、僅かでもいいから離れていたくてリウは精一杯体を引いて、壁へぺたり、と背中を付けた。
 明らかに怯え、混乱している様子のリウを前に、もう一度手を伸ばしかけたレッシンは、しかしすぐに察してそれを引く。ぐ、と握った拳を掛け布の上へ置いた後、「どういう意味だ」と低い声で問うた。
 ふる、と首を小さく振って拒否を示す。分からないという意味ではなく、答えたくないという意味だったのだが、レッシンには通じなかった。

「なんでお前に触るとオレが汚れる?」

 もう一度首を振ろうかと思ったが、暗闇の中でも分かるほどまっすぐなレッシンの視線に捕えられ、びくり、と体が竦んだ。
 逃げられない。

「っ、オレ、が、汚れてる、から……」

 それは目には見えない汚れ。リウ自身が隠そうと思えば隠し通せるかもしれない汚れ。だからこそ、知らぬまま誰かを汚してしまうかもしれなくて。

「何でリウが汚れてんだ?」

 おそらくここ数年で、リウが最も恐れていた質問はこれだったのだろう、未だ夢の中から戻ってきていないかのような、どこかぼんやりとした頭のままリウはそう思った。
 虚ろな意識に襲い掛かるものは、もはやどうでもいい、というひどく投げやりな意識。
 それは三人目の客に抱かれた直後に抱いたものとよく似ており、リウの心が三度折れた瞬間だった。




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2011.03.11