名前を呼んで


 そういえば、と葉佩は思い出す。H.A.N.Tの『敵影消滅』というアナウンスを聞いていなかったな、と。
 基本的に遺跡の中は薄暗い。墓場の地下にあるのだから当たり前だが、暗視ゴーグルをかけているとはいえ視覚があまり頼りにならないのならH.A.N.Tや第六感的感覚を頼るべきである。しかしそのどれもが疎かになるとは、プロとしてあるまじきことだろう。

 「おいっ」と普段あまり聞けないような皆守の焦った声が耳に届くと同時に、ぐい、と襟首を乱暴に引かれる。

「どいて、葉佩クン!」

 するり、と葉佩のいた場所にもぐりこんだ八千穂が「いっくよー!」とラケットを振り上げた。彼女の放ったボールはまっすぐに葉佩を狙っていた化人へと飛んでいく。ぼすん、という音と同時に無機質な『敵影消滅』という声が響いた。

「び、っくりしたぁ」
「びっくりしたのはこっちだ、アホ」

 いまいち状況についていけていない葉佩が間の抜けた声を出すと、ごつん、と頭へ拳が振り下ろされた。

「っ! いっ、たいぃ、けど、今回は俺が全面的に悪いぃ」
「分かってるなら反省しろ。で、次からは名前を呼んだら振り向くくらいしろ」

 無駄に焦った、と一連の騒動で消えてしまっていたアロマに火をつけながら皆守は言う。そんな彼の後ろで八千穂も「そうだよ」と頬を膨らませていた。

「何度も『葉佩クン』って呼んだんだよ、なのに無視してずっと石版見てるんだもん」

 腰に手を当てて怒りを表現しているらしい彼女に、葉佩は「あー」と唸り声を零す。そして「ごめんね、八千穂さん」と首を傾けて謝った。

「俺ね、あまり苗字を呼ばれなれてなくて。多分『ハバキクン』ってのが自分のことって分からなかったんだと思う」

 目の前の石版に意識を持っていかれていた、というのもあるだろう。何度か訪れたことのある部屋で、敵もそれほど強くないという油断もあっただろう。しかし名を呼ばれ振り向かなかったのはおそらく、それが自分を呼んでいると認識できなかったから。

「呼ばれなれてない、ってどうして?」
「それ、偽名か?」

 首を傾げた八千穂の言葉に被せるように、皆守がそう言った。その言葉に葉佩は慌てて首を振る。

「いや、本名だよ、ちゃんと。でも俺んち、皆苗字が違うしさ。そのせいであまり苗字で呼ばなくて、友達とかも適当なあだ名で呼んでたし」

 基本的に協会の中では本名ではなくコードネームで呼び合う。親しくなれば名を知ることもあるが、それでもファミリーネームで呼ぶことなど稀だ。

「へぇ、じゃあ今までどういう風に呼ばれてたの?」
「んー、コードネームでロンホーとか、ロンとか、リュウとか。英語圏の人には九龍の九でナインとか。普通に九龍、って呼ばれることもあるし」

 指折りあげていくと「いろいろあだ名があるね!」と何故か八千穂は嬉しそうだ。

「あ、じゃあさ、じゃあさ! 私も今度から九龍クンって呼んでもいい?」
 そうしたらちゃんと気付いてもらえる?

 にっこり笑って言われた提案を葉佩が拒否するわけもなく、もちろん、と笑顔で答える。

「じゃあ俺もやっちー、って呼んでいい?」

 彼女が親しい友人にそう呼ばれているのを聞いたことがある。可愛くていいな、と思っていたのだ。葉佩の言葉に八千穂も嬉しそうに頷いた。
 薄暗い遺跡の中でする話ではないだろうが、互いに呼び方が決定したところで同時に今まで口を挟んでいなかった人物を振り返る。

「……なんだよ」

 彼は話題を振られることが分かっていなかったのか、分かっていても無視するつもりなのか、アロマをふかしながら視線を葉佩たちからそらす。

「皆守は俺のことなんて呼んでくれる?」
「今までどおり葉佩でいいだろう」
「えー、それじゃあ、さっきみたいに九龍クン、気付いてくれないかもよ?」

 ねー、と首を傾けて同意を求める八千穂に、葉佩も「ねー」と同じように首を傾けた。

「気付くように努力しろよ」

 尤もな言葉だが葉佩は「えー」と唇を尖らせる。

「せっかく初めての学生生活だっていうのにさ、友達からずっと苗字で呼ばれるのかー。フレンドリィに呼ばれるの夢だったのに」

 つまんないつまんないつまんないー、と葉佩はその場で地団駄を踏む。暴れるせいで舞い上がった土ぼこりにむせながら、「九龍クン、落ち着いて!」と八千穂が言った。

「落ち着いてなんからんないよー。やっちー、皆守が冷たいーっ!」
「仕方ないよ、皆守クン、いつもあんな感じだし」

 無気力だよね、と肩を竦める。

「いいよー、じゃあ、俺、皆守に呼ばれても振り返らないー。学校でも遺跡でも全部無視してやるぅ」
「うーん、でもそうしたら九龍クンも寂しくない? 皆守クンとおしゃべりできないんだよ?」
「……っ! さ、寂しい! そんなのヤダっ!」

 やだ、と皆守に言われたところでどうしようもない。そもそも葉佩が苗字を認識すればいいだけの話だ。そう言ったところで振り出しに戻るだけなのは明白。
 皆守は、ふわぁ、と大きく欠伸をした。

「うわ、興味なしですよ、この反応っ! 見た? やっちーっ!」
「見たよ、見たよ、九龍クン! ここまで無関心だといっそ清清しいよねっ!」

 あはは、と笑って言う八千穂のとなりで、葉佩は座り込んでいじける。

「清清しくないよ、全然。寂しいよ俺は」
「あー、もううるせぇなぁ。いいからとっとと先に進むぞ。俺は眠いんだ」

 げし、と葉佩を蹴りつけて、皆守は勝手知ったる、とばかりに進み始める。普段無気力無関心のくせに、何故かやたらと頭のいい皆守。一度か二度潜っただけで、道順を完璧に覚えてしまうのだ。

「あ、待って皆守。俺より先行くなって!」

 何があるか分かんねーんだから!
 慌てて追いかけてくる葉佩へ、皆守は呆れたような視線を向ける。

「だったらくだらないことで立ち止まってんな、さっさと行くぞ」

 九龍、と。

 そう呼びかけられ、面食らったらしい葉佩はきょとんとしたが、次の瞬間にはにっこりと口元を緩ませて頷くのだった。




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2007.10.05
















4thで名前呼びになってたのは、3rdで甲太郎を連れまわしすぎたからですよ。