謎の転校生


「やっぱりファーストインプレッションは重要デショ」

 ふふふん、とよく分からない鼻歌交じりに呟かれた言葉が、人気のない男子トイレに響く。そこには職員室へ行く前に最後の身だしなみチェックを行う転校生が一人。
 黒い学ランの下は本来白いシャツを着るべきなのだろうが、機動性を重視し却下。赤いパーカーを着ようかと数秒悩み、さすがに初日でそれはまずいだろうと無難な灰色のパーカーにしておいた。制服が少し大き目なのは協会に申告した身長をサバ読んでしまったため。うっかりと手がすべって165と175を書き間違えただけだ。
 水で濡れた手で前髪を直し、ついでに頭の天辺で跳ねる寝癖も撫で付ける。今朝起きてから何度も繰り返しているが、何故かその一房の髪の毛だけ重力に刃向かってぴょこんと飛び出ていた。

「まいっか。触覚って大事」

 他人が聞いたらどこがどう大事なのか首を傾げるだろう台詞をあっさりと吐き出して、彼は最後の仕上げとばかりに装着しているゴーグルの位置を直した。


「どーも初めまして、エジプトからきました葉佩九龍です! あまり喋ったことないので日本語怪しいかもしれませんが、そこはニュアンスで適当によろしく」





「葉佩クンってやっぱりちょっと変わってるよね」

 図書室、理科室、音楽室、保健室、職員室に売店。
 昼休みにクラスメートである八千穂明明日香が、葉佩をつれてそれぞれを案内して回る。今朝の言動からも分かるように彼女は面倒見の良い性格らしく、こうして貴重な休み時間を葉佩のために費やしてくれていた。実は案内されずとも事前に渡されていた校内地図でどこに何の教室があるのか全て覚えていたが、折角の申し出を断るわけにもいかない。何よりクラスメート(の可愛い女の子)とお近づきになれるチャンスを逃したくなかった。
 図書室でA組の七瀬月魅という知識量の豊富な女生徒と会話し、売店で八千穂の右ストレートに感心し、屋上へ続く廊下でありえないほど長い黒髪を揺らす神秘的な美女とも言葉を交わす。「行方不明者」「墓地」という単語に何かの暗喩じゃないだろうかと首を傾げ、変な人間がたくさんいるもんだ、と葉佩がこっそり思っていたところで、八千穂が言ったのだ、「葉佩クンは変わっている」と。

「そうかなぁ?」

 首を傾げた葉佩に、八千穂はこくりと大きく頷く。先ほど保健室の前でも同じようなことを言われた。

「どこがどう、ってわけじゃないんだけどね、なんかさ、そんな印象」

 八千穂は曖昧に続ける。そして「まさに『謎の転校生』って感じだよね」と彼女は笑った。そんな彼女の言葉に、秘密を抱えているという意味で『謎』というのは当たっているなと他人事のように考える。

 仕事は迅速に、そして素性を明かさずに。

 これが葉佩の所属する《ロゼッタ教会》の掟であるが、葉佩自身それほど素性を隠すことに頓着はしていなかった。ただ積極的に言うつもりがないだけで、何が何でも隠そうという気もない。
 だから、だろうか。
 正体を隠そうと思うならその他大勢の中に紛れ込み、目立たずひっそりとしていた方がいい。妙な時期の転校生として数日は視線を集めるかもしれないが、その後は普通の高校生として授業を受け部活動に励んでいればいい。『謎の転校生』など、他人に興味を持たれそうなキャッチフレーズなど不必要どころか、邪魔でさえある。
 だが葉佩は八千穂に『謎の転校生』呼ばわりされて危機感を抱くどころか、むしろ都合が良いとさえ思った。『謎の転校生』が本当に秘密を持った《宝探し屋》だったなど、誰も思うまい。

「ばれちゃしょうがないな、そうなの、おれは『謎の転校生』なの。話しちゃったら謎にならないから言えないけど、秘密があるの」

 みんなにはナイショね、と人差し指を唇に立てると、八千穂は大きな目をぱちくりとさせたあと、ぷっと吹き出した。

「ヤダ! 葉佩クン、おもしろいっ!」

 そのままあはは、と笑う八千穂に、葉佩もつられるように笑う。
 人の笑い声はとても好きだ。聞いているこちらも幸せになってくるから。

 くすくすと笑いあいながら足を進め、ようやく辿り着いた先の扉を指して「屋上だよ」と八千穂が言う。階段を上り屋上へと続く扉を開いた。
 コンクリートの屋根が鉄製の柵で囲まれており、その向こうに広がる広大な土地、真っ青な秋の空。

「凄いでしょ? 学園が一望できるんだ」

 そう胸を張る八千穂へ笑みを浮かべて頷いた。ぐるり、と景色を見回して、頭の中の地図と照らし合わせる。その隣で八千穂が一つ一つ丁寧に説明してくれた。本当に性格の良い子だ。いつか何かお礼をしよう、と心に決める。

「で、あれが墓地」

 そう言って八千穂が指差した先には、四、五階はあるだろう建物(学生寮らしい)の側の、どこか陰鬱とした木々に囲まれた空間だった。遠くてよく見えないが、確かに墓石らしきものも並んでいる。

「え、ほんとに?」

 仮にも『学園』と呼ばれる場所とはあまりに不釣合いな単語に、思わずそう聞き返すと八千穂は「さっきも言ったじゃない」と返してくる。確かに、先ほども廊下で白岐という女生徒と会話を交わしたときにそんな単語が出てきた。しかし葉佩が貰った校内地図だと学生寮の裏は森であり墓地などとは書かれておらず、そもそもこんな場所に墓地を作る意味が見出せず、ゴミ捨て場だとか少し気味の悪い森だとかそんなものだろうと勝手に思っていたのだ。

「この学園、転校生とか新しく赴任してくる先生とかが多いけど、行方不明になっちゃう人も多いの。そういう人たちを忘れないように、っていなくなった人の持ち物とかが埋めてあるんだって」

 そう言ったでしょ? と言う八千穂へ葉佩は頷いて「うん、聞いた」と答える。

「いや、っていうか、そんなに行方不明者が出たりして大丈夫なの、この学校」

 というかむしろ、日本の教育制度。
 葉佩の疑問に八千穂は「うーん」と首を傾げた。

「寮生活がイヤで逃げ出したんじゃないか、とか、ただの家出だろう、って話しだし……でも」

 一度言葉を区切ってちらりと墓地のほうを見やると、八千穂は口を開いた。

「学校の中に墓地ってちょっと怖いよね」

 彼女の言葉に「うーん、そう、かな」と葉佩は首を傾げた。

 怖い、とは思わない。行方不明や墓地という言葉に驚いたのはあまりにもこの場(健全なる高校生が学び、暮らす場所)に似合わなかったからで、むしろ臭い、と思う。この学園に《超古代文明》の遺跡があるらしい、という情報だけで、具体的にどこにあるのかはこれから探さねばならない。八千穂や図書室で出会った七瀬、廊下で意味深な言葉を告げた白岐という三人の言葉から考えるに、怪しさの筆頭は墓地だろう。校則で入るのを禁止されているとも言っていた。
 禁止をするということは、入られたら困る人間がいるということ。

(第一の候補は墓地、だな。)

 あまりにあからさますぎて逆に何もない可能性もあるが、それでも『怪しいです』と主張している(ように葉佩には思える)ところから探索するのが礼儀というもの。王道はみんなが踏むから王道なのだ。

 そんなことを考えてはいた葉佩の耳に不意に、「うるせぇな」という気だるげな声が聞こえてきた。突然現れた彼に葉佩は顔には出さずかなり驚く。
 気配をまったく感じなかったのだ。さすがにドアが開けば気づくので葉佩たちより後から来た、ということはないだろう。だとしたらもともとここにいたのだろうが、声をかけられる今までその存在にまったく気づくことができなかった。
 いくら葉佩が己の思考に耽っていたとはいえ、彼だって曲がりなりにも資格を持ったプロのハンターである。遺跡の中で生死をかけた戦闘だってするのだ。敵意や殺気に限らず、気配には敏感であるはずなのだが。

「皆守クン!」

 一般人の気配すら読めなかったなんて、と多少落ち込みながら皆守と呼ばれた彼のほうを見やると、何故か彼も驚いたように目を見張った。驚いているのはこちらの方だ、と思っていると、「お前、」と声をかけられる。

「もう、皆守クン。葉佩クンは『お前』じゃないよ! 今日うちのクラスに来た転校生なんだから」

 サボってこんなところにいるから知らないのよ、と八千穂が声を上げた。どうやら彼も同じクラスらしい。彼女の声にふん、と鼻を鳴らした皆守へ、「ども、葉佩九龍です」と軽く頭を下げる。しかし彼は葉佩の名前などには興味がないらしく、気のなさそうな相槌を打っただけで「それより」と葉佩の顔を指差した。

「それ、何だ?」

 それ、と言われ何のことか一瞬分からず、指の先へ手を持っていく。手のひらに伝わった感覚に、「ああ、これ」とようやく気づいた。そこでそういえば、と思い出す。今朝職員室に入ったときから、教室に向かう間、教室の中、昼休みここに来るまでの間に、出会った人全てが今の彼と同じような表情をしていなかっただろうか、と。
 背丈の割りに小さい顔に装着されているものは、真っ黒いゴーグル。そのせいで顔の上半分が隠れてしまっており、葉佩の表情はその口元から読み取るしかない。(しかしにっこりと頬を上げたり、唇を尖らせたりとよく動く口なので、別段表情が分かりにくいということはなかった。)

「ああ、あのね」

 なんと答えようか葉佩が考えている間に、八千穂が横から口を挟む。

「葉佩クン、凄く目が悪いんだって。で、普通の眼鏡じゃ全然見えないから特別製の眼鏡かけてるんだって」

 彼女の言葉に皆守が胡散臭そうな視線を向けてきた。それに「あはは」と笑って答える。
 そういえばそんな説明を職員室で雛川にしたような気がする。素直にそれを信じたらしい彼女は、朝のホームルームで同じ説明をクラスメートへと行っていた。それを八千穂も素直に信じているようだ。
 まさかあんな説明を信じる人間がいるとは思っていなかったのだ。

「ごめん、それ嘘なんだ」

 えへっと笑ってそう言うと、八千穂は「えー」と声をあげ、皆守は「だろうな」と小さく頷いた。

「え、じゃあ、葉佩クン、それ、何でかけてるの?」

 黒くてごつごつとしたそのゴーグル。用途が一切分からないそれがどうやら目立っていたらしい。葉佩にとってはゴーグルをしていることが当たり前だったので、そこまで気が回らなかった。少しだけ考えて、口を開く。

「……カッコいいから?」
「何で疑問系なんだよ」

 気だるげな割に鋭い皆守の言葉へ、葉佩は「良いツッコミだね!」と親指を立てる。そんな反応に呆れたのか、皆守は制服の内ポケットからジッポとスティック状の何かを取り出した。咥えて火をつける仕草がやけに様になっている。「そんなに堂々と吸って退学になるよ」と八千穂が注意をすると、「タバコじゃねぇよ、アロマだ。ラベンダーだよ」と返ってきた。
 くん、と鼻を動かすと確かに何かの香りがする。たぶんこれがラベンダーの香りなのだろう。

「アロマって吸えるんだ」

 感心したように言った葉佩に皆守はひょい、と眉を上げ「お前も吸ってみるか?」と口にする。《宝探し屋》をしているくらいなのだから、葉佩はとても好奇心が強い。未知なる物にはとりあえず突っ込んで行ってみる。彼の問いかけに思わず大きく頷くと、皆守は「今度な」と小さく笑った。


「《生徒会》の連中には目を付けられないことだ」


 そんな忠告を残して去っていった彼の名は、皆守甲太郎というのだと、あとで八千穂が教えてくれた。
 気だるげな目が僅かに細められたその表情が、どこか印象的な男だった。




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2006.11.23
















ファーストコンタクト。