お分かり?


 日本語で言えばなんというのだろうか、と考え込むあまり葉佩は自分の足が止まっていることに気づかなかった。背後から「おい」と声をかけられて、びくりと肩を震わせる。
 振り返ると、「何廊下の真ん中で突っ立ってんだ?」と気だるげな瞳に尋ねられた。

「あー、うん、nuisanceって、日本語で何て言えばいいんだろうって思って。荷物、害、ええと、邪魔者? 厄介者、かな?」

 指折り数えながら単語を列挙する葉佩に、彼を呼んだ男、皆守は更に訝しげに眉を潜める。それもそうだろう、突然そんなマイナス思考な言葉を並べられてもリアクションが取れない。それらが普段の葉佩からかけ離れていそうなものであるだけに尚更だ。
 皆守の表情に気づいたのか、葉佩は小さく笑みを浮かべた。上半分を黒いゴーグルで覆われているので細かな表情は分からないはずなのに、それが苦笑だと感じるのは葉佩のかもし出す雰囲気のせいだろうか。

「さっきね、あの髪の長い鎖を巻かれた女の子に言われたの。『あなたは仮初の平穏を破るためにここに来たのですか』って」

 仮初だろうと平穏は平穏であり、それで良しとする人間もいるのだろう。

「きっと彼女みたいな人から見たらおれは邪魔者なんだろうな、って」

 あっさりとそう言った葉佩は更に言葉を続ける。

「まあ言われ慣れてるから特に気にはしないけど、おれが墓にもぐることと平穏が破られることにどんな関係があるんだろう」

 彼が首を傾げると、癖のない前髪がさらりとゴーグルの前を揺れる。それと同時に何故か重力に逆らって跳ね上がっている一房の髪もぴょこりと揺れた。

「……こいつね、どんだけ言い聞かせても直らないの。触覚って大事、って思って諦めた」

 視線を読み取った葉佩が己の頭の上で揺れる髪の毛を指で弾いて言う。突拍子もない理由に「いつからお前は虫になったんだ」と返しながら、皆守は飛んだ話題に多少安堵していた。
 「言われ慣れているから」とあっさり口にした彼へ、何と返せばいいのか分からなかったのだ。
 そんな様子は然程も見せず、ポケットから取り出したアロマを咥える。ジッポで火をつけて軽く吹かすと、葉佩が「あれ?」と小さく声をあげた。何、と目だけで問うと、「や、皆守って左利きだったんだなと思って」という答え。

「ただそれだけのことなんだけど、何か知らないことを発見するって嬉しくね?」

 そう言って葉佩はにしし、と本当に嬉しそうに笑った。そんな彼に思わずこちらも笑みがこぼれる。
 葉佩の頭上で揺れる「触角」を見やりながら次の授業を思い出し、どうせならこのままサボってしまおうと皆守は葉佩を昼食へと誘った。あからさまなサボりの誘いに、転校生は軽々とついてくる。彼ももともとは勉学に励む事が目的ではないため、授業に重きを置いていないのかもしれない。


 マミーズのカレーライスはカレー通の皆守でさえも、ある程度納得のいく味である。皆守の勧め通り同じカレーライスを頼んだ葉佩も、一口食べたあと「あ、美味い」と思わず呟くほどだ。
 食事をしながら、カレーのことやこの学園のこと、《生徒会》のことを話題にする。葉佩は聞いているのかいないのか、聞いていても理解しているのかいないのか、口の端についたカレーをぺろりと舐めながらふんふんと頷いていた。
 そんな中だ、突如起こった爆発騒ぎ。
 可愛らしい小さなプレゼント包みが凶器と化した。

「――――ッ、This is a joke? Japanese joke?」

 窓の外からの衝撃に伏せていた上体を起こし、葉佩が早口でまくし立てる。ざっと店内を確認するが、とりあえず怪我人はいないようだ。プレゼントを弾き飛ばしたバーのマスタを見やると、口元に穏やかな笑みを浮かべている。この危機回避能力の高さといい、身のこなしといい、彼はもしかしたら只者ではないのかもしれない。
 そんなことを考えていると、「馬鹿か、お前ッ!」という怒鳴り声が耳に届いた。どうもその二人称が自分に向けられているようなので、葉佩は首を傾げて声の出所へ視線を向ける。
 そこには苛々したように頭を掻く皆守が、眉根を寄せてどこか苦しげな表情をして立っていた。彼は葉佩の視線を受けたまま言葉を続ける。

「俺なんか、庇う必要ないんだよッ」

 吐き捨てられた言葉に、今度は葉佩が眉を寄せた。相変わらずゴーグルを外さないのでその表情は見えなかったが、ふわり、と変わった雰囲気に葉佩が怒りを覚えていることを皆守も悟る。

「……何、怒ってんだ」

 怒っているのはこちらの方だ、と言う皆守へ、葉佩はにっこりと口元を緩めた。その表情のままダン、と激しく机へ拳を叩きつける。

「爆弾は外へ飛ばされた。皆守は窓際にいた。おれより背が高いから飛んできたものに当たりやすそうだ。皆守よりおれのほうがうたれ強いし怪我も慣れてる。そんでもってここ重要。おれは皆守に怪我をしてもらいたくなかった。That's it. Savvy?」

 もしかしたら葉佩は英語圏で生活をしていたのかもしれない。咄嗟のときには思わず今まで使っていた言葉が口をつくのだろう。「日本語で言えよ」と皆守が苦々しく言うと、彼は「分かるかって聞いてんの」と言い直した。

「分かったら、もう二度と『俺なんか』って言うな」

 きっぱりと言い切られた言葉に、ようやくそれが機嫌を損ねた原因である事に気が付く。苦虫を噛み潰したような顔をして、皆守は小さく「悪かった」と謝罪を口にした。



**  **


 乗り込んできた購買の店主の小言を無視し、片づけを手伝うという葉佩を置いてマミーズを後にした皆守は、校舎の壁に背を預け大きくラベンダーの香りを吸いこんだ。
 葉佩のおかげで皆守は怪我どころか、爆発の衝撃さえほとんど感じることがなかった。彼の言うとおり、皆守が爆発物に近い位置にいたのは確かである。だからといって咄嗟にそれを庇おうとするだろうか。
 もしかしたら、と皆守は思う。もしかしたら葉佩は何か気づいているのではないだろうか、と。
 こんな閉鎖的な空間にいるからだろうか、それとも己の境遇がそうさせるのだろうか。どうにも捻くれた考えしかできない自分に思わず自嘲の笑みが零れる。
 皆守がどうこうというわけではなく、葉佩はただ単に一番危険な位置にいる人間を庇っただけなのかもしれない。そこにマミーズのウエイトレスがいれば彼女を、八千穂がいれば八千穂を庇っただろう。
 ただそれだけのことなのだ。

「お優しいことで……」

 吐き出された言葉はラベンダーの香りとともに、ふわり、と秋空へと吸い込まれていった。




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2006.12.12
















さすがにアラビア語は調べきらなかったので、英語で。
小具之介の英語レベルは高校以下ですよ。一応ニュアンスだけでも。

This is a joke? Japanese joke? → 冗談だろ? 日本のジョーク?
That's it. Savvy? → ただそれだけだ。お分かり?