That's mine.」、裏の「I'm yours.」の流れ。


   We're only ours.


 とりあえず、昨夜の自分を抹消したい。

 ふとした拍子に恥かしい過去の記憶が蘇り、布団の中で足をばたばたさせたことがあるひとは多いと思う。今の燐もそれとよく似た状態ではあったが、如何せん思い起こす事柄が過去というには近すぎる。その上大きな動作をすれば背後の人物を起こしてしまうかもしれなくて、それも我慢しなければならなかった。そっと伺えば規則正しい寝息が聞こえてくるため、たぶんまだ大丈夫、だと思う。
 男同士だとか双子の兄弟だとか、いろいろと考えなければならないことはあるが、ひとまずそれらを密封タッパーに詰めてガムテープでぐるぐる巻きにし、棚の上の戸棚に放り込んで見なかったことにしておいて、燐と雪男はセックスをする間柄だった。恋人なのか、と問われたら首を傾げる。雪男のことは好きだけれど、恋人に対する感情かどうかは分からない。何せ燐は今まで恋人という存在が居た試しがなく、雪男以上に大切だと思う相手に出会ったこともない。それを恋人だというのだ、と誰かに言われたらそうなのか、と思うだろう。けれど誰も燐にそうと教えてはくれず、また気恥ずかしくて雪男に尋ねたこともなかった。
 だから、なのだろうか。
 きちんと恋人同士だとはっきり関係が決まっていれば、抱き合った翌朝に恥ずかしくて顔も見れない、なんてこともなくなるのだろうか。

 考えて、たとえ恋人同士でも恥ずかしいものは恥ずかしいだろう、と結論付ける。
 あんなところやそんなところを見せあい、触れ合い、あまつさえ舐め合ったのだ。確かに気持ちの良い行為ではあるが、良すぎて自分が自分でなくなるような気がして少し怖い。特に燐は受け入れる側、女役であるためそう思うのかもしれない。男なのに、兄なのにと思わなくもないが、求められたら何でもいいという感情があるのも確か。
 雪男に求められるならもう何でもいい。
 何でもいいけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 恥ずかしくて、どんな顔をすればいいのか分からなくて、何を言えばいいのか分からない。

 とりあえず。
 昨夜の自分の頭をスリッパか何かで思い切りはたいてやりたい。

 ようやく空が白み始めた時間帯、赤くなった顔を両手で押さえ、うー、と唸り声を喉の奥で押し殺す。目覚めた時、弟と向き合った姿勢でなくて良かったと心底思った。そうなればきっと燐の心臓は破裂していただろう。今こうして、背後から抱きつかれている状態でさえ鼓動がうるさいくらいだというのに。
 別に昨夜初めてセックスをしたというわけでもあるまいに、どうしてこんなにも気恥ずかしさに苛まれているのだろう。考えて、雪男が眠っているからだと気が付いた。いつもならば雪男の方が先に目覚め、普段となんら変わらぬ顔で「おはよう」と言ってくれる。「遅刻するよ」だとか「お腹空いた」だとか、いつも通りの口調で告げられるため、燐の方もすぐに「もうちょい寝かせろ」だとか「朝飯作るわ」だとか答えることができていた。
 もしかしなくてもそれは、雪男なりに気遣ってくれていたのだろう。そうでなければ燐は今のようにどうしていいのか分からず、布団から出ることもできなかったに違いない。

 同じに日に、同じ母から生まれたというのに、弟は燐とは比べ物にならぬほど頭のできが良い。ただ勉強ができるだけの頭の良さとはまた違う、状況を的確に把握し先を読み、そして人の気持ちを察することにも長けているのだ。とくに燐などは自分でも呆れるほど単純な考えしかできないため、雪男には手に取るように分かるのだろう。
 そんな双子の弟はいつも燐のことを考えてくれている。燐が普通とは少し違うから(そう言えば必ず「兄さんが、じゃなくて、僕たち双子が、だよ」と自分も含めて雪男は訂正してくれた)、せめてある程度の人らしい生活を失わずに済むようにと懸命に努力してくれている。学年トップの成績を誇り、最年少で祓魔師の資格を取るほど優秀で、背も高くて優しい、そんな弟は兄のために生きているのだ、とそう口にする。
 燐のもの、らしい。
 雪男はすべて燐のものなのだ、と。
 昨夜、しつこいほどそう吹き込まれ、身体を揺さぶられながら口にするよう求められた。
 渦巻く熱に翻弄されながら覚束ない口調で、「俺の」と何度言ったか分からない。
 放課後周りを取り囲まれてしまうほど女生徒に人気のあるこの男は、燐のもの、なのだ。

 背後から伸びた腕は離すまいとでも言っているかのように燐の腰を抱いている。いつの間にか兄の自分よりも大きくなっていたその手へそっと手を重ると、どうしてだか口元が緩んだ。
 だって嬉しいのだ。
 全部あげる、と惜しげもなく差し出されたものを、奪い取り抱え込み、二度と離したくないと思う程度には嬉しくて仕方がない。腹の上に置かれた雪男の手をすり、と撫でる。これが自分のものだというのだから、その上自分は弟のものだというのだから、思わずふふ、と笑いが零れてしまう。
 照れと嬉しさと、僅かな興奮が混ざったまま「俺の、雪男」と呟いた。
 途端、抱き込む腕に力を籠められ後ろへ引き寄せられる。驚きに燐の身体がびくり、と強張った。

「…………」
「…………」
「………………も、しかして、起きて、る、か?」

 恐る恐る尋ねてみれば、しばらくの沈黙の後「うん、まあ」と返ってきた。どこか歯切れの悪い弟の声を耳にし、ぼん、と音でもしそうなほど燐の顔が更に赤く染まる。いつから目覚めていたのかは分からないが、とりあえず今の呟きははっきりと聞かれてしまったようで。

「――――――っ」

 昨夜のとは言わず、もうむしろ今この場の自分を抹消したい。

 あまりの恥かしさに一時もじっとしていることなどできず、雪男の腕の中でじたばたと暴れる。弟が悪いわけではないと分かってはいるが、起きているならいるでそう言ってくれてもいいだろう。何も狸寝入りをしなくとも、「おはよう」と声を掛けてくれてもいいはずだ、いやむしろ雪男なのだからそうしなければいけないのだ。
 理不尽すぎる思考のまま身を捩ったが、ぎゅうと抱き込まれていてろくに身動きは取れなかった。

「ッ、ゆ、きっ」
「……ごめん、ちょっと、こっち、見ないで」

 離せ、と顔だけでも振り返ろうとすれば、肩に額を押し当てられ、俯いた弟の頭しか目に入らない。しかし髪の隙間から僅かに見える耳だとか額だとがうっすらと赤く染まっているような気がして。

「な、んでお前が、照れてんだよ!」

 恥かしいのはこちらの方だ。思わず尋ねれば、「兄さんが悪い」と返されてしまった。何で俺が、と眉を寄せたら、俯いたままの雪男が早口で捲し立てる。

「だってなんか、起きて目の前に兄さんいるし、可愛いことしてるし、可愛いこと言ってるし。平静でいられるわけないじゃない、もう!」

 朝っぱらから何してくれてんのバカ、とよく分からない誹りを受けた。確かに言葉通り雪男の心臓がとくとくと早いテンポを刻んでいるのが伝わってくる。それと同じほど燐の心臓も鼓動を打っているため、ああ双子だなぁ、とどうでもいいところで納得してしまった。

「バカはお前だバカ、いいから離せ!」
「バカにバカと言われたくないよ、バカ」
「兄貴にバカ言うな、バカ」
「弟になら何言ってもいいと思わないでよね、バカ」

 小学生でも指をさして笑いそうな、低レベルの喧嘩を布団の中で繰り広げる。兄さんが可愛いのがいけないんだろバカだとか、可愛いのはお前のほうだろバカだとか、しばらくバカバカ言い合った後、それこそ本当に馬鹿らしくなってきてどちらからともなく吹き出した。
 笑いながら雪男、と大切な名を呼んで、その手をゆっくりと撫でる。

「顔が見たい」

 恥かしさはまだ残っている。心臓だってどきどきと体内で暴れているし、正面から目を合わせることができるかと言われたら自信はない。それでも素直に思ったことを口にした。
 生まれたその時から一緒にいた唯一の片割れ。
 燐のものだ、とそう言ってくれた雪男の顔が見たい。
 僅かに腕の力が緩んだことを許可と受け取り、燐はくるり、と体を反転させる。

「…………」
「…………」

 やっぱり恥ずかしくて、何を言えばいいのか分からなくて、俯いてしまう。それでも顔が見たいという欲求には逆らえず、唇を噛んだままちらりと雪男を見上げれば、弟もまた耳まで赤く染めて燐から目を逸らしていた。
 眼鏡を掛けていないその顔は、高校生としての奥村雪男でもなく、祓魔師としての奥村雪男でもない。少し幼ささえ見える、何の肩書も背負っていない素の雪男がここにいる。

「……可愛いな、お前」

 ふにゃり、と笑ってそう口にすれば、「だから、可愛いのは兄さんの方だってば」と少し嫌そうに顔を潜めた雪男がようやくこちらへ視線を向ける。頬と目じりが赤いのはお互い様。きっと照れている顔を見られたくなかったのだろう。拗ねたように尖った唇が可愛くて、思わず唇を重ねた。
 ちゅ、と小さな音が鼓膜に届き、はたと自分が何をしたかに気が付く。もしかしなくてもこれはかなり恥ずかしいことなのではないだろうか、と燐の思考回路が繋がる前に後頭部を引き寄せられ今度は雪男から口づけられた。

「ほんと、朝っぱらから、何やってくれてんの」
「ッ、そ、れはこっちのセリフだ、バカ!」

 舌を触れ合わせ唾液を交わすほどの深いキスの後、再び燐の肩へ額を埋めた雪男がそう口にし、酸欠で荒くなった息を整えながら文句を返す。
 燐の言動で顔も上げられないほど照れたり、動揺したり、余裕の欠片もないままただひたすら求めてくれたりする。
 この奥村雪男は燐のものだ。
 俺の、と呟いて雪男の頭をぎゅうと抱き込めば、そうだよ、と額をすり寄せてくる。
 そう言ってくれる限り燐もまた雪男のもの。




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2011.07.25
















ばくはつしろ。
pixivより転載。