ブリリアント・ワールド 1


 養父が子供を引き取ってきた。

 子供、といっても年は雪男と同じらしく、身体も相応に成長している。しかしどうにも十五歳には見えず、もっと幼い印象を受けた。それは彼の表情、態度に寄るものが大きいだろう。
 肌はやたら白く、色白というより血色が悪そうだ。背丈は養父と同じくらいはあるだろうが細身である上、大事そうに細長い何か(刀剣の類だと思われる)を抱きしめて背を曲げているため一回りほど小さく見えてしまう。羽織っているコートは彼には少し大きすぎるようで、長い袖が手の指を半ばまで隠していた。
 初めて来る場所であるだろうに物珍しそうにあたりを見回すでもなく、かといって雪男や獅郎へ視線を向けるでもない。何ものにも興味を示さず、ただ自分の世界にだけ閉じこもっているような、そんな様子が伺えた。

「しばらくここで面倒を見ることになった。ちょいわけありの難しいヤツでな」

 そう引き合わされた彼はこちらの存在を認識しているのかいないのか。目を合わせることもできず、もちろん握手などもっての外。どんな反応を示せばいいのか戸惑っていれば、養父が苦笑を浮かべる。

「燐、こいつは俺の息子の雪男だ」

 仲良くな、と頭を撫でられ、ようやく燐と呼ばれた少年の目が僅かに揺らいだ。ちらりとこちらへ視線を向けられ、そこで初めて彼の瞳が海と空の色を混ぜたような青色をしていることに気がつく。きっと焦点さえ合えば綺麗な瞳をしているだろう。しかしその目に光が宿ったのも一瞬のこと、うん、と頷いた後またすぐに彼の意識は彼方へと飛んでしまった。
 そんな燐の頭をもう一度くしゃりと撫で、獅郎はこちらを見て口を開く。

「雪男の部屋、使っても構わねぇか?」

 構わないもなにも、この修道院は養父が管理する場所だ。確かについこの間までそこで生活をしていたが、雪男は春から高校の寮へ居を移している。週末にときどき戻ってくる程度で、実質雪男が使っていた部屋は空き部屋となっているのだ。そこをどう利用するかは養父が決めること。両親がおらず身寄りのない雪男を引き取ってくれたのは養父だ。この修道院で育ってはいるが、だからといってここが雪男の家というわけではない。そう口にすれば怒られるだろうことが分かるため、帰ってきたとき寝る場所があれば別に良いよ、と答えておいた。
 ふたりでそんな会話をしている間も、燐はゆらゆらと身体を揺らし空虚な瞳で宙を見つめたまま。
 その様子から始めは悪魔にでも憑かれているのかと思った。しかし養父は騎士團に属する祓魔師の中では最上の位を得るほど実力のある人で、そんな彼が側にいて祓えぬ悪魔など少ないだろう。
 悪魔に憑かれている、というよりもむしろ、と考えていた雪男へ、難しいかもしれねぇけど、と前置きをして養父は言った。

「できるだけ話しかけてみてやってくれるか。挨拶とか、そういうのでいいから」

 たとえ挨拶をしたとしても、彼から何らかの反応が返ってくるとは思えない。しかしそれでも、と口にする獅郎は非常に辛そうな顔をしており、おそらくただの知り合いではないのだろうと思う。少年が、燐がこの状態であることを強く心配し、苦しんでいるのが分かる。
 一体ふたりの間にはどんな繋がりがあるのだろう。
 僅かに興味を抱いたため、とりあえず部屋へ行くか、と案内する養父の背中を追いかけた。

 決して広いとはいえないそこは、大きな窓のある日当たりの良い部屋だ。壁際に二段ベッドがあり、窓を横手に背中合わせになるように勉強机が二つ。一見ふたり部屋であるが、雪男はひとりでここを使っていた。雪男のような身寄りのない子を引き取る、あるいは預かることがあっても大丈夫なように家具を揃えていたのだろうと思っている。
 まだ正午を少しすぎたあたりの時間帯で、柔らかな日差しが満ちる室内に燐は背を押されて足を踏み入れた。その歩き方はふわふわと地に足がついていないかのようで、部屋の中央でくるりと視線を巡らせる。そうして何を感じ取ったのか、振り返った彼はそのまま床の上に座り込んだ。腰を掛ける場所なら勉強机の椅子があり、ベッドの縁だってある。それなのに、部屋の真ん中の床にぺたりと座り込むのだ。和柄の布に巻かれた何かを大事そうに抱えたまま。ゆるり、と彼の背後で黒く細長い何かが揺らめいた。コートの裾から伸びるそれが何であるか、考える前に「今日からここがお前の部屋だからな」という獅郎の声が耳に届く。

「何か要るものがあれば言えよ」

 壊しさえしなけりゃ好きに使っていい、と養父にしてはずいぶん甘いことを言う。甘やかしたくなる気持ちも分からなくはないが、告げられた当人は相変わらず理解していないような顔のまま首を傾けた。いるもの、と呟く声は小さく、気をつけなければ聞き逃してしまいそうなほどで、ああ喋れるんだ、と少しだけ安堵を覚える。

「そうだ、何か欲しいもんとかあるか?」

 先日まで雪男が過ごしていたため、ある程度のものは揃っているはずだ。さすがに書物や文房具関係は寮へ持っていってしまっており、彼が要るというのなら今日明日の休みはその買い出しにでも付き合おう。
 そう思ったところで、燐の唇がもごもごと動いたのが見て取れた。ん、何だ? と彼の顔を覗き込み尋ねた獅郎をぼんやりと見つめ、燐は「あくま、」と小さく呟く。

「……悪魔?」
「どこ?」

 こてん、と首を傾ける仕草はまさしく幼い子供のそれで、けれどその言葉は子供が口にするには少しおかしい。
 祓魔師である養父が連れて来たのだ、悪魔が見えていたとしても驚きはしないが、それと知って探すなどどんな事情があるというのか。僅かに低くなった声で養父が尋ねれば、「殺しに、いくから」と返ってきた。

「…………どうして、そんなことを」
「だって、悪魔殺せば、会わせてくれる、って言った」

 誰を、誰に。
 更に問いを重ねれば、室内に視線を巡らせた彼はふうわりと口元を緩め、言うのだ。
 おとうと、と。
 それはひどく優しく、柔らかく紡がれた言葉。
 その少年が心の底から愛し、大切にしている存在だと聞いただけで分かるような、そんな言い方だった。
 悪魔をたくさん殺せば殺すほど早く会える、と言われたのだそうだ。
 だから悪魔を殺しに行きたい、と燐は請う。

「あいつ、泣き虫だから、早く帰ってやらねぇと」

 ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉を最後まで聞くことなく、「燐……」と腕を伸ばした獅郎が強く彼の身体を抱きしめた。後ろから見ていてもその背中が震えているのが分かる。

「燐、そんなことしなくて、いい、お前はもう、そんなことする必要、ねぇんだ……!」

 絞り出したようなその言葉は、しかし少年には届いていない。養父の、白髪交じりの頭をぼんやりと眺め下ろし、燐は顔を上げゆうるりと室内を見回した。

「悪魔、殺しに、行く……」
 俺、ちゃんと、倒してくるから。
 だから。

 きゅう、と燐の手が握りこむものはおそらく彼が使う武器なのだろう。弟に至るための道を作る道具、だからあんなにも大事そうに抱きしめている。
 悪魔どこ、と首を傾げる同じ年の少年。その青い瞳は雪男を捕らえているはずなのに、何も映り込んでいない。恐ろしいほどの空虚を抱えた少年は、ただ唯一「弟に会える」という希望だけに縋って生きているように見えた。


 養父が子供を引き取ってきた。
 その子供はどうやら壊れていたらしい。




2へ
トップへ

2012.06.05