ブリリアント・ワールド 14


 兄さん、と抱きついて、しばらく雪男は泣いた。兄弟であることを知らずとも、思い出さずとも燐が大切だという気持ちはある。それでもやはり、雪男の双子の兄は燐ただひとり。ゆき、と呼びかけてくれる日がまた戻ってくればいい、と心の底ではずっと願っていた。「ゆき」は自分であるはずなのに、雪男を通り越す燐の視線が寂しくて仕方がなかった。

「ゆき、ごめんな、いっぱい、泣かせて」

 ほんとごめん、と頭を撫でてくれる手が優しくて、気持ち良くて、止まらない涙をそのままに首を横に振る。

「僕、こそ、ごめんね」

 たくさん辛い思いをさせてしまった。たくさん嫌な思いをさせてしまった。現実から目を逸らし、心が壊れてしまうほどに、ひどい思いを。
 本当にごめんなさい、とそう告げれば、今度は燐の方が緩く首を横に振る。

「俺は大丈夫、助けて、くれたから。ゆきと、」
 父さんが。

 幼い頃の記憶が正しく認識されないままだった燐は、獅郎が養父であったこともまた理解できないまま。無理にそう教える必要もない、と獅郎は言っており、そのため燐は養父のことをずっと名前で呼んでいた。
 大事そうに紡がれたその言葉に胸の奥がきゅうと締め付けられると同時に、今の自分たちの状況を思い知らされる。
 養父に、血の繋がっていない双子をこんなにも愛し、守ってくれていた彼に、何といえばいいのだろうか。
 この手を離すべきだ、と常識を持った理性がそう叫ぶ。双子の兄と交わるなど、ひとの成す事柄ではない、と。燐が雪男と「ゆき」を一致させることができるようになったのなら尚更、ただの兄弟としてあるべきだ。身体を繋げる必要は欠片もない。
 そもそも獅郎は、燐が雪男へ縋りすぎることを危惧していたのだ。燐自身もそれではいけないと思っていたというのに、今では雪男の方が離れないで、と燐に縋っている。
 もう二度とこの手を離せない。魂がそう叫んでいる。一度知ってしまったことを、知らなかったことにはできないのだ。一つに戻ることのできる安心感、充足感はきっと他の誰にも理解してもらえないだろう。八年離れていた、その失った時間を埋めるために、側にいたのにずっと見てもらえなかった切なさを埋めるために、心も身体も燐だけを求めている。

「ッ、ご、めん、兄さん、ごめん……」

 間違ったことなのだと分かっている、燐のことを想えば良くないことなのだと分かっている。それでも手を離せない弱さを謝れば、「だから、泣くなって」と背中を撫でられた。

「でも、だって……」

 雪男はもう、二度と燐の手を離すことはできない。たとえどれだけ世間から後ろ指をされることがあろうとも、軽蔑の目を向けられようとも、育ての親からの愛情を失うかもしれなくても。

「それでも、僕はもう、兄さんと離れるのは嫌なんだ」

 ひとりは嫌だ、寂しくて悲しくて仕方がない。
 八年前は記憶を飛ばしただけで済んだが、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。
 そう言えば、「死ぬな、ばか」と怒られた。

「ゆきが死んだら、俺も死ぬ」

 ただ「ゆき」に会うためだけに地獄を生き抜いてきたのだ、ようやく再会できた弟がいなくなってしまえば燐もまた生きる意味などなくなるだろう。俺だって一緒が良い、と燐はそう口にする。雪男は自分ばかりが求めているように言っているが、弟を離してやることができないのはまた燐だって同じこと。雪男は知らない、記憶の中の「ゆき」がどれだけ燐を救ってくれたのか、再会してからの雪男がどれだけ燐を救ってくれたのか。
 始めから言っている通り、燐は雪男の腕でないとだめなのだ。

「昔も、今も、俺はただ、」
 『ゆき』だけが、欲しかった。

 共に生まれ共に育ち、八年離れて、また手を取ることができた。
 絡めた指はもう、離さない。
 離せない。



***     ***



 黙ったまま隠れて関係を続けるということもできただろう。しかしそれは嫌だ、と言ったのは燐だった。真っ直ぐな彼は、養父に嘘をつきたくない、とそう言う。

「怖いけど、雪男と一緒ならたぶん、大丈夫」


 それがお前たちの出した結論か、と静かに問われ、手を繋いだままの双子は揃って頷いた。指まで絡まったその手が小刻みに震えていることを、獅郎も気が付いている。
 ふぅ、と息を吐き出せば、びくり、と雪男が肩を震わせた。身体は大きく成長しているが、怖がりなところは昔から変わらない。逆に肝が据わっているのは燐の方で、八年ぶりに「父さん」と呼んでくれた息子は真っ直ぐに獅郎を見つめていた。
 燐の場合思い出したというよりも、繋がりがあることにようやく気が付くことができた、というべきだろうか。それと同時になされたカミングアウト。

「俺、たぶん、ゆきがいなきゃ、だめなんだ。でも、」

 ただ縋るだけではない、互いに互いを拠り所とし、依存するだけではない。今はまだ難しいかもしれないけれど、と兄の言葉を受け継いだ弟がその先を続ける。

「一緒に、生きていきたいと思う」

 それぞれの足で地面に立って、それぞれ歩いて行く。依存ではなく、共存となれるよう努力する。ただ同じ道を行きたいのだ、と双子の兄弟はそう口にした。
 悪いのは自分だ、と燐は言う。兄ちゃんなのにこうなるのを止められなかった、と。それに対し雪男は当然とばかりに異を唱える。僕こそ止まるべきだったのだ、と。ふたりともが留まるべきだったと分かっているのだ、それでも止められなかった、互いを欲する心が強すぎて。
 別れていてもふたりは兄弟のままだと信じていた。たとえ忘れていても、上手く理解できなくなっていても、魂がそれを記憶し、互いに引き合うだろう、と。しかし別れていたからこそ、引き合う力が大きくなり過ぎたのかもしれない。

 男同士で双子の兄弟で、その上燐は悪魔だ。
 世間から見れば明らかに逸脱した関係、親としては止めるべきだと分かっている、思い留まらせるべきだとそう思う。何より双子が彼らだけの世界で完結してしまうことが怖かった。確かに世間は悪魔の子供である彼らにひどく冷たく、生きづらいかもしれない。それでも愛してくれるひとは必ずいるはずだ。できるだけ多くのものを目にし、経験してもらいたくて、だからこそ燐が雪男に縋り付きすぎないように、雪男が燐を構い過ぎないようにと思っていた。
 けれど双子は依存ではなく、共存を望んでいる。互いの手を取りはしたものの、それだけで終わらせるつもりはないのだ、と。
 もう一度息を吐き出し、顔を上げて双子を見やった。

 ぶっちゃけ俺は反対だ、でも気持ちは変わらねぇんだろ、と言えば、顔を見合わせた双子はきゅ、と手を握って同時に頷く。二卵性で容姿はあまり似ていないがその瞳だけは相変わらず良く似た兄弟だ。
 ふ、と口元を緩めて立ち上がり、愛息子の頭へそれぞれ手を置いた。

「え?」
「わっ」

 上がった驚きの声を無視してぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き混ぜる。そうして息子ふたりを一度に抱えるように腕を回した。
 双子の兄弟は、抱く空虚を互いでしか補えない。獅郎にはその役はこなせないと分かっている。寂しく思うが、何もできないと嘆く前にできる何かを探せ、だ。
 血の繋がりはなくとも彼らを愛する父としてできること。

「……笑って何でも解決するわけじゃねぇけど、辛気臭ぇ面しててもいいこたぁねぇ」

 それは笑顔で抱きしめてやること。
 光り輝く世界は笑顔の先にある。
 ふたりが揃ってりゃ笑えるんだろ、と獅郎はそう言った。

「だったら笑ってろ、燐、雪男」

 な、と後頭部を押えてそれぞれ顔を覗きこまれる。
 その顔は確かに笑みを浮かべており、複雑な感情を押し殺して笑ってくれているのだ、とふたりともが理解した。
 だからこそ、零れそうになった謝罪も涙もすべて抑え込んで、双子は「うん」と同時に頷きを返す。

 獅郎が望んだ通り、よく似た柔らかな笑顔を浮かべて。




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2012.06.05
















正直な話、一番始めのページの部屋の真ん中に
燐ちゃんが座り込んでるシーンが書きたかっただけだという。

Pixivより。