※悪魔のあの字も出てこない完全パラレル、兄弟の別人具合がひどいのでご注意ください。 ハロー・グッバイ(1) 動力、メイン回路異常なし。 電圧正常、電子信号正常。 起動を確認しました。 パチンと頭の中で何かが弾ける感覚、と後から尋ねられたらそう表現するだろう。そんな小さな衝撃を経た後、世界が始まった。 ふに、と唇を押さえられる感触。瞼を持ち上げる。 広がる視界、飛び込んでくる光、若干光量が多く白すぎる、明度調節、視界クリア。判断と調節にかかる時間はコンマ五秒もない。ぱちり、と瞬きをすると再びふに、と唇を押された。 ふに、ふに、ふにふにふに。 「……あの、」 一度押していただければ起動には十分なのですが。 生まれて(という表現が正しいのかどうかは分からないが)初めて口にした言葉がこれというのもどうなのだろう、と思わなくもないが、あまりむやみに押されると誤作動しかねない。こちらが起きていることにようやく気がついたのか、驚いたように目を開いて「あ、悪ぃ!」と彼は手を引いた。 外見で判断すれば十代半ば、十四、五といったところか。柔らかな黒髪を跳ねさせ、真っ青な目を持つ少年。「思ったより柔らかかったからつい」と笑う唇の端からちょこん、と八重歯が覗いている。どうやら彼が主人、らしい。 「でもさすが最新型だな、起動が早ぇ」 どうやらこちらの機能に感心してくれているようで、「ありがとうございます」と頭を下げておいた。 人間の手を助ける為に開発され続けていた人造人間、機械人間、いわゆるヒューマノイド・ロボットは、開発初期段階では二足歩行にさえ手間取っていたということがもはや都市伝説となりそうな勢いで、秒単位で進歩を続けている。自然な行動、自然な会話、より人間らしく、より生々しく。もはや「人間」を作っているのではないか、とまで言われるヒューマノイド開発。今では人間にできないことを行うというだけでなく、福祉や教育の場にまでヒューマノイドが活用されるようになり、ただの道具ではなく人間のパートナーとも呼べる地位を築き上げている。 しかしあくまでも機械は機械であり、彼らを動かす為の「主人」が必要となる。主人の命には絶対服従であり、主人のためだけに行動することがヒューマノイドの存在理由だ。マスターを持たないヒューマノイドは理論的には可能だが、現在は国際法で全面的に禁止されているのである。 「初めまして、マスター。これからよろしくお願いします」 主人となるにはいくつかの登録を行い、それらを完了させた後にヒューマノイドの唇を押すのだ。だから目覚めたとき目の前にいる人物が自らの主人となる。 「おう、よろしくな!」 にかっ、と笑って手を伸ばされた。握手を求められている、ということに気がつくまでおよそ八秒。おそらくひとの生活に慣れ、学習するにつれこの時間は短くなるだろう。ある程度の知識はもともとインプットされているが、始めからすべての事柄を予め入れておくより、基礎だけを詰め込んだ状態で自然学習をさせた方がより人間に近づく、というのがヒューマノイド論では常識である。 手を握り返せば少年はぶんぶんと嬉しそうに振った。彼の名前は何というのだろう。ふと思うが、尋ねていいものか分からない。ひと同士であるのならば自己紹介が当然の流れだろうが、あくまでもこちらはヒューマノイドだ。人間と機械とでは存在するレベルが異なっているため、人間のように振る舞えば逆に気分を害するひともいる、とインプットされていた。 しかし、どうやらこのマスターはそういうタイプではないらしい、とすぐに判明する。 「俺、正確にはお前の主人ってわけじゃねぇから、その『マスター』っての止めてくれるか?」 主人なき機械人間は存在しない、主人でなければ起動することもできないはずなのだけれど、という疑問が顔に出ていたのだろう、「えーっとな、」と少年はちょこんと首を傾げた。 「ぶっちゃけ、お前まだ試作型、なんだってさ。まだちょっと動作が安定しない状態で、今は試し運転、みたいな。ひとりで動かしても仕方ねぇし、ラボの中にいてもつまんねぇだろうから、頼んでこっちに寄越してもらったんだ」 だから正式な主人はまた新たに決まるだろう。それまでの仮だと思ってもらいたい、と少年は言う。その言葉に偽りがあるようには見られない。自分がまだテスト運転中であるという認識は植えられていなかったが、そういうこともあり得るだろうと判断。分かりました、と頷いたあと、「では、あなたのことは何とお呼びすればよろしいでしょうか」と尋ねた。「マスター」が駄目ならばほかの呼び名がないと困る。 その問いに少年は「俺、燐っつーんだ」と名乗った。 名前、というのはその個体を識別するための記号のようなものだ。それぞれ別個に呼ぶことさえできれば、1、2、3と数字でも、A、B、Cとアルファベットでも構わないだろう。そう思うのだが、リン、と口の中で転がした音は不思議と心地よい響きを伴っている気がして。 「優しいお名前ですね」 思わずそう口にすれば、きょとんとしたような顔で見つめられてしまった。どうしたのだろうか、と尋ねる間もなく、ぼぼぼぼ、と音でも聞こえてきそうなほど少年の顔が赤く染まる。 「あの、何か不快にさせることでも言いましたか?」 でしたら申し訳ありません、と言えば、「や、ちが、ちがくて、そーじゃなくて!」と少年は真っ赤な顔をふるふると横に振った。 「ちょ、び、びっくり、しただけ!」 名前を誉められたことがなかったから、と少年は言う。そして「最近のロボってお世辞まで言うんだな」と照れたように笑って続けたため、「ロボットではなくヒューマノイド・ロボットですし、お世辞のつもりはありません」と否定しておく。まだ相手を喜ばせるために虚偽を口にするほど、人間の相手には慣れていない。 「我々ヒューマノイドが抱く感情は数十万人の人間のデータを元に組まれたエモーションプログラムにより生み出されますが、人間が感じている脳波を解析し、より人間に近い、」 「あー、分かった! 分かったから! ごめん、変なこと言った!」 自分にどういった機能が搭載されているのかを説明しようとすれば、そう遮られてしまった。ごめん、ともう一度謝った彼は、「さんきゅな」と頬を染めたまま笑う。 「礼を言われることはしていませんが」 「ん、でも、名前優しい、って言ってくれた。俺は嬉しかったから」 だからありがとう、なのだそうだ。彼のように素直に感情が表れてくれるタイプだと、こちらもいろいろ学習できて良いだろうな、と思う。 「では、燐さま、とお呼びすればよろしいですか?」 「ぎゃあ! 止めて、マジ止めて! 『さま』とか、鳥肌立つ!」 呼び捨てでいいから、と慌てて拒否された。仮とはいえ主人の名を敬称も付けずに口にするのは躊躇われたが、結局は彼の命に従わざるを得ないのだ。 「ついでにその敬語も止めろよ。もっと普通の話し方、できるだろ?」 もちろん、主人のどのような要求にも応えられるようにありとあらゆる言語能力のデータはインプットされている。 「分かった、そうするよ、燐」 その口調が気に入ったのか、少年、燐は「良い子だ」と嬉しそうに笑った。 「僕のことは好きに呼んでくれて構わないよ。燐の声は登録されてるから、どう呼ばれても反応できる」 主人となるための登録の一つとして声紋登録がある。プログラムに組み込まれたそれのおかげで、彼の声を聞き間違えることはない。そう口にすれば、「そりゃ違ぇよ」と燐は眉を顰めた。 「お前にはちゃんと名前があるんだ」 雪男、って。 ヒューマノイド・ロボットは初回起動時には名を持たない。主人が決めるのが通例で、名付けられて初めて製造番号以外の呼び名を得るのだけれど。 「……ユキオ」 「そ。お前の名前な! 忘れんなよ、雪男」 こちらはヒューマノイドなのだから、よほど妙な衝撃を加えない限り忘れるなどあり得ない。そう言い返そうと思ったが、プログラムに登録されたその声で紡がれる「雪男」という響きが、どうにも。 「……『懐かしい』?」 呟いて首を傾げる。 「どした、雪男?」 そう呼びかけられる名前、内蔵されたマイクで音を拾い認識しているのだけれど、それと同時に沸き起こる感情はやはり「懐かしい」が一番しっくりくる気がする。 「なんか、燐にそう呼ばれるとすごく、懐かしい」 おかしなことを言っている、と自分でも思う。懐かしいとは過去を思い出して抱く感情だ。雪男はつい先ほど起動したばかりで過去などあるはずもなく、この名だって今燐がくれたもので。 「ごめん、変なことを言った。忘れて、やっぱり僕はまだ動作が安定してないみたいだ」 燐が言ったとおり、雪男は今テスト運転中なのだろう。だから脈絡のない感情が沸き起こったりする。これでは人間の社会に入っていくことなどできない。こういった問題点を解消するための期間が今なのだろう。 しょぼん、と俯いて言った言葉へ返されたのは「ばぁか」という笑い混じりの声。 「いいんだよ、何でも思ったこと言って。もし何か問題があったら言ってもらわなきゃ治せないだろ?」 だから思ったことを思ったまま口にしていいし、それについて謝る必要もないのだ、と説明しながら伸びてきた手。くしゃり、と頭を撫でられる。この行為は本来大人が子供にするものである、という認識があり、必要ないと言いたかったけれどどうにもその手が温かくて、そしておそらく自分はこれが嫌ではないらしいため大人しくしておくことにした。たった今目覚めたばかりの自分と彼とでは、子供と大人と表現してもさほど間違いではないのかもしれない。 2へ→ ↑トップへ 2012.07.19
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