ハロー・グッバイ(12)


 シュン、と小さな音が聞こえたような気がしたが、気のせいかもしれない。雪男のような最新型であれば、起動音も終了音もさほど響かないはずだ。
 ゆっくりと顔を離せば、ソファに座ったまま静かに目を閉じている「弟」の姿。完全にプログラムは終了しているようで、また主人登録をして唇に触れない限り目覚めることはないだろう。

「ははっ、やっぱ俺、ポンコツなんだなぁ……」

 今になってようやく、燐の中でもぱちぱちと回路が遮断されていく感覚が起こり始めた。終了の合図は雪男と同じように唇への六十秒以上の接触であるにも関わらず、だ。
 本来なら主人が行わなければならないその接触ではあったが、雪男でもそうできるようプログラムを書き換えた。
 終わるなら共に、と思ったのだ。
 いや、正確に言えば終わってしまうのは燐だけで、雪男には調整後の新しい世界が待っている。

 この優しくて頭の良いヒューマノイドが双子の弟である、というのは実は紛れもない事実であった。もちろんヒューマノイド・ロボットであるため血縁関係があるわけではない。容姿や体格が異なっているのは実験だそうだ。まったく同じプログラム、機関を持った姿形の異なるヒューマノイド・ロボット。それらを同時に起動させて起こる違いを研究するのが目的だったようだが、先に起こされた燐を動かし搭載したプログラムに問題が多すぎることに気がついた。
 当時の平凡型タイプの最先端技術が詰め込まれていたようだが、そのせいであちらこちらに綻びが起きていたようだ。感情がうまく制御できずに暴れ出したり、制限されているはずの力が解放され想定以上の怪力を発揮したり。本来なら捕らえられ強制終了されてスクラップ送りであっただろう燐を根気よく教育してくれたのが、その研究チームのボスであった男だった。燐を引き取り、人並みに生活できるようにしてくれたけれど、その間燐に「主人」は登録されていない状態で、そのことが上にばれて今は謹慎処分中だ。その彼からも聞かされていたこと、それは燐のボディが長く持たないだろう、ということ。

 想定外の力を発揮して、人間と同じような感情を学習したプログラムを走らせる機械はかなりの高熱を発するようになってしまった。通常の冷却スキンでどうにかなるようなレベルではなく、燐がその熱に耐えきれなくなる日も近いだろう、と。
 燐というヒューマノイド・ロボットが学習したすべて、その性格、感情を表すための根幹となるAIチップを取り出し、別のボディへ移せば「燐」はまた起きることができるかもしれない。しかしそれは人間で言えば脳と心を身体から切り離すようなもので、簡単にできるようなことではなく上手くいく保証もない。まだ実験段階でしかない燐のようなヒューマノイドに、そのような高度な処置を施して貰えるとは思えなかった。
 だから終わる前に、と願ったのは共に作られた双子の弟との生活。燐に起こった問題を一つ一つ解析し、その改善が弟には施されている。だから彼は力を制御することもできるし、感情を暴走させることもない、熱に苦しむこともなく、人間のように泣いて笑うことができる。

 あいつがお前の弟だぞ、と養い親(なのだ、と彼自身が言っていた)に連れられ、何度も眠っている雪男を見に行った。お前が燐で炎だから、あいつは雪だ。雪男っつーんだぞ、とその名を教えてもらって、聞こえていないと分かっていてもずっと、側で名前を呼んでいた。早く起きろよ雪男、と。
 弟と、雪男と話をしてみたかった、並んで歩いてみたかった、手を繋いでみたかった、抱きしめてみたかった、キスをしてみたかった、ただその温もりを感じてみたかった。だから燐はずっと雪男が目覚めるのを待っていたのだけれど、その前にこちらの身体が持たなくなってしまったのだ。
 最後に一時だけでいいから、とそう頼んだ燐へ、現在の主人(これはほとんど仮に登録されているような存在ではあったけれど)が出した条件は、ヒューマノイドであることを悟られぬようにすること。幸いにも暴走するプログラムのおかげで、燐はほとんど人間と同じような言動を取ることができた。燐たち双子には人間とヒューマノイドを見分ける機能が搭載されていないためそれも可能だろう、と。

「本来テスト起動は人間と共に生活をして、その感情面を豊かにすることが目的ですからね」

 相手がヒューマノイドと知って、妙に捻くれてしまっては意味がないでしょう? と笑って言われたことももっともだと思ったため、その条件を呑んだ。たとえ嘘をつき続けることになったとしても、兄弟なのだと言うことができなかったとしても、それでも雪男と一緒に過ごしてみたかったのだ。
 弟との生活は、燐が予想していた以上に温かくて優しくて幸せで、そしてとても悲しかった。一緒にいればいるほど、側にいればいるほど、そのうちこの温もりを手放さなければいけないのだという事実が、暴れ出したくなるほどに辛かった。

「あなたの熱暴走、彼と一緒にいるせいでよりひどくなってますよね」

 少しでも雪男と過ごす時間を長引かせるため、ラボへ出かけては調整をしてボディの限界を誤魔化しながらの生活。本末転倒なのでは、と現在の主人に言われたが、「ホンマツテントウ」という言葉の意味が分からなかったこともありうるせぇ、とそう返しておいた。
 燐は本当にヒューマノイド・ロボットとしては出来損ないで、文字にして表すことのできることをほとんど覚えられなかったのだ。予めインプットされているはずのデータすら満足に引き出せない。その代わりとでもいうかのように、人間と同じように笑ったり怒ったり悲しんだり喜んだりすることは、すぐにできるようになった。燐たちを作ったラボの人間は素晴らしい、と喜んでいたようだったけれど、ただひとつだけ、燐にできない感情の表し方がある。
 それは涙。
 泣かないで、と雪男に言われたが、熱を持ちすぎる燐は、涙を流すことができない。
 そのことを少し寂しく思っていたけれど、もうどうでもよくなってしまった。だって雪男が泣いてくれた。側にいたい、離れたくない、兄さん大好き、と燐の分も一緒に泣いてくれた。
 だからもういい。

 雪男は燐と異なり優秀な、素晴らしいヒューマノイド・ロボットとなるだろう。人間と同じように笑って泣くことのできるヒューマノイドに。新しい主人の役に立つことは燐が保証する、きっと気に入って貰える、いやもう既に彼女は十分に雪男のことを好いていた。だから大丈夫だ、とそう思う。燐がいなくても雪男は愛してもらえる、人に求められる、そんな存在になるはずだ。
 出来損ないではあったけれど、燐から得ることのできたデータが雪男に活かされるのならば、弟の中にずっといることができるような気がして、それはそれで悪くない。
 楽しくて、嬉しくて、幸せで、最後の一時としてはこれ以上に素晴らしいものはないだろうと思う。
 ぱちり、ぱちり、ぱちり、と外の世界との繋がりが一つずつ切れていく。処理が遅い、本当に雪男と同じタイプのヒューマノイドなのか、と思わず笑ってしまうほどだ。するり、と背骨あたりから何かが抜け落ちる感覚に、また充電用のケーブルが落ちたな、と思う。以前養い親の元にいたころ、引っ張りだして振り回して遊んでいたせいで、どうにもケーブルを止める金具が緩んでしまっているらしい。それを外に出したまま走り回っては、「尻尾をしまえ、尻尾を!」とよく怒られていた。雪男がやってきてからは見られては困るため必死に隠していたけれど。雪男のそれは燐のものとは異なり、きちんと体内に収納されていて、さすが最新型だと思ったものだ。ケーブルを振り回しちゃいけません、って雪男に教えるの忘れてたなぁ、と徐々に閉ざされつつある思考回路でぼんやりと考える。
 この身体はもう持たない、二度と目覚めることはない。
 兄さんの笑った顔が好きだよ、と雪男は言っていた。
 燐だって、雪男の笑った顔が好きだった。目覚めたばかりのころはまだうまく感情が理解できていないようだったけれど、優秀な彼はすぐに物事を把握し、嬉しい悲しいを表情にすることができるようになった。燐が彼に話せないことがあると気が付いていただろうに、何も聞かず静かに眠ってくれるくらいには、優しい心を持つようになってくれた。
 これからも笑っていて欲しい。その笑っている顔が好きだから、大好きだから、だから誰かのことを好きだと思う気持ちを忘れないでいてもらいたい。それはとても素敵なことなのだ。だって燐が雪男のことを好きだと思うとき、何ともいえない幸せな気分で満たされる。こんな感情を雪男もずっと抱いてこれからも生きてもらいたい、心の底からそう、願う。

 ああもう、そろそろ、燐も、眠りにつかなければならないらしい。
 床に座り込み、くったりと雪男の膝に頭を預ける。もう目は開かない、顔を上げることもできない、けれど雪男がここにいるのだという感触だけは何となく分かる。
 だから最後に一言だけ。
 たったひとりの、誰よりも大切な双子の弟へ。



「ゆきお、」
 大好き。




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2012.07.19
















元ネタはアニメ雪男の中のひとの歌「Program me」。