ヨンパチ。その3・前


 国籍人種を問わず力のあるものを受け入れる祓魔師団体、正十字騎士團。本部はヴァチカンにあるが、世界各国に支部を設け、地球規模でこの世界を悪魔から守り続けていた。人手不足だとはいいながらも多くの祓魔師たちを抱え、個々の能力に合った称号、階級を与え、それらを基準に任務を振り分ける。現れた悪魔の種類、場所、被害状況は常に異なっており、すべてを鑑みた上でもっとも適切だと思われる人員を配置するのだ。リーダだけを選出しその下は任せる、ということもあれば、称号別に何人ずつで向かえ、と指示のある場合もある。何にしろそういった命令は一種類ではなく、毎回任務ごとに行動をともにするメンバが異なっているのが普通であった。しかし中にはそれらの例から漏れ、常に同じメンバで任務に挑む集団もある。バランスがよく、よほどの状況でなければ確実に対処できるような、大体が十人弱の人数からなるメンバ固定の「チーム」を、各支部四、五ずつは抱えているものだ。
 今でこそ他国にまで名を知られている日本支部の若き祓魔師たち七人のチーム「ヨンパチ」であるが、意外にその発足は最近であり歴史は短い。彼らの場合、チームとなる前から目立ってしまっていたため、ずっとチームを組んでいるのだと勘違いしているものも多いのだ。
 これはまだ彼らが正式にチームを組む前の話。魔神の血を引く暴走ツインズと、彼らへツッコミを入れることのできる希有なストッパーたちがまとめて「ヨンパチ」と呼ばれ始めた頃のことである。


「よぉ」

 この度の任務のために集められた祓魔師たちのなかに、見知った姿を見つけた。近づけば向こうもそれと気がついてくれたようで、「あ、勝呂くん」といつもの柔らかい笑みを浮かべて手を振ってくる。

「今回は杜山も一緒か」
「うん、よろしくね」

 にっこりと笑う彼女はいつもの和装ではなく、洋服を身につけていた。騎士團支給の黒いショートコートの左胸に銀色のブローチが光っている。着物でないことを指摘すれば、「動けるように、って思って」と昔から変わらない少し自信のなさげな顔をした。称号を得て祓魔師にはなったが、彼女は元来引っ込み思案で消極的な性格をしており、それに歯がゆさを覚えることも多い。しかし大好きな友達を守りたい、誰かの力になりたいの、とその胸の奥に強い意志を秘めていることもまた知っていた。

「……着物やのうても、さほど動けんやろ、お前は」

 昔っからとろいし、とからかうように言えば、杜山は「ひどい!」と頬を膨らませる。とうに二十歳も過ぎたというに、いつまでも少女らしい表情の似合う女性だ。悪い悪い、とまるで罪悪感を滲ませていない声で答え、薄い桃色の髪飾りが揺れる頭へぽん、と手を置く。

「まあ、あんま無茶はすんなや。手騎士やし、杜山は補佐が役割やからな」

 もともと彼女が呼び出す使い魔たちは、直接攻撃ではなく防御や治療といった特技を持つものが多い。医工騎士の称号はないが(今勉強中らしい)、下手をすれば本職の人間以上に魔障の治療ができる手騎士なのである。
 勝呂の言葉にきょとん、としたような表情を浮かべた杜山は、すぐに口元を緩め「うん、ありがとう」と礼を述べた。

「勝呂くんも気をつけてね」

 京都出身であり、寺の跡取りでもある彼も、祓魔活動の際和装を取ることがあった。しかしそれは京都派出所での任務であったり、リーダが仏教系祓魔師であるときのみであり、今回は洋装で黒いロングコートを身に纏っている。学生の頃金に染めていた頭頂部の髪は、今は何の手も入れず黒いまま。年を重ね彼も落ち着いたからだ、と大半の人間は思っていたが、実際のところ「金髪モヒカンじゃないと誰か分からない」と若干脳の出来のよろしくないハーフ悪魔(兄の方)に言われたため、意地になって黒に戻しただけである。そのことで件の友人と大喧嘩をかましたのも記憶に新しい。
 今回の任務のために集められたメンバが揃うまでの間、久しぶりに顔を合わせた知己と世間話をしながらくるり、とあたりを見回せば、慌てて視線を逸らす顔がいくつか。先ほどからちらちらと伺うようにこちらを見ていたのは彼らだろう。正直な話、そうして見られること既に慣れてしまった。何せもう十年近くそんな視線を向けられているのだ。
 そうあれは、おおよそ十年ほど前のこと。
 尊敬する父の寺を再興させようと、人間の身には余る野望を抱いて祓魔塾へ足を踏み入れた少年、勝呂竜士はその後の人生設計を百八十度ひっくり返すかのような運命的な出会いをした。それはおそらく今目の前で笑っている女性、杜山しえみも似たようなものだったろう。彼女の場合は塾に入る前であったらしいが、出会った時期は近いと聞いている。
 十五歳という輝かしい青春時代の始まりに、彼らは出会った。人間と悪魔の、それも虚無界を統べる王たる存在、魔神の血を継ぐ双子の兄弟に。
 出会った当初はまだ兄の方しか悪魔として目覚めておらず、しかし弟の方は既に自分たちへ教えを施すほど祓魔師として立場を確立していた。彼らの実の祖父が暗躍していたと噂の大きな事件をきっかけに弟も悪魔の血に目覚め、その後の努力により兄もまた祓魔師として称号を得て、現在ではハーフ悪魔の双子祓魔師としてその名を世界に轟かせている。

 双子の悪魔(の兄の方)と塾で同期であった、ただそれだけならばここまで好奇の視線に晒されることもなかっただろう。彼らの顔見知りであるならば、日本支部の大多数がそれに当てはまるはずだ。
 そうではなく、勝呂が、そして杜山がこういった視線に晒されるのは、恐るべき青い炎を操る悪魔兄弟から「特別な友人」と目されているから。少なくとも周囲の人間から見ればそう見える、と思われているからである。
 はた迷惑なほどブラコンを拗らせた双子は、仲良く仲が悪い。
 どう意味だ、と眉を顰められそうだが、そうとしか言いようがないのだ。とにかく仲良く仲の悪い彼らが任務後におっぱじめた兄弟喧嘩の仲裁を頼まれた回数は、既に両手では足りぬほど。杜山も似たような状態で、ふたりだけではなくほかの同期たちも同じであるらしい。誰の声も届いていない兄弟の、この世を滅ぼさんとするほど迫力のある喧嘩を、勝呂を含めた同期生たちは身体を張って止めに入る。
 言葉にすればひどく大それたことへ果敢に挑戦しているようだが、何のことはない。「人様の迷惑やから止めい」とふたりの頭を殴るだけである。何一つ恐れることなくそれができるのは、双子たちがこちらを傷つけるようなことを決してしない、と知っているからだ。
 それを知らぬものたちからすれば、「魔神の息子たちの喧嘩を止めることのできるすごい人」のように見え、そして「魔神の息子たちが耳を傾ける特別な友人」であるように見えるらしい。特別かどうかは分からないが友人であることは否定しない。そして今後その関係を解消するつもりもさらさらない。そう思う程度には、彼ら悪魔の双子のことを勝呂なりに気に入ってもいる。周囲からどのように見られていようが、疎まれ嫌がられ恐れられていようが、彼らが自分と大して変わらない「ひと」であることを知っているから。
 任務後に繰り広げられる兄弟喧嘩に意図はなくとも、勝呂たちだけが止めることができる、という事実には若干裏を覚える。しかしたとえ勝呂の推測通りであったとしても、それくらいならばいくらでも協力しよう。そうすることで彼らがほかの人間と同じように自由に笑って日々を過ごすことができるのならば、この程度の不躾な視線などいくらでも無視してみせる。
 同じく双子から「特別枠」へ入れられているほかの仲間たちとこんな青臭い話をしたことはないが、きっとみな同じ気持ちを抱いているのだろう、勝呂はそう信じていた。

「あ、そうそう。この間ね、久しぶりに朴さんに会ったんだよ」
「朴? ああ神木の友達の」
「そう。出雲ちゃんと朴さんと一緒にご飯食べたの」
「ほうか。元気やったか?」
「うん! 朴さんね、今どこにいると思う?」
「どこって、あいつもともとこっちの人間やなかったか?」

 確か勝呂たちのように遠方から出てきたのではないと記憶している。そう言えば、「そうじゃなくて」と杜山は楽しそうに笑って言葉を続けた。

「大学を出てね、少しは一般の会社でOLさんしてたみたいなんだけど、折角悪魔が『見える』んだから、戦えなくても少しでも手助けがしたい、って今日本支部の事務にいるんだよ」
「まじか!」
「うん、まじなの!」

 私も聞いてびっくりしちゃった、と杜山は頬を赤く染めて言う。

「だから今度顔、見せに行ってあげてね」
「おん。そら、見に行っとかなな」

 騎士團という組織に属しているのは何も祓魔師だけではない。前線に立つものたちを後ろから支える存在も必要なのである。もちろんその組織の目的からして通常の会社や団体のようには行かず、何も知らぬ一般人がその職に就くことはほとんどない。事情により戦線を離れた元祓魔師や、悪魔や祓魔についてある程度知識のあるもの、理解のあるものが祓魔師たちの活動をバックアップしているのである。どうやら一時ほど塾にいた彼女は今、その職に就いているらしい。さほど親しかったというわけではないが、少人数だった塾での同期生だ、それなりに親近感は抱いているし、今彼女が健やかであるかどうか気になりもする。

「他のやつらは知っとるんか、朴のこと」
「志摩くんたちは知らないかも。でも、燐と雪ちゃんには会ったって朴さんが、」

 杜山がそう答えたところで、「無駄話はそれくらいにしろ」と低い声がかけられた。驚いて視線を向ければ、今回の任務においてリーダと指名されている上一級祓魔師の姿がある。三十を少しすぎたあたりの年である彼は、竜騎士の称号を持っていたはずだ。ちらりと腕時計へ視線を落とせば指定された時間を十五分ほど過ぎている。遅刻して来ておいてその言いぐさはないだろう、と思ったがそれを顔に出さない程度には勝呂も成長していた。同階級で称号の数から言えば勝呂の方が上ではあるが、年齢そのままの経験の差故に彼がリーダとして抜擢されたのだろう。もちろんそのことに不満があるわけでもなく、命が下されたのならばリーダに従い己の役割を全うするだけだ。
 俯いて「申し訳ありません」と謝罪する杜山を見下ろした男はふん、と鼻を鳴らしたあと不機嫌さを隠そうともせずに言葉を続ける。

「私の前でその不吉な名を二度と口にするな」

 これは命令だ、と吐き捨てられた言葉の意味が上手く理解できず勝呂と杜山のふたりは思わず顔を見合わせてしまう。しばらく考え彼の言う「不吉な名」が何であるのか気がつき、勝呂は怒りの、杜山は悲しみの視線をリーダへ向けたときには既に彼はこの度の討伐任務の具体的な説明を始めていた。
 勝呂と杜山、リーダである祓魔師のほかに、騎士が二人に女性医工騎士が一人、詠唱騎士が一人。町中にある廃墟と化したビルに現れるというゴースト退治が任務である。

「高々ゴースト程度に上一級をふたりも使う上の意図が分からんがね」

 どうもこの任務へのチーム編成が不服らしい竜騎士は、そうぼやきながら現場の近くへ通じるらしい鍵を取り出して移動用の扉へと向かう。大ざっぱに告げられた作戦は、騎士と竜騎士でビル内のゴーストを討伐し、詠唱騎士と杜山がビルから逃走しようとするゴーストを捕らえる。医工騎士である女性は負傷者が出たときのために安全な場所で待機、ということらしい。突入する四人がどこから入りどう動くのだとか、どこにゴーストたちが現れるのだとか、そういった説明はまるでない。もしかしたら現場で行うのかもしれない、いやそうに違いない、と思いながら彼に続いて扉を潜る。ふと右斜め後ろを振り返れば、少し暗い顔をした杜山がいた。
 彼女が心を痛めている原因は、顔を合わせた直後に今回の上司である男から注意を受けたから、ということではない。その祓魔師から大切な友人たちを貶しめる言葉が放たれたから。
 反論をしたい気持ちは山々だが、今ここで議論したところでどうにかなる問題ではなく、むしろ彼らの立場が悪くなる可能性の方が高い。そう分かっているからこそ、彼女は泣きそうな顔をしてそれに耐えている。少し歩調を緩め杜山の隣へ行くと、勝呂は先ほどと同じようにぽん、と彼女の頭へ手のひらを置いた。
 気持ちは痛いほどよく分かる、耐えているのは彼女だけではない。そんな気持ちが伝わったようで、視線を寄越した彼女は「ありがとう」と口元を緩めて言った。

「大丈夫。ふたりの痛さを少し分けてもらってるって思えば、全然平気だよ」

 苦しい思いをするならば共に。
 それが仲間というものだ。
 おっとりしているようで芯の強い彼女らしい言葉に、「せやな」と笑ってぐしゃぐしゃと頭を撫でておいた。
 あんな下らない蔑みをいちいち気にするだけ時間の無駄だ。下手にチームワークを乱すことはせず、「魔神の落胤の友人」として恥じぬ働きをしてみせなければ。
 愛用の銃を手に取り、弾を確認。見上げたビルは五階ほどの高さであるが、思っていたよりも横に広い。これはゴーストを探すのも苦労しそうだ、と思っていれば、「この程度ならば中級でも十分だろうに」とリーダはまだ文句を口にしていた。投げて寄越されたものは、このビルの見取り図である。
 確かに外から伺う限り、さほど凶悪な悪魔が潜んでいる気配は感じられない。ただ広さがあるだけで、この強さのゴーストが相手ならば、人数さえ揃えれば中級の祓魔師でも十分であっただろう。

「人手が足りなかったんでしょうかねぇ」

 リーダの言葉に上二級だという騎士の男がのんびりと答え、「いまでたっても人手不足ですよね、うちは」と中一級である詠唱騎士が苦笑を浮かべた。

「でもまあ、今回は楽でしょうよ。何せ、かの有名な方々のご友人がいらっしゃいますから」

 ねぇ、ともう一人の騎士(中一級である女性騎士だった)からの当てこするような言葉に、こめかみがひくり、と引きつる。何が言いたいんや、と怒鳴りそうになるのを堪え、「何のお話でしょうか」と努めて平静に返した。どうにも今回はリーダだけでなく、彼女もこちらにあまり良い感情を抱いていないようだ。
 互いに心のある人間であるため、様々な理由で好悪を抱くのは仕方のないことである。しかしこうして社会に属し、命の危険のある任務へチームを組んで挑んでいるのだ。一般的な常識を持ち合わせた大人ならば、個人の感情をできるだけ押さえて仕事に当たるものだが、小学生かあんたらは、と腹の奥底で舌打ちをする。そんな勝呂の隣で「有名な方?」と計算なのか天然なのか、杜山が首を傾げていた。
 ふたりの反応が予想外だったのか、件の騎士は少し白けたような表情をして広げられた見取り図へ視線を落とす。何を期待していたのかは分からないが、今のやりとりが時間の無駄でしかなかったことは十分に理解した。こんな下らないことを、おそらくあの兄弟は自分たち以上に経験しているのだろう。
 頭の中ではそんなことを考えながらリーダの説明に耳を傾ける。目撃されたゴーストは一種類ではなく、その姿も様々である。小さな子供であったり、大人の男であったり、老人であったり、果ては犬猫まで。

「ゴーストが集まる何らかの要因がある、と考えるのが妥当だろう」

 今回はゴースト退治だけではなくその要因を探ること、そして根絶することもまた任務の内であった。だからこそ知識と経験の多い上一級の祓魔師が派遣されたのだろう。

「私はその要因を捜索する。ゴーストの討伐は君たちでやってくれ」

 リーダである竜騎士の指示に、集まった部下たちはそれぞれ頷いて返事を寄越す。彼を含めた四人でビル内に入り、それぞれゴーストを討伐しながら要因を探した方が効率的だろう、と思ったが黙っておいた。
 廃墟であるため、倒壊さえさせなければ建物への多少のダメージは構わないらしいが、狭い屋内で派手な動きができるはずもなく、聖水弾や詠唱での祓魔を主力とするしかないだろう。入り口は正面に一つだけ。建物側面には金属製の階段があり、各階ごとに非常扉が設置されているようだ。それなりに車の通る県道脇にあり、後ろ側は川だが両脇にはパチンコ屋と複数の営業所やら事務所やらが入ったビルがある。言わずもがな、両隣のビルへは被害を及ばさないこと。
 では散開、と言われビルの入り口へ足を向けるが、どうにも気が進まない。決してこちらに好意的ではない人物との作戦だからだろうか。そう思うも、違和感が消えないままだ。本当にこの作戦で大丈夫なのだろうか、という不信感。
 いや、複数のゴーストを相手にするのならばリーダの言う作戦はもっともである。手分けしてそれぞれに討伐、それ以外手はない。しかし本来ゴーストとは、死亡した人間や動物から気化したものへ憑依する悪魔であり、その言動は生前の人物の特徴を濃く継ぐ。ここで多数のひとが命を失ったような事故は起こっておらず、そうなれば多種多様なゴーストが集まってくる理由が分からない。
 だからこそ、その要因を探る、とリーダは言っているのだと分かっているが。
 ざざ、とインカムがノイズを発し、共に潜入した仲間の一人が屋上に到達した、と報告が入る。特に怪しいところはなく、このまま再び下へ降りるとのこと。

「了解」

 手にした聖水瓶をゴーストの群に向かって放り投げ、短くそう返事をしたのち詠唱に入る。今現在日本支部所属上一級祓魔師の勝呂竜士といえば竜騎士として有名だが、先に称号を取ったということもあり詠唱の方が得意だったりもする。魔を滅する言葉を放ちながら部屋を一つ一つ見て回り、長い廊下を進む。
 突き当たりには非常扉があり、開ければ外へ続く階段があるのだろう。それを横目に上の階へ向かう。
 ゴーストが集まる原因を探っているリーダを別にし、残り三人はそれぞれ一階から上へ向かうもの、三階から上へ向かうもの、一度屋上まで登ったあと下へ降りてくるものと分担を決めてある。勝呂は三階を担当しており、今四階が終わったところだ。そろそろ屋上担当の騎士(嫌みったらしい女性騎士だ)と出会う頃だろう、と思っていれば案の定、たった今上から降りてきたらしい騎士が階段下にいるのが目に入った。嫌な奴だと分かっていても、その無事な姿を見ればほっとする。互いに負傷のないことを確認し、また異常がなかったことも雰囲気で察した。そうなればあとは一階、二階か、建物の周辺にゴーストが集まってくるような何かがあるのかもしれない。インカムの発信ボタンを押し、「こちら勝呂」と口を開く。

「三階より上には特に異常は、」

 ない、そう言葉にしようとしたところで不意に階段上から異様な気配を感じた。勝呂のそばにいた女性騎士も同じ気配を覚えたのだろう。

「そんな! 上のゴーストは全部倒したはず……っ!」

 自分の確認不足を責められるとでも思ったのだろうか。そう言い捨てた彼女は無謀にも階段を上って行こうとした。

「ッ、あかんっ! 戻れ!」

 このプレッシャーは各階に漂っていたゴーストたちとは格が違う。もはやゴーストですらないかもしれない。一人で向かうなど危険すぎる。慌てて勝呂が追いかけるが、一息ほど遅かった。

「っ!? あ、あぁああっ!」

 五階廊下へ到達する前に、女性騎士は何か強い力に弾き飛ばされこちらに向かって落ちてきたのである。
 悲鳴を耳にし、吹き飛ばされる仲間を前にした場合、とっさに取る行動は一つだけ。

「ぐ、ぁっ」

 どさり、と彼女の身体を受け止めたは良いが、こちらの存在を排除しようとする力は止まる様子がない。抱え込んだ騎士ごと見えない空気の塊に弾き飛ばされ、背中から窓ガラスに衝突した。どん、と肺を強く圧迫され呼吸が一瞬止まる。このまま押しつぶされたらたどり着く先は圧死だ、そう思ったところでがこん、と背後で音が響く。

「え、」

 途端にこちらを押しつぶそうとする力が弱まった、ような気がしたがそれは単純に、勝呂たちの背を押さえていた窓が枠から外れてしまっただけのこと。ぐらり、とふたりの身体が建物の外へ向かって傾く。

「ひっ、きゃぁああっ!」

 気を失ってくれていたらよかったのに、とその悲鳴にうんざりとしながらも彼女を抱え直し、勝呂は自ら外へ身体を投げ出した。
 名を呼ぼうか、と一瞬だけ考えた。助けてくれ、と請おうかと思ったが、それよりさきに「ニーちゃん!」と思った通りの人物の声が周囲に響く。さすがつきあいが長いだけある、言葉にせずとも勝呂の求めに的確に応じてくれる。
 ふたりの落下地点に寸分違わず敷き詰められた苔のクッションのおかげで、なんとか地表に足を下ろすことができたが、悪魔の攻撃を直接食らってしまった女性騎士はやはり無傷ではなかったらしい。

「ドクター!」

 濃い瘴気を浴びたせいか、呼吸がひどく苦しそうだ。陰の気の塊を胸に受けたのだろう、早く治療しなければ、と仲間を呼ぶが返ってきた言葉は「ごめんなさい!」という杜山のものだった。

「医工騎士は隊長が連れて行ってしまって……っ」
「はぁっ!?」

 怪我人が出たときのために待機を、とそういう話ではなかったのだろうか。どういう意味や、と怒りを湛えて吼える勝呂の剣幕は凄まじいが、彼の感情の矛先がこちらに向いているわけではないことを理解している女性は「さっきから呼んでるけど通じないの!」と答えながら地面に横たわる騎士のそばにしゃがみ込んだ。

「隊長! 隊長! 負傷者です、医工騎士をこちらへ戻してください!」

 インカムに向かって呼びかけるも、杜山の言うとおり返答はない。ざざ、とノイズが零れるだけである。

「腐の眷属の魔障……この症状見たことある、雪ちゃんが治療してた……大丈夫、私にもできる。ニーちゃん、ベニオさんとヒノちゃんを!」

 主人の命に「にー!」と可愛らしく鳴いた緑男がその身体より薬草を出現させた。何の手も施していない生の草でなんとかできるものなのだろうか、と思っていれば、「ニーちゃん、ベニオさんを乾燥させて。ヒノちゃんの方は発酵処理!」と指示が飛ぶ。なるほど、植物に関することであれば、緑男にできないことはない。発酵については腐の眷属の力を借りているのだろうが、彼女が正式に医工騎士の称号を得れば、もしかすれば雪男よりも優秀な医工騎士になれるかもしれない。

「杜山、さがっとれ! そっち任せたで」
「分かった、勝呂くんも気をつけて」
「おん」

 負傷者への治療は彼女がいればなんとでもなるだろう。勝呂にはほかにやらねばならぬことがある。

「やっぱただのゴーストやなかったな。ビルん中うろちょろしよったん、全部こいつの欠片やったちゅーことか」

 ホルスターに下げた銃を構える勝呂の前には、ふたりを追いかけて四階の窓から降りてきた腐の眷属だろう悪魔の姿。へどろの塊のような姿をしており、身体のところどころでぷくり、と黒い気泡ができあがっては分離して人の姿を取ったり犬の姿になったりしている。勝呂たちがちまちまと倒していたものはこの悪魔の一部だったらしい。ゴーストといえばそもそも氣の眷属の悪魔であるが、根幹から思い違いをしていたようだ。

「おかしい、思うてたわ」

 雑多すぎたゴーストたちはここに集められたわけではなかった、もともと一つのものからランダムに生み出されただけだったのだ。
 でもまあ、と勝呂は小さく呟いて銃口を悪魔へ向けた。

「こうして大物相手にしてる方が楽でええけどな!」

 ちまちますんのは性に合わんのや、と告げると同時に引き金を引き、その場から飛びのく。腐の眷属に対する有効な攻撃手段を頭の中で展開しながら、放たれる瘴気の塊を避け、聖水で清めた銃弾を悪魔へ埋め込んでいく。時折聖なる言葉を口にし、悪魔の体内にある弾丸に掛けられた術を発動させて体力を奪いながらの攻防。地の王や不浄王を特上級とするならば、この悪魔は中の上といったところか。無理をして、ひとりでどうにかなるレベルだろうが、援軍があるに越したことはない。ほかの仲間はどうしたのだろう、とあたりを伺うが、一階、二階を担当していた騎士はどうやらまだ中で抗戦中らしく、リーダである祓魔師と医工騎士の姿はどこにも見あたらなかった。一体どこまで行っているというのか。

「くそがっ」

 悪態をついたところで事態は好転しないと分かってはいるが、それでも思わず舌打ちが零れ、その苛立ちをぶつけるかのように悪魔の頭部(と思われる)部分へ複数の弾丸を撃ち込んだ。


 竜騎士勝呂竜士がひとりで応戦している間、手騎士杜山しえみもまた彼女のできる精一杯のことをしようと努力していた。しかし、「触る、な……っ」と荒い息の下告げられた拒否にぴくりと彼女の手が止まる。

「悪魔の知り合い、の治療なん、て、受けたくない!」

 ぎり、と怒りと拒絶の籠った強い視線。それは彼女自身の譲れない信念なのかもしれない。昔の杜山ならばその光に怯み、仲間の陰に隠れて怯えていただろう。しかしそれではいけない、と気づかせてくれたのはほかでもない、その「悪魔」である大切な双子の兄弟だ。大好きなひとたちを守るために戦う強さを、彼らと共に学んできた。
 使い魔に用意させた薬を練り、ガーゼを浸しながら杜山は「そんなの私には関係ありません」と静かに口にする。

「私はあなたを助けることができる。だから私はあなたを助ける。それが余計なことであり、生きていられないほどの恥と思うならばその後のことはご自由にどうぞ」

 自ら命を絶つもよし、こちらへ憎しみを向けるもよし。今この場で彼女を助けることが杜山の役目であり、その後のことなどその後で考えれば良いのだ。
 朽ちたコートと中のブラウスをはだけさせ、爛れた患部へ薬を染み込ませたガーゼをそっと並べる。始めは滲みるだろうが、こうすれば炎症はすぐに収まるはずだ。薬の効果を高めるために別の薬剤を作りながら、杜山は悔しそうに顔を歪めている女性騎士へさらに言葉を続けた。

「あなたが悪魔を、私の大切な友達を厭い、憎むのは勝手です。けれど、祓魔師という職についたからにはそれなりの覚悟があるんでしょう? それはこの程度のことで投げ出せるような覚悟なんですか?」

 悪魔と対峙するこの職業は常に死と隣り合わせだ。並大抵の心では耐えられず、称号を得て階級をあげているのだから、彼女なりに相当の努力をしてきただろう。それらの時間を、己の過去を、下らない信念の為にすべて投げ出すのか、と。

「悔しいと思うなら、醜くしがみついて生きるべきだと思います」

 死んでしまってはたとえどれほど崇高な志があろうとも、どうしようもないのだから。もっとも、と杜山は口元を緩めて告げた。

「あなたの祓魔師としての誇りが、この程度のことで魔に落ちるほどのものだというのならば話は別ですけれど」

 にっこり笑って穏やかに放たれた言葉の矢により、負傷した騎士は心を深く抉られでもしたのか、ぐぅと小さく唸ったあと黙り込んでしまった。今の自分の言葉を耳にすれば、彼女が厭う悪魔の双子の兄の方はむしろ「怪我人にそこまで言わなくても……」と止めに入りそうだな、と思いくすり、と笑いが零れる。彼は本当にどこまでも優しいひとなのだ。とくに弱っているひとに対してはとことんまで甘くなる。たとえ良い感情を向けられていないと分かっていても同じ祓魔師だから、というだけで、彼自身の身体を使って守ろうとするくらいに甘くて優しい悪魔たち。
 彼らには常に胸を張れる自分でありたいのだ。





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2012.09.02