奥村兄弟の攻防・前


五月二十三日

 双子の兄弟が兄弟としてあるまじき関係を持つようになり、兄である奥村燐は一つ、知ったことがある。
 弟の雪男は、恋人にはものすごく優しい。優しいというよりも甘い。ひたすらに甘い。兄であったときには知ることのなかったその一面。こちらは女の子ではないのだから、そんな態度を取らなくてもいい。何度かそう言ってみたことはあるが、「兄さんが好きだから大事にしたいんだよ」とこれまた甘ったるい言葉を返されるのだ。しかも思わず見ほれてしまうほどの笑みを浮かべて。正直勝てるわけがない、といつも思う。
 自慢ではないが、こちらは雪男のようにモテるわけでもなく、男女問わず家族以外に優しくされた覚えもほとんどないのだ。誰かに好きでいてもらえている自分というものがいまいちよく分かっていないというのに、一番大切なひとからそんな甘く優しい言葉を掛けられ照れるな、というほうが無茶な話。
 弟に甘い言葉を紡がれ、ろくな言葉も返せずに真っ赤になってしまう。兄として情けなく思い、男として悔しく思ってしまうのも仕方がない、と理解いただけるだろうか。甘い言葉や優しい言葉が嫌だ、というわけではない。ただ一方的であることが気に食わないのだ。燐なりに反撃を試みようとはしているが、なかなかどうして、雪男のようにはいかないものである。そもそもあんな恥ずかしいセリフを、どうしてさらりと口にできるのかが分からない。上辺だけのものではなく、心の底からそう思っていることが伝わってくるような言い方で、だ。
 そんな弟の言動に毎日のように振り回されている。自分ばかり雪男にめろめろになっていくようで、とてもおもしろくない。悔しい。惚れた方が負けだとはよく聞く言葉であるが、負け通しはつまらない。燐だって、自分の言動で赤くなったりうろたえたりする可愛い弟を見たい。
 それに、と燐は思う。
 悔しさと恥ずかしさから、雪男の言葉にはいつも赤面したままつっけんどんな反応しかできないでいるのだ。「ばかじゃねーの」とか「恥ずかしいやつ」とか、ついついそう返してしまう。心の中では嬉しい、ありがとう、俺も好き、そう思っているというのに。
 そんな気持ちを少しでも弟に伝えたい。好きだ、と言われてどれだけ嬉しいか、安心できているか、雪男にも感じてもらいたいのだ。

 そのことを聞いたとき、チャンスだ、とそう思った。
 手紙は物として残るし、どう渡せばいいのかも分からないが、メールなら、と。直接雪男の顔を見ることもないため、普段言えないことが書けるのではないだろうか、と。
 今日は恋文の日、らしい。情報の出所は当然、京都三人組のピンクである。「女の子はこういう話題好きなんよ」と、異性に近づくためだけに雑多な知識を揃えている彼はある意味尊敬に値する。「ラブレター書くとええことあるかもよー」と出雲にねだってブリザード罵声を浴びていたが、それはそれで幸せそうであった。
 ラブレター。雪男が時々もらっているらしい恋心をつづった手紙。ほとんどが恋人としての付き合いを求めるものだが、中にはただ知っていてもらたいだけ、というものもあるらしい。どちらかといえばそちらのほうが重たくて苦手、と雪男が眉を顰めて言っていたのを覚えている。
 好きだ、ということを知っていてもらいたい。好きでいることを許してほしい。そういう内容のラブレター。
 燐たちの付き合いは、弟からの告白がきっかけである。しかも、口げんかの最中に思わず飛び出た、といったような、そんな荒々しいもの。ごめん忘れて、と続けられた言葉に、反射的に「やだ」と答えた。忘れるだなんてとんでもない、燐も同じ気持ちでいるというのに、どうして忘れなければならないのか。
 慌てて「俺も! 俺も、そーゆー意味で、雪男が好きだ!」と返したことで、双子の兄弟は恋人同士へと関係性を変えた。もしかしたら「好き」という言葉を面と向かっていったのは、そのときくらいしかないかもしれない。
 雪男は優しい。そしてとても甘い。いつも燐を喜ばせるような言葉をたくさんくれる。それなのに、燐はそんな弟の言葉が恥ずかしくて、まともに顔を見ることもできず、言葉も返せないでいるのだ。
 恋文の日、という記念日。恥ずかしい、と普段ならスルーしそうなことではあるが、今日はそれに乗ってみてもいいのではないだろうか。むしろ、こういう理由づけをしないと、弟に素直な気持ちを伝えることもできないのではないだろうか。
 そう考え、携帯のメール作成画面を睨むこと数十分。

「……なんて書きゃいいんだよ……」

 ラブレターの日だというから、ラブレターを送ってみることにした。そんな出だしを書いたところで指が止まる。そもそもラブレターというものがどういうものなのか、燐にはよく分からない。悲しいことにまるで縁がない生活を送ってきているのだ。マンガなどから得た知識を活用すれば、とりあえずあなたのことが好きです、という内容だろうと推察する。
 ぽちぽちぽち、とボタンを押し、「好きだ」と文字を綴る。明るい画面の上に乗る三文字。恥ずかしくなってクリアキィを連打、すぐにその文字は消えた。

「だめじゃん……」

 メールですら表現するのが難しいこの言葉を、弟はよく毎日、飽きもせず燐に伝えてくれるものだ。そんな雪男と同じ気持ちなのだ、と伝えたい、ついでに少しばかり弟を照れさせてみたい。そのためには、どれだけ雪男のことを好きだと思っているのか、きちんと言葉で伝えなければいけないのだ。

「雪男も少しは俺にめろめろになれっつーの」

 呟きながら弟の好きなところを挙げていく。
 恋人であるときは優しいところが好き。
 いつも燐を心配してくれるところが好き。
 美味しそうにご飯を食べてくれるところが好き。
 「好き」と言ってくれるところが好き。
 頬や頭に触れてくる手が好き。
 抱きしめてくれる腕が好き。
 「兄さん」と静かに響くその声が好き。
 「キスしていい?」と伺うように尋ねてくる顔が好き。
 好きにしろよだとか、いちいち許可取るなだとか、そんな言葉しか返せない燐を笑って許してくれるところが好き。
 そうして、壊れ物に触れるかのようにそっと落ちてくる唇が好き。
 触れ合ったところから全身に広がる、柔らかな熱が好き。

「僕、兄さんとだったらずっとキスしてられそう」
 ほにゃん、と子供のように嬉しそうに笑って言った雪男へ、やっぱり恥ずかしくて「ばか」としか答えられなかったけれど、それは燐だって同じだ。ふわふわと、雲の上を歩いているかのような、ところ構わず叫んでしまいたくなるほど幸せな気持ちでいっぱいになる。
 そんな気持ちに全身を浸し、互いの体温と鼓動を感じながら、ゆっくりとキスをするのが好き。
 いつのまにかメールを打つ手が止まり、燐の指はするり、と己の唇をなぞっていた。弟しか触れたことのない唇、きっとこれから先も彼以外触れるものはいないだろう。雪男の唇だって燐しか知らないはずで、知らなくていいのだ。
 同じほどの体温のそれに触れられ、互いにより高い熱を得る。どうして今、この唇が渇いているのか、温かかくないのかがよく分からない。寒いわけではないけれど、物足りない、寂しい気持ちがふつふつと湧いてくる。

「――ッ、あーもうっ!」

 雪男のばかやろう、と叫びながら、再びぽちぽちぽち、と言葉を綴った。



***     ***



 がったん、と派手な音を立てて突然立ち上がった最年少祓魔師へ、ほかの講師たちの視線が一斉に注がれる。

「……どうかしたの、奥村先生」

 一番近くにいた講師が不思議そうに声をかければ、少年は「いえ、」と小さく言ったあと、にっこりと笑みを浮かべた。

「来週までに提出と言われていた数学の課題があったことを思い出してしまって」

 普段この講師室ではあまり見せることのない高校生としての顔に少し驚きながらも、「大変だねぇ」「奥村先生でもうっかりってあるんだ」と言葉が返ってくる。
「じゃあ、今日はその講義要項まとめたらさっさと帰っちゃいなよ」
 勧められる言葉に、「そうさせてもらいます」と答えながら雪男は腰を下ろした。
 キーボードの横にちょん、と置かれた携帯電話。小さく震えてメール着信を知らせたそれに気づき、開いてみたのがいけなかった。

(なに、これ、なにこれ、なんなのこれ……っ!)

 無表情でキーボードを叩きながら、心の中は大荒れである。
 惚れた欲目か、身内の欲目か。以前から兄の何気ない仕草が可愛く見えることは多かったが、勢いのまま恋人となって以降、その可愛さが倍増した気がする。頬を染めて照れる顔、拗ねて膨れる頬、甘えるように絡まってくる尾、伺うような潤んだ視線、おずおずと背中に回される腕。燐自身は無意識、無自覚であるため尚更たちが悪い。こちらはノックダウンされっぱなしだ。
 恥ずかしさが先に立つらしく言葉は素直ではないけれど、それを補ってあまりある素直な反応。雪男が好きだ、と全身で伝えてくれているようなそれらは、正直雪男には真似のできないことだ。
 可愛いなぁ、好きだなぁ、とほぼ毎日のように思っているというのに、突然のメールでの攻撃、これは卑怯だ、勝てるわけがない。

(……っと、返信しなきゃ)

 まとめていた書類ができあがったところでふと思い出す。正直、メールを返す時間すら惜しい。文面の確認もろくにせずに送信、右手でマウスを動かしデータの保存、パソコンをシャットダウンさせながら、左手では帰り支度。

「すみません、じゃあ今日はこれで失礼します」

 まとめた荷物を手に講師室を後にする。少しばかり小走りで長い廊下を進みながら、「ちくしょう」と少年は小さく吐き捨てた。

「帰ったら覚えてろよ……!」


To 雪男
Sub きょう!
恋文の日なんだってさ。恋文ってらぶれたーだろ?だから、どんだけ雪男のこと好きかかこうと思って考えてたら、すげーちゅーしたくなった!さっさとかえってこい!ばか!

To 兄さん
Sub Re:きょう!
バカにバカっていわれたくないすぐかえる





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2013.07.16