奥村兄弟の攻防・後


六月二日

 そのことを聞いたのは偶然だった。
 未成年に対する労働基準法的にはアウトではなかろうか、という疑問を胸に押し込めつつ、祓魔任務の現場へ向かう途中のこと。

「今日、プロポーズの日なんだってさ」

 雪男の前を歩くふたりの女生徒、制服を着ているが今日は日曜日。おそらくは塾の帰りで駅へ向かっているのだろう。スマホの画面をいじりながら歩くふたりは、ひとにぶつかる気配も、つまずく気配もない。ある意味プロである。そんな彼女たちの右側にいるほうが、そう言ったのが耳に入った。何それ、と返した友人へ説明をしている言葉を聞きながら、ふと思い出すのは先月のこと。記念日らしいから、とそれにかこつけて甘えてきた、可愛くて愛しい小悪魔のこと。無自覚に、無意識的に雪男を煽ることにかけて、彼は天賦の才を持っているに違いない。
 彼はよく、「俺ばっか慌ててるみたいで悔しい!」と吠えているが、それはむしろこちらのセリフだ。その一挙一動に、弟がどれほど心乱されているか、兄はまるで知らないのだ。悟られまいとする努力は、それなりに報われているらしい。わざわざ平静を装っているのは、燐と同じように自分ばかり動揺させられて悔しい、という子供じみた対抗心があることは認めるところである。
 もちろん勝ち負けで語れることではないし、そんな対抗心など持つだけ無駄だろうとも思う。素直になっておいたほうがいいのでは、という気持ちもなくもないが、けれど自分たちは恋人である以前に双子の兄弟でもあるのだ。一般的な恋人関係とは少しずれた状態にあっても仕方ないといえよう。それに、と雪男は思う。どうせなら、ずっとそうやって、喧嘩みたいに自分のほうがより相手のことを好きなのだ、相手に振り回されているのだ、と張り合い続けていくのもおもしろくていいではないか。

 折角得た、今日がプロポーズの日であるという情報。先日の恋文の日(加えキスの日でもあったらしい)に恋人から送られてきた、破壊力抜群のメール。あれに匹敵するほどの何かを送ってやりたい。真っ赤になって慌てふためかせてやりたい。
 そう思うが、これからまだ任務が残っており、そもそも天然でこちらを煽る彼に敵う文章が雪男につづれる気はしなかった。この間のメールだって、深く考えてのことではないのだろう。ただ思ったままに書いたというだけのこと。(と、散々泣かせたベッドのなかで言っていた。)
 思ったままね、と呟きながら携帯電話を取り出す。メール作成画面を開いて、今日がプロポーズの日らしいことだけ打ち込んだ。このままプロポーズの言葉を続けたいところだが、なんといえばいいだろう。
 そもそもあの兄のこと、難しい言い回しや言葉は理解してもらえず、比喩表現も伝わるとは考えにくい。そうなればド直球に「結婚してください」「一生そばにいてください」「一緒に幸せになろう」そんな言葉を言うしかないが、メールで書いたところできっと雪男の気持ちの半分も表現できないだろう。
 相手は男で兄だ。けれど、先日の意向返しという意味以上に、一生を添え遂げたいと本気で思ってもいるのだ。
 側でずっと笑っていてもらいたい。
 一生守り通していきたい。
 毎日「好きだよ」って言わせてほしい。
 その温もりで起こして欲しい。
 死ぬまで、いやむしろ死しても、その手を離したくない。
 心のなかに浮かんでは消える言葉は、どれもこれも雪男の本音だ。
 物心がようやくついた頃、雪男の世界は養父と兄で構成されていた。普通ならば成長するにつれ、友人や教師という第三者が入り込んでくるものだろうが、幼い雪男にとってそのふたりの存在は大きすぎた。自分でも良くない傾向だと分かっていたため、一生口にするつもりのなかった想い。
 まさか燐が同じ感情を抱えていただなんて思ってもいなかった。
(……変なところで双子だよね、僕ら)
 似ている部分の少ない兄弟ではあるが、時々どうしてそこが似てしまうのか、と疑問に思うような共通点を発見することがある。もしかしたら燐の場合はただの兄弟愛、家族愛ではないだろうかと心配にもなったが、「俺も」と返された言葉に飛びつかないなどできるわけがなかった。
 掴みとった手はもう一生離さない。離してやるなどできそうもない。ふたりの前に続く道を無理やりにでも一本にして、ともに歩んで行きたい。
 これから先、お互いの幸せのために生きていきたい。
「……直接、言いたいな」
 照れている顔が見たいだとか、恥ずかしがっている顔が見たいだとか、そんな気持ちもあったけれど、これはメールで伝える言葉ではない。きちんと向かい合って、その手を取って告げなければ意味のない言葉だ。
 当初の目的からは完全にずれてしまう気もするけれど、とりあえず文章を打ち込んで兄へ送信しておく。明日は平日であるため、さすがに未成年を日が変わるまで働かせたりはしないだろう。さっさと終わらせて帰寮するため、歩みを速めたところでポケットの内側で振動があった。
 兄からの返信だ。
「…………」
 目を通し、無言のまま心のなかで両手を挙げる。完敗の姿勢。
 やっぱり、天然小悪魔には勝てるわけがなかったのだ。


To 兄さん
Sub 今日
プロポーズの日らしいよ。せっかくだし、プロポーズの言葉考えたから、僕が帰るまで寝ないで待ってて。

To 雪男
Sub Re:今日
どりょく、する けど、自信ないから、さきに「はい」ってゆっとくわ



***     ***



「僕の未来を全部兄さんにあげる。
 その代わりに、兄さんの未来を僕にちょうだい」

 外側から紡がれる言葉にどう返せば良いのか分からず、シーツの中にこもったまま燐は身体を固めるしかない。自信がないとメールで送ったのだ、眠っていると思ってくれないだろうか。

「世界で一番、兄さんのことが好きだよ。
 これからもずっと、兄さんのことを好きでいてもいい?」

 続けられた言葉にますます顔が赤くなる。ぽふん、とシーツのなかで跳ねる尾を止められない。握りしめた手に力が籠って、少しもじっとしていられなかった。

「兄さんと一緒に笑っていたいんだ。
 もうひとりで泣いたりしないで。
 ずっと僕が側にいるから」

 シーツの上からぽん、と頭に置かれた手に身体が大きく跳ねる。どう考えても燐が起きていることはバレてしまっているらしい。宥めるように頭を撫でてくる手つきに、じん、と胸の奥が痛くなった。

「僕は兄さんと幸せになるために、
 兄さんは僕と幸せになるために生きてるんだと思う」

 だから僕と結婚してください。

 とどめのように放たれた言葉に耐え切れず、雪男の手を跳ね除け、シーツを払い飛ばして起き上がる。真っ赤な顔で目を潤ませたまま「ばかっ!」と弟を怒鳴りつけた。

「お前は俺を恥ずか死させる気かっ!」

 面と向かって言われたらきっと恥ずかしすぎて死んでしまう。だからこそ先にメールで返しておいたというのに。どうしてそのことを察してくれないのだろうか。双子の弟なのだからそれくらい分かってもらいたいものだ。
 べしべしと尻尾で弟の腕を叩きながら、八つ当たり気味にそう喚く。
 兄弟の間で結婚を求めるプロポーズだなんて、笑い話にしかならない。そう分かっているはずなのに、泣きたいほど嬉しく思っている自分がいる。嬉しくて、幸せで、それでもやっぱり恥ずかしくて。
 そんな燐の性格など分かっているだろうに、雪男は逃がしてくれそうもないのだ。暴れる尻尾を簡単に捕まえ、ちゅ、とキスをしながら「それで、兄さん?」と笑みを向けてくる。

「返事は?」
「『はい』に決まってんだろぉっ! もぉっ、ばかぁあっ!」

 嬉しそうに、にっこりと笑って「ありがとう。兄さん大好き」と口にする弟を見上げ、こいつにはどう頑張っても勝てそうにない、とつくづく思い知った。




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2013.07.16
















ついったで呟いたネタを膨らませたやつ。

Pixivより。