ヨンパチ。(その8)(1)


「ああ、杜山さんは和服なんやね。ええですね、綺麗です」

 にっこり笑ってそう告げたのは、今回は唯一衣装チェンジの必要のないメンバ、三輪子猫丸だった。肩にちょん、と猫又のクロを乗せているのは、彼もまた控え組だからである。裏も何もない真っ直ぐな讃辞に笑みを浮かべた杜山は、「ありがとう」と照れたように笑みを浮かべた。本当はドレスも少し着てみたかったが、ただでさえ慣れない場である。衣装くらいは、普段から着なれている形式のものを選んでおいた方がいい気がした。
 今彼女が纏っているものは、薄緑色の地に裾と左肩、右そでに大きな牡丹が描かれた訪問着だ。二十代半ばである杜山が纏うには少し大人しいかもしれないが、鮮やかな桃色の帯と、同じ色の髪飾りが十二分に彼女の若さと魅力を引き立てていた。

「みんなも、すごく素敵だよ」

 くるり、と室内を見回し、先に支度を済ませて待機していた男性メンバへ彼女はそう声を掛ける。「おおきに」「ありがとうございます」「なんや、動きづろぅて敵わんわ」とそれぞれに答えが返ってきた。
 言葉通り窮屈そうに首元を緩めているのは、オーソドックスなブラックのスーツを纏った勝呂だ。体格の良い彼にはダブルボタンのジャケットがよく似合っている。その隣で「よう似おうてはりますけどね」と笑っているのは、彼の幼馴染である志摩。ダークグレーのベストを内に重ねて羽織っているジャケットは薄めのグレーで、シングルボタンのやや細身なシルエットに仕上がっている。胸元のチーフやネクタイに薄いピンクのものを選んでいるのが彼のおしゃれ心だろう。腹部を摩りながら、「このカマーバンドって必要なんですかね」と呟いているのは、三人のなかでは唯一スーツではなくタキシードを纏っている雪男だ。黒いタキシードジャケットに白いシャツ、首元にはクロスタイをつけており、胸には白いチーフ。きちんとした正装が似合うタイプだと思っていたが、日本人離れした長身でもあるためタキシード姿はとても絵になっていた。

「……で、もうふたりはまだ、」

 三輪がそう言いながらちらり、と部屋の入り口へ視線を向ければ、「ちょっと! 大股で歩かない!」と神木の尖った声が聞こえてきた。

「ほら、むやみに顔触らないで、メイクが崩れるってば。唇を舐めるな!」

 連発される注意のあとに、「だってよぉ」とどこか情けない声が続いた。

「なんか、歩きづれぇし、顔、もしょもしょするし……つーか、何で俺がこんな……」
「男がぐだぐだ文句言わない!」

 もう決まったことでしょ、と言い放った神木が室内に姿を現せば、「わぉ!」と志摩が口笛を吹いた。
 ピンクのシフォンドレスは太股丈のミニで、左肩に大きな薔薇の花のコサージュがついている。赤いエナメルのヒールに、同じく赤いショールを羽織っている彼女の後ろからやってきたのは長身の美女、ではなく。

「……燐?」

 恐る恐る呼びかけた杜山の声に彼、奥村燐は、「おう」とややぶっきらぼうに返事をした。その頬がわずかに桃色なのは照れているからか、あるいはチークが映えているからか。ばっちりとメイクを施された悪魔が纏う衣装は、アメリカンスリーブのハイネックロングドレスだ。つま先まで隠れてしまうほど裾が長く、ネイビーのサテン地は燐が動くたびに光を反射して淑やかに光っている。普段外に出している長い尾も、広がるスカートのなかに完全に収まってしまっているようで、これはこれで彼の正体を隠すには良い服装なのかもしれない。
 チームメンバの視線を一心に浴びた彼は、「なあ、俺、これ着なきゃだめか?」と眉間にしわを寄せて唇を尖らせた。

「そりゃ前一回女装はしたけどさぁ。ガキのころだし、学校のなかだったし、見るのお前らだけだったから笑えたけど、さすがにこれでひとの前に出るのはまずくね?」

 ドン引きされね? と不安そうに言いながらスカートを軽くつまみ上げ、くるり、とその場で回って見せた。舞うサテンの布、艶やかな黒髪はウィッグだろう。背中の半ばまで長さのある髪の毛が揺れ、隙間からちらちらと白い背中が見え隠れする。どうやら背中の大きく開いたデザインのドレスらしい。
 仲間たちから何の言葉も返ってこないことに苦笑を浮かべ、「やっぱ俺、着替えて、」と燐が言い掛けたところで。

「だ、だめぇっ!」

 そう叫んだ杜山がドレス姿の悪魔に飛びついた。

「だめっ! 絶対だめっ! こんなに綺麗なんだもん、着替えるなんてもったいないよ!」

 ねぇ出雲ちゃん、と興奮気味に振り返って同意を求めた友人へ、「当たり前でしょ」と神木は眉を顰める。

「ドレスもメイクも全部あたしがやったんだから。脱ぐなんて許さないわ」

 きっぱりと言い切られた言葉に、「でもさぁ」と燐はいつになく煮え切らない様子だ。視線を向ける先には無言のままの友人と兄弟たち。やはり同性からの反応が気になるのだ。困ったような顔で潤んだ青い瞳を向けられ、一同は言葉を詰まらせた。
 彼の変身の出来映えが、そこそこ見れる程度であれば、きっとこんな反応はしなかっただろう。似合っているだとか、まあいけているだとか、適当な言葉を紡げたはずだ。しかし(今回の任務にあたってはありがたいことではあるが)正直、中身が同性の友人(しかも悪魔)だと分かっていても、女性と勘違いしてしまいそうなほどに化けるとは思っていなかった。

「あ、や、ええ、燐くん、すごく似おうてはりますよ。ほんま、モデルさんみたいや」

 一番始めに立ち直ったのは、司令塔の三輪。慌てたようにそう言った彼へ燐は目を潤ませて「ほんとか?」と首を傾ける。小悪魔的な仕草に頬を赤らめながらも、「ええ、ほんまです」と答えた彼は、幼なじみたちへもコメントをするよう促した。「や、ほんまよう似おうとるよ」と続けたのは志摩だ。

「女の化粧が怖い思えばええのか、燐くんが怖い思えばええのか。まあとりあえず、男や思うひとはおらへんと思うから、そこは安心しや」

 マジで綺麗やもん、と言う志摩へ、燐は照れたように「ありがと」と笑みを浮かべる。そうしてちらり、と視線を向ける先には、京都組最後のひとり。燐の目がこちらを向いたことに気づいた強面の友人はさ、と視線を反らせてしまった。

「…………」
「……すーぐーろ?」

 彼の顔を追いかけて移動し、下から覗き込むようにして名前を呼ぶ。さすがに無視できなくなったようで、ちゃんと視線を合わせてくれた彼の前で眉を下げ、「やっぱ俺、似合ってない?」としょげた声で尋ねた。そんな表情は純情な友人には効果覿面だったらしい。「そっ、」と顔を赤らめて勝呂は声を上げる。

「そ……?」
「そ、んなこと誰も言うてへんやろ……っ」

 どうやらいろいろと諦めたようで、まだ赤い顔のままようやく正面から燐を捕らえた友人は、「似おうとるわ、無駄になっ!」と言い捨てた。やっとのことで引き出せたその言葉に、悪魔はさんきゅ、と笑みを浮かべる。その笑みに皆が疑問を抱く前に、ネイビーのドレスを纏った悪魔は己の双子の弟の前へ踊るように進み出た。ゆきお、と語尾にハートマークでもついていそうなほど、甘ったるくその名を呼ぶ。

「俺、変じゃない? ちゃんと女のひとに見えてっかな」

 どう? と首を傾げれば、さらり、と黒髪が肩と背を流れる。背後から彼の姿を見ているメンバからすれば、男だと分かっていてもどきりとしてしまうような光景だ。
 そんな兄を前に、悪魔の弟は、これまた世の女性たちがうっとりと見惚れてしまいそうな甘い笑みを浮かべたかと思えば、「綺麗だよ、兄さん」と燐の頬に触れた。

「兄さんはどんな姿でも綺麗で格好良いけど、今日はまた一段と素敵だ」

 そのドレス姿のまま滅茶苦茶に犯してあげたいくらい、と続けられた言葉は燐にだけ聞こえるよう、耳元でそっと囁かれた。八割ほど本気の色を滲ませたそれに危険を覚え、とっさに弟から離れようとしたが足下に絡まるスカートと履き慣れないパンプスのせいで動きが遅れる。当然その隙を見逃す弟ではなく、伸びてきた腕に腰を引き寄せられた。

「ッ、ゆ、ゆき……っ」

 皆の前で何をするつもりなのだ、と慌てて胸元に両手を置いて逃れようとするが、どんなスイッチが入ってしまったのか雪男は離れる様子を見せない。

「うん、兄さんがあまりに魅力的だから、虫除けでもしとこうかと思って」

 そう笑って、するり、と燐の頬を撫でたあと。

「いっ!? いひゃいいひゃいっ! ゆひっ、いひゃいぃっ!」

 むぎゅう、と兄の頬を左右に引っ張った。

「勝呂くんをからかった罰だよ、ばか兄」

 目の前で突然繰り広げられかけた艶やかな雰囲気が突如として消え失せ、チームメンバは一様に唖然としている。しかし、彼の言葉でようやく先ほどの燐の言動が演技だったと気づいたらしい勝呂が、「てめぇ……」とこめかみに筋を浮かべて悪魔を睨みつけた。

「あはは、さすが燐くん。小悪魔やわぁ」

 坊、手玉に取られまくりですやん、と肘でこづいてくる幼なじみの頭をすぱん、と平手で叩く。痛い、とわめく志摩の横では、「燐くん、女優さんやねぇ」と三輪が笑い、「ちょっと! 顔いじらないでよ、メイクが崩れるでしょ!」と雪男が神木に叱り飛ばされていた。

「んで? ほんとに俺、これで大丈夫なわけ?」
 男ってばれて失敗しても責任とらねぇよ?

 弟につねられて赤くなった頬をさすりながらメンバを見回して尋ねれば、「大丈夫だと思うよ」と杜山が頷いて言う。

「せやね。見た目はほんと、女のひとやから」
「あとは動きと言葉ね」

 せっかく女性に見えるというのに、言動でばれてしまっては意味がない。そう心配する神木へ、「そこは雪くんがおるから大丈夫やない?」と志摩が笑った。

「雪くんと一緒におるとき、燐くんちょっと可愛くなるし」
「はっ!?」
「あ、分かるかも。雪ちゃんも、燐と一緒だとちょっと可愛くなるよね」
「うーん、それはちょいちゃう気もするけどな」

 どういう意味だよ、と顔を赤らめる燐を無視して、「喉の調子悪い、てことにしとけばええかもな」と勝呂が言う。

「ああ、そうだね、そうしよう。あとは無駄に動かないように僕が見ておくから、たぶん大丈夫だと」

 そう返した雪男の肩を、「フォロー頼むで」と勝呂が叩いた。

「ほな、とりあえず今回の作戦のおさらい、しときますよ」

 ぱん、と手を一度打って皆の目を集めた三輪が取り出したものは、今彼らがいるホテルの見取り図だ。途端に視線に鋭いものが混ざり、それぞれに着飾った彼らの顔つきもプロのものへと変わっていく。

 彼ら七人(と猫又一匹)は、悪魔祓いを生業とするプロの祓魔師である。しかも祓魔師の多くが所属する正十字騎士團、その日本支部におけるエースとして注目を集めているチームのメンバだ。外国の支部やチームからは「日本支部の本気」「悪魔の秘密兵器」「最強最悪の武力誇示」などと言われているらしいが、当の本人たちは「いろいろ面倒くさいから纏められているだけだ」と思っていた。(そしてそれはあながち間違いでもない。)
 最小の行動、最短の時間で最高の結果を、と念頭に置いて活動しているわけではないが、「どうすればメンバの力を遺憾なく発揮できるか」と動いているうちにそうなっていたらしい。その腕を買われ、チーム宛に回ってくる仕事は大抵面倒くさい悪魔ばかりである。単純な戦闘力だけを見ればそもそもこちらには青焔魔の落胤である双子の悪魔がいるのだ、並大抵の相手では敵にならない。しかし、悪魔のなかにはひとよりも知恵を持つものや、頭の回転の早いものはいくらでもおり、一筋縄ではいかないことのほうが多いものだ。今回もそのパターンであり、手っ取り早く悪魔を祓って終わり、というわけにはいかなかった。そもそもその悪魔がいるのかどうかもよく分かっていないのだから。

「とりあえず、僕はここで各フロアの様子を見ときますんで」

 クロと一緒に、と三輪が肩に乗る猫又へ視線を向ければ、任せろ、とばかりににゃぁん、と声が上がった。ホテル側には騎士團側から話をしてあり、今回の任務に関するところ以外は見ない、という契約で各部屋、廊下に設置されている防犯カメラの映像を見ることができるように手配をしてもらっている。それぞれのカメラから送られてきた映像を、この部屋で待機する三輪が確認するのだ。

「第一の候補はこの男性。パーティーの主催者でもあるんで、すぐ分かると思います」

 念のために、と提示された写真には、白い開襟シャツに綿のパンツというラフな服装をした男が写っていた。さわやかな笑みを浮かべているが、どことなく「僕はこれで女性にもて始めました!」という男性雑誌のいかがわしい広告に載っていそうな顔である。燐が素直にその感想をもらせば、「背が伸びる、とか、お金が転がり込んでくる、とかね」と雪男もまた同意を示した。とどのつまり胡散臭そうな男に見える、ということである。
 彼の経営する会社がここ半年ほどで異常なまでの急成長を遂げたそうだ。経済や社会情勢にはとんと疎いため燐にはよく分からなかったが、その会社が頑張った結果の成長ならば別にいいのではと思う。しかし双子の弟が言うには、根拠や背景のない成功には裏があるらしい。たとえばそれが犯罪的な何かであるのなら動くのは司法や警察だが、そうでない場合は燐たち祓魔師の出番だ。そこには人智を越えた何者かが手を貸していることがある。
 ホテルの一フロアを借り切って行われるパーティー。この男が主催らしいが、どんな名目を掲げてのものなのかは分からない。(そのあたりは燐が理解する必要のない項目だと思っている。)とにかく彼に近づいて悪魔の気配がないかどうか、探るのが今回の任務だ。それだけならば何もチーム総出でくることはなかったのだが。

「この男性以外にも、ここ最近異常な勢いで成功して、そのあと没落するというパターンの経営者が多く報告されとります」

 このパーティーには起業家も多く参加しているはずで、彼らにもまた注意を払わなければならない。その「原因」が一つである可能性、複数である可能性、両方を考慮した上での作戦だ。三輪だけでなく、雪男、勝呂、神木と、チームの頭脳が集まって出した結論に燐が異論を唱えるはずもなかった。
 こちらが祓魔師であるということは、パーティーの参加者にばれてはならない。そのうえで敵の有無を確認、いるようであればその特定、できれば祓魔まですませてしまいたい。そう説明したあと「あとまあ分かっとるとは思いますけど」と三輪は最後に一言付け加えた。

「ホテルさんのご迷惑にはならんよう。備品の破損、建物への損害は論外ですからね」

 もし破ったらお仕置きしますよ、と告げられた言葉だったが、穏和であるはずの彼の目元がちっとも笑っていなかったことに、お騒がせメンバたちは一様にぞっと背筋を震わせた。




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2014.06.03