ヨンパチ。(その8)(3)


 ホテル内に湧いた悪魔は仲間たちが無事に祓魔したらしい。心配はしていなかったがやはりそういった知らせを聞くとほっとするものだ。

「三輪くんが言うには、おそらく皆が祓ったものは本体ではないだろうって」

 力の強い悪魔がいれば、同じ眷属のものが集まってくることもあるが、そういった類のものでもないようだ。そこは対峙した本人たちがその感触を得たというので確かだろう。おそらくホテル内にいる悪魔は一種、勝呂たちが祓ったものはその本体から分離したもの、あるいは放たれたものと考えたほうが良さそうだ。
 それならばその本体がどこにいるのか、を探さなければならない。

「あの男に今現在悪魔がとりついている様子はない、けれど以前、少なくともまだ悪魔の気配が残る程度の近い過去に悪魔と接触はしている」

 とうの本人がそれを悪魔と認識していたかどうかはまた別の問題だが、弟が纏めた言葉に異論はない。
 ざざ、と雪男が耳に当てているインカムが小さなノイズを発した、『雪くん』と三輪の声が聞こえる。

『その会場はモニタの上ですが僕が見ときます、それよりもおふたりに行ってもらいたいとこがあるんですが』

 悪魔の気配はあれど本体がいないとなれば、パーティー会場を離れても問題はない。きっと三輪もそう判断したのだろう。
 そうして彼が指示した先は、同じ階にある一室。関係者以外立ち入り禁止の札が掲げられたそこは、予備のテーブルやイス、食器やマイクなどの機械類を保管してあり、またパーティーをサポートするホテルのスタッフが控え室として使うための部屋でもあるらしい。
 集中して耳を澄ませば悪魔は人間よりも多くの音を拾うことができる。わずかな衣擦れの音からなかに誰ぞいることは分かっていたが、雪男と顔を合わせてとりあえずなかに踏み込んでみることにした。

『よう考えたらパーティーに出入りしとるんは、主催や招待客だけやあらへんな、ってさっき思うて』

 起業家や若い社長など、ここ最近経済界で活躍をしているものたちが集まるパーティーだ。そこに悪魔の気配があると聞いて、燐たちは参加者たちのことしか考えていなかった。悪魔とは人間がもつ薄暗い感情を好む存在。たとえば富や名誉、権力といったものに目がくらんでいる人間には集まりやすい。そのことを知っているが故に無意識に参加者の誰かに悪魔が憑りついているのだろう、と思っていたのだ。

『そのパーティーに関わりありそうなひとが出入りしとるの、そこの部屋くらいなんです』

 三輪の言葉に従って扉を開ければ、なかには予想通り控えているらしいホテルマンがひとり、いた。予備の食器に不備がないかどうかチェックしているのだろう、銀のフォークをかごに戻した彼は驚いたようにこちらへ視線を向ける。しかしさすが接客のプロだ、すぐに笑みを浮かべると「どうかされましたか?」と尋ねてきた。
 一見すれば穏やかで紳士的な態度であり、ごく普通のホテルスタッフであるかのようだ。しかし、燐も雪男もはっきりと目にしていた、扉を開けた瞬間、男の背後に黒いもやが浮かび上がりすぐさま霧散したことを。どうやら三輪の危惧はビンゴであったらしい。
 スタッフに問いかけられ、いえ、と雪男が笑みを浮かべて言う。

「部屋の前を通りかかったらひどい臭いがしたもので」

 何かあったのではと思ってのぞいてみたのだ、と彼もまた穏やかな口調でそう告げた。スタッフは「臭い?」と首を傾げている。

「この部屋のことではないと思いますが……もしかしたら別の部屋でなにかあったのかもしれませんので、確認して参ります。お客様がたはどうぞ、お気になさらず会場へお戻りください」

 言葉遣いは丁寧だが、逆らうことを許さぬ強さをもった言葉だ。

「ここはスタッフ控え室となっております、恐れ入りますが、ご退出を、」

 男が言葉を続ける前に、「この部屋で間違いありませんよ」と雪男は言う。

「ひどい異臭です、腐ったような、」
 悪魔の臭い。

 雪男が踏み込むのと、スタッフの男が飛び退いたのはほぼ同時であった。喉元を狙うように繰り出された聖銀のナイフを除け、とんとん、と軽やかに下がった男は「そうか、なるほど」と先ほどまでの口調を一変させてにやり、と嫌らしい笑みを浮かべる。

「念の為にと放っておいた影が消える気配がした。貴様らの仕業だな」

 祓魔師風情が、と吐き捨てた男の背後に、先ほど一瞬だけ見た黒いもやが再び現れた。ゆうるりと煙のように揺らめくそれが悪魔の本体かと思ったが、どうにも様子がおかしい。本体ならば敵と対峙した今それなりに形を持つか、あるいは憑りつかれている人間に変化が出てくるはずなのだ。(寄生ならばその憑代である人間はもっと虚ろな顔になるし、憑依ならばもっと悪魔的な、醜悪な顔になる。)けれど、ふたりの前に立つ男は明らかに悪魔と繋がっているにもかかわらず、どこまでも人間の顔をしていた。この場合考えられるパターンとしては、黒い羽のような形を作るその悪魔を、彼が完全に支配し、使役しているということ。
 燐が至った考えに雪男が気づいていないはずもなく、彼は顔を凶悪に歪めてちっ、と舌打ちをした。イケメンが台無しだぞ、と心のなかでそっと言っておく。
 ガシャン、という金属の鳴る音に気づいて視線を向ければ、カゴのなかに綺麗に収まっていたはずのナイフやフォークが宙に浮かび上がっていた。男が手のひらを翻すと同時に空を切って飛んでくるそれらを、腕のなかに燐を庇いながら雪男が手にしたナイフでたたき落とす。

「妻の綺麗な顔に傷がついたらどうしてくれるんですか?」

 なに庇っているのだ、と以前の燐なら怒鳴っていただろう、守ってもらう必要などない、と。けれど最近は、とくに同期である彼らとチームを組むようになってからはおとなしく守られるということを覚えた。いや、おとなしく、というと語弊がある。そうして雪男に戦いを任せている間に、燐は燐でできることをするのだ。現時点で可能なことといえば敵の分析。頭を使う作業は不得手だが、これでもそこそこ経験を積んだ祓魔師だ、これから自分たちがどう戦えばいいのか、考える力も得たつもりである。
 敵となる相手が完全に悪魔であれば一番手っ取り早い、何せあとかたもなく祓魔してしまえばいいのだ。無機物や人間の死体にとりついた悪魔にも同様の対処ができる。とりつかれたものがまだ生きている場合は少し面倒で、人命救助が最優先となるため打つ手が限られてくる。しかしそれでも敵は悪魔だけであり、その人間と敵対するわけではない。
 厄介なのは、その人間すら敵である場合。できるだけ死人やけが人がでないように立ち振る舞いたいところだが、命のやりとりをしているのだ、そう簡単に話は運ばない。使役されている悪魔を消滅させるか、あるいは虚無界へお帰りいただくかして、人間を捕らえなければならない。
 おそらく今回は三つ目のパターンとなるだろう、そう判断したところで、「ありゃ、もう始まっとるん?」とのんびりとしたチームメイトの声が入り込んできた。

「猫から連絡あったな、眷属は火や」

 続々と到着した祓魔師たちに、男は「俺の邪魔をすんじゃねぇよ」と顔を歪める。そんな彼の周囲に出現したのは、勝呂たちがホテル内で遭遇した黒い影の鳥だ。なかには赤い炎の翼や尾をもつものもいる。

「っ、猫さん、こっち来れはる!?」

 インカムから向こうてます、という返事。悪魔を祓うだけならばここにいるメンバだけでも十分すぎる戦力であるが、周囲に被害を出すまいとすると防御結界を張るメンバが必要となる。そういうことに一番長けているのが三輪なのだ。

「神木っ!」
「分かってるわよ!」

 詠唱のスペシャリストが到着するまで勝呂の詠唱と神木の使い魔で部屋を守り、増えた悪魔たちがホテル内へ出て行かないように壁を作る。そんな仲間を守るために志摩が錫杖を振るい、雪男もまた使えない銃火器の代わりにナイフを翻していた。

「火の眷属、黒い鳥、カラス……? 八咫烏、三足烏……でも召還されてる気配が……」

 八咫烏は神でもある存在だ。自らも同じような神使を使役する神木は、部屋の奥を睨みつけ何か考え込んでいる。彼女の隣に佇む杜山は、「……あのひと……」と小さく呟いて肩にいる使い魔へ視線を向けた。言葉にはされなかった命令に従い、小さな緑男が細い木の枝を伸ばす。しかしそれらは彼に触れる前にすべて燃やされ灰と化してしまった。

「っ、ごめんね、ニーちゃん、熱かったね……っ」

 謝りながらも何かを探っていた彼女は、「たぶん、」と手騎士でもありまた優秀な医工騎士でもある立場から推測を述べる。

「召還、じゃない。憑依されてる」

 しかも通常よく見かける人間の意識を乗っ取っての憑依ではなく、憑代となる人間自身が悪魔を招き入れ、受け入れたタイプの憑依。まだ完全に取り込んで(あるいは取り込まれて)はいないようだが、悪魔落ちの一歩手前という段階であるだろう。
 救出の可能性は、というインカムからの三輪の問いに杜山は分からない、と正直に答えた。

「完全に悪魔を分離できれば、あるいは……」

 可能かもしれない。けれど、ここまで同化してしまっている悪魔と人間を引き離すことができるだろうか。できない場合は残念だが人間ごと祓魔をせざるを得ないかもしれない。
 そんな覚悟を皆が心に抱いているのを感じながら、燐は弟の胸からわずかに顔を上げ、ターゲットである男へ視線を向けた。中心にいる悪魔は笑ったまま口を開く。

「どっから嗅ぎ付けたかは知らねぇが、俺は別に人間を殺しちゃいねぇぜ? 逆にいい夢見させてやってんだ、感謝してもらいたいくらいだね」

 もっとも、離れたあとの人間がどうなろうと知ったことではないけれど、と男は続けた。
 いい夢、というのは恐らく社会的な成功、富や名声を得ること、だろう。悪魔の力を得て成功したはいいが、力のもとが離れてしまったあと急速に没落していく。成功を味わっている途中の欲深き心はもちろん、落ちてゆく際のすさんでいく心もまた悪魔の好む感情だ。

「次の獲物を探すために、今まで憑りついてたやつを利用してパーティーを開かせる。なるほど、効率的やわ」

 そう呟いた志摩に向かって飛ぶ神木の罵声を聞きながら、燐は黒髪の間から青い瞳を向け悪魔を睨む。いや正確にいえば睨んでいたわけではない。視線に混ぜた色は怒りではなく、挑発、そして誘惑。
 同じ炎を操ることのできる弟は、腕のなかで燐が行っていることに気がついているのだろう。抱き締める力が少しだけ強くなった気がする。使い魔と心を通わせている手騎士たちも異変を覚えているかもしれない。少しだけ気持ち悪いかもしれないけれど我慢してくれ、と心のなかで仲間に謝罪をして、魔神の炎を継ぐ悪魔はゆうらりと瞳を揺らした。ひどく妖しい光を帯びた青は、悪魔の力を知らぬ人間ですらも息を呑むほどの美しさがある。

「すんません、遅うなりました!」

 到着と同時に交代を申し出た三輪が、札と詠唱を駆使して更に強固な結界を張った。これで悪魔がホテル内へ出てしまう可能性はさらに低くなる。彼の結界があるのならば勝呂と神木もまた戦闘に参加できるため、室内にいた炎の烏は瞬く間に完全調伏された。

「ふん、腐っても祓魔師といったところか」

 しかし悪魔もまた簡単には諦めそうもない。再び作り出した烏たちを一斉にこちらへ向けて繰り出してくる。

「キリないわ! 本体、叩きますか!?」
「待って、志摩くん! そのひと、まだ生きてるの!」

 たとえ悪魔に憑依されていたのだとしても、人間としての心が残っているのならば助けてやりたい。その思いは皆同じだ。

「ッ、せやったら、なんか分離さす方法を……っ!」

 勝呂の声を聞きながら燐はゆっくりと雪男の腕から逃れ、男の正面に立つ。す、と前方に腕を伸ばし、白い手を悪魔に向かって差し出した。
 パーティー会場で主宰である男に使った手と同じ方法。ただし今回はより誘惑の力を強めている。気づかせるだけではだめなのだ、悪魔だけを燐の方へ引き寄せなければ。己ならばそれが可能である、と燐は知っている。
 正直に言うと青焔魔の炎のこういった使い方はあまり好きではない。それを祓魔の道具として振るうならまだしも、餌としてちらつかせることはひどく悪魔的である気がするのだ。こうして悪魔をおびき出すことができる、だなんて知られたら、より一層虚無界のものという視線を浴びるかもしれない、そんな恐怖もあった。
 今更だ、とそう思う。既に奥村燐が青焔魔の落胤であることは周知の事実であり、それを己でも受け入れているつもりだった。けれど時折こうして、小さく抵抗したくなる自分が現れる。たとえその血が流れていようとも、力を継いでいようとも、自分は人間なのだ、と往生際悪く言いたがる心が残っているのだ。これを抑え込むことができるのは燐自身以外にはいない。今までは諦めと、少しの自棄で抑え込んできていたが最近は違う。一緒にいるチームメイトたちへの信頼がその代わり。彼らならば大丈夫、それこそ「今更」どんな奥村燐を見せようともその態度が変わることなどないだろう。

「ッ、な、……っ!?」

 ぐらり、と炎の烏を生み出し操っていた男の身体が揺れた。しかし彼本人は己の身に何が起きているのか分かっていないようだ。ただ燐が何かをしている、ということは感づいたらしい。狙いを燐ひとりに向けてくるが、その攻撃が当たるはずのないことを中心にいる人物はよく理解していた。
 濃紺のドレスを纏い、黒髪と青い瞳を揺らす悪魔を守るように銀のナイフと金の錫杖が烏を滅していく。忠実なる騎士に守られるお姫様というのはこのような気分なのかもしれない。残念ながら燐は高貴な身分でも淑やかな女性でもないけれど、それでも相手が悪魔であるのなら娼婦のように誘うことはできるのだ。
 ゆらゆらと身体を揺らし、必死に何かに抗っている男へ向け、グロスで艶やかに彩られた唇を緩め、音にならない言葉で「来い」と囁く。
 直接青い炎は生み出さず、ただその力を高めるに留めておく。その方がより強く悪魔を唆すことができるのだ。
 餌ならここに、畏怖と崇拝の対象である青焔魔の青い炎ならばここに。

「ぅ、あ、あぁあッ!?」

 ふぅ、とまるで分身したかのように、男の前に同じほどの背丈の黒い影が現れる。輪郭のはっきりしなかったそれはしかしすぐに本来の姿を取り戻し、ぺたん、とその足を前に踏み出した。全身を羽毛で覆われたかのような姿、二足歩行をしてひとのような姿をしているが、両肩からは腕ではなく大きな羽が伸びている。もともとは鳥の姿をしているのかもしれない。人間に憑依していた悪魔だ、こうなるともはや物体としては存在しておらず感覚的な存在となってしまっている。しかしだからこそ、憑代から引き離すこともできるのだ。

「ほら、よっと!」
「ニーちゃん!」

 そのタイミングを見逃すはずもなく、飛び出た志摩が意識を失い倒れ込んだ男を蹴り飛ばし、その身体を守るように杜山が草木のクッションで受け止める。十分な打ち合わせをしたわけでもないのに、瞬時に己の仕事を判断し行動できるのもまた祓魔師として、チームで戦うものとして必要な能力だった。
 縛、と燐のすぐ後ろから詠唱の声が聞こえ、それが何を意味するものかよく分からなかったが深く考えずに床を蹴る。とん、とん、とステップを踏むように軽やかに悪魔へ近づき、その肩へ手を置いた。触れることができる、きっと先ほどの勝呂の詠唱は実体のない悪魔をこちらの世界に固定するものだったのだろう、と思いながら、肩を押す腕とは逆方向に相手の足を払う。青焔魔の炎に魅了されていた悪魔の身体から力はほとんど抜けており、倒れ込んだその身体に乗り上げて身動きを封じた。捕まえた、とやはり声を出さぬまま呟いてにんまりと笑む。

「お、お前は何者だ」

 押し倒されたところでようやく我に返ったが、すぐに負けを理解したのだろう。それでも悪魔は己を捕える人物の正体が分からぬまま呆然と呟きを零した。そういえば、もうここには仲間たちしかいないのだから喋ってはいけない、というわけではないのだ。そう気づき、「ただの悪魔だけど」と燐は笑う。

「ッ、青焔魔さまの力を持つ悪魔が、何故、祓魔師など……!」

 そう言いはするが、祓魔師のなかには悪魔との混血だって結構いるのだ。種族で敵対しているわけではなく、単純に思想の違いでしかないことを意外にも知らないものが多い。祓魔師のなかにも、悪魔のなかにも。
 そんなことより、と燐は笑みを浮かべたまま口を開く。

「最後に一つ、良いこと教えてやるよ」

 ふらり、と身体を傾け、横たわる悪魔の視界に燐の背後が映り込むようにしてやった。そこには救助した人間の手当てをしている杜山や結界を解いて被害状況を確認している三輪、残党がいないか確認して回ろうか、と話をしている勝呂たちがいるほかに。

「うちの旦那さま、すっげぇ嫉妬深いんだ」

 この距離で燐に当たったらどうするのかだとか、部屋に被害が及んだらどうするのかだとか、ちらりと脳内を過った心配事はあったが雪男のことだ、そんなヘマをするはずもない。
 明らかに色を含んだ視線を燐から向けられ、あまつさえ押し倒されている悪魔に対し、魂から凍ってしまいそうなほど冷たい瞳と銃口を向けた双子の弟は、何のためらいもなくその引き金を引いた。





2へ
トップへ

2014.06.03
















もっとかっこいい戦闘シーンを書きたいものです。

Pixivより。