どうしてこうなった!・1


〈side Y & R〉

 その日。
 少しばかり特殊な生まれである双子の兄弟が住まう六〇二号室では、住人ふたりの怒声が飛び交っていた。兄が一言怒鳴れば、弟が倍にして返す。それは無駄に似たところを持ち、無駄に真逆の性格である彼らにとって、ほとんど日常の一部と化している喧嘩のうちの一つ。
 そのはずだった。

「だからっ! 何でお前は俺の言うこと、いちいちいちいち捻じ曲げんだよっ!」

 家族を心配してるだけだろうが、と牙を剥く燐を見やり、雪男は鼻で笑う。

「捻じ曲げたくもなるよ。僕の気持ちを理解しようともしないで、家族が大事? 笑わせんな。どうせ兄さんは僕なんてどうでもいいんでしょ」
「ッ、どーでもよくねぇし! 勝手に決めつけんなっ」
「そう言うなら日頃の態度を思い返してみれば? 兄さんのことだ、家族より友達とか恋人を優先させるに決まってる」

 机に向かって作業をしている雪男の後ろに仁王立ち、黒い尾をばたばたと揺らして「勝手に決めつけるなっつってるだろ!?」と怒鳴り返す。

「つーか、だったらお前こそ、俺より仕事のほうが大事なくせに! 俺のことどーでもいいっての、お前のほうじゃん!」
「そ、っちこそ! 勝手に決めつけないでよ、仕事してるのだって何のためだと……っ!」
「俺のためだっつーなら今すぐ辞めろ、ここで辞めろ、塾の先生ならまだいいけど悪魔と戦うとか、あんな危険なの、兄ちゃんは許しません!」
「なんで兄さんに許してもらわなきゃなんないんだよ」
「ほらみろっ! 俺の言うことなんか全然聞かねぇじゃん。やっぱり俺のことなんてどーでもいいんだ、俺より仕事が大事なんだ! 仕事が一番なんだっ!!」
「はぁっ!? 誰もそんなこと……っ」
「俺は家族が一番だぞ!? 彼女とか今いねーけどっ、もしできても、絶対雪男を優先させるし!」

 鼻息荒く言い切られた言葉を雪男は「はっ、嘘ばっかり」と肩を竦めて笑い飛ばした。

「彼女なんてできたら兄さん舞いあがって、すぐに僕のことなんて忘れるよ。頭空っぽだしね、一個のことしか見えないだろ」
「俺がバカなのは認めっけど! その一個を既にお前で使ってるっつの! 信じろよっ」
「だったら兄さんこそ信じてよ、僕だって家族が大事だから仕事してるって」
「大事だっつーんだったらほったらかしてんじゃねぇよ! お前、帰ってこねぇじゃん! ひどいときには三日とか顔見れない!」

 俺大事にされてない! と続けられた言葉に、雪男は眉を顰めてため息をつく。

「それは仕方ないだろ、仕事が、」
「ほらみろ、仕事仕事そればっか! 絶対、俺んがお前のこと大事にしてるし、好きに思ってるっ!」
「……気持ちとか比べられないでしょ、バカなの?」
「バカなのはお前だバカっ! 俺はちゃんと雪男のこと好きだし、大切だしっ!」
「ちゃんとってなんだよ、ちゃんとって。僕がちゃんとしてないみたいに、」

 弟の言葉を遮って兄は「ちゃんとしてない!」と指摘する。

「俺はちゃんとしてる! 俺は、彼女と雪男だったら雪男選ぶ。どっちかとしか付き合えないなら雪男と付き合う。お前はどうせ仕事と俺だったら仕事選ぶだろ! だから黙ってお兄さまの言うことを聞いとけっつーのっ!」
「僕だって仕事と兄さんだったら兄さん選ぶよ」

 決めつけられてはたまったものではない、と言い返してみるが、「嘘つけ!」の一言で切って捨てられた。

「嘘じゃない。もし彼女できても兄さんのほう選ぶし!」

 どうして分かってくれないのだ、と語気を荒げる雪男に、「っ、だ、だったら」と燐もまた負けじと言葉を放つ。

「俺と付き合えって言ったら付き合えんのかよ!」
「――つ、付き合えるよ、付き合えるに決まってるだろ!?」

 僕ほど家族を好きじゃないかもしれない兄さんはどうだかしらないけどね、と一息で続けて言われ、「ふざけんなっ」と燐が怒りのままだんだんと足を踏み鳴らした。

「俺だって付き合えるしっ! それくらい雪男のこと好きだっつの!」
「だったら付き合ってみせてよ、恋人として!」
「望むところだ、このバカゆき!」
「バカにバカと言われる筋合いないよ、このバカ兄っ」
「んだとぉっ!? こ、恋人にバカとか言うなよ!」
「恋人でもバカはバカだし、兄さんだって言ったでしょ!」
「俺はいいんだよ、俺は! 兄ちゃんだから!」
「はぁ!? 何それ、意味分からない!」

 とにもかくにも仲が良いのか悪いのか分からない双子の兄弟は、たった今この瞬間、恋人という関係を結んだようだった。



***     ***



〈side Y〉

 睡眠から覚醒へ。
 意識が移行するとほぼ同時に思い起こされるのは昨夜の出来事。
 バカな喧嘩だった、と自分でも思う。あまりにもバカすぎて、その馬鹿馬鹿しさに気づけなかった。から、やっぱり僕たちはバカだったんだと思う。しかも最大級のバカだ。

 一体何が発端だったのかすらもう思い出せない(あまり思い出したくない)けれど、家族のほうが(双子の兄のほうが)恋人や仕事よりも大事だ、と言い張るのはまあ良しとしよう。僕たちのいる状況、環境、互いが唯一の血縁者(虚無界関係者はノーカンだ)であるということを鑑みれば、多少の依存や執着も大目に見てもらえる、だろう。たぶん。でもどうしてそこから、恋人のように付き合えるくらいに大事という口論になり、だったら付き合ってみせろよ、望むところだ、と流れるのか。望んでどうする、望んで。今こうして布団のなかで考えれば考えるほど、馬鹿馬鹿しすぎて笑い飛ばす気力すらも湧いてこなかった。
 どうみても売り言葉に買い言葉。ふたりとも本気でそんなことを望んでいるわけではないのは考えずとも分かる。素直に認めるのは癪に障るけど、兄さんが僕を大事に思ってくれているのも、好きだと思ってくれているのも分かってはいるのだ。でもそれは家族としての範囲内で、決して恋人として、恋愛対象としてではない。それは僕だって同じ。兄さんのことは好きだし大切だけど(じゃなきゃ守りたいだとか思うはずがないってのにあのバカ兄はどうして分からないのか)、それは家族として、弟として思っているだけで、恋人に対して思うような「好き」じゃない。
 同じ男で、そのうえ双子の兄相手に、どう逆立ちしたら恋愛感情を抱けるっていうんだ。

 似ていない、と言われがちな僕たちだけど、負けず嫌いで頑固なところはとても似ている。(それはどう考えても父さん譲りだ。あのひともものすごく負けず嫌いだったから。ついでにとても子供っぽいひとだったけれど、それは兄さんに受け継がれているのだと信じていた。)だから頭に血が上って言い合ってしまっていただけで、本心じゃないのは分かり切っている。兄さんも頭が冷えたらそのことに気づくだろう。いつものようにごめん、と一言謝って終わり、恋人として付き合うだのなんだの、忘れてなかったことにしてしまうのが一番良い。兄さんだって忘れたいに決まってるし、忘れてなかったことにしようとしているだろうし、むしろ既に忘れてしまっているかもしれない。
 うん、きっとそうだ、そうしよう、と今後の自分の態度を決めたところで、ようやく僕は布団から出ようという意思を抱くことができた。どうしたらいいのか決めておかないと、いざ兄さんを前にしたらまた変な喧嘩をしてしまいそうで怖かったのだ。こういうところが臆病だ、と言われる所以なのかもしれないけど、元来の性格は治らない。兄さんのように考えなしで突っ込んでいけるほどのお気楽さは持ちあわせてないのだ。

 枕元の携帯で時刻を確認、いつもの起床時間とさほど変わらない。とりあえず着替えて、兄さんを起こして、と思って向かいにあるベッドへ視線を向けたらそこに兄の姿はなかった。

「……兄さん?」

 眉を顰めて呼んでみるも返事はない。狭い部屋だ、呼ばずとも、ベッドにいない兄さんが部屋のどこにもいないことなどすぐに分かったのだけれど。
 トイレにでも行ってるのかもしれない。朝起きて兄さんがいないことくらいで取り乱したりはしない、取り乱してはない、と思う、うん。いつもと違うことが起きたくらいで動揺してたら祓魔師なんてやってられない。
 けど、どこで何をしててもおかしくない兄さんの居場所が分からないのはとても落ち着かないから、とりあえずさっさと着替えて探しに行かないと。トイレに行っただけならいいけれど、寝ぼけて全然違う部屋や廊下で寝てしまっている、だなんてことになってたら大変だ。
 学校の準備は昨夜のうちに(喧嘩のあとに苛々しながら)しておいたから、制服に着替えて上着とネクタイを手に、向かう先は食堂。途中の洗い場でいつものように顔洗って、もしかしたらいつもよりは少し早歩きで辿りついたそこからは、ものすごく食欲をそそられる匂いが漂ってきていた。

「兄さん?」

 厨房を覗きこんで声をかければ、鍋を見ているのだろう、背を向けたままの兄が「おーおはよ、雪男」と言う。僕もおはよう、と返しながら、いつも僕たちが使っている机の上へ視線を向けた。
 ほこほこと、湯気のたつ黄色い卵焼きときゅうりの漬物、ほうれん草のシラス和え、サバの塩焼き、「ほれ」と渡されたのはネギと豆腐の味噌汁。

「……どうしたの、朝からこんなに」

 料理が好きで僕の食の好みを完全に把握している兄さんだけど、朝は起きれないため朝食にここまで手の込んだものを作ることは少ない。僕も兄さんも育ちざかりでいくらでも食べられるような時期だし、和食好きな僕にはこのメニューは思わずにやけてしまいそうなほど嬉しいしありがたいけれど。
 いつもならば「箸くらい出せ」とか「茶くらい入れろ」とか、そんな指示が飛んでくるのに今日はそれもなく、むしろ「座ってろ」と席につかされた。若干の居心地の悪さを覚えながら珍しいね、と言えば、向かいに座った兄さんがだって、と目を逸らせる。

「大事なやつには優しくするだろ」

 好きなのだからこれくらいして当然なのだ、と。
 少しばかり頬を赤く染めて告げられた言葉。すぐには意味が取れず一瞬の間を空けて理解したあと、僕は思わず叫んでしまいそうになった。

 なんてことだ、兄さんのなかでは昨日の喧嘩は全然終わってなかった! 忘れてないしなかったことにもなってない!

 いやいやいや、とツッコミを入れかけて、ふと我に返る。もしかして、これが兄さんの作戦なんじゃないだろうか、と。ここで僕が何だよそれ、だとか言おうものなら、「ほらみたことか」ときっと兄さんは自分の発言の正しさ(自分のほうが家族を大切にしているだとかなんだとか)を力説するだろう。そのために朝からこんなにもしっかりした朝食を作ったのかと思えば呆れを覚えるが、兄さんのバカな脳みそじゃこれくらいやりかねない。昨夜のようなバカらしい言い合いはしたくないし、そもそも兄さんに上から目線で話されるだなんて、想像するだけで腹立たしい。
 動揺を見せたら負けだ。そう思った。

「そ、っか、うん、嬉しいよ、ありがとう」

 恋人、僕たちは恋人、好きな相手にご飯を準備してもらえて、口にする言葉は感謝、で間違っていないはずだ。多大なる羞恥心を押さえ込んでなんとかそう返せば、兄さんはきょとんとしたように僕のほうを見た。まるで珍しいものを見つけたかのような、そんな表情。ぷい、と顔を背けて「別にお礼言われるほどじゃ」とかなんとか言っているけど、その態度を見て確信した。やっぱり兄さんは、僕がなかったことにしようとしてたのに気づいていたのだ。いつものような兄弟としての反応を見せる僕に勝利宣言をして、それで喧嘩を終わらせるつもりだったのだ。それなのに、僕の反応が予想外だったから驚いたに違いない。
 そうはさせるか。たとえどんなくだらないことでも、兄さんに負けるだなんて僕のプライドが許さない。くだらないことだからこそ、かもしれない。どうせなら徹底的に恋人らしくして、兄さんに根を上げさせてやる。
 と、思ったけれど、うまく思考の切り替えができない僕に比べ、兄さんは驚くほど順応性が高い。いやもとは兄さんのほうが先に恋人の振りをしていたのだから、これも作戦のうちだったのかもしれない。
 食事を終え、手作り弁当(これはいつも用意されてるものだけど)を持って寮を出る。学校に着くまでさ、と兄さんが僕の制服の裾を引っ張って言った。

「手、繋ぐか……?」

 小さな声で、少し言いづらそうに告げられた言葉に眩暈を覚える。何が悲しくて兄と手を繋いで登校しなければならないのか。
 けれどここでイヤだよ、と断ろうものなら僕の負けが確定するのだ。それだけは避けなければ。いいよ、と平静を装って差し出した手に重なった兄さんの手。
 頭を叩くとか頬を抓るとか腕を掴むとか足を蹴るとか。触れていないわけではないけれど、こんな風に手を繋ぐだなんて何年ぶりだろう。兄さんの手は家事をしているわりにはさらりとしていて、綺麗な手だと思った。

「……俺の手より、でかい……」

 不服そうに呟かれた言葉に思わず笑いが零れる。

「僕のほうが背が高いからね」

 体格の差が手に現れるのも当然のこと。俺んが兄ちゃんなのに、とやっぱり面白くなさそうに兄さんは言った。

「……今は恋人でもあるんだから、いいんじゃないの、別に」

 ただの兄弟なら手なんて繋がない。恋人ならば必ず手を繋ぐのか、と尋ねられたら首を傾げるけれど。

「兄さんはさ、恋人同士でどんなことしたいの?」

 彼の頭のなかで恋人とはどういう像を結んでいるのか。手を繋いだまま尋ねてみれば、したいわけじゃねぇけど、と前置いて兄さんが言う。

「こーやって手、繋いだり、いっぱい話をしたり、あと一緒に飯食ったり」

 手は今繋いでるし、話もしてる、ご飯だってついさっき一緒に食べてきたばかりじゃないか。
 そう言おうと思って、けれどやめておいた。

「あ、あと、いっぱい優しくする!」

 兄さんが、そう続けたから。
 だったら僕もめいっぱい兄さんに優しくしなきゃ、そう思ったら僕の口からは自然と言葉が零れていた。

「じゃあ、今日のお昼は一緒に食べようよ」
 迎えに行くから教室で待ってて。



***     ***



〈side R〉

 俺はバカだ。や、正確にいうなら俺ら兄弟がバカなんだ。
 何だよ、恋人よりも大切だから付き合ってみるとか。付き合える付き合えないとか、そういう問題じゃなかったろ、どう考えても。ただの喧嘩じゃん! すっげぇアホな喧嘩だったじゃん! なのになんでこんなことになってるのか、俺のバカな頭じゃ全然分からない。けどたぶん、雪男の賢い頭で考えても分からないと思う。あまりにもバカらしすぎて。
 絶対雪男だって本気じゃなかったはずだ、あいつ、ああ見えてすっげぇ負けず嫌いだし頑固だ。俺も負けず嫌いだし、たぶんこんなとこばっかジジィに似たんだ、俺ら。あと雪男はすっげぇガキっぽいとこもジジィに似てると思う。
 喧嘩して言い合ってるうちにお互いに引っ込みがつかなくなって、で、今。彼女より雪男を選ぶから付き合う? バカか俺は。いや、バカだ俺らは。
 どこの世界に双子の弟をそういう意味で好きになるやつがいるっつーんだよ。
 なしなし、あの言葉はなかったことにしよう。俺らはあんなバカな喧嘩はしてない。以上。

 雪男のことは好きだし、大事だ。この世の誰よりも、って自信を持って言い切れる。でもそれはやっぱり女の子に向ける気持ちとは違うものだし、雪男だってそうに決まってる。ただそれはそういう意味で好きじゃないってだけで、雪男が俺を大事に思ってくれてることも心配してくれてることも、俺のためにいろいろ頑張ってくれてるってこともちゃんと知ってるんだ。俺はそういうことを言いたかったし、そんな雪男を心配してんだ、ってことを言いたかっただけなんだけどな。それがどうしてこうなった。
 俺の言葉がへたくそすぎるのもあるけど、雪男がひねくれすぎてるから話がややこしくなるんだよ。でもそれを直接言ったらまた喧嘩になるってことは、バカな俺でも分かってる。
 喧嘩にならずに伝える方法はないか、とない頭をフル回転させて出した結論が、とりあえず早く起きて朝飯と弁当を作ること、だった。俺は朝全然起きれないから、夜にあらかた準備してる弁当はおいといて、朝飯をちゃんと作ってやれたことがあんまりない。雪男も分かってるから文句は言わないけど、あいつ和食好きだし、朝だって本当は魚を焼いたりしてやりたいんだ。苦手なことだって、好きなやつのためなら頑張れる。雪男が好きだから、苦手なことを頑張ってるんだって伝わればいいなって。
 そう思ってたんだけど。

 もしかして雪男のなかで、昨日の喧嘩が全然終わってないし、なかったことにもなってないんじゃねぇかって、嬉しいよって、見たことないような顔をして笑う弟を見て思った。
 いやいやいや、雪男くん、そんな顔、兄ちゃん見たことねぇけど? なんかそれ、すっごい甘くね? 女子に見せるような顔じゃね? ここにいるの、可愛い女の子じゃなくてお前の兄ちゃんですよ? んんん? と首を傾げたくなるのを我慢して、「別にお礼を言われるようなことじゃねぇし」と雪男から目を逸らせる。
 もしかして、ここで俺が普通に家族として好きとか言えば、雪男は「やっぱり兄さんは僕より彼女を選ぶんだね」とか、そんなこと言い出すんじゃないだろうか。頑固で負けず嫌いな弟が、結構根に持つししつこい性格ってのも兄ちゃんはちゃんと知ってんだ。俺が恋人っぽいことをしなかったら、きっと勝ち誇ったような顔をするんだ、ああそうに決まってる! なんだそれ、何で俺が負けなきゃなんねぇんだよ。俺だって雪男のこと好きだし、負けたとか意味分かんねーし、弟に負かされるとか冗談じゃねぇし! 雪男がそのつもりなら俺だってやってやろうじゃん。恋人って態度、取ってやろうじゃん!
 って意気込んだ俺の行動が成功してるのかどうかは、正直考えたくない。どうやって学校にきたかとか、思い出したら恥ずかしさで死ねる。あいつの手、昔と違ってかさかさしてたとか、でも昔と同じくらい温かかったとか、想像してたより大きくてびっくりしたとか、思ってない、そんなこと全然思ってない。

「兄さんっていつもはどこでお昼食べてるの?」

 朝言っていたとおり律儀に迎えにきた雪男と、中庭の人気のない場所に座って弁当を広げてる。一緒に食うならご飯だけ分けてよそって、おかずはひとつの大きなタッパーにつめりゃ良かったなぁ、とかちょっとだけ思った。

「どこ、っつーか、適当? 教室じゃ食いづれぇから外には出るけど」

 別に中学んときみたいに問題起こしてるわけじゃねぇし、おとなしくしてるつもりだからクラスにいてもいいんだけど、それでもやっぱり、居場所がない気がするのは昔と変わらない。だからできるだけひとの少ないところを探して食うようにしてたけど。

「僕もそうだよ。教室だとゆっくり食べられないからイヤなんだ」

 ゆっくり食えないってどういうことだ、と聞いてみたら、一緒に食べよう、と誘ってくる女子が多いのだとか。ちくしょうモテ男め。いやみか。

「俺とは全然違う理由じゃねぇか」

 でもそのことにちょっと安心して笑ってんだから、俺もたいがい雪男のこと好きだし心配しすぎだよな。もしかして俺と同じで居場所がないのかってちょっと思ったから、そうじゃないなら良かった。
 けど雪男にとっては全然笑い事じゃないっぽくて、「本当に面倒くさいんだよ」と眉間にしわを寄せて言う。ご飯はゆっくり食べたいんだよ僕、と続けられた言葉に知ってる、と返しておいた。
 神経質ってのもあるかもしれないけど、どっちかっていうとカッコ付けなんだよな、雪男の場合。飯食うっていう、こう、生きるってこと直接繋がってるような行為をたくさんのひとに見られたくないんだと思う。別にがつがつ飯食ってても、いびきかいて寝てても俺はいいと思うんだけど、雪男からすると格好悪いことになるんじゃねぇかな。みっともない姿だから他人には見られたくないって思ってる。俺の前で平気なのはまあ家族だし。特に俺らは生まれたときからずっと一緒で、半分自分みたいに思ってるとこもあるしなぁ。
 本物の恋人ができたら面倒くさそうだなぁこいつ。ひねくれてるしややこしいし、ちょっとした喧嘩がこんなに長引くし。こいつの恋人になるやつはほんと大変だと思う。
 けど、その大変な恋人ってのは今現在は俺のこと、なんだろう。……何でこんなことになってんのか全然分かんねぇけど、でないとこうして学校でまで一緒に飯食ってる理由がないし。ていうかほんと、学校で雪男と飯食ってんのとか、初めてかもしれない。小学校は給食だったし、中学は弁当だったけど俺ほとんど行ってねぇし、行ってもわざわざ兄弟で誘い合って昼飯とか食ったりしねぇだろ。
 カップルでお昼を一緒に食べるってのは、きっと全然不思議なことじゃないんだと思う。朝の雪男もすごい自然に、当たり前みたいにさらっと誘ってきやがった。俺なんて手繋ぐぞっていうのにも、すっごい緊張して声震えて、滅茶苦茶格好悪かったのに。こういうとこでもスペックに差があるってのか。何なの俺の弟。こいつ、ほんとに俺の弟なの? や、今は恋人でもあるらしいんだけど。
 そう思って睨んでいれば、「何、ひとのことじろじろ見て」と怒られた。別に、と乱暴に言って俺も自分の飯に集中する。
 こうなりゃヤケだ。今、何でか知らんけど雪男の恋人が俺だっつーんなら、雪男が降参するまでそれっぽいことをしてやるだけだ。だから明日も手を繋いで学校くるし、昼飯も一緒に食う。
 ……一緒に食うならやっぱり、でっかいタッパーにおかずつめとこ。




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2014.06.03