どうしてこうなった!・2


〈side Y〉

 人間、不思議な出来事が続くと思考を放棄したくなる、のかもしれない。正確に言えば、僕は純粋な人間じゃないし(目覚めてないだけで悪魔の血は流れてる)、兄さんは人間の身体ですらないけど、あのひとは人間であっても思考を放棄して生きてるようなものだから論外だ論外。
 くだらなさすぎる喧嘩から始まった恋人ごっこ。途中どちらも根を上げることなく続いてそろそろ十日になる。
 だから、どうして僕らはこんなことしてるんだ、と小一時間問いつめたい。誰を問いつめて責任を取らせたらいいのかさっぱり分からないけれど。大体兄さんも兄さんだ、普通はやめようとか言うだろ。もういいだろとか言うだろ。おかしいだろこれ、ってなんで思わないかな。考えてすらないんじゃないかな、あのひと。ていうか恋人ってこと忘れてんじゃないかな、手繋いだりお昼を一緒に食べたりするのが当たり前になりすぎて!
 もうね、朝手を繋ぐのも全然苦痛じゃなくなってるんだ。始めからイヤだとか思ってなかったけど、恥ずかしいって思う気持ちもどこかにいった。僕も兄さんもすっごい当たり前みたいに、どっちかから手を伸ばしていつの間にか繋いで、学校が近づいたら自然に離れて、じゃあまたお昼に、ってなんだよ僕らどこのカップルだよ、いや、確かに恋人の振りしてるんですけど!
 表面上は平静を装っていても、僕の心と頭のなかはこの十日間荒れまくりだ。どうしたらいいのかが分からない、兄さんが何を考えているのか、望んでいるのかが分からない。あ、これはいつものことか。

「ごめん、遅くなった」
「いーよ、そんな待ってねーし」

 教室の扉を開けて謝れば、そんな急がなくてもいいのに、と笑いながら兄さんが机の上を片付け始める。そうは言われてもひとを待たせるのは気分のいいものではない。きっと僕はこれからも走って兄さんのところに来ることになるのだろう。
 任務もなくて仕事も溜まっていない日、僕と兄さんは塾の教室で待ち合わせて一緒に帰る。たぶん、下校デートというやつだ。ときどき夕食の材料を買いに、スーパーに寄ったりもする。たぶん、買い物デートというやつだ。

「晩飯、何にすっかなー」
「あ、兄さん、あれ食べたい、あれ」
「アレじゃ分からん。もっと具体的に言え」
「ほら、あの、ぱりぱりするやつ」
「……ますます分からん」

 前はたとえ時間があっても一緒に帰ることはなかったし、買い物に付き合うことだってなかった。必要なものがあっても兄さんに頼んでいたくらいなのに。一緒に買い物とか何それ、どこの新婚夫婦? チャーミーグリーンか! それを兄さんがちょっと楽しんでるっぽいのも腹が立つ。たぶんそれは、僕もこのチャーミーグリーンが嫌じゃないから余計に腹立たしいんだと思う。我ながら素直じゃない性格だ。(ちなみにこの日の夕食はちゃんと堅焼きそばでした。)
 だいたい、僕ら双子で、生まれたときからずっと一緒で、中学のころは少し距離があったかもしれないけどそれでも同じ部屋で過ごしてきたんだ。うるさいと思うことはたくさんあったけれど、本気で邪魔に思うことなんてなくて、兄さんがそばにいることが僕には当たり前のことだった。それはきっと兄さんにとっても同じで、兄弟に加えて恋人になったところで、ちょっと接触が増えたかなってくらいで、結局僕らはそんなに変わりがないままなんじゃないだろうか。僕がどれだけ一生懸命恋人であろうと頑張ってみても、仲の良すぎる兄弟どまりでしかないんじゃないだろうか。
 その壁を突破するには、更なる一歩を踏み出すしかないのだろうけれど。

「この先って……」

 手を繋いで、話をして、ご飯を一緒に食べて、デートをして、その次。
 恋人としての、行為。
 それはたとえば、キス、だとか……? 

「いやいやいや、ないないない」

 思わず手を左右に振ってそう声が出ていた。兄さんと僕がキス? ないない、あり得ない。いくら恋人の振りをしてるからって、それはさすがにできない。そこまでの接触を持ってしまえばなんか、いろいろと終わってしまう気がする。最後の一線を越えてしまうような、そんな気が。
 そう考えて、でも待てよ、と思い直す。
 僕ら双子は普通の兄弟よりもたぶんずっと近い位置で生きてきた。だからこそ、そこに「恋人」という関係が加わっても生活に大きな変化が訪れたわけではなかったのだ。兄さんに優しくする、というのはかなり恥ずかしいものがあったけれど、でも僕だってずっと兄さんに怒っていたいわけじゃないし、何より兄さんには笑っていてもらいたいと思ってる。それくらい大切なひとで、僕が優しくすることで兄さんが笑ってくれるなら多少の羞恥心などどうでもいいや、とこの十日で思ってしまった。
 そんな僕たちだからこそ、この恋人ごっこが続いてしまっているのではないだろうか。手を繋いだりご飯を一緒に食べたり、兄弟でだって十分にできる範囲内のことだから。
 だとしたら、このふざけたごっこ勝負を終わらせるには、僕と兄さんですら戸惑うような一撃をどこかでぶちかますしかない。そんな気もする。
 兄弟では決してしないような、「恋人」らしい一撃。
 それは、やっぱり――



***     ***



〈side R〉

 雪男と俺がキス?

「いやいやいやいや、ないないないない」

 両手どころか首を振っての全否定。
 双子の弟と唇と唇をくっつけるようなキスをするとか、ないない。あり得ない。
 そりゃ、ガキのころとかの写真じゃあほっぺにちゅーとか、してたの見たことあるけど、よく分かってないガキのときだし、ほっぺだし、ノーカンだろあれ。今やるとか洒落にならん。いろんな意味で洒落にならない、笑えない、冗談にならない、あり得ない。
 …………と。
 そう思っていた時期が、俺にも確かにありました。
 結果だけ。そのまま言うとしたら。
 できました、普通に。
 全然大丈夫でした、雪男とちゅーするの。
 もちろん唇と唇をくっつけるタイプのちゅー。最初何をされたのか分からなくて、あり得ないくらい近くにある雪男の顔見て、もっかいちゅって、されて、一気に顔が真っ赤になった。何してんだとか、ここまでするかとか、せめて何か一言言ってからしろよだとか、いろいろと言いたいことが頭のなかでくるくる回る。でも俺は結局何も言うことができなくて、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしてたら、目の前にいた雪男もちょっとほっぺた赤くして、笑うんだ、「しちゃったね」って。
 その笑い顔は反則すぎるだろぉおお、って思った。雪男が目の前にいなかったら、その場にしゃがみこんで、ばんばん床を殴ってたかもしれない。それくらい、なんていうか、ツボだった。メフィスト風に言うなら萌えた。
 可愛かったんだよ、ものすごく。つか、あんだけ憎たらしいことばっかり言ったり怒ってばっかりいる弟でも(最近はそうでもなかったけど)、俺にとってはやっぱり雪男は雪男で、可愛い弟なんだ。可愛い弟が可愛い顔して笑って「しちゃったね」とか、言ってみろ、言われてみろ! 
 火をふくんじゃねぇかって(俺の場合は実際そのとおりのことができそうでいやだ)くらい顔が熱くなって、雪男を見てられなくて、見られるのも恥ずかしくて布団のなかに逃げこんだ。ばっくんばっくんうるさい心臓をどうしたらいいだろう、って思ってるときに、「いやだった?」ってちょっと悲しそうな声で言ってくるのも反則だ。
 イヤだとか、思ったらこんな反応してねぇよ。分かれよバカゆき。

 そのときの俺は本当にもういっぱいいっぱいで、やじゃねぇし、とか、そんなことを言うくらいしかできなくて。ちらっと布団のなかから目だけ出せば、「良かった」って安心したように笑う雪男の顔とか見ちゃって、完全に俺はトドメを刺されたんだ。弟が可愛すぎて死ぬかと思った。
 今思い出しても死にそうなくらい恥ずかしいし、顔が真っ赤になるし、心臓がどきどきうるさくなる。ちょっともじっとしてられなくて、布団に倒れこんでじたばた暴れたくなる。わーとか意味もなく大声で叫び出しそうになるのを一生懸命押さえて、でもやっぱりおとなしくしてることもできなくて、布団をぎゅうって抱きしめてぽっふんぽっふん、敷き布団をしっぽで叩いて衝動をやり過ごした。いや、やり過ごせてはいないかもしれない。ぽふぽふぽふぽふ、しっぽがうるさい。
 兄弟だし、家族だし、雪男の顔を近くで見ることがないわけじゃなかったけど、あの近さは反則だろ。結構まつげが長いとか、目の色が綺麗とか、あと唇、温かくて、柔らかかったとか。
 知らないうちに自分の唇をそっと触ってて、雪男とキス、したんだなぁ、とか思って、また布団に顔を埋めてじたばたじたばた。ふと我に返って「俺は乙女か」って枕を殴りつけてみるけど、でもやっぱり忘れられるはずがねぇじゃんか、あんなの!
 罰ゲームみたいな感覚で恋人っぽいことしてたんだけど、最近は俺も雪男もなんとなく慣れちゃって、このままでもいっかなってちょっと思ってた。なんでこんなことをやり始めたのかとか、結局何がしたかったのかとか、もう分からなくなってたし。でも甘くなかった。雪男はそれじゃ許してくれなかった。兄弟から一歩進んだ「恋人」っぽさ。

 弟と、キスをした。恋人がするみたいなキス。今俺のことなんて全然見てもなくて、真面目な顔をして塾のテストを作ってる雪男のあの唇が、温かいってことも、柔らかいってことも、知ってんのはこの世できっと俺だけなんだ。あの唇が、ちゅって、俺の唇にキスしたんだ。
 意外にできるもんだなーだとか、恋人ってこんな感じなのかなーだとか。
 手繋いで、一緒に飯食って、話もたくさんして、俺が雪男に優しくできてるかは分かんねぇけど、雪男にはいっぱい優しくしてもらえて、朝一緒に学校行くし、帰りもときどき一緒に帰るし。俺らすげぇ恋人みたいじゃん、とか思ってたけどごめんなさい、恋人、舐めてました。だめだめ、そんなんじゃ全然だめ、全然足りてない。ちゅって、ただそれだけで、今まで俺らが頑張って作ってた恋人っぽさが全部どっかに吹き飛んでいったみたいな、そんな感じだった。

 なあ雪男、俺ら、ちゃんと恋人っぽくなってるのかな?




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2014.06.03