ヨンパチ。(その10)(3)


 彼女からの指示は至極端的で、「アタシをあいつに近づけさせろ」というものっだった。吐き出される汚泥と、そこから生まれる下級悪魔のせいで、直接攻撃が届く場所まで近づくことが困難なのだ。己が攻撃されていることを理解しているのだろう、悪魔の吐くものは勢いも量も増えている。こうなる前に手を打っておきたかったのだろうが、その点は今更考えても仕方ない。

「お前らはそのまま結界の保持、悪魔討伐続行だ。一匹たりとも旅館街のほうへ出すんじゃねぇぞ!」

 女隊長からの指示に、「了解」と各地より声が返ってくる。各人の表情も声もしっかりとしており、任せておいて大丈夫だろう。
 愛用の魔剣を手につかつかと無防備に悪魔へ近づいていくシュラを、燐は慌てて追いかけた。カラコロと足下から下駄の音が聞こえてくる。ちらりと下へ視線を向けた彼女が、「下駄はねぇだろうが、下駄は」と呆れたように言った。

「や、だって、雪男が」

 そもそも弟がこれを投げてくれなければ、燐は裸足でここに到着していただろう。確かに動きづらさはあるが、ないよりは断然マシ、だと思う。

「串刺しにできそうなヒールで戦ってるひとに言われたくないですよ」

 のんびりとふたりのあとからついてきていた雪男がそう言い返し、「うるせぇ、ヒールは女の最強装備なんだよ」とシュラが口にしたところで、ごぽぉ、と魚悪魔から吐き出された汚泥が三人の間に降ってきた。
 とん、と軽やかに地面を蹴った彼らは三方向に散り、それぞれの武器を構える。燐はもちろん倶利伽羅であり、雪男は小型のナイフを手にしていた。銃も持ってきているが、不測の事態に備えてであったため、弾に余裕がないのだ。その場合彼が取る戦闘スタイルは、ナイフと体術をメインにしたものとなる。
 地面に広がる汚泥からむくりと起きあがってきた悪魔を、倶利伽羅を閃かせて横に薙ぐ。分裂したらどうしようかと思ったが悪魔はそのまま消滅し、その心配はなさそうだ。それならば存分に刀を振るえる。目に見える位置にいる悪魔をすべてたたき落とし、地に落ちてもまだ動こうとするものへは刀を突き刺してとどめを刺す。
 魚型の悪魔はどのようなバランスを取っているのか、ちょうど顔をこちらに向け、地面に腹をつけて立っている状態だ。見上げるほどの大きさであるため、汚泥悪魔を吐き出す口も、飛び上がって届くような位置にはない。その正面をシュラが受け持ち、向かって右側を雪男が、燐は左側にいる悪魔を相手にしていた。
 もとはシュラの隊が担っていた任務だ、炎はあまり使わないほうがいいのだろうと、刀に灯す程度にしてある。雪男に炎を渡しておいたほうが良かったかもしれない、と弟を見やれば、彼はちょうど下駄を履いた長い足を繰り出し、悪魔を蹴り飛ばしているところだった。

「おーい、ゆきおー! あんまり派手に動くとパンツ、見えるぞー!」

 浴衣で戦っているため、足を上げると当然裾がめくれてしまうのだ。拳よりも足技を繰り出すことの多い雪男には、戦いづらい服装であろう。今も太股まで見えてしまような際どい状態であり、兄として(加え恋人として)はらはらしてしまう。けれど弟からは「お気遣いどうも」という答えがあっただけ。
 つれない返答にぷく、と頬を膨らませ、燐は正面にぬっと現れた黒い固まりを上から振り下ろした刀で真っ二つに裂いた。そのまま刀を右上へと切り上げ、飛んでいた悪魔を切り捨てる。振りかぶった腕の力を利用してくるり、と身体を返し、背後にいた悪魔を滅し、地面を蹴って一度悪魔たちからの距離を空けた。
 そうして動いている燐のほうこそ、普段からあまり意識していないせいか、揺れる尾のせいで浴衣の裾がめくれ上がりそうになっている。ひとのことより自分のことを気にしてくれないかなぁ、とそちらを見やりながら、雪男は握ったナイフを悪魔に突き立て、蹴り飛ばして消滅させていく。できればあまり直接触りたくはないのだけれど、弾に限りがあるため仕方がない。燐のように刀を使えたら良いのかもしれないが、いや実際に使えなくはないのだが、少々難があるためおいそれとは振るえない。仕方なく、足技とナイフで応戦する。たたき落とした悪魔の上に足をおろし、ぐりぐりと下駄で踏みつけながら上体をわずかに後ろへ反らす。胴を食らうように飛んできた悪魔を膝で蹴り上げ、閃かせたナイフで切り裂いた。
 浴衣に下駄と、温泉客そのものも風体であるにも関わらず、普段と何ら変わらぬ様子で戦う双子を左右に、正面に立つシュラもまた吐き出される汚泥悪魔を切り捨てている。
 ひゅん、と空を切るような音は、彼女の周囲から響いてくるものだ。その剣捌きは相変わらず正確に、そして素早く敵を捕らえていた。彼女の周りを漂っていた下級悪魔は瞬く間に滅され、そうしてできた空間をシュラは髪を揺らして走り抜ける。

「破っ!」

 ざん、と地面を削るように下から切り上げた放たれるは、彼女が得意とする使い魔の蛇を伴う魔剣撃だ。まっすぐに空を切るそれは、正面にあった魚悪魔の口の中へと吸い込まれていく。しかし、ちょうど吐き出された汚泥に阻まれ、それは体内へ届く前に消滅してしまった。
 第二撃を放とうと構える彼女に向かって、再びごぽり、と汚泥が吐き出され、素早くその場から飛び退く。ちっ、と舌打ちをしたシュラへ、「キリねーぞ!」と燐が声をかけた。

「この悪魔全体を、液状の下級悪魔が覆ってますね。そいつらが盾になって、本体に攻撃が届いてないみたいですよ」

 近寄ったことにより、悪魔の詳細を観察できるようになった。戦いながらも伺っていた雪男がそう結論づけ、「やっぱ燃やすか?」と燐が答える。その間も当然双子は動き続けており、テンポよく飛び跳ねながら会話をしているのだから、その運動能力はさすがといったところだ。
 燐は自分が自意識過剰だったと思っていたが、シュラの部下たちは最初に顔を合わせた祓魔師以外、ふたりの姿を見てすぐに誰であるか理解していた。隊長から命じられた任務をこなしつつ、それでも双子の悪魔の戦う様子から目を離せない。その動きは人間離れしているというほど奇抜ではないが、ふたりともがひどく軽やかで、まるでシナリオが最初からあるのではないか、と思うほどスムーズな身のこなしだった。
 彼らに挟まれるようにして剣を振っているシュラもまた、ふたりに負けず劣らずの身体の動きである。隊長として隊をまとめる役を担うことが多く、自らが前線に立って戦うことが減りつつあったが、それでもその剣の技は肉体と同じく衰えていないらしい。おそらく単純な剣技だけであれば、未だ燐は彼女に及ばないであろう。
 さすが隊長、と小さな賞賛の声を悪魔の耳が拾った。思わず笑った燐が顔を上げれば、雪男と視線が合う。彼もまた、今の声が聞こえていたのだろう。皮肉屋の弟は少し肩を竦めただけだった。

「外が駄目なら、中から叩くしかねぇな」

 雪男と同じように間近で悪魔を観察し、弾き出した結論をシュラが口にする。

「俺、行くか?」

 悪魔の内部がどうなっているか分からないため、人間である彼女が突入するには少々危険すぎるだろう。燐ならば、対処力において彼女には及ばないが、丈夫さだけなら自慢できる。最悪の場合は炎で焼き尽くすという手も取れ、外に弟がいてくれさえすれば絶対に無事に戻ってくると約束できた。
 そう提案する燐へ、「ばか」とシュラが呆れた声を投げつける。

「これはアタシらの隊の仕事だっつーの」

 確かに今この場に双子の兄弟はいるが、彼らは偶然居合わせただけなのだ。

「言っただろ、アタシをあいつに近づけさせろ、って」
 お前らはただ手を貸してくれるだけでいい。

 内側から悪魔へ攻撃するとなると、進入口は一つしかない。そこへ到達するための方法、無事に内部へ入り込む方法を彼ら三人が確認することはなかった。長年のつきあいだ、シュラの言葉だけで何をなすべきか理解するには十分。双子に至っては視線を交わすだけである。

「散れ」

 シュラの端的な命に悪魔の兄弟はそれぞれ地面を蹴った。ふたりともが巨大な悪魔の真正面にあたる位置、先ほどまでシュラが戦っていたあたりへ向かって走り寄る。シュラはといえば逆に、飛び交う小さな下級悪魔たちを避けつつ魚悪魔から距離を取っていた。
 走りながら刀を鞘におさめ、両手をあけた燐が魚悪魔の真正面で足を止める。身体の前で組まれた兄の手を踏み台に、駆け寄ってきた弟が上空に飛び上がった。

「お前、何で裸足なんだよ!」

 両手に乗った弟が素足であったことに驚いた燐が声をあげれば、「下駄で踏まれたら痛いだろ」と返ってくる。どうやらこちらを気遣って脱いでくれたらしい。どこかそのあたりに下駄が落ちているのだろう。あとで回収しておかなければ、と思いながら、次に走り寄ってくるシュラのほうへと身体を構えたが、彼女の履くものがヒールのブーツであったことを思い出し絶望に顔を真っ青にした。
 上空に上がった雪男は、持ち替えていた銃を構え、すべての弾を魚の口の中へと撃ちこむ。このために温存していたというわけではなかったが、使いどころは今しかないだろう。魚悪魔の口の中に溜まっていたヘドロ状のものがすべて消えたその瞬間、雪男のいる場所までシュラが飛び上がってきた。同じように燐を踏み台にしたのだ。
 高度は十分、体内へ侵入するために邪魔をしていた汚泥も今なら消滅している状態。宙ですれ違った姉弟子は、弟弟子に視線を向けることなく、彼の肩を足場にその軌道を変えた。もちろん、向かうは魚悪魔の口の中である。
 そうしてすれ違う瞬間、「雪男くん、パンツ丸見え」という指摘に加えヒールで肩を踏みつけられたものだから、落下する悪魔の「痛ぇし、見てんじゃねぇええっ!」という罵声が遠くまで響き渡ることになった。

「しょうがないじゃん! 僕浴衣だし、上にいたしっ!」

 着地すると同時に子どものようにぷんすこと怒り出した弟を前に、燐はヒールで踏まれた両手の痛みに涙を滲ませつつ苦笑を浮かべる。宥めようと下手に言葉をかければ、逆に火に油を注ぐことになりかねないと経験上理解していた。こういう場合はそっとしておくに限る、と雪男から視線を逸らせたところで、「隊長っ!」という叫び声が耳に届く。

「た、隊長は無事なんですかっ!?」

 シュラが悪魔の体内へ突入していく場面を目撃し、部下たちが慌てふためいている。あの状況ならば誰かがそうせざるを得ず、そしてそれができるのは燐と雪男を除けばシュラしかいない。だからどうして彼らが驚き、慌てているのか燐にはいまいちよく分からなかったが、あとでチームメイト(知識の豊富なツンデレ手騎士の彼女だ)に聞いたところ、「普通はそんな無謀な手は取らない」と返されてしまった。ついでに、「うちの常識をほかのひとたちに当てはめないほうがいいわよ」だそうである。奥村家の常識が世間の非常識であったことは過去に何度か覚えがあるが、今度からはヨンパチの常識も世間の非常識であると念頭においておくべきなのかもしれない。(と思うだけでたぶんすぐに忘れるだろう。)

「叫んでる暇はないですよ、下級悪魔をできるだけ減らしてください」
「あ、そうそう、シュラが出てきたとき残ってたら拳骨だぞ」
「結界の強化を。あなたも、詠唱騎士でしょう? 加わってください」

 シュラから引っ込んでいろと指示を受けていた祓魔師にもそう声をかける。いつの間に彼が詠唱騎士であると知ったのかは分からないが、否定しない点を見れば当たっているのだろう。「でも隊長の指示が」と彼は眉間にしわを寄せている。

「一度指示に背いたのでしょう? だったら二度も三度も同じです。あのひとが中から破壊した際の衝撃を少しでも和らげないと」
「ッ、雪男!」
「分かってる!」

 正面の悪魔に大きな動きがあった。びくびくと巨体を揺らし、明らかに苦しんでいる。シュラが内部から攻撃をしている、そしてそれが効いているのだ。おそらくはこのままあの悪魔を祓魔することは可能だろう。しかし雪男の言ったとおり、その際今この場がどうなるかが分からない。大元の悪魔が消えることで、生み出されたものたちも消滅してくれたら良いのだが、そううまくいくとは思えなかった。現に、最期の力でも振り絞っているのだろうか、先ほどまでとは比べ物にならないほどの汚泥と泡が口から吐き出され始めている。
 漂う悪魔を刀で切り伏せながらそちらを見上げた燐が、「終わるな」と小さく呟いた。
 侵入したシュラの刀が、どうやら悪魔の核を捕えたらしい。びくん、と大きく跳ねあがった巨大なそれの口から、ぶわわ、と黒い煙が吐き出される。みなの視界が黒く染まった。悪魔を覆うようにもとよりドーム型の結界を張ってあったため、それが壊れない限り周囲に広がることはないだろう。しかし、元の悪魔が祓魔されても残ったままであるということは、これらを綺麗にしなければ結界を解けないということ。
 祓魔師たちはひとまず隊長の安否を確認しようと目を凝らす。しかし広がる黒い霧のせいで遠くまで見通せない。眉間にしわを寄せ、巨大な悪魔のいたほうを睨む彼らの目に、すぅ、と青い光の線が飛び込んできた。

 それは虚無界における神たる悪魔の生み出す色。
 けれど物質界では、ひとの心を持つ悪魔の生み出す色。

 青に裂かれた黒い風の向こう側、炎に包まれた双子の悪魔たちの横顔が見える。
 弟の肩に腕を回す兄と、兄の後頭部へ手を添えている弟。
 その距離は、まるでたった今キスを終えたばかりであるかのよう。
 見つめ合う彼らの間には、おそらく何人も立ち入ることはできないだろう。
 兄弟というには近すぎる双子たちを遠目に確認し、唖然とする祓魔師たちへ、伏し目がちなふたりからの視線が向けられた。
 そうして口元を歪め、挑発するかのように双子は嫣然と笑う。
 そんな彼らの姿を隠すかのように、取り巻いていた炎の色が濃いものへ変化し、広がっていった。
 青が黒を抑えこみ、そうして静まったその先にある、明らかに活動を終えた悪魔の残骸。

「隊長!」

 未だ姿の確認できない上司を誰かが叫ぶ。それが引き金になった、というわけではないだろうが、ぼふん、と悪魔の体内に残っていたらしい霧が噴き出すのと同時に、赤い髪の彼女がどろりとした汚泥を纏わりつかせたまま、身体を丸めて飛び出てきた。
 炎を操って悪魔や黒霧を抑えこみ、燃やしていた双子の悪魔、その兄がシュラの元へと駆け寄った。もともと青い炎は彼のものだ。無尽蔵とはいわないが、ほぼ自在に生み出すことのできるそれを弟に分け与えふたりで使っている。その青は彼らが望むものだけを消滅させるのだ。守りたいものには決して危害を加えない。
 着地した彼女を支えるように前から抱きこんだ燐が、炎でふたりの身体を包み込む。驚いた部下のひとりが、「霧隠隊長!」と再び上司の名を叫んだ。
 汚泥にやられたのか、悪魔の体液にやられたのか、もともと際どい衣服であったはずなのに、彼女は今上半身にほとんど何も纏っていないような状態である。豊満すぎるバストを自らの片腕で抱いているため、一応は隠す気があるらしい。それでも堂々と背を伸ばしている彼女は、全身を青い炎に包まれていても平然とした表情を浮かべている。
 背後から近寄っていた悪魔の弟のほうが、羽織をそっと彼女の肩に掛けてやる頃には、纏わりつく悪魔の残骸はすべて青い炎に焼き尽くされてしまっていた。
 前方からその括れた腰を双子悪魔の兄の腕に抱かれ、後方から華奢な肩を弟の腕に抱かれ、揺れる青を従えて笑みを浮かべるくの一。
 そんな女隊長の姿を、ほかの祓魔師たちはただ見つめている。
 もしかしたら、下品さはないがそれでもどこか官能的で妖しい雰囲気に呑まれ、見惚れていただけ、なのかもしれない。

「おら、おめぇらっ! ぼさっとしてんな、後始末だ後始末! これくらいはできんだろうが!」

 突然飛ばされた命に、言葉を失っていた部下たちがようやく我に返ったようだ。
 次々に悪魔が生み出されるという状態でなければ、ここにあるものは下級のものたちばかり。もともと任務としてやってきていたメンバでも十分に対処できるレベルであろう。
 いつもと何ら変わらないその号令に、祓魔師たち「はい!」と返事を寄こしていた。



***     ***



 休みとして得ていた期間は二日間。つまり一晩たてばもう日常へと戻らなければならない。

「あんまりゆっくりできた気がしないね」

 荷物を纏めてフロントへ向かいながら、少しばかり疲れた声音で雪男が言う。それも仕方がないだろう、さすがに後始末までは手を貸さなかったが、朝日が昇るギリギリまで外で活動していたのだ。戻って少し眠りはしたが、十分な休息とは言い難い。はあ、とため息をつく弟の肩を叩き、「でも温泉入れたし」と燐は笑った。

「気持ち良かったからいいじゃん」

 な? と雪男の顔を覗きこめば、メガネの奥の瞳を細めた彼は、「気持ち良かったって、」とにまりと笑みを浮かべて言う。

「温泉のこと? それとも違うこと?」

 問われた言葉の意味がすぐに理解できず、違うことって、と燐は首を傾げた。温泉に入る以外で何かあっただろうか、と考え、腰を撫でてくる弟の手の動きに、ようやく何を指しているのか思い至る。
 ぽふん、と音が聞こえてきそうなほど顔を赤く染め、真っ青な瞳で弟を睨みつけた。もう何年も恋人という間柄であり、身体を繋げてきているというのに、未だに彼はこのような可愛らしい反応を見せるのだ。
 しかし、「知るかバカ!」と怒鳴り返していた十代の頃とは異なり、今は「どっちもだよバカ!」という言葉が返ってくるあたり、燐もそれなりに成長はしているらしい。これを成長と呼ぶかどうかは分からないけれども。
 別部隊の任務補佐というトラブルが突発的に起ってしまったが、旅行自体はしっかり堪能できている。食事も温泉も、夜の営みも含めて。それなりに楽しめた休暇といえるだろう。
 チェックアウトを雪男に任せ(基本この手の作業は自分でやらないと気が済まない弟なのだ)、燐はカウンタのすぐ隣に展開されている土産物屋をふらふらと見て回る。実はまだ何も購入していないのだ。チームメイトたちと、あとは一応上司である道化悪魔あたりに何か買っていってやろう。大人しく留守番を受け入れてくれた猫又にも必要だな、と思いながら物色していたところで、ふと目に留まったもの。

「懐かしいもの見つけたね」

 いつの間に会計を終えていたのか、ひょこんと背後から顔を覗かせた弟がそう口を開く。燐が手に取ったものは、少しレトロなシャボン玉セットだった。シャボン玉液のボトルが二つに、オーソドックスな緑色の吹き棒、パイプ型の吹き棒が入っており、もう一つ。

「昨日の悪魔、これに似てね?」

 そう言って燐が指さしたものは、魚型の吹き棒。尻尾から息を吹きこめば、口からシャボン玉を吐き出すタイプのものである。
 姿かたちは雪男が言っていたように某ポケモンそっくりだったのだが、その口からぽこぽこと泡の吐き出される様子が何かに似ているとずっと思っていた。今このセットを見てようやく気がついた、シャボン玉に似ていたのだ。燐の言葉に弟も「あー」と納得したような声をあげていた。
 そんな双子の後ろから、「ぃよーっす」と間延びした声がかかる。振り返ればいつも以上に眠たそうな顔をしたシュラの姿があった。

「おー、お疲れー。もしかして終わったの今?」

 時刻は午前十時少し前。もちろん日は十分に昇ってしまっている。あの悪魔の規模を考えればこれくらいかかるのかもしれない。燐の問いかけへの返答は、欠伸と一体になっていてよく聞き取れなかった。このまま彼女の隊が日本支部へ戻るのか、それともここでしばらく休んでもいいのかは聞かないほうがいいだろう。
 俺らはもう帰るから、と一応そう伝えたところで、ひょい、と手の中のものを取り上げられた。

「? シュラ?」

 シャボン玉セットをどうするのだろう、と思っていれば、彼女はつかつかと会計所へ足を向け、さっさとそれを購入してしまう。「あ、いえ、シールで大丈夫ですぅ」と語尾が伸びていたのは、おそらくレジを打つ店員が若い男だったからだろう。
 くるりと振り返った彼女は、再びこちらにつかつかつか、と歩み寄り、「昨日の駄賃だ、取っとけ」とシャボン玉セットを燐に押しつけた。
 じゃあにゃー、とひらひら手を振って去っていく。その後ろ姿を、双子は掛ける言葉を見つけられないまま、ただ黙って見送っていた。

「ちょ、っと待って、これがお礼!?」
「ふ、ざっけんな、あのババァ! シャボン玉セットって、俺らいくつのガキなんだよ!」

 我に返った瞬間そう叫ぶも、既に彼女の姿は双子の視界から消えさってしまっている。
 別に謝礼が欲しくて動いたわけではないし、完全なボランティアのつもりだったのだけれど、いくらなんでもこれがお駄賃だなんてあんまりだ。こんなものならまだないほうが良かった、と帰路散々悪態をついたそのシャボン玉セットは、自棄になった燐の手により、その日のうちにすべてシャボン玉となって天へ帰っていった。




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2016.07.19
















いつかシュラさんと絡ませたいと思ってました。

Pixivより。