ヨンパチ。(その9)(2)


 勝呂と志摩の任務は宝石を悪魔から守ることにある。逃げおおせたふたりの追跡ももちろんしておきたいが、何よりも宝石の無事を確認することのほうが先だった。
 祓魔師と怪盗のやりとりに身を竦ませていた成田だったが、危険が去ったことを知ると弾かれたように金庫まで走り寄っていった。取り出された小箱の蓋を彼はそっと開ける。

「ああ、無事だ。私の聖母は無事だ!」

 歓喜の声をあげ、太い指で愛おしげに摘み上げるは赤い鉱石。遠目ではあったがその輝きが見て取れ、勝呂もまたほっと息を吐き出した。そこで「あ、」と口を開いたのが志摩である。得物を手にしたまま依頼主の近くまで歩み寄り、「成田さん」と彼の名を呼んだ。

「一応、よう確認しといてください。こういうときのお決まりの手段ですから、偽物とすりかえるっちゅうのは」

 志摩の言葉にぎくり、と顔を強張らせた成田は、手のひらに乗せたそれをしげしげと眺め見る。しかしどこにも異常は見当たらないのだろう。小箱にルビーを戻し、すり替えられているようには見えない、と彼は言った。

「ちょっと失礼」

 一応持ち主に断りを入れ、志摩もまた小箱の中を覗きこんだ。用心深い成田が宝石を祓魔師たちの前に出したのはこれが初めてのことである。垂れ目を少し細め、「まあ、嫌な感じはありますね」と素直な感想を漏らした。虚無界に属するものを使役する祓魔師として、それに近い気配を感じるなどわけもないこと。もともと曰くつきのアイテムなのだ、志摩がそれを感じるということはすり替えられた可能性はないと判断していいだろう。
 勝呂のその説明に、成田がほっと息をついたところで、再びこんこん、とノックの音が響いた。扉は悪魔が侵入した際に開けられたままであったため、形式的なものだ。旦那さま、とメイド服の使用人が顔を出した。

「ガラスの割れる音がしましたが、何かございましたか?」

 黒髪を頭の上でお団子に纏めた女性へ、呼びかけられた成田の視線が向く。
 そのため、錫杖を手にしたままの祓魔師が素早く宝石を入れ替えたことなど、彼はまるで気が付かなかったであろう。

「ああ、天窓が……」

 そう言って頭を上げた勝呂の視線を追いかけ、成田もまた「急いで修理を手配しないとな」と天井を見上げる。使用人の女性もまた同じように仰ぎ見て、驚いたように目を見開いた。それもそうだ、書斎の天井はかなり高く、そこに設置された窓が割れてしまうということは考えてもいなかったに違いない。
 その場にいるものの視線が一斉に上向いた瞬間を狙い、志摩は手に入れた赤い宝石を幼なじみへ向かって投げた。

「ただ、宝石を悪魔には盗まれてませんので」
 そこはご安心を。

 そう口にすれば、どうしたって発言主を、そして守り通されたはずの宝石を見てしまうものだ。成田の意識が志摩に向いたうちに投げられたルビーをキャッチした勝呂は、依頼主の視線から隠すようにそれを握り込んだ。

「そうだな、聖母は無事なんだ、ここは良しとするべきだろう。君、ガラスを片付けてくれ」
「畏まりました。センサーのほうは解除してらっしゃるのですか?」
「いや。……しかし、今解除するのは早急だな。掃除用具があるのは……」
「厨房横の物置にございます」

 頭を下げて告げられた答えに、成田はタブレットを手に取った。ひとまず物置の出入り口のみ解除を行うようだ。

「そうですね、まだ夜が終わったわけやない。センサーの全解除は夜が明けてからのほうがええでしょう」

 怪盗が逃げたとはいえ、用心に越したことはない。依頼主の対応に賛同しながら、その目がタブレットを覗きこんでいるうちに、勝呂は右手を閃かせた。空を切って飛ぶそれはもちろん、先ほど幼なじみより投げ渡された赤い宝石である。受け取るは、部屋の外にいる黒髪のメイド。特徴的な眉をしており、きりりと意志の強そうな瞳の彼女は、表情一つ動かさぬまま小さな宝石をキャッチする。ほぼ同時に成田が顔をあげ、メイドへと視線を向けた。ほんの数十秒の間の出来事であり、成田の目にはつい先ほどまでとまるで変わらない光景が映っているように見えるだろう。

「よし、物置の出入り口のみ解除してある」

 雇い主にそう言われた彼女は「畏まりました」と恭しく頭をさげ、一旦この場を辞した。もちろん仲間より渡された宝石を持ったまま。
 彼女がいる廊下から屋敷の外へ出るまで、最短でもあと二か所はドアをくぐる必要がある。すべてセンサーが生きているため、彼女がそれを持ち出すということは不可能だ。先ほどセンサーを解除してもらえた物置には出入り自由だが、残念ながらそこは外と繋がっていない。
 依頼主である男は、屋敷各所に取り付けられたカメラで映像を確認できる。不自然な行動はさけるべきだろうが、そこはあの部屋に残っている仲間たちが上手く誤魔化してくれるだろう。
 物置を通り過ぎた彼女は、先ほど立ち話に興じていた部屋の前まで歩を進めた。扉を見ることなくこん、とノックを一回。開かれた室内へはやはり視線を向けることなく、彼女は小さな宝石を投げ入れて踵を返す。今度は命じられたとおり、掃除用具を取りに物置へ向かうためだ。
 ぱたむ、とドアの閉められた室内には、床に転がる小さな石を小さな手で拾い上げる女性がいた。柔らかな栗色の髪を持つ作業着の彼女は、臨時で雇われている庭師である。庭師とはいえさすがに真夜中に庭を弄ることはせず、先ほどのメイドと話をしていたように、屋敷の見張りのために残っていたのだ。
 ここは普段庭師たちが用具や肥料を保管しておく倉庫であり、つまり、直接外に繋がる扉がある。
 思ってたより小さいなぁ、と呟いた彼女は用意していた小袋に宝石をつめ、その口をきゅう、と紐で縛った。この先に運ぶためにはそうしておいたほうがいいのだ。
 そぉ、っと外へ繋がる勝手口を開き、クロちゃん、と名を呼ぶ。獣の耳は小さな音でも十分に拾ってくれるため、たたた、と一匹の黒猫が駆け寄ってきた。

「お願いね」

 もちろんこの勝手口にもセンサーはあり、彼女が宝石を持って外に出ることは叶わない。しかし、野球ボールよりも小さな宝石だけならば、センサーに触れることなく外に出ることは可能なのだ。
 ひょい、と投げられたそれを猫又クロが咥え(小袋は彼が運びやすくするためのものである)、そうして向かう先は仲間に指定された塀の側。この塀を越えてはいけない、と伝えられている猫又は、そばに植わっている木へするする、と登っていった。あまり大きな木ではないが、小柄な彼には何の問題もない。
 そうして塀の一番近くまで伸びている枝へ登った彼は、咥えていた小袋を先ほどの庭師と同じようにひょい、と外に向かって放り投げた。何度か事前に練習していた動きだ、たとえ猫の姿とはいえ、彼はほかの仲間たちよりも長く生きている。これくらいの働きはわけもないことだった。
 塀の向こう側にはニット帽を被った小柄な眼鏡の男が待機している。放り投げられた宝石は、彼の肩から下げられたポーチへすとん、と綺麗におさまった。
 その小さな衝撃から目的を達したことを知った男は、屋敷に視線を向けることなく自然な動作で大通りへ歩を進め、路肩に停めてあった車にするり、と乗りこんだ。エンジンのかかっていた車は、すぐにその場を走り去る。

「お疲れさん」

 後部座席に乗り込んだ眼鏡の男、三輪子猫丸にそう声を掛けたのは、助手席に乗っていた青年、奥村燐である。着替える暇がなかったのかあるいは面倒くさいのか、彼は屋敷から脱出した際着ていたメイド服のままだ。ショートボブの黒髪ウィッグをくるくると回して弄んでいる。運転席にはもちろん彼の片割れである双子の弟、奥村雪男が座っていた。口元を覆うマスクを外し、ゴーグルから眼鏡にかけかえた彼も、兄と同じように笑みを浮かべて三輪を労う。
 双子の悪魔からの言葉に苦笑を浮かべ、「僕は何もしとりませんけどね」と三輪は答えた。彼はただ対象を運んだだけであり、屋敷に侵入した仲間たちに比べると作業量ははるかに少ないのだ。

「俺らも侵入して、窓壊して逃げてきただけだよな」
「まあね。センサー誤魔化したりとかはちょっと面倒くさかったけど。今回一番の功労者は勝呂くんと志摩くんだと思うよ。直接依頼主とやりとりして騙さないといけなかったし」

 雪男の言葉に、「志摩はこういうの得意だろ」と燐が笑って相づちを打つ。確かに、普段から飄々とした態度をとることの多い彼には、今回の任務は適役であったのかもしれない。

「でも勝呂くんも結構ノリノリじゃなかった?」
「あ、ノってたノってた! 雪男に銃つきつけてさ」
「『そこまでや』とか言ってね。思わず笑いそうになっちゃったよ」
「あれ、絶対あいつ、内心超恥ずかしがってたと思うぞ」
「あはは、志摩さんと違って坊はああいうん、苦手ですからねぇ」

 言動はぶっきらぼうだが、彼は神経質で真面目な性格をしているのだ。幼なじみである三輪の言うとおり、演技をしたりひとを騙したりするような任務には向いていない。しかし配役を考えた場合、あの位置には勝呂がつかざるを得ず、そうなれば彼もプロだ、腹を決めてしっかりこなしてくれていた。

「だいたい作戦通りだったよな。俺らが逃げたあとはどうか分かんねーけど」
「うちのチームだからね。失敗することはないよ」

 きっぱりと言い切られた弟の言葉に、確かに、と兄も笑って頷いた。

「でも、ええんですかね。いくら任務とはいえこんなこと……」

 眉を顰めて三輪がポーチから取り出したものは、小さな包み。中身はあの屋敷から盗み出した宝石である。
 そう、彼らの今回の仕事は悪魔を退治するものではなく、一般的には窃盗と呼ばれる行為であったのだ。まあ犯罪だよな、と双子の兄悪魔がけらけらと笑っている。
 ターゲットは『聖母の血涙』と呼ばれるルビー。穏便に譲ってもらえる、あるいは金で解決できるのならばそうしていたが、かの宝石の持ち主は頑なにそれらを拒んだ。そこで仕方なく、盗むという強硬手段を取ったわけである。これ以上このルビーをひとの世に置くことは危険だと騎士團上層部は判断しており、どうしても手に入れなければならなかったのだ。また金銭的なやりとりなしに、そして複数人でチームを組んで盗むことによって、その『所有者』を曖昧にするという目的もあった。何せかの呪いは所有者の命を食らう、というものなのだ。宝石に所有者だと判断する材料を与えたくはない。
 ほんとんど人目に触れさせないという持ち主の用心深さも背景にあったため、今回のような非常に回りくどい手を取らざるを得なかったのである。
 兄の言葉を窘めつつ、「もともとは、」と雪男が口を開いた。

「それ自体騎士團から盗まれたものです。盗難品ですから被害届も出すことができない。被害者が声を上げなければ犯罪は成り立ちませんよ」

 自信たっぷりに言い切られ、「そんなもんですかね」と三輪は苦笑を浮かべる。大金を使ってあの宝石を手に入れた依頼主には多少の罪悪感を覚えなくもないが、そもそも彼もまたこれが正当なルートを経ていないことを知っていたはずである。銭ではないが、悪銭身に付かず、だ。

「大丈夫だって。うちの屁理屈大王がそうゆってんだし、子猫丸も気にすんな!」

 根っからの楽天家である燐などは、最初からあまり気にしていないようだ。振り返って仲間を見やり笑いながらそう言う彼へ、「誰が屁理屈大王だよ」と弟が不機嫌そうに吐き捨てた。

「じゃあ屁理屈魔王?」
「それも嫌だ」
「わがままだなぁ、屁理屈眼鏡」
「屁理屈から離れてよ」
「え、雪男から屁理屈取りあげたら眼鏡とホクロしか残んないじゃん」
「……黙れ、淫乱小悪魔」
「ッ!?」

 弟から投げつけられたあまりの罵声に返す言葉が見つけられず、「いっ!? だっ、いんら……っ!?」と燐は目を白黒させている。今にも掴みかかりそうな気配であったが、さすがにハンドルを握っているもの相手にそこまではしないらしい。しかし、嫌な雰囲気だなぁ、と後部座席に座る三輪は小さくため息をついた。

「だ、ったらっ! だったらおめーはっ! 変態エロホクロ眼鏡だろっ!」

 誰がインランだっ、と声を張りあげる兄をちらりと見やり、運転手ははっ、と鼻で笑った。相変わらずこの双子は仲良く仲が悪い。口げんかだけで済んでいるためまだマシだ、と思ったほうがいいのだろうか。

「その変態に好き勝手されてるんだから、兄さんはド変態ってことだね」
「何でだよ! お前がド変態で絶倫なんだよっ!」

 これくらいのやりとりならば彼らにとっては日常茶飯事だと知っていても、正直下ネタに巻き込まれるのはつらい。もう一度ため息をつく代わりに、三輪はにっこりと、意識して笑みを浮かべた。祓魔塾の塾生たちからは「仏様のような笑顔(でむしろ怖い)」と評判の表情である。にこにこと笑ったまま「燐くん、雪くん」と双子の悪魔を呼ぶ。

「今すぐその応酬をやめんと、とりあえずこれ、窓から投げ捨てますけど?」

 ええですか、と言う彼の手には、苦労して手に入れた宝石。窓を開け、それを持った手を軽く外へと差し出せば、「うわっ、ばかっ、早まんなっ!」と燐が慌てて声をあげた。

「僕らはともかく、みんなの苦労を!」
「ええ、ですから、みんなの苦労の結晶を投げ捨てますけどってゆうてるんです。怒ると思いますよ、皆さん」
「あ、だから、振りかぶんなって! お前は鬼かっ、悪魔かっ!」
「やだなぁ、何ゆうてはるんですか。悪魔は燐くんと雪くんでしょ」
「あ、ごめんなさい、すみません、黙ります、ケンカやめますからそれ、早く鞄にしまってください!」

 ぎゃんぎゃんと騒ぐ声の賑やかな車が向かう先はもちろん、正十字騎士團日本支部。
 ターゲットを無事におさめたあとには、合流した仲間たちとの打ち上げが待っている。




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2016.07.19
















(*`四´*)「るぱんるぱーん♪」
(.□д□:)(本当の歌詞は「ルパンザサード」なんだけどな)

Pixivより。