柔らかな心臓・1


 日々忙しなく過ごしていると、ひどく早く時が過ぎているような気がする。二年ほど前に卒業したばかりだというのに、高校時代がはるか昔のことであるようだ。今年の冬、雪男は二十歳になる。つまり今が十代最後の年だということ。
 貴重な十代の時間が、こんなに簡単に消費されていいのだろうか。そう思わなくもないが、決して「簡単」な事柄ばかりではなく、むしろ雪男の歩んできた道、これから歩む道を考えれば困難なことしか転がっていないだろう。
 それは主に兄に関することで。
 そう昔の(それもどれくらい前のとははっきり言えない)雪男なら思っていたかもしれない。けれどそれは違う。今はようやく、これは双子の兄だけの問題ではなく、雪男自身も当事者なのだと受け入れることができるようになっていた。それは同じ血を引いているため、そのうち兄と同じような能力を持ち悪魔として目覚めてしまうかもしれない、その可能性がある、というような意味ではない。(その可能性も否定はできないが。)そういう意味で「当事者」なのではなく、もっと単純に、ただただ雪男が燐の双子の弟であるという事実に基づくもの。
 双子の兄が青焔魔の炎を操る悪魔です、でもそれは双子の兄のことで僕のことではありません。
 そう言ったところで雪男が彼の双子の弟であることに違いはない。その点はどう足掻いても否定できない。もはや生まれたときから「当事者」であったのだ。雪男の人生に障害が多い(とそのように感じられる)理由は兄のせいでは決してない。それが雪男の人生だから。それだけのこと。
 兄が、兄の、兄は、と燐に関することばかり主語にして歩んでいたつもりだったけれど、その実ふたを開けてみれば、自分が、自分の、自分は、と己のことばかりだった。都合良く責任を押しつけやすい存在がそばにいたものだから、無意識的にそうしていただけだったのだ。
 己の弱さやずるさ、卑屈さを分かっているつもりで、認めきれていなかった。今もすべて自覚しているとは言い切れない。訓練や実戦を積むことで祓魔技術、能力については向上しているはずだが、中身が弱い。雪男は弱いままだ。とてもではないが、兄のように強くはなれない。高校時代はその強さをひたすら求めていたような気もするが、今となっては方向性自体が間違っていたのではないか、と思いさえする。そう、己が間違っていたとを認めることもまた、とても難しい。そこに必要なのは強さというよりも柔らかさ、なのかもしれない。その点、兄は柔らかかった。頭の中身も心も、弟とは正反対の柔らかさを持っていた。

 正十字学園高等部を卒業し、双子の兄である燐は正式に祓魔師として活動し始めた。騎士の称号を得て在学中も任務には行っていたが、彼の立場はずっと微妙なまま。長い試用期間を経て、ようやくひとりの祓魔師として任務を割り振られるようになったのだ。それでもまだ時折監視の目はあるらしい。らしい、というのは既に雪男は燐の監視役から外されているため、人づてに聞くほか任務中の兄の様子を知る術がないのである。ただひどい話を聞いたことはないため、それなりに周囲とうまく折り合いをつけ、頑張っているのだと思う。
 雪男のほうは正十字学園に連なる大学に籍を置き、学生と祓魔師、二足の草鞋を履いている状態だ。今は燐よりも任務に赴く機会は少ないだろう。なんとなく、なし崩し的に卒業後も一つの部屋を借りて一緒に住んではいるが、顔を合わせる時間はあまり多くはなかった。といってもまったくないわけではなく、会話はするし時間があえば一緒に食事だって取る。険悪な関係というわけでは決してない。少なくとも、学生時代に比べればまだ兄とは良好な関係を築けているだろう。もともと高校時代は雪男のほうが兄を拒絶していたことが多かったため、そこを改めさえすれば燐の態度は驚くほど軟化した。兄は兄、自分は自分、けれど双子の兄弟であることからは逃れられない。自明の理を受け入れることがとても難しかったのだ。結局雪男が前に進むには、理解と諦めを繰り返すほかなかった。

「その任務に僕も、ですか……?」

 未だ雪男は学生という身分ではあるが、成人を控えた今、上司の前での一人称は「私」を使うべきなのでは、と思う。しかし、小さな頃から知っている(知られている)相手に対して急にそうしたところで、からかわれることが目に見えているためこの悪魔の前では敢えて「僕」を通していた。そんな小さなところを気にして意地を張っているのも、ひどく馬鹿らしいとは思う。
 雪男の問いかけに、正面に座っている悪魔、日本支部支部長メフィスト・フェレスがええ、と頷いた。

「あなたに陰でしてもらいたいことがあるわけではないんですよ。あなたはただその任務に顔を出すだけでいい」

 本来祓魔師の任務は、祓魔活動を一括して取り仕切る部署によって各個人へ割り振られるものだ。燐や雪男はある意味特殊な立ち位置にいるため、支部長直々に言い渡されることもあったが、そう多いものではない。また何か、厄介な案件でも押しつけようとしているのだろう。そう思うとどうしたって眉間にしわが寄る。そもそも「顔を出すだけでいい」とはどういう意味か。祓魔活動に参加する必要はない、と暗に言っているのだろうか。
 渋面を作る雪男を見やり、メフィストはさも面白そうに口元を歪めた。そして雪男から拒否という選択を排除する、もっとも効果的な一言を口にする。

「あなたのお兄さんも参加する任務ですよ」

 燐は燐、自分は自分。きっぱりとそこを区別したところで、双子の兄弟であるという事実はなくならない。悪魔の思い通りになっていることはひどく納得いかないが、分かりましたお受けします、という返答以外、雪男が返せる言葉はなかった。




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2016.07.20