柔らかな心臓・4


「若輩な私が口を挟むのはおこがましいですが、あなたの指揮には問題があると言わざるを得ません。報告は上げさせていただきます」

 どこか気まずそうな新人祓魔師たちの視線を無視し、雪男は天野をまっすぐに睨みつけてそう言葉を放つ。しかしほかのものたちより経験を積んでいるとはいえ、この男からすれば雪男だってまだひよっこのうちに含められるのだろう。ふん、と鼻で笑い、「どこに問題があったんだ?」とふてぶてしい態度を崩さない。

「奥村燐ひとりに危険な役を任せてしまったことは申し訳なく思っている、しかしもともとは彼のほうから言い出したことだ。私に責任はない」

 まるで燐が勝手に囮になったとでも言いたげな口調だ。さすがに殴ってもいいのではないだろうか、と雪男の眉間のしわが深くなったところで、「でも、」と口を挟むものがあった。

「最初に現れた悪魔、緑男たちを凶暴化させたのは、あんたや」

 証拠、あがってんねんで、と志摩が掲げて見せたのは、なんらかの薬品が入っていたのであろう、茶色の小瓶。薬品をかけるだけではあそこまでの作用を引き起こすことは難しそうだ、探せば近くに術式を展開させた痕が残っているかもしれない。
 志摩の指摘に一瞬だけ怯んだ様子を見せたが、しかし天野は、「私がやったという証拠でもあるのか」とあくまでも無関係を装おうつもりのようだった。確かに術式の痕や小瓶だけでは、天野が関係しているとは言い切れない。それは今後の調査で分かるはずだ。後ろ暗いことがなければ調査を受けても平気だろう、そう挑発しようとしたところで、「残念ながらあるんですよね、これが」とまた別の声が割り込んできた。
 ぽふん、と雪男たちには馴染みのある(正直あまり馴染みたくはない)白い煙が立ち上り、その中から姿を現したのは我らが日本支部支部長、名誉騎士のメフィスト・フェレス。
 彼がぴん、と指を弾けば、空中より沸いて出た写真が周囲に散らばり落ちた。

「こ、これは……っ」

 どこかの研究施設を写したもののようだ。わざわざアウトプットしてもってきたらしい。フラスコやビーカーといった、見慣れた器具を手に実験をしているものが写り込んでいる。その研究員たちと真剣な表情で話をしている男の姿も。

「先ほど奥村ツインズが討伐したあのゴーレム。あれも、あなたが、いえ、あなたがたの組織が作りだしたものですね?」

 ゴーレムも緑男も、本来は戦うことを好まず、ひっそりと生きる悪魔である。ひとと関わりを持てば危害を加えるより先に興味を抱き、警戒心なく懐いてしまう。こちらが悪意を持って接しない限り、牙を剥くことはほとんどない。その性質は草食動物が肉を食べないのと同じレベルで語られるものである。

「そんな悪魔に敵意を無理矢理植え付けるだなんて、ずいぶんなことをしでかしてくれました」

 それは手騎士のように悪魔と契約を結んで力になってもらうような、そんな技術ではない。無作為にひとを襲う悪魔を、悪魔からひとを守るべき立場にいる祓魔師たちが作りあげたということなのだ。

「じゃあ、あの緑男も、ゴーレムも、」
「ええ、本来なら、祓魔対象にはあがらない、大人しい子たちのはずですよ」

 力なく呟かれた燐の言葉に、メフィストはそう答えた。やっぱり、という兄の声が、雪男の鼓膜を震わせる。

「俺、なんも悪いことしてねぇやつらを、殺しちまったんだな……」

 広げた両手を見下ろして紡がれた言葉が、おそらく、今この場にいる祓魔師全員の心を貫いた。
 ごめん、と。
 絞り出すかのような声で謝罪を紡いだ彼は、真っ青な瞳をゴーレムの残骸へ向ける。
 ごめん。ごめんなさい。
 謝ることで何かが起きるわけではない。それは謝る側の自己満足でしかない。けれど、言葉にせずにはいられないのだ。
 はら、はらり、と真っ青な目から透明な雫を零し、同族殺しの名を背負う悪魔が、謝罪を紡ぐ。

「ごめんな」

 土埃で汚れた頬を伝う涙はきっと、この世界で一番綺麗なものだ。
 叫ぶでもなく喚くでもなく、ただ静かに、己の罪を悔いて泣く。もしかしたら燐自身は、自分が泣いていることに気がついていないのかもしれない。しかしその姿はあまりにも純粋で儚く、誰もが言葉を発することを忘れ、見入ってしまっていた。
 綺麗、なのだ。
 悪魔で、青焔魔の炎を操るけれども、奥村雪男の双子の兄は、どこまでもまっすぐで、何にも汚されることのない柔らかな心を持っている。そのことを目の当たりにすれば、誰もが思わずにはいられない。
 ああこのひとは、なんて綺麗なのだろうか、と。
 そんな燐の泣き顔を他人見せるなどもったいない。彼らにはこのひとの綺麗な部分を見る価値などない。
 みなの視線を遮るように雪男は身体を移動させ、兄のそばに寄り添った。

「若い祓魔師たちは悪魔に対する敵愾心が足りない、それが彼の属する団体の主張です。この茶番もそれ故のこと。あなたたち若い祓魔師から悪魔に対する情けを排除することが目的。そのために、本来は大人しいとされている悪魔をあえて凶暴化させ、あなたがたの目に焼き付けた。そのために、悪魔である奥村燐を囮として使い、彼ごと攻撃する罪悪感を薄れさせようとした。これだけ聞くとまるで彼らのほうこそ、悪魔のような所行ではないですか」

 にまにまと、いつものように嫌みたらしい笑みを浮かべたまま、メフィストは祓魔師たちに向かって言葉を紡ぐ。

「人間と悪魔は確かに大きく異なる存在です。ですが、害をなすものとなさないものがいるという点ではまったく同じだと、賢明なあなたがたはもう分かっているはずだ。
 もちろん、あなたたちが何を思い、何を信じるかは自由。思想言論の自由は確保されてしかるべきです。ただ、一つだけ私から申し上げるとすれば、」
 あの青い瞳の悪魔は何を見つめ、何を思って泣いているのでしょうねぇ?




 天野はメフィストの手によって本部へと連行され、ほかの祓魔師たちは志摩が引き連れて退散してくれた。今後の指示は連絡を待てば良いのだろうが、おそらく今日はもうこれ以上任務につくことはないはずだ。
 兄さん、と雪男は燐を呼ぶ。ごめん、と小さく謝罪しながら泣く兄の肩へそっと手を置いた。
 なんと言葉をかければよいのかが、分からない。
 天野が確保され、彼の属していた団体も調べられるだろう。解散させられるのは目に見えているが、だからといって今後二度とこのようなことが起こらないとは言い切れない。天野が抱いていた思想は、何も特殊なものではないからだ。彼ほど極端ではないにしろ、近い考えを持っている祓魔師は五万といる。
 安易な慰めは意味がない。だからといって燐をこのままひとりにしておくこともできない。
 兄さん、ともう一度口にし、迷った末雪男は燐の背中へ腕を伸ばした。彼の正面に立ち、その身体を自分のほうへと引き寄せる。

「ゆきお」

 見上げてくる青い瞳は涙に濡れ、やっぱり綺麗だ、とそう思った。
 双子の兄を抱きしめる、だなんて、十九年生きてきて一度でもしたことがあるだろうか。小さな頃はしていた、あるいはされていたかもしれないが、年齢が上がるにつれこうした接触はしなくなっていた。当然だ、それが家族、男兄弟というものだろう。
 けれど、今の雪男はこうする方法しか思いつかない。
 おそるおそる腕を回し、手のひらで後頭部を支え、燐の頭を己の胸へと抱き込む。少し驚いたような反応をした兄だったが、弟が懸命に慰めようとしていることを分かってくれたのだろう。すぐに肩から力を抜き、雪男の胸に身体を預けてきた。
 ぽん、とその背中を撫でる。俯いている燐の表情は見えないが、少しでも穏やかになっていればいい。ぽん、ぽん、と子どもをあやすように何度も背中を撫でてやりながら、雪男は「大丈夫」と尖った耳へ言葉を吹き込んだ。

「大丈夫、大丈夫だよ、兄さん」
 僕はずっと、何があっても、兄さんの、そばにいる。

 彼の綺麗で柔らかな心臓を守るためには、こうして己の腕で抱き込むくらいしか雪男にはできない。
 小さく震えた燐がややあって雪男のコートにしがみついてくる感触があった。あるいはその腕は、たったひとりの家族にすがりついていたのかもしれない。
 震える身体とコートを握る手の力の弱さに彼の痛みを知り、ただただ雪男はぎゅうと強く、兄を抱きしめた。




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2016.07.20
















まだ付き合ってない兄弟でした。

Pixivより。