A master of my own・3


 そもそもが決して知られてはならぬことばかりさせているため、彼らは気配を消すことにかけても一流だ。深く探ったところでなかなか悟ることができないそれらが遠ざかったことを確認して、スティーブンはふぅ、と息をひとつ吐き出した。さほど骨の折れる「仕事」ではなかったが、終わったことに安堵を覚える。それもスティーブンが想定していたなかで、最高の結果を叩き出すことができていた。ここまでうまくいくとは、正直考えていなかったのだ。
 もちろん、失敗したらしたで打つ手は用意してあった。そのことはレオナルドにも伝えてはあったのだけれど。
 そう思いながら振り返れば、イスに腰掛けていたはずの少年は、なぜか石畳の上で土下座をしていた。

「レ、レオ……?」

 驚きに目を見開いて呼んだ名前は、「さーせんっしたぁあっ!」という謝罪にかき消される。

「ほんと、すんません、ごめんなさいっ! 怒らないで、血凍道は勘弁してください……っ!」

 僕まだ凍りたくないですぅ、と涙声で連ねられる言葉に、苦笑を零さざるを得ない。必死に頭を下げる少年のそばに膝をつき、ぽん、と柔らかな頭へ手を乗せた。

「君は作戦通りのことをしただけだろ。何で僕が怒るって思うんだ」

 そう、すべては事前に取り決めてあったこと。あの女をただ動揺させるためだけに打った芝居なのだ。
 女には呪術がかけられている。それは感情の起伏をひどく平坦にするかわりに、彼女へ届く攻撃をすべからく防ぐ、という護身のための術だ。それをとく鍵は、被術者の心を大きく揺さぶる、というもの。そもそも感情の起伏が平坦になっているものを、どうして動揺させたら良いというのか。彼女曰く、「目の前で愛するひとを解体されたら驚くくらいはするかもね」とのことだったが、心がほとんど動かない彼女にとって「愛するひと」というものが存在しなかった。

「びっくりさせたらとけるって、しゃっくりか何かですか」

 厄介な術も、レオナルドのフィルタにかかればそのように表現されるらしい。小さく笑って「後ろからおどかしてみるくらいじゃ駄目だろうなぁ」と答える。
 その呪術も含め、彼女の知る情報はスティーブンにとって、ひいてはライブラにとって有益であるものだ、と副官はあたりをつけた。しかし必ず必要というほどではなく、だからこそ深入りする前に手を引いたのだが、逆に彼女のほうが深入りをしてきてしまったのだ。その結果、スティーブンではなく、親しくしているレオナルドがターゲットとして捕捉された。
 先にその情報を仕入れたスティーブンは、恋人の身を守るためにしばらくは一緒に行動してもらいたい、と伝えたが、それを逆に利用できないか、と提案してきたのはレオナルドのほうだった。彼もまたずいぶんとライブラという組織に慣れてきたものだ、と思ったが、どちらかといえばその発想はライブラのというよりスティーブンのそれに近いのかもしれない。

「だって、どうせスティーブンさんが助けてくれるでしょう? だったら駄目元で、そのひとをびっくりさせる何かをしてみません?」

 どうせ、という言葉に少年の心情がこれでもか、というほど表れている。
 彼は身を以て、心の底から理解しているのだ、年上の男がなりふり構わず自分に惚れているということを。
 狂気じみた執着を向けてきているのだ、ということを。
 そこにあるのは絶対的な信頼、そして自信と傲慢さ。
 少年はそのことに気が付いていない。気が付いていないからこそ、まるでそれが当たり前であるかのように笑っていられる。
 ようやく、だ。
 ようやく彼からそこまでの感情を向けてもらえるようになった。
 そのことをひっそり悦んでいたときに、今回の芝居を思いついたのだ。
 その傲慢さをレオナルドに気づかれぬようにもっと引き出してやろう、と。
 スティーブンの提案に、当然レオナルドは難色を示した。そんな芝居はできない、無理です、驚くどころか笑われるわ、と散々嫌がった。

「でもほら、折角やるなら、かなり『意外な』ことをしないとね」
 ライブラの副官、氷の男スティーブン・A・スターフェイズが、一介の少年に傅いているだなんて、相当のゴシップだと思うけど?
 ライブラの渉外担当でもある男の口に、レオナルドが敵うはずもない。
 結局うまく言いくるめられ、失敗しても構わないという体で行われたのが、今女の前で展開された光景だった。普段部下として従えている存在にあやされたからといって、そういう作戦だったのだからスティーブンが怒りを覚えるはずがない。むしろ「よくやった」と誉めようと思っていたくらいだというのに。
 ほら顔上げて、と床にキスをしそうな勢いの恋人の頭を上向かせる。どのような状況であろうと、彼の唇はスティーブンのものだ。床になどくれてやるものか。
 じんわりと涙まで浮かべている様子のレオナルドを前に、スティーブンはますます苦笑を深めた。これが先ほどまで嫣然と微笑んでいた少年と同一だとは、とてもではないが思えない。

「すごくうまくいった。レオのおかげだよ、ありがとう」

 しゃがみこんだまま、レオナルドの額へキスを落とす。見上げていた少年は、驚いたように目をわずかに開いたあと、頬を赤らめてふにゃん、と嬉しそうに笑った。
 彼はとても不思議な人間だ。妹がいるせいか面倒見がよく「兄」の顔をみせることもあれば、ザップと一緒にいるときのように存外口が悪く男気に溢れている面もみせる。圧倒的な力を前にびくびくと脅えていたかと思えば、次の瞬間には腹をくくって立ち上がる度胸をみせる。かと思えば年上の恋人の前でかわいらしく照れる顔も持っている。

「名演技だったよ、オスカーくらい狙えるんじゃない?」
「冗談やめてくださいって……全力で頬が引きつってた自覚、ありますもん」

 スティーブンに従う存在ではなく、その逆の立場を演じるのはレオナルドの神経をずいぶんすり減らしたらしい。もう二度としません、と少しげっそりとした表情で彼は呟いている。
 ひとによって見せる表情を変えるというのは自然なことではあろうが、レオナルドという少年にはそのギャップが凄まじい部分がある。だから見ていて飽きないのかもしれない。今日もまた、新しい彼の一面を見ることができ、スティーブンはひどく機嫌が良かった。

「それは残念だな、さっきの君はとても色っぽかったのに」
「色っぽい? そんなことあるわけないじゃないっすか」
 どーせちんちくりんの糸目チビですからね。

 自分の容姿を卑下する言葉は、よく一緒にいる男から浴びせられているものをそのままなぞっているに過ぎない。イケメン爆発しろ、と恨み節をぶつけていることはあるが、少年自身、さほど自分の容姿に対しコンプレックスを抱いている様子は見られなかった。(もう少し背丈は欲しいと嘆いてはいるが。)だからこそ、ひどい罵声をぶつけてくる男とも決裂せずにつきあっていけているのだろう。
 つくづく不思議な存在だ。
 だからこそ多くのひとの視線を引きつけているのだ、ときっと本人は知らないままでいる。
 分かってないなぁ、と思わず零した呟きが、少年の耳に届いたらしい。スティーブンを見上げ彼は小さく首を傾げていた。
 怪訝そうな顔のレオナルドへ手を差し伸べ、立ち上がらせる。ぽふぽふと、服を汚す埃を叩いているが、そもそもあちこちが裂けており、靴すら履いていない状態だ。
 そんな少年を見下ろしふむ、と頷いたスティーブンは、す、と長い足を折り曲げ彼の前に跪いた。突然の行動に、ぎょっとレオナルドが驚くのが感じ取れる。
 何してんすか、という言葉を無視して、頭を垂れ少年の足を見つめた。

「レオナルド、僕の主。君を抱き上げて唇にキスをしたい」
 どうか許可を。

 足へのキス以外の接触は、主の許可がなければ許されない。
 俯く頭に向かって、レオナルドが慌てたように「止めてくださいよ」と言葉を落としていた。もう終わったでしょう、そんなことしないでください、何がしたいんですか。文句と懇願の混ざったそれらを、スティーブンはすべて聞き流す。欲しいのはそういう言葉ではない。ただ一言。
 許可を。
 どうあっても男が頭を上げる様子がないとようやく悟ったのか、「もう……」と呆れたような言葉とため息が降ってきた。あとで怒らないでくださいよ、とぶつぶつ呟きながらも、少年の手のひらがそっとスティーブンの頭の上に置かれる。
 するり、と滑る指先。耳朶から刻まれた傷跡をなぞり、頬を撫でて顎を掬う。促されるまま顔を上げれば、うっすらと義眼を開いたレオナルドがスティーブンを見下ろしていた。

「僕の可愛いスティーヴィー」

 先ほどと同じ甘い呼びかけ、それは作戦が成功したという合図として取り決めていたもの。
 口元を緩め微笑んだ少年は、もたれかかるように男の首筋へと両腕を伸ばす。そうして耳元でそっと囁くのだ。

「いつまで、僕を素足で立たせておくつもりです?」

 ついさきほどまで涙目で土下座をしていたくせに、まるでぱちりとスイッチが切り替わったかのよう。
 甘く妖しくひとを誘い、惑わして従わせ、逆らうことを許さない。
 もし仮に、彼がこの顔を自在に使いこなすことができるようになれば、それはきっと大きな武器になるだろう。
 けれど今しばらくは、こうして彼に惑わされ縛られるのは己だけでいい。

イエス(仰せのままに)マイロード(我が主)

 口元を歪めて答えたたったひとりの従者は小さな主の身体を抱き上げ、柔らかな唇へキスをした。




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2016.07.20
















おじさんを従える少年を書きたかった。

Pixivより。