溶けない感情・8 いろいろご迷惑おかけしました。 殊勝な顔をしてぺこり、と頭を下げる。そんな少年の癖毛を見下ろし、ザップ・レンフロは眉間にしわを寄せ、どこか腑に落ちない顔をしたまま「おう」と答えた。 「昼飯の一回や二回じゃ到底まかないきれねぇからな」 「一回や二回くらいなら覚悟してますけど、それ以上はねぇですから!」 普段あんたにかけられてる迷惑分でチャラだよ、と噛みつく後輩の頭をザップは手を広げがしり、と掴んだ。返される言葉も反応も今までと何ら変わりはない。最後に見かけた少年の痛々しい姿が嘘のようだ。 「うるせぇ、くそ陰毛。ザップさまに感謝しやがれっつーんだ」 実際ザップが訪れなければ、レオナルドは最悪自宅のシャワールームで命を落としていたのかもしれなかった。義眼を暴走させたまま冷水を浴び続け、無事でいられるはずがない。 「つーか、おめー、出てきたってことはもう大丈夫なんだろ? その包帯はなんだよ」 ザップが少年を病院に運んだのが五日ほど前のこと。しばらく姿を見せなかった彼が、今日出勤してみれば「はよーございまーす」とライブラの事務所に何食わぬ顔でいたのだ。その両目を真っ白い包帯で覆ったまま。 「や、これ、まだちょっと本調子じゃなくて」 いつ暴走するか分からないんです。 だから包帯(おそらくは封呪術式が施されているのだろう)で覆っているのだ、とレオナルドは何でもないことのようにさらりと答えた。眉を寄せたまま「いつ外れるんだよ」という問いには、「諱名を読みとるときには外します」と返ってくる。 「……つかそれ、お前……」 少年はひどく当たり前のことのように、なんの問題もないかのように話しているが、ザップにはいまいち理解しきれない状態だ。義眼の暴走を抑えるため、包帯で眼を覆っている。イコール、少年の視力も奪われているのではないだろうか。 「どうやって生活するんだよ」 普段からボンクラクズという呼び名の高い先輩の割に、ひどく真っ当で、常識的な心配である。そして非常に珍しいことに、今回は受け答える非戦闘員の後輩の回答のほうが非常識的なものであった。 大丈夫ですよ、と今までと変わりない、へらりとした気の抜けた笑みを(口元だけで)浮かべながらレオナルドは言う。 「かってくれるそうなんで」 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。考え込んだその隙をつくように、「レオ」と少年を呼ぶ声が響く。行くぞ、と出かけようとする副官の元へ、レオナルドはぱたぱたと走り寄っていった。その後ろ姿を見やり何かに似ているなと思う。考えてすぐに、名を呼ばれた犬のようなのだ、と思い至った。 まっすぐスティーブンの元へ向かったこと、ソファやテーブルにつまずく様子がないことから、完全に何も見えていないというわけではなさそうだ。しかし、やはり遮蔽物のせいで普段ほどの視界は確保できていないらしい。ぶつかりかけたレオナルドの身体を、スティーブンが腕を伸ばして抱き留めている。 ちらり、と。レオナルドを抱き込んだままザップのほうへ視線を向けた男は、意味ありげに目を細めてみせた。 その笑みを前に、唐突に気がつく。 『 思わず後輩の名前を呼んでいた。 なんですか、と足を止めて振り返る彼へ、なんと言葉をかければよいのか。その肩へ手をおく男の視線も正直痛い。下手なことを言えばザップ自身どころか、部屋全体が氷漬けになってしまうかもしれない。 そう思うものの、けれど一度開いた口は止まりそうもなかった。 「お前は、本当にそれでいいのか」 ふたりの関係が結局どうなったのか、ザップには分からない。 けれどこの状態が、レオナルドにとって納得のいくものなのか。 身体は小さいといえど、彼だって自分の意志を持つ諦めと底意地の悪い男だ。幼子を相手にするかのように、その行く末を心配してやる義理などザップにはかけらもない。興味もない。 それでも、そう尋ねずにはいられなかった。 先輩からの問いかけに、レオナルドはわずかな沈黙のあと、「どうしてですか?」と首を傾げてみせる。 「だって、僕がそうしてほしいって言ったんですから」 もちろんこれでいいに決まってるじゃないですか。 ふわりと。 レオナルドは心底嬉しそうに、無邪気な笑みを浮かべた。 顔面の上三分の一は包帯で覆われているため、特徴的な糸目は拝めない。けれど、その白さの向こう側。毒々しいほどの青を放つ義眼が、ぼんやりと光を放ったかのようなそんな気がして、ザップはぞっと背を震わせた。 結局のところ、壊れているのは誰で狂っているのは誰で、捕らわれているのは誰なのか。 本人たちすらも把握できていない。むしろどうでもいい事柄でしかない。 互いを繋ぐ、溶けない感情さえあれば、それでいい。 ←7へ ↑トップへ 2016.07.20
病みナルドが書きたかった。 Pixivより。 |