ジェラシーギャップ・後


 君たちは本当に仲が良いのだな。
 バイトに遅刻するだとかなんだとか、ばたばたと騒がしくレオナルドが執務室を飛び出し、その扉が閉まると同時に、ぽつりと紡がれた言葉。やかましい少年がバイトに出てしまえば、この部屋には待機中のザップと、事務仕事を片づけているらしいリーダ、クラウスしか残っていなかった。いつも彼につき従っている包帯姿の有能執事は買い出しに出かけている。
 別段珍しくもなんともない状況ではあるが、放たれたその意味を理解するのに少しばかり時間がかかった。ああ? とソファに背を預けたままザップはリーダのほうへと視線を向ける。
 小さなモニタ(やっぱりクラウスの前ではどんなものでも小さなものに見えてしまう)から顔を上げ、ザップを見やった彼は、「君とレオナルドのことだ」と言葉を補足した。
 いや、それは、分かる。それくらいは分かる。そうではなく、どうしてわざわざそのようなことを、クラウスが口にしたのか、が分からない。
 真面目すぎるほど真面目で頑固で愚直なリーダは、結社の構成員たちを大切にし、そしてその意志を尊重する。ひとりひとりを認め、敬意を表するのだ。そういうひとだから、人間関係について何らかの口出しをすることなど極めて稀である。
 ひどく珍しい台詞を聞いたのではないだろうか。

 実のところ、最近クラウスからの視線を感じていたのは確かだ。それはレオナルドとふざけているとき、ゲームをしているとき、しゃべっているときであったため、あの少年を見ていたのだろう。自分たちの様子を見ながら、このリーダはずっとそんなことを思っていたというのか。
 ぼんやりとそんなことを考えている間に、ザップからの返答がないことをどう受け取ったのか、「誤解を、しないでもらいたいのだが」とクラウスが言葉を続けた。どこか困ったような雰囲気を醸し出している。口が下手というわけではないが、かの副官ほどぺらぺらと言葉を紡げるタイプでもない。嘘はつけず、ひとを騙すことも不得手。交渉ごとにはとんと向かない上司であるが、いったい何を言いたいのか。
 眉間にしわを寄せたままザップは男の言葉を待つ。

「私は個人の趣味嗜好に偏見を持っているわけではない。相手が誰であれ、愛する気持ちというものは純粋で尊いものだ。お互いを想い合う絆は素晴らしいと思う」
「……旦那、頼むから俺に分かるようしゃべってくれぃ」

 言っている言葉を理解することはできるのだが、何を言いたいのかがさっぱり分からない。お手上げ、とジェスチャーで示してそう求めれば、むぅ、とリーダは口ごもって眉を下げた。大きな図体で小動物のような反応をされても困るのはこちらのほうだ。別に今更どんなことを言われようと、少々のことでは腹を立てたりはしない。何か聞きたいこと、言いたいことがあればさっさと聞いてくれ、と促してようやく、クラウスが口を開いた。

「ザップ、君は、レオナルドと、その、」
 恋人としてのつきあいがあるのだろうか。

 たぶん。なんとなく。
 そういうことが聞きたいのだろうな、ということは、分かっていた。分かっていて、とぼけていたのだ。
 もちろん誓ってあの少年とそういう関係ではない。古代文字を勉強するのだ、と分厚い本を広げていた少年にちょっかいを出し、口汚く罵られ、腹が立ったので後頭部に蹴りを入れてやり、ソファの上で取っ組み合いの喧嘩になり、血法でぐるぐる巻きにして放置し、というやりとりを見て、恋愛的な何かがあると感じるものはいないのではないだろうか。クラウス以外は。
 副官がいればやかましい、と氷の視線と言葉(ときには氷そのもの)が突き刺さったかもしれないが、今日はいなかったため脅える必要もなく、騒ぐだけ騒いで、俺の昼飯代を稼いでこい、とレオナルドをバイトへ追い出した。殴る蹴る、抱き込む押さえつける、触れる機会は多いのかもしれないが、ザップの認識ではいつもと何ら変わりはない。
 珍しい、本当に珍しい。
 クラウスが色恋について口にすることも珍しいし、部下の人間関係について尋ねてくることもまたレアな状況だ。視線を向けてくる以上のそぶりを見せたことがなかったというのに、口にせずにはいられないほど、なのだろうか。
 クラウスにとって、レオナルド・ウォッチという少年は。
 露骨に眉を顰め、舌打ちを零す。びくり、とリーダがその大きな身体を震わせたのが分かった。彼はあの厳つい顔に似合わず、胃痛持ちの小心者である。それも自分のことではなく、守ると決めた人々のことについて、いつも胃をキリキリと痛ませて悩んでいるのだ。
 ほかのメンツからは(普段の行いのせいで)ゴミクズのように扱われ、罵詈雑言も日常茶飯事であるのだけれど、クラウスだけは違う。彼はザップがどのようなことをしても(説教はあれど)ひとりの人間としてきちんと扱ってくれた。だから、己の言葉で傷つけはしまいか、不快にさせはしまいか、と言葉を探してくれたのだろう。
 あからさまに不機嫌になったザップに気がつき、今も慌てたように立ち上がっていた。

「すまない、その、君たちのプライベートを詮索するつもりはないのだ」
 ただ少し、気になって。

 どうして気になるのか、何が彼の心を乱すというのか。
 いらいらむかむかと、ささくれ立つ気分のまま、「そうだ、っつったら?」とザップは低い声で返した。

「俺とレオがつきあってたらどうだっつーの? なんか都合でも悪ぃ?」
「い、いや別にそういうわけでは……っ」
「だったらどっちでもいいじゃねぇか。つーかどーでもいいじゃん」

 突き放すようにそう言い、ザップはソファから腰を上げた。ザップ、と呼び止める声を無視し、出入り口へと足を向ける。

「俺とレオのことだろ、旦那にゃ関係ねぇよ」

 ちらりと振り返って吐き捨て、むしゃくしゃする気分のまま乱暴に扉を開けて部屋を出た。わずかに視界に入ったクラウスが見るからにしょんぼりとしていたことに気づいてはいたが(そして少しかわいそうな気もしたけれど)、フォローを入れてやれるほどの余裕がない。どうしてこんなにもいらいらしてしまうのか、ザップ自身にもよく分かっていないのだ。
 ちっ、ともう一度大きく舌打ちをし、取り出したタバコを咥えたところで目に入った姿に、「げっ」と思わず声が零れてしまった。

「ずいぶんな挨拶だなぁ、ザップ?」

 両手をスラックスのポケットにつっこみ、目を細めたスカーフェイスがそこにいる。どうやらちょうど出先から戻ってきたところだったらしい。たった今、上司に誉められない応答をして出てきたところだ。クラウスに対し過保護な面のあるこの男に知られたら、どんな嫌みを繰り出されるか分かったものではない。す、と視線を逸らし、別に何もねっすけど、と足を踏み出しかけたところで、「お前はどっちに嫉妬してるんだ?」とそう尋ねられた。眉間にしわを寄せ、番頭を睨む。言葉の意味が分からない。

「だから、嫉妬。お前がいらいらしてるの、そのせいだろう?」

 確かに。ザップの今の心境を聞かれたら、苛立っていると答える。それは否定できない。だからこそ、クラウスにあのような態度を取って出てきたのだ。
 けれど、その原因が嫉妬、だなんて。
 険しい表情のまま黙り込んでしまったザップへ、「お前は、」とスカーフェイスはさらに問いを重ねる。

「レオと仲のいいクラウスを羨ましがってるのか? それとも、」
 クラウスと仲のいいレオを羨ましがってるのか。

 羨ましがっている。自分がその立場になれないからこそ、羨ましく思い、苛立ちを覚える。それこそつまりは、「嫉妬」と呼ばれる感情で。
 レオに慕われているクラウスに?
 クラウスは誰にでも慕われているような男だ。レオ以外にも彼を慕うものは多くいる。その様をザップは何度も目にしてきている。そしてレオが懐いている相手は何もクラウスだけではない。弟弟子であるツェッドや、目の前にいる番頭にだってそれなりに気を砕いており、その様子だってもう何度も目にしてきているのだ。そのときに今と同じような苛立ちを覚えたことが一度でもあっただろうか。
 クラウスに気にかけてもらっているレオに?
 レオ、レオナルド・ウォッチ。最近結社入りしたほぼ一般人。双孔に収まる青い瞳だけでなく、どこかクラウスに似た実直さと不器用さを持つ少年。戦う術を持たない彼を、優しいリーダが気にかけるのは当然。当然なのだけれども。
 (働くことの少ない)脳の中でゆっくりとその言葉を繰り返し、かみ砕いて理解できるレベルまで落とし込み、そうして余すところなくその意味を認識し、ザップは目を見開いて絶句した。

 嫉妬! まさか、このザップさまが!
 ようやく己の心情(の末端)に触れたらしい男を前に、副官はやれやれ、と呆れた表情を隠すこともせずにため息を零す。

「自分の気持ちも分からないまま、うちのボスとマスコットに八つ当たりをするのは止めてくれ」

 愕然としている男へ、スティーブンは非情にも追い打ちをかける。少し、待ってほしい。こちらはまだ、自分の感情を整理するので精一杯なのだ。あ、俺って嫉妬してたんすね、クラウスに心配してもらえてるレオが羨ましかったんですね、だなんてそう簡単に認めることのできない感情だ。
 すんません番頭ちょっと黙って、と懇願する前に、「マスコットってのは、」と別の声が響いた。

「僕のことじゃないっすよね?」

 スティーブンの後ろからひょこん、と顔を出したのは、つい先ほどバイトに遅れる、と出て行った少年、レオナルド・ウォッチである。どうしてこいつがここにいるのか。バイトはどうしたバイトは。混乱している中に混乱を重ねようとするだなんて、この陰毛はいったいザップにどんな恨みを抱いているというのか。(というような思考をレオナルドが知ったら、「あんたへの感情は八割恨みしかねーよっ!」と怒鳴りそうである。)

「バイト先が区画くじに巻き込まれたみたいで、明後日まで休みになりました」

 ああそうですか、そりゃ残念ですね、でもおめー最近働きづめだからちっとは休んでもいいんじゃね?
 脳のキャパシティを越えそうなザップを労ってくれるような、心優しいものはこの場にはいない。「ちなみに、ザップ」とスカーフェイスの男が、いつもの何を考えているのか分からない笑みを浮かべて呼びかけてきた。

「もしお前の感情が前者である場合はまあ、諦めてもらうことになるから」

 そこはよろしく、と続けられ、ザップは「は?」と間の抜けた顔で、間の抜けた返事を零すほかなかった。
 前者、ということは、レオではなく、クラウスに嫉妬をしているパターン。その場合、ザップが好き(「嫉妬」をするのだから相手のことを好きだと思っている、そういうことだ)なのは、クラウスではなく、レオ。

「へ? そ、れ、どーゆー?」
「ん? だから、こういうこと」

 言うやいなや、スティーブンは背後にいた少年を引き寄せ、その身体を抱き込んで唇を合わせた。

「ッ!?」
「んぅっ!?」

 驚きで息を呑んだザップだったが、仕掛けられたレオナルドのほうもまた、真っ青な瞳を大きく開いてザップ以上に驚いているようだ。それもそうだろう、正直、今まで彼らがそういう関係だと、ザップはまるで気がついていなかった。それはふたりが隠していたということで、見せつけるように同僚の前でキスをされるだなんて、思ってもいなかったのだろう。
 たっぷりと恋人(だと思う)の唇を味わった(たぶん舌までは入れていない、と思いたい)男は、満足げな笑みを浮かべている。真っ赤な顔で言葉を失っているレオナルドを逃がさないよう抱き込んだまま、「ってことだから、」となぜかザップからは視線を外し、さらに奥へ顔を向けてスティーブンは言った。

「クラウス、ザップとレオがそういう関係ってことだけは絶対ないよ」

 ぎぎぎ、と油の切れたおもちゃのように、不自然な動きで振り返る。背後には、おそらくザップを追いかけて出てきていたのだろう我らがリーダの姿。スティーブンの言葉に、クラウスはあきらかにほっとしたような表情を浮かべ、先ほどまでしょんぼりしていた様子とは打って変わって、今はまさに花でも飛ばさん限りで。
 もし仮に。
 クラウスがレオのことを好きだとする。
 それならば、レオナルドとスティーブンがそういう関係だと見せつけられ、こんなにも嬉しそうな顔をしているはずがない。
 だとすれば、「ザップとレオがそういう関係なのか」と恐る恐る問うてきた彼が気にかけていたのは、レオナルドではなく。
 今までザップが感じていた視線は、ザップと一緒にいるレオナルドを見ていたのではなく、レオナルドと一緒にいるザップを見ていた、ということで。
 気がついた瞬間かっと頭に血が上る。
 咥えていた火のついていないタバコを吐き捨て、ザップは一目散にその場を逃げだした。
 待ちたまえ、だなんて声が聞こえてくるが、そんなもん無視だ無視。未だ自分の感情が追いついていないうちに、取って食われてたまるかっつーの!








「あのふたり、くっつくと思う?」
「どうでしょうね。個人的にはくっついてもらいたいですけど」
「え、そうなの? 少年のことだから、『ザップさんにクラウスさんはもったいない』とか言うかと」
「いや、もったいないっていうなら、あなただって僕にはもったいないですもん。ただあのふたりがくっつけば、ザップさんが僕らのことからかってこなくなるだろうから、僕の心は平和だろうなって」
「……少年のそういう、身内にも容赦なく打算的なところ、すごく好きだよ」
「あざーっす」




前へ
トップへ

2016.07.20
















クラザプも美味しいと思うんです。
が、この話は最後のスティレオの会話が書きたかっただけでした。

Pixivより。