ココロの行方・1


 支給された端末が着信を知らせる。同一作戦であればコール不要のインカムで連絡を取るが、あいにくとかの上司とは別作戦で任務中である。ツェッドの端末へ連絡があったのは、ザップだと報告が心許ない、レオナルドはこちらの作戦の肝であるため邪魔をしたくないという消去法であろう。
 もともと今日は、ツェッドたち三人だけ予定された任務があった。某ストリート沿いにあるビル内にて、異界技術や魔術、人界の科学技術などをちゃんぽんさせた怪しげな実験が展開されているそうなのである。そこから流出した様々な薬による騒動がいくつか勃発し、開発元を叩かねば埒があかない、と副官が判断した。
 ただ問題は、その研究施設のバックにライブラともそれなりにつきあいのある企業が控えていることである。それさえなければ問答無用で叩きつぶせるのに、とスティーブンがおもしろくなさそうに吐き捨てていた。
 まずはその企業の重役を納得させるだけの裏付け証拠が必要だ。そのための情報を仕入れてくるのが、本日の三人の任務だった。ザップとツェッドが護衛であり、主役は実験データをその瞳にスキャンできるレオナルドだ。知識が追いつくようならパスワードを割ってデータを持ち帰る。電脳空間に対し義眼がどこまで力を発揮できるのか、しばらくスティーブンとレオナルドのふたりでいろいろと実験をしていたそうだ。ザップが提案したパソコンごと強奪すれば? という案は、「向こうにばれたら意味がないって言ってるだろ」という番頭の冷たい視線によって黙殺された。
 実験データは思っていたよりすんなり奪えたようである。ただ「別のパソコンで開いた途端クラッシュさせるようなプログラムもありますから」と、念のために一番重要そうなファイルだけでも、と開いてレオナルドがスキャンしている最中だ。義眼を発動した状態でざっとスクロールして流し見れば、後ほど子細漏らさず目の前に再現させることができるという。相変わらず空恐ろしい能力を持つ芸術品だ。
 そちらの進捗はどうだ、と尋ねられ、ツェッドは己に分かる範囲で答える。レオナルドの護衛としてともにやってきた兄弟子は、暇を持て余しているようでぼんやりと窓の外を眺めていた。大義のためとはいえこちらは不法侵入者だ。姿を見咎められるような位置にどうして立っていられるのかが分からない。そうか、と端末の向こうから上司の声が届く。

『順調そうで何よりだ。ただこっちがあまり順調ではなくてね』
「小さなマフィア同士の小競り合いではなかったんですか?」
『端的に言えばね。ただ、その小競り合いの内容が厄介なんだ』

 パワードスーツ同士がぶつかるならまだ良いが、そこに異界産の人工培養生物が投入されているそうである。人手が欲しいから終わったらこっちにきて欲しい、そんな要請を受けている最中に、ドドン、と鈍い音が響きビルが揺れた。

「……今のは」
『こっちの余波だね。クラウスが吹っ飛ばしたパワードスーツ二体が重なって爆発した』
「場所、近いんですね」
『そうなんだ、だからできるだけ速やかにそこから撤収してくれ。こっちの敵は強くはないんだけどタフで弱点が分かりづらくて。K・Kは蜂の巣、僕は全体を凍らせて、クラウスは粉砕してるけど効率が悪い。レオに弱点だけでも見てもらえたら助かるよ』
「分かりました、終わり次第そちらへ向かいましょう。ただ、レオくんは今義眼をフル活動させてますから……」
『分かってる、無理はさせないよ。無茶はさせるかもだけど』
「安心できませんよそれ」

 ははっ、と笑う上司へため息をついてツェッドはそう返す。聞こえる返答内容から、ここだけで仕事が終わりではないことをほかふたりも察したらしい。

「すんません、もうちょい、あと少しで終わります!」
「おー、こっからでもどんぱちやってんのが見えっぞ。うげ、なんだあの気持ち悪ぃの。グローブ越しとはいえ、あれぶん殴るとか、旦那すげぇな?」
『その近くで騒ぎの大きい場所を目指せばすぐ合流できるだろう』
「分かりました、それじゃあまたあとで、」

 そう言って通話を切ろうとした瞬間、『クラウスッ!』という焦ったような叫び声が端末から響いた。何かがあった、と考える前にドンッ、と先ほどよりも大きな音がビルを震わせる。

「う、わぁッ!?」
「レオッ!」
「レオくんっ!」

 窓ガラスが音を立て、室内の棚や机が大きく揺れた。がらがらがらっがしゃんっ、ばりんっ、とあちらこちらで音を立てて物が倒れ、落ちて壊れる。
 上司たちのどんぱちがどのあたりなのか、確認しておこうとツェッドもまた窓際に近づいており、部屋の中央にいたのはレオナルドひとり。背の高い棚に囲まれたパソコンデスクで作業を行っていたのだ。
 ぐらり、と倒れたスチール製の棚を、咄嗟に伸ばしたザップとツェッドの血法が受け止める。ひとまず小柄な少年が棚に押しつぶされる、という最悪の事態は免れた、のだけれども。
 からっ、からから、かしゃっ、ばしゃんっ。

「うぇええっ!?」

 どういうわけか、棚の中に一本だけ瓶詰めの何かが保管されていたらしい。傾いた拍子に小瓶が滑り、開いてしまっていた扉から外へと飛び出し、その真下にレオナルドが、いた。彼にとってより不運だったのは、どの衝撃を受けた段階かは分からないが、瓶の口が緩んでしまっていたこと、だろう。
 落ちてくる物体から頭を守ることはできても、降り注ぐ液体から逃れることは不可能だ。いったい何が起こったのか分からないまま、少年は正体不明の薬品を浴びる羽目になった。

「な、なに、なにこれっ! 水? ほんとにただの水!?」

 三人の脳内にふっと浮かび上がるのは、このビル内で、怪しげな薬品の実験研究が行われていた、という事実。衝撃で倒れてしまう程度の棚に保管されていたのだから、劇薬ではない、と信じたいが、実際どのようなものなのかは分からない。さっと顔を青ざめさせ、ザップは慌てて少年へと駆け寄った。

「ッ、レオ、」

 その途中、こつん、と靴先に当たった小瓶。空のそれを血の糸で回収したのは咄嗟の判断だった。

『悪い、今の爆発もこっちのせいだ。大丈夫だったか?』

 どうやら通話は繋がったままであったらしい。副官に名を呼ばれたリーダの状況も気になるが、今のツェッドにはそれを尋ねる余裕はなかった。ひょい、と兄弟子から放り投げられた空き瓶を受け取り目を落とす。

『ツェッド?』

 携帯端末から呼びかけられ、ツェッドが口を開く前に「ザップさん!」とレオナルドの声が室内に響いた。

「僕、ザップさんのことが好きです! …………え? あれ、俺何言って、あ、や、でもやっぱり好きです!」

 驚きに目も口も開いたままのツェッドが持つ小瓶には、『惚れ薬』というラベルが貼り付けられていた。



***     ***



試薬(A)に関するレポート

試薬(正式な名が決定するまで仮に(A)としておく)
・経口摂取、粘膜、皮膚への塗布により効果を発揮
・対象者の脳神経に影響を与え、摂取後一番最初に目撃した生物への好意を錯覚させる
・効果は約100時間ほど持続する模様
・多大な障害が発生、排除する方法を模索中
・成分は以下の通り
(割愛)




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2016.07.20