ココロの行方・7 気分は悪くないか、体調は悪くないか、上司たちにしつこいほどそう確認されたレオナルドは、ふにゃんと笑って「大丈夫です」と答える。翌朝、薬の説明レポートによればレオナルドに引き起こされた効果は既に切れているはずで、それを確認するためには、ザップから離れてみるのが一番手っ取り早く確実だ。 ここ数日きちんと食事も睡眠も取れており、体調はむしろ良いくらいだ。薬に侵されていたときの感情はしっかりとレオナルドの中に残っているため、実はまだ効果が切れておらず、ザップの姿が見えないとパニックになってしまうのではないか、と恐れる部分もある。けれど、そばに立つスティーブンが背中を支えてくれているし、クラウスだっていてくれているのだ。もし何かあったとしても大丈夫、きっと大丈夫。 きゅ、と唇を噛んで頷けば、「んじゃあ、部屋、出んぞ」とザップが立ち上がり、リビングの扉のほうへと足を向けた。 薬の効果があるときには、その時点でいても立ってもいられないほどの不安がレオナルドを襲っていたものだったけれども。 がちゃり、とノブを落とし、ザップが廊下へと姿を消す。ぱたぱたぱた、と響く足音、まっすぐに進めば玄関にたどり着くはずで、ガチャン、と先ほどよりも重たい音が小さく響いた。続いてばたん、とドアの閉まる音。そのまま数秒ほど待ってから、レオナルドは詰めていた息を吐き出した。 「だいじょうぶ、みたいです……」 ザップの姿が見えない。そのことにわずかな寂しさがあるような気もするが、あれだけ強い依存を引き起こしていた感情に比べたらかわいらしいもの。まだ少しザップに対する感情が残っているのか、あるいはそうかもしれないと怯えるあまりに錯覚を引き起こしているのか。どちらにしろ、我慢できるレベルのものであり、無視を決め込むことだってできるだろう。 レオナルドの言葉に、「良かった」とクラウスがほっとしたように笑い、スティーブンもまた言葉はなかったが労うように頭を撫でてくれた。 「おーい、どーだった?」 がちゃっ、ばたばたばた、と騒々しく戻ってきたザップが顔を出し、「大丈夫みてぇだな」と口元を歪める。おかげさまで、とレオナルドも笑って答えた。 「あー、よーやっとこの部屋ともおさらばってわけだ」 「そうだな。おい、ザップ、さっさと自分の荷物片づけろ、お前少ない割にあちこちに散らかしてるだろ」 「あとでキーパを入れる手配をしている、片づけは簡単で構わないよ」 「そうはいきませんよ、クラウスさん。四日もお世話になったんですから、ちゃんと掃除していかないと」 おそらく、四人が四人とも、この生活の終わりを寂しく思っている。けれどそれを素直に口にするには、彼らは年齢を重ねすぎていた。最初から、四日間だけの同居だと分かっていたのだから。 「……昨日の晩ご飯の残り、持って帰っちゃだめですかね」 「ははっ、いいんじゃないかな。クラウス、いいだろ?」 「ああ、構わない。何なら食材も持って帰るといい」 「えぇっ!? や、そ、そこまでは……あ、じゃあ、バナナだけでも。ソニックのおみやげに」 「そういやおめー、ソニックはどうしたんだ? この部屋じゃ全然見かけなかったけど」 レオナルドの友達であるかしこい音速猿には、状況を説明し、ツェッドの元へ身を寄せるように頼んであった。そばにいてもらいたい気持ちはあったが、自分がどうなるのか自分でも分からなかったため、念を入れて避難してもらっていたのだ。 他愛もないことを話しながら四日ほど暮らした部屋を掃除し、片づけ、荷物をまとめてリビングへと集まる。 「施錠は私がしよう」 もともとクラウスの用意してくれた部屋だ、最後は彼に任せても良いだろう。となれば、ザップも残るはずだ。 「じゃあ、僕らは先に出ようか」 そう口にするスティーブンを見上げ、レオナルドははい、と笑って答えた。 「クラウスさん、ザップさんも。この四日間、大変ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました! 僕がこんなこと言っちゃいけないんでしょうけどでも、楽しかったです」 それじゃあまた事務所で。 そう言ってぺこりと頭を下げたレオナルドは、ぱたぱたと小走りに先をゆく恋人の背中を追いかけた。 ふたりが部屋を後にすれば、室内にはやはりどこか寂しさを持った静寂が訪れる。普段うるさいと怒られることの多いザップではあるが、クラウスと一緒にいるときは少しばかりおとなしかった。何をしゃべればいいのか分からない、というわけではなく、わざわざ何か言わなくても苦にならない空気が好きなのだ。 ぎしり、とソファをきしませて腰を下ろし、長い足を投げ出す。あー、と気の抜けた声をあげ、両腕と頭をソファの背もたれに預けた。左斜め後方にクラウスのいる気配がある。 開いていた口を閉じ、すぐに開けて、また閉じる。んぁー、ともう一度意味のない呻きをあげたあと、「旦那、さぁ」とザップは言葉を放った。 「俺とレオがべたべたしてんの見て、ヤキモチ、とか、焼いたりしちゃった?」 それは、ずっと聞いてみたかったこと。仲間想いで博愛主義者の男は、レオナルドを責めることは絶対になく、己の恋人に触れられても表情を変えたりはしなかった。それは少年を苦しめることになると分かっているからこそだとは思うが、もしかしたら実は、本当に何も思っていないからではないか、と。あまりにも普段と変わらない言動、表情に、ザップは少しばかりそう思ってしまったのだ。 愛だの恋だのからほど遠い位置にいるザップに、正面から好意を告げてくる男だ。また彼の性格からして嘘をつくことができるとは思えず、その気持ちを疑うことはない。けれども天然記念物に指定したいほど誰に対しても等しく愛を注ぐタイプであるため、ときどき自分に向けられる感情の度合いが分からなくなってくる。 口にしてすぐ、何女々しいこと言ってんだ俺、とザップは後悔の海に沈んだが、そんな些細な感情は「しないわけがない」という言葉にすぐ吹き飛ばされてしまった。 「レオナルドに罪はない。君たちふたりの間にも友情以上のものがあるとは思っていない、ただそれでも、愉快な感情は抱けないものだ。己の心の狭さを思い知ったよ」 まだ私も至らないな、と紡ぐ男の顔をちらりと伺えばわずかに苦笑を浮かべているようだった。はあ、と息を吐き出して頭の位置を戻す。 「言っとくけどそれ、普通だからな?」 貴族の家の出で、紳士で博愛主義者で校正明大な人物であろうとも、クラウスだってひとりの人間であり、ひとりの男だ。惚れた相手が自分以外の誰かと親しくしている様子を見て、楽しく思うはずがない。理性がどう思おうが、本能的な部分で嫉妬を抱くのがひとを愛するということなのではないだろうか。 じゃねぇと、ひとりでもやもやしてる俺がバカみてーじゃねぇか。 ぼそりと呟いた本音がしっかりと聞こえていたようで、男は頬を緩めてこちらを見ようとしない恋人へ手を伸ばした。 ** ** 駐車場に車をおいてある、とスティーブンはそう言った。ひとまず今日は大事をとってレオナルドは休み、スティーブンも事務所へ出向かなければならない仕事はないという。 四人で生活した部屋を後にし、廊下を歩んでエレベータホールへと向かう。小さな箱に乗り込んだところで、レオナルドは我慢できずおずおずとスティーブンのジャケットの裾へ手を伸ばした。つん、と引っ張られる感覚に気がついた男がちらりとこちらを見下ろし、ふわりと笑みを浮かべる。 「よく、頑張ったな」 そう言ってくしゃりと頭を撫でてくれるものだから。 普段なら子ども扱いしないで、と怒りをみせるかもしれない言葉と仕草にぐぅ、と喉の奥を鳴らし、その腰に抱きついた。ぽんぽんと、宥めるように後頭部を撫でるその感触が心地良い。 「ッ、好き、です。僕、スティーブンさんのことが、好きです」 その気持ちはずっとレオナルドのなかに残っていた。ザップを好きだと思う気持ちとは別のベクトルで、ちゃんとレオナルドの気持ちとしてあったのだ。もしそれがなければ、強い依存を引き起こす感情に引きずられていたかもしれない。スティーブンを好きだからこそ、気持ちの板挟みに苦しんでいたけれど、きっとこんなにもすっきりともとの生活に戻ることができたのは、彼のことが好きだから。そして彼が好きでいてくれるからだ。 薬で強制的に引き起こされていた依存心ほど、スティーブンに強い感情を抱いてはいない。けれどだからこそ、こんなにもこのひとのことを好きだと思う、大切だと思う。そしてそんな気持ちを抱くことに幸せを覚えるのだ。 「僕も、君が好きだよ、レオナルド」 お帰り、僕だけのレオ。 柔らかく頭を上げるよう促され、仰いだと同時にキスが落とされた。地下駐車場にエレベータが到着し扉が開いたのもほぼ同じタイミングで、どこかで時間でも計っていたのではないかと思ってしまう。 「スティーブンさん」 腰にしがみついたレオナルドごと車まで移動する男の名を呼ぶ。 「まだ、一緒にいたいです」 この四日、普段よりもそばにいる時間は長かったはずだ。けれど、今はどうしても彼から離れたくない。薬の効果による感情ではなく、これはレオナルド自身の心から生まれる気持ちだ。 スティーブンの家に行ってはダメだろうか。事務所に戻って仕事があるというのなら、帰りを待っているから。 ぽそぽそと、俯いたまま呟いた少年の頭に、小さく笑う男の声が落ちてきた。 「最初から、連れて帰るつもりだったよ」 ようやく享受できるようになったふたりきりの時間。 謳歌しないという選択肢があるはずもなかった。 ←6へ ↑トップへ 2016.07.20
「うちのダーリンまじかっこいい」 「うちの旦那もまじやばい」 って言ってるレオ+ザプが可愛いと思います。 Pixivより。 |